artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
東北大学五十嵐研究室学生編集『ねもは』2号
発行日:2011年6月
文学フリマにあわせて、五十嵐研の学生らによる建築同人誌『ねもは』2号が完成した。完全版ではないとはいえ、300ページ以上のヴォリュームで500円。特集は、建築コンペやプレゼンテーションであり、分厚い資料編は、90年代の『建築思潮』を思い出す。加茂井新蔵の挑発的なアイデア・コンペ/擬似建築論(相変わらず読みにくい)、服部一晃のSANAA人間論、ゼロ年代シーンを歴史的に論じる市川紘司など、20代半ばによる論考を収録している。コンペ有名人のアンケートやインタビューも、20代の新人を強く意識した内容だ。震災によって東北大の研究室が使えず、図書館もろくに入れない状況で、よくこれだけの密度が濃い雑誌を制作できたものだと感心する(筆者の知るかぎり、被災しなかったエリアの建築系同人誌で、これより言説が充実したものは刊行されていない)。
『ねもは』1号からも設計思想が変更・発展し、『エディフィカーレ』を超え、『ラウンド・アバウト・ジャーナル』以来の最大の衝撃だ。これは歴史に残る。建築に閉じているという批判がいかにも出そうだが、社会に惑わされず、まずは建築を考えてよいと思う。
2011/06/11(土)(五十嵐太郎)
特別講座「復興へのリデザイン」第一回
会期:2011/06/11
せんだいメディアテーク[宮城県]
震災のあおりを食って、昨年秋にスタートしたせんだいスクール・オブ・デザインもプログラムの変更を余儀なくされた。まず2011年度の開講と2010年度の修了式が遅れて、6月になったこと。今期はスタジオのプログラムを走らせず、代わりに連続特別講座「復興へのリデザイン」とアジャイル・リサーチ・プロジェクトを行なうこと。そこで五十嵐は、「文化被災」を特集テーマとして、「S-meme」2号を制作する予定だ。6月11日は、せんだいメディアテークにて、第二期の説明会を行なった後、「復興へのリデザイン」の第一回「復興を設計する」を開催し、講師陣によるプレゼの後、参加者とともに討議した。
2011/06/11(土)(五十嵐太郎)
東日本大震災:八戸
会期:2011/06/09
[青森県]
青森の八戸港は、船が陸にのりあげた映像で知られるが、もうだいぶ片付いていた。住宅地も湾岸部と離れており、岩手県や宮城県に比べると、被害は少ない。震災後、各地の港や魚市場をまわりながら、飾り気のない漁港施設のモダニズムのカッコ良さに気づかされた。2月にオープンしたばかりの八戸ポータルミュージアム「はっち」は、針生承一・アトリエノルド・アトリエタアク設計共同体によるものだが、八戸のせんだいメディアテークというべき現代的な空間だった。震災時には、避難所としても活躍したことを知る。
2011/06/09(木)(五十嵐太郎)
東日本大震災:東松島市・石巻
会期:2011/06/04
[宮城県]
電車が通じないため、バスに乗って、矢本/東松島のエリアを訪れた。45号線を越えて少しすると、風景が変わりはじめる。たとえ昼でも、濃霧のなかで、見渡す限り誰もいない、ガレキだらけの耕作地のあぜ道を歩くのは怖い体験である。淀川大橋を渡ろうとしたら、途中でばっさりと切断されていた。仕方なく、大きく迂回して、震災後、三度目の石巻へ。北上運河を越え、中屋敷から東の工業港背後の住宅地や、海辺の南浜町や門脇町はいまだにガレキが片付いていない。もっとも、中央や立町の商店街は、ささやかながら再開し、復興の兆しが見えていた。
2011/06/04(土)(五十嵐太郎)
東日本大震災:南相馬市
会期:2011/06/02
[福島県]
はりゅうウッドスタジオの芳賀沼さんから依頼された、仮設住宅地での集会所のプロジェクトの敷地を見学するために、研究室の吉川彰布くん、村越怜くんとともに、南相馬市を訪れる。津波に襲われ、水平になった風景が、小高い丘を挟みながら断続的に出現する様子は、岩手のリアス式海岸や仙台の平野とは違う。研究室の石井くんの実家は無事だったらしいが、その近郊は壊滅的な被害だった。その後、原発事故の立ち入り禁止区域ぎりぎりまで南下すると、本当に人影がなくなる。原発からの距離によって見えない境界線が引かれていた。
2011/06/02(木)(五十嵐太郎)