artscapeレビュー
建築に関するレビュー/プレビュー
江本弘 オンライン・レクチャー
会期:2020/06/04
東日本大震災で東北大の建築棟が大破し、しばらく教室や研究室がまったく使えなくなったとき、教員と学生さえいれば教育は維持できると考え、漂流教室と銘打って、建築家が設計した住宅やシェアハウスなど、さまざまな場所で実験的にゼミを開催した。しかし、今回のコロナ禍は建物に被害を与えない代わりに、人が集まることを困難にしている。その結果、大学では講義、ゼミ、委員会など、あらゆる活動がオンライン化した。
奇妙なのは、近くの学生とはリアルで会えないが、海外滞在中の在学生や日本に戻れない留学生など、遠くにいる学生は参加しやすくなったこと。そこで今回は東京や海外で働いているOB、OGに声がけし、毎週のゼミの後、ミニ・レクチャーのシリーズを始めた。また助教の市川紘司が主宰する五十嵐研のサブ・ゼミでも、「建築概念の受容と変質」、「表象と建築」、「都市の読み方」といったテーマを設定し、それぞれの内容にあわせて、江本弘、本田晃子、石榑督和らの若手の研究者によるオンライン・レクチャーを企画している。
第1回目は、江本弘のレクチャーだった。彼は立原道造の卒業論文から出発し、そこからジョン・ラスキンの受容をめぐる研究に展開し、アメリカなどの海外で調査した経緯を語ってくれた。興味深いのは、対象そのものへの価値判断をせず、ひたすらその受容を追いかけていくこと。もちろん、井上章一も1980年代以降、桂離宮や法隆寺に対し、こうした手法のメタ建築史を試み、ポストモダン的、もしくは構造主義風とでもいうべき相対化を行なったが、井上の場合、つむじ曲がりの性格をベースにしていたのに対し、江本はそういう感じではない。
筆者は彼の著作『歴史の建設:アメリカ近代建築論壇とラスキン受容』(東京大学出版会、2019)の書評を『東京人』に寄稿した際、江本がどうやって膨大な資料を収集したのかと不思議に思っていたが、謎が解けた。データベース化された文献資料を徹底的に活用し、きわめて効率的に調査していた。まさに現代の情報環境が可能にした研究だった。現在は建築における「シブイ」や「ジャポニカ」などの概念に注目しているという。日本国内の言説に閉じず、国際的な流通を調査している点も、新しい世代の建築史家として高く評価できるだろう。
2020/06/04(木) (五十嵐太郎)
ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡
会期:2020/05/18~2020/06/28
宮城県美術館[宮城県]
久しぶりの美術館への訪問は、やはり関東圏よりもいち早く再開となった仙台の宮城県美術館となった。興味深いのは、新型コロナウイルスの対策のために、いつもと違うモードだったこと。例えば、行列はなかったが、吹き抜けのアトリウムから外構にまで続く、床に記された2m間隔のライン、受付の透明なシールド、チラシや作品リストなど手で触るモノの配布をしない(QRコードによってデータのダウンロードは可能)、講演などのトークイヴェントの中止ほか、会場内でも鑑賞者が立ち止まって密になりやすい映像による展示は止めていた。
現在、延期になっている筆者が関わる展覧会でも、感染防止のために、なるべく什器の間隔をあけること、来場者が不規則に動かないよう動線を誘導し、パーティションやサインによって固定化すること、接触型の展示や配布の中止、入場制限などを検討し、会場デザインの変更も行なわれる。これがニューノーマルとして定着するのかはわからないが、当面は展示の空間にも大きな影響を与えるだろう。
さて、「ウィリアム・モリス」展では、彼の生涯を振り返りながら、数多くの内装用ファブリックや壁紙のデザインが紹介され、後半では大阪芸術大学の協力を得て、書物の装丁などの活動が取り上げられていた。また織作峰子が撮影したケルムスコット・マナーなど、モリスの過ごした環境や風景の写真も活用されていた。もちろん、中世を理想化しつつ、民衆の芸術をめざし、モダニズムを準備した美術史・デザイン史における重要性は理解しているのだが、どうも動植物をモチーフとしたファブリックや壁紙の意匠は、野暮ったい。むしろ、モリスに影響を受けた小野二郎を軸とした「ある編集者のユートピア」展(世田谷美術館、2019)にも感銘を受けたように、同じ装飾としては、中世風の字体やレイアウトを通じたブック・デザインの方が個人的には好みである。
ちなみに、モリス展の最後となる第6章「アーツ・アンド・クラフト運動とモリスの仲間たち」は、明らかにモダンデザインに変化していた。例えば、ウィリアム・アーサー・スミス・ベンソンの卓上ランプはややアール・ヌーヴォーであり、建築家のチャールズ・フランシス・アンスレー・ヴォイジーによる壁紙のグラフィックは動植物を用いながら抽象度を高め、世紀の変わり目には新しいステージに到達したことが確認できる。
関連レビュー
ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡|SYNK:artscapeレビュー(2017年04月01日号)
2020/05/29(金)(五十嵐太郎)
川崎市河原町高層公営住宅団地、洋光台団地
[神奈川県]
コロナ禍の期間中、公共交通機関をほとんど使わなくなった代わりに、自動車で普段訪れることがなかった神奈川県のエリアをまわり、建築を見学する機会が増えた。展覧会や演劇は閉館していると、まったく楽しむことができないが、建築は内部に入れなくても、外観を見学するだけでも多くのことがわかるのがありがたい。時代の変化を示す2つの団地を取り上げよう。ひとつは大谷幸夫が手がけた《川崎市河原町高層公営住宅団地》(1972)、もうひとつは隈研吾による《洋光台団地》と駅前広場のリノベーション(2018)である。
前者は日本に団地が登場し、これからどんどん増えていく時代の建築だが、遠くから見ても相当なインパクトを与える彫刻的な造形だ。今なお、強い形である。いや、正確に言えば、近年こうしたデザインは忌避されるからこそ、余計に痛烈な印象を与えるだろう。とりわけ、「人」字型の斜めに迫り上がるダイナミックなヴォリュームは、大谷の《京都国際会館》(1966)にも通じるものだが、集合住宅の系譜で言えば、師匠の丹下健三による25,000人の《TAMENOコミュニティ計画》(1960)や、大谷も参加した《東京計画1960》(1961)の住居棟の断面と近い。実際、川崎の団地の外側はテラス付きの住戸をズラしながら積み上げ、日照を確保する一方、内側には巨大な吹抜けの半屋外空間を設けている。全体としては、総戸数3,600戸、人口 15,000人を想定したプロジェクトだが、SF的なデザインは、近代的な団地が輝いていた時代を偲ばせる。
これに対し、ほぼ同時期の1971年に入居を開始した《洋光台団地》は、直方体のヴォリュームが連なる普通の建築だが、誕生して半世紀を迎える直前に、隈のデザイン監修によって生まれ変わった。駅前から続く広場のリニューアルは、既存の傾斜地とも連動しつつ、個性的な場を形成している。隈による長岡の庁舎と同様、ステレオタイプではない日本らしさをもつ広場は、魅力的である。かつて2階の居室だった空間が、店舗に変わり、アーケードの上部に続くデッキと面しているのも興味深い。ほかにも室外機を木の葉パネルで覆ったり、縦導線のコアをストライプ状に塗装し、やさしい表情を与えている。強い建築を志向しない現代的な改修と言えるだろう。
2020/05/10(日)(五十嵐太郎)
ATAMI海峯楼、アトリエ&ホステル ナギサウラ
[静岡県]
熱海において対照的な宿泊施設を二つ体験した。ひとつは、隈研吾の《水/ガラス》(1995)を4部屋限定の高価格帯の宿に変えたATAMI海峯楼である。ブルーノ・タウトの《旧日向別邸》(1936)が隣接していることから、以前も二度ほどここを見学しようとしたが、玄関前までしか立ち入りが許可されなかったので、今回意を決して泊まることにした。なお、熱海までは自動車で行き、ATAMI海峯楼内では従業員以外に見かけた宿泊客は1名のみで、チェックインからチェックアウトまで、まったく外出しなかったので、人との接触は最低限である(ただし、翌日から営業が休止されることになっていた)。
有名な《水/ガラス》の部屋は、ラグジュアリースイートの客のみが夕食に使えるのだが、それ以外の時間は自由に見学することができた。なるほど、ここは勝負をかけたフォトジェニックな空間になっており、一見の価値がある。今や彼の定番となったルーバーの使用という文脈でも、これが最初の作品だと考えると、歴史的な意義もある。イメージのうえでは彼方の海とつながるとはいえ、この小さい空間に、21世紀における彼の成功の原点がある。今回、建築を目的に泊まったが、実は朝夕の食事が大変素晴らしく、それだけでも十分にお勧めできる。
熱海からの帰りで一箇所だけ立ち寄ったのが、戸井田雄による複合施設アトリエ&ホステル ナギサウラである。名称のとおり、歩くとすぐに海が見える場所だ。彼は武蔵野美術大学の土屋公雄研出身で、2006年の卒業設計日本一決定戦では、キャンパスで実際に穴を掘るプロジェクトで注目を集めた人物である。その後、現代美術家としてあいちトリエンナーレ2010などに出品し、2013年から熱海を拠点に、混流温泉文化祭など地域を盛り上げる活動を展開してきた。
さて、ナギサウラは、「リノベーションスクール熱海」をきっかけに戸井田が知った築70年の割箸屋を改造したもので、シェア・アトリエと9名まで宿泊できるホステルの機能をもつ。大工や知人が入ってセルフビルド的な施工も行ない、前の痕跡をあえて残しながらのリノベーションのデザインは、部屋ごとに新築では生まれない個性をもち、ニヤッとさせられる工夫が散見される。ナギサウラは昨年9月にオープンしたが、あいにく新型コロナウィルスの影響のため、しばらく営業することができず、またオリンピックに合わせて予定されていたイヴェントも開催が難しくなっているという。再びオープンしたら、是非、ゼミ合宿で使ってみたい施設である。
公式サイト:ATAMI海峯楼 https://www.atamikaihourou.jp/
アトリエ&ホステル ナギサウラ https://nagisa-ura.net/
2020/04/25(土)(五十嵐太郎)
インポッシブル・アーキテクチャー展、その後
昨年から今年にかけて国内を 4館巡回した「インポッシブル・アーキテクチャー」展に使われた、東北大学五十嵐研が制作した川喜田煉七郎によるウクライナ劇場国際コンペの入賞案模型(監修・菊地尊也)とマレーヴィチのアルヒテクトンの模型が返却された。大学も用事がない学生を登校させないという、すでに閉鎖に近い状態だったため、事前に承認を得て、模型の受け取りを行なったが(数日後、緊急事態宣言の拡大を受けて、教職員も原則、在宅という強い警戒体制に移行)、企画を担当した埼玉県立近代美術館の学芸員・平野到氏から、新型コロナウィルスの影響で、現在美術館で起きている状況について、いろいろなお話をうかがうことができた。自動車で直接運んでいける国内はともかく、海外から借りたところへのドローイングや資料の返却が、ややこしくなっているらしい。具体的には、カナダ建築センター(CCA)やダニエル・リベスキンドの事務所などだが、館がクローズしていたり、担当者が出勤していないため、受け取りの体制が整わず、スムーズにいかないという。
返却が以上の状況ならば、これから企画する展覧会のために国外を調査したり、美術館から作品を借りたりするのにも、当然支障をきたすはずだ。ということは、海外から作品を借用する直近の展覧会は、なんらかの変更が必要となるかもしれない。準備するための期間を考えると、問題が収束しなければ、1年後や2年後にも影響を及ぼすだろう。人の移動が制限されるコロナの時代においては、アート作品も場所を変えることが困難になっているのだ。確実に企画を実行できるのは、各館のコレクションを活用したものしかない。もちろん、こうした機会だからこそ、大量の来場者数を稼ぐイヴェント的なブロックバスターの企画展(しかも会場と行列は、三密!)ばかりが注目される日本において、ソーシャル・ディスタンスが十分に確保できる来場者数でもいいから、積極的にコレクションの魅力を再発見できるような工夫が推進されていくとよいだろう。それこそが、本来の美術館の力でもある。
2020/04/14(火)(五十嵐太郎)