artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
気仙沼
[宮城県]
仙台から気仙沼へ。昨年3月末にまわったときの風景を思い浮かべながら、港の周辺を歩く。黒こげになった街はなくなっていたが、所有者が不明か解体できない、あるいは解体しない建物がぱらぱらと残る。逆説的だが、あまりの惨状ゆえに、今やまっさらに片付けられた女川とは対照的だった。また地盤沈下のため、道路のかさ上げが半端でない。リアスアーク美術館にて、あいちトリエンナーレ2013の参加に関する打ち合わせを行なう。ここも昨年3月下旬、家を失った学芸員の山内宏泰さんがまだ美術館に住み込んでいる状態のときに訪れた。当時は閉鎖されていたが、美術館はすでに再開している。現在、来年オープンする震災の常設展を準備中だった。津波で襲われた街から収集した被災物のコレクションを見せていただく。大きな被災物は津波の破壊力を科学的に説明するが、小さなモノは生活の記憶を物語る。とくに汚れたぬいぐるみには、重油の匂いが残っており、直後の被災地で強く感じた嗅覚から、あのときの生々しい記憶がよみがえる。
写真:上=気仙沼市街、下=収集された被災物
2012/11/07(水)(五十嵐太郎)
米澤隆/HAP+《公文式という建築》
[京都府]
京都にて、名古屋の若手建築家、米澤隆が設計した《公文式という建築》を見学する。雑誌では、とんがった屋根の造形や、ガラスのテーブルでつなぐ上下の空間構成の大胆さが目立つが、現地を訪れ、筆者も子どものときに通っていた公文式の学習形式を、いかに空間化するか、というプログラムから導かれた設えだということがよくわかった。教員が前にたち、一斉授業をするのではなく、それぞれの子どもが自分の到達度に合わせて自習するという独自の教育システムが建築として空間化されていた。これは家具的な建築でもある。
2012/11/04(日)(五十嵐太郎)
あいちトリエンナーレ2013プレイベント「オープンアーキテクチャー」
会期:2012/11/03
[愛知県]
あいちトリエンナーレのプレイベントとして、建築を鑑賞するオープンアーキテクチャーを実施した。朝から名古屋市役所、大津橋分室、市政資料館、愛知県庁本庁舎などのツアーを連続して行ない、めまぐるしい一日だった。市役所の時計塔の内部や、愛知県庁の地下に新しくつくられたハイテクな免震装置の空間など、通常では見ることができない場所にも入り、帝冠様式の言葉で片付けられる建物の意外な一面も発見した。特に職員や県庁のプラモデルを制作したファインモールドによる、熱の入った説明を聴きながら、室内の細部まで観察し、市役所と県庁舎を隅々まで比較できたことがよかった。いずれも想像以上にすごい建築である。こういう体験をすると、本当に各建物のファンになる。昼は、女子校のため、やはり普段は入れない近代建築の金城学院高校栄光館において、「歴史まちづくり講演会」を行なう。大津橋庁舎や伊勢久で名ガイドをしていただいた瀬口哲夫先生と、五十嵐がそれぞれ講演し、あいちトリエンナーレと建築鑑賞をつなぐ対談を展開した。
写真:左上=名古屋県庁舎より市役所を見る、右上=大津橋分室、左中・右中=名古屋市役所内部・時計塔内部、下=金城学院高校栄光館
2012/11/03(土)(五十嵐太郎)
《ヴィラ・ジュリア国立博物館》《ローマ国立近代美術館》
[イタリア・ローマ]
出発前の朝、日本文化会館に隣接する《ヴィラ・ジュリア》を訪れた。エトルリアの考古学展示も面白いが、なによりも空間のダイナミクスをもつ古典主義の建築が素晴らしい。現代建築ばかり見ていると、視野狭窄になるので、すぐれた古典の存在は大事だ。続いて、《国立近代美術館》へ。これは堅苦しい古典主義である。ただ馬鹿でかいことによって、結果的に現代美術の展示にも耐えうる空間をもつ。ここでは、アルベルト・ブッリの絵画を見ることができた。地震で破壊され、集団移住により廃棄されたイタリアの町ジベリーナにて、街区ごとコンクリートで固め、巨大なランドアートをつくった作家である。彼の抽象的かつ素材感が強い絵画は、空からみた作品化されたジベリーナとよく似ていた。
写真:上から、《ヴィラ・ジュリア国立博物館》、《ローマ国立近代美術館》、アルベルト・ブッリの絵画
2012/10/24(金)(五十嵐太郎)
吉田五十八《ローマ日本文化会館》
[イタリア・ローマ]
吉田五十八が設計したローマの《日本文化会館》に向かう。日本建築を引きのばしたような空間である。イタリアの水準にあわせるためか、特に垂直方向に高くなっているが、巨大な違い棚や障子はアートのインスタレーションのようだ。今回、「東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展は同じものを2セット制作しており、そのひとつが一階の日本的空間に設置された。筆者はレクチャーを行なったが、イタリアでは地震が起きるので、より強い関心を持ったようである。2009年に地震が起きたラクイラ大学の建築の先生たちが駆けつけたのだが、ちょうど地震予知をめぐる裁判で、科学者への有罪判決が出た直後だった。ラクイラでは、仮設住宅の建設が遅れ、三段階ではなく、二段階の復興になるという。また日本と違い、公共建築の方が地震で危ないなど、いろいろ事情が違うようだ。
2012/10/23(木)(五十嵐太郎)