artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
open! architecture 2010
会期:2010/05/21~2010/06/13
[東京都]
UIA東京大会日本組織委員会フォーラムジャパン部会の斉藤理氏が中心となって実施している、建築を公開するイベント。2008年に始まり、本年で3年目。規模は徐々に拡大し、来場者数も毎年4割以上増えている。大きく三つの試みがある。ひとつは「建築解放区」で、都内のほか、神奈川、長野、大阪の建築で、普段入れないものなどを一般に開放し、解説も加える。二つめは「オープンハウス」で、建築家が自作を紹介する。三つめは「音楽イベント」で、名建築などを舞台として音楽演奏を行なう。ドイツやイギリスなどでは、このような建築開放の試みはすでに普及しており、大きなイベントとして行なわれているが、日本でこのようなイベントが行なわれはじめたことは意義深い。建築は、いったん施主の手に渡ると、公共建築や商業建築でなければ、一般の人が内部を見学することは難しい場合が多い。そのため、文化的に優れた建築も、なかなかその良さを知ることができない。しかし、open! architectureでは、建物が公開されることによって、その建物が地域や都市全体の「誇り=財産」となることにより、さらにその建物の意義が増すという考えのもと、多くの建物を公開している。このような流れが、日本における建築文化をより高める方向につながっていくことは、間違いないだろう。
URL=http://open-a.org/
2010/06/30(水)(松田達)
第5回カルチベートトーク「ネットワーク行動学から都市デザインへ/建築、土木、都市、交通、景観を横断する可能性」
会期:2010/06/07
建築会館[東京都]
時流にとらわれず、本当に聞きたい話を聞く場をつくろうというところからはじまった、建築学会建築文化事業委員会主催のイベント。5回目のこの回では、交通工学を中心に建築や都市分野でも活躍している羽藤英二氏(東京大学准教授)を招いて、レクチャーとパネルディスカッションが開かれた。羽藤氏は、交通の基本となる「移動」という概念を「伝播」にも拡張させることにより、例えばtwitterから広がるネットワークなどコミュニケーション論も包括した話のなかで、交通から見た都市論を展開させた。そして自動車中心で速度の求められた20世紀型交通から、コミュニティの再編により「遅い交通」が求められる21世紀のモビリティ・クラウド型の交通への転換が説かれた(モビリティ・クラウドは、羽藤氏の造語で、モビリティ・オン・デマンドと呼ぶ研究者もいる)。後半のパネルディスカッションでは、阿部大輔氏(東京大学助教)、武田重昭氏(兵庫県立人と自然の博物館)、筆者が加わり、都市、ランドスケープ、建築という複数の領域の視点から羽藤氏のプレゼンテーションにおける可能性の地平が討議された。「遅い交通」における結節点の重要性から、交通や都市・建築などを包括する全体性の問題へと、スケールを横断しながら討議がなされたことも印象深い。交通という視点から、都市と建築を考えることができた、かなり希少なシンポジウムではなかったかと思う。
2010/06/30(水)(松田達)
ジョナサン・グランシー『失われた建築の歴史』
発行所:東洋書林
発行日:2010年4月
おもしろいコンセプトの本である。建築史は、結果的に現在まで残された各時代の建築をつなぎながら、物語を語っていく傾向をもつ。だが、多くの建築は消えてしまう。むろん、すべて建築が永遠に残ることなどありえない。何かがとり壊され、何かが新しく出現する。地震や火災、老朽化や再開発、あるいは爆撃やシンボルの破壊など、理由はさまざまだ。そして現存しないものは、歴史に残りにくい。ゆえに、本書は、大判の図版を使いながら、失われた建築を紹介する。建物が破壊されることも、歴史の営みなのだ。実は筆者も、こうしたテーマで書いてみたいと前々から思い、大学院の講義でもとりあげていたので、ちょっとやられたという気持ちがある。最近、刊行した磯達雄との共著『ぼくらが夢見た未来都市』(PHP新書、2010年)では、万博を軸に少しだけ、類似したトピックを扱うことができた。『失われた建築の歴史』でも、最終章「製図版に残された夢」が、いわゆるアンビルドのユートピア的な建築を論じている。しかし、やはり実際に一度は存在したすぐれた建築が、何らかの理由で消えたという歴史的な事実の重みの方が圧倒的に興味深い。これは古代から現代まで、人類の夢の跡をたどっていく、美しい本である。
2010/06/30(水)(五十嵐太郎)
内藤廣『著書解題』
発行所:INAX出版
発行日:2010年6月1日
本書は、『INAX REPORT』において連載された内藤廣の対談をまとめたものである。といっても、建築家が自己表現するような内容ではない。20世紀後半の日本建築の歴史に一石を投じた本をとりあげ、その著者と対談を行なっている。例えば、『空間へ』の磯崎新、『神殿か獄舎か』の長谷川尭、『都市住宅』を編集した植田実、『建築の滅亡』の川添登、あるいは『桂 KATSURA─日本建築における伝統と創造』の写真を撮影した石元泰博らだ。これは勉強になる、とてもいい連載だと思っていた。ちょうど、20世紀の折り返し地点である1950年生まれの内藤だからこそ、建築家として同時代を共有した経験をもとに、著者とともに本とその背景をふりかえりながら、解題を行なう。書物が消えていくとささやかれる情報化の現在、本の力を改めて思い起こさせる好企画だ。したがって、本書には歴史的な資料としての価値がある。巻末の「本と論文にみる現代建築思潮年表」も嬉しい。
2010/06/30(水)(五十嵐太郎)
濱野智史『アーキテクチャの生態系』
発行所:エヌティティ出版
発行日:2008年10月27日
90年代は、浅田彰と磯崎新がany会議を通じて、大文字の「建築」を議論の中心にすえ、積極的に哲学との対話を進めたが、いまやそうした批評の空間は完全に変わり、社会学が強くなり、近い過去のサブカルチャーを扱う論壇が急成長した。そして1980年前後の生まれの論客は、主体ではなく、環境が決定するという主張が多い。本書もそうした流れの一冊といえるだろう。特徴は、コンテンツの内容や善悪の倫理は問わず、ウェブにおける情報環境をさまざまな進化が絡みあう、生態系として読み解くこと。またネットの世界は欧米の方が素晴らしいとか、進んでいるという議論に回収せず、これを現状肯定的な日本論に接続すること(ガラパゴスとしての、匿名型の2ちゃんねるや、ニコニコ動画)。海外の動向よりも日本の事情というのもゼロ年代の批評的な風景かもしれない。本書では、「限定客観性」や「操作ログ的リアリズム」など、さまざまな新しいキーワードも出しているが、同期と非同期について触れた時間の問題が興味深い(ツィッターにおける選択同期など)。ネットの世界は、コミュニケーションのモデルでもある。ゆえに、ゲーテッド・コミュニティとしてのミクシィ、あるいはミクシィのように都市空間や集合住宅を設計するといったコメントもなされている。大文字の「建築」からコンピュータの「アーキテクチャ」へ。これもゼロ年代の大きな転換だった。
2010/06/30(水)(五十嵐太郎)