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建築に関するレビュー/プレビュー

JIA東北住宅大賞 現地審査

[福島県、岩手県、青森県、秋田県、宮城県]

卒計日本一決定戦の後、古谷誠章さんとJIA東北住宅大賞の現地審査におもむくのが恒例となった。5回目は、郡山(阿部直人の小さな家と、増子順一による間の空間2)、岩手(SOY SOURCEによる八幡平の山荘)、青森(福士譲の事務所による新田の家)、秋田(納谷兄弟による鷹巣の住宅と、木曽善元による横手の家)、仙台(前田卓の川のほとりで)をまわり、二泊三日の強行軍で東北エリアに点在する7作品を見学した。今年は雪国の中庭住宅である横手の家が東北住宅大賞に選ばれた。例年の倍以上の積雪で、まわりの家の軒先が幾つか壊れているなかで、この住宅は、傾斜屋根の配置パターンによって、むしろ雪を味方につけるのが興味深い。冬は片側に雪を落とし、西風をブロックし、それがない夏は通風の道とするのだ。9日にこの住宅を見学後、地元で名物のメロンパンを購入したところ、最初の大きな地震に遭遇する。長い揺れで、まるで船に乗っているようだった。乗るはずの新幹線が運休になったが、まさかあの大地震の予兆とは思っていなかった。

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2011/03/07~09(五十嵐太郎)

せんだいデザインリーグ2011 卒業設計日本一決定戦

会期:2011/03/06~2011/03/11

川内萩ホール[宮城県]

今回、最終の審査で選ばれたファイナリストは、10人中8人がセミファイナルで票を入れた学生だったので、いつもより多く、基本的にどの案も応援していたが、発表と討議を繰り返すなかで、どんどん魅力が引き出されたのが、日本一になった芝浦工業大学の冨永美保だった。逆にアシストのつもりの質問を受けとれない学生もいて、そうした場合は脱落していく。日本二に選ばれた日本大学の蛯原弘貴の工業化住宅は、セミファイナルで3点を入れた作品だったが、敷地の観察や建築的な発見が足りないと判断し、最後は票を入れなかった。
日本三となった明治大学の中川沙織は、いまの建築はやさし過ぎると批判し、人間はきわめてパンクで、会場は盛り上がったが、建築はそこまで過激な空間でない。人間コンテストなら1位だが、SDLは建築を競う場である。中川インパクトのあおりを喰らい、興味深い空間のシステムを提案した東京理科大学の大和田卓の住華街がベスト3から落ちたのは、残念だった。
審査に関して、テクトニックな案をもっと選べという意見が聞かれたが、だからといってアファーマティブ・アクションのような優遇措置をとるのは難しい。筆者は、例えば、郊外化や情報化のタイプの案を優先して選ぶ、藤村龍至的な立場はとれない。それこそ建築は多様であり、そうでない案の学生に失礼になるからだ。
筆者の著作は、建築と社会に関するテーマだが、建築やアートの審査を行なう場合、いったんそれは解除する。そうでないと、キリンアートプロジェクト2005において石上純也のテーブルを選べなかっただろう。自分の偏った好みを認識しつつも、なるべくバランスをとる。
つまり、審査に望む際、昨日まで考えていたことを補強したり、その啓蒙に役立つ作品よりも、むしろその日まで自分が考えてもいなかったような気づきを与えるものを選ぶ。使いまわしの説明が通用せず、それがなぜ良いのか、その場で言説を新しく組み立てる必要があるものだ。
ともあれ、今から思えば、全国から学生が集まる、この時に震災が起きなくてよかった。10周年を迎えたせんだいメディアテークは一部損壊し、模型の返却も遅れたが、来年は復活のイベントとして、卒業設計日本一決定戦が再開されることを願う。

2011/03/06(日)(五十嵐太郎)

colors lecture series 一番町建築夜話 ikken’ya vol.2 山梨和彦

会期:2011/02/25

東北工業大学 一番町ロビー4Fホール[宮城県]

まず最初に15年におよぶ東北工業大学の学生団体colorsの活動紹介を行ない、その後に日建設計の山梨知彦の講演が続く。木材会館やホキ美術館を案内していただいたことはあったが、レクチャーを聞いたのは初めて。彼が追求するのは、熱、音、光などの諸要素をすべてヴィジュアル化し、設計の手続きに組み込む、超視覚化主義だ。それはコンピュータの導入によって、変わった形態(フランク・ゲーリーやザハ・ハディドなど)の構造を実現する以外の可能性を大きく拡張する試みでもある。日建設計では、泉ガーデン、京都迎賓館、大阪弁護士会館、京都の東本願寺修復など、山梨以外にも意欲的なプロジェクトを展開しているが、とりわけ山梨のチームは現代的な感覚をもつ。

2011/02/25(金)(五十嵐太郎)

軍艦マンション再出航イベント[GUNKAN crossimg]

会期:2011/02/22~2011/02/27

軍艦マンション[東京都]

異形の造形から通称「軍艦マンション」と呼ばれる、渡邊洋治の第三スカイビル/ニュースカイビル(1970年)がリノベーションを経て、再度使われることになった。近年、こうしたイベントは増えているが、
展示という名目で、普段は入れなかったであろう地下、3~5階、屋上を見学することができたので、アートに感謝したい。尋常ではないプランもさることながら、屋上の艦橋を模した給水塔を間近に見ることができ、大いに感銘を受けた。船を建築のメタファーにすることは、横浜郵船歴史博物館において開催中の「船→建築」展が焦点を当てているように、モダニズムの時代から試みられてきたことだが、渡邊の建築もその系譜に位置づけられる。ピエール・パトゥによるパリの船=集合住宅は有名だが、こちらは14階建てだ。ハンス・ホラインは航空母艦都市を空想したが、軍艦マンションは実現されたプロジェクトである。世界に誇るべき、船=建築だ。

2011/02/22(火)(五十嵐太郎)

伊東豊雄事務所設立40周年創立記念パーティ

座・高円寺[東京都]

驚くべきイベントだった。冒頭、伊東豊雄による北島三郎の熱唱に始まり、途中はスタッフによるKARAのダンス、ラストはこれまでの伊東事務所の所員がみなステージに上がり、歌とダンスで大団円のフィナーレを迎える。しかし、メインは三部構成のシンポジウムだった。
第一部は藤森照信が聞き手となって、磯崎新と石山修武の話を引きだしながら、伊東の70年代~80年代をふりかえる。モダニズムに反逆し、なぜ建築が閉じたのか、という質問からスタートし、最後に磯崎は「消費の海に浸らずして新しい建築はない」の論文で、伊東はいまの伊東になったと述べる。
第二部は、転換となる作品、せんだいメディアテークをめぐって。大西若人が現仙台市長の奥山恵美子に、当時の行政サイドの苦労話をきく。続いて、塚本由晴が原広司に、情報の建築について意見をうかがう。第三部は、伊東自身が中沢新一をゲストに迎え、これからの建築について討議を行う。今後、伊東は建築塾を通じて、若い人と新しい世紀の空間を考えると表明したことが印象的だった。

2011/02/21(月)(五十嵐太郎)