artscapeレビュー

建築に関するレビュー/プレビュー

ARICA『孤島 On the Island』

会期:2019/01/31~2019/02/04

北千住BUoY[2019/02/03(日)]

会場は佐藤研吾/In-Field Studioが築半世紀以上の店舗に対して必要最小限のリノベーションを施した北千住BUoYであり、2階はカフェになっている。地下はボーリング場の風呂場がまだ残っており、ARICAの4年ぶりの新作はその痕跡を活かした作品になっていた。すちわち、会場が『孤島』のためにつくられた舞台美術のように見えたのである。そして巨大なドレス=拘束具としての切断された家具をのせた、つねに傾く正方形の台と格闘する安藤朋子の登場。これは寓話としての島だろう。生と死の宙吊りになった彼女の身体に、記憶を語るあらかじめ録音された声と、西原尚が激しくモノを鳴らす生の音、そして福岡ユタカの演奏がかぶさっていく。筆者はすでに「RealTokyo」のサイトでも、『孤島』のレビューを書いたので、ここでは建築的な視点からもう少し論じたい。

けっして水平になることがない可動の空間装置は、かつてクロード・パランが提唱した斜めの機能、もしくは荒川修作+マドリン・ギンズの建築的な作品を想起させた。不安定な台は、ガタガタと動き、安藤が場所を変えると、すぐに重心がずれて別の方向に傾く。斜めの機能とは、従来の建築が絶対的な条件とした水平と垂直に代わる、第三の軸としての斜めの空間を提唱し、そのダイナミックな運動性を積極的に評価するものだ。島は人工的な構築物ではない。ゆえに、知的なテキストとは逆に、不規則な地盤のうえで、絶えずバランスをとりながら立つことが要請され、生の身体性がむきだしになる。その緊張感に満ちた舞台だった。さらに建築的な視点を加えると、動く建築からパワード・スーツ的なアイデアまでを横断したアーキグラムも頭をよぎった。

2019/02/03(日)(五十嵐太郎)

ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ

ナチス・ドイツは美術に関して、おもに2つの蛮行を犯した。ひとつは、ルーヴル美術館をはじめとするヨーロッパ中の美術館や、裕福なユダヤ人コレクターから略奪同然に名画を集めたこと。もうひとつは、表現主義を中心とする前衛美術に「退廃芸術」の烙印を押して弾圧したことだ。この映画は、1930-40年代に行なわれたこれらナチスの暴力的な美術政策を、当時の映像を交えながら、略奪されたコレクターの子孫や歴史学者らの証言によって浮き彫りにしていくドキュメンタリー。

「名画略奪」と「退廃芸術」はどちらも、若いころ芸術家を目指しながら挫折したヒトラーの歪んだ「趣味」を反映したものといえる。彼はルーヴル美術館に飾られているような古典美術をこよなく愛する一方で、モダンアートはわけがわからないと目の敵にした。そのアナクロで短絡的な芸術観を白日の下にさらしたのが、アカデミックで陳腐な写実絵画を並べた「大ドイツ芸術展」であり、それとは対照的に「悪い見本」として同時開催された「退廃芸術展」だった。皮肉なことに「悪い見本」のほうは入場者が200万人を超え、ドイツ・オーストリア各都市を巡回するほど大衆の人気を集めたという。もし入場料を取っていれば莫大な収入を得られたはずなのに、価値のない作品だから無料にせざるをえなかった。

また、ナチスが摘発した退廃芸術を中立国スイスで売りさばいて軍資金に充てようとしたとき、タテマエとしては退廃芸術だから価値がないはずなのに、ホンネとしては軍資金を得たいために高く売りたいという自己矛盾に陥っている。しょせん無理がある政策だったのだ。さらに、その過程で、ヒトラーの片腕だったゲーリングが前衛美術品をくすねていたとか、ヒトラー専任の画商グルリットが千点を超える前衛作品を戦後70年近く隠し持っていたとか、謎めいたエピソードにこと欠かない。

略奪名画のほうはもっと悲惨だ。ナチスが奪った美術品はおよそ60万点といわれているが、要塞に隠していたラファエロをはじめとする名画が焼失したり、戦後ソ連軍がいち早く持ち帰って秘匿したり、さまざまな理由でいまだ10万点が行方不明とされている(ちなみに、日本の国立美術館5館の収蔵点数は合計しても5万点に満たない)。ユダヤ人の元所有者のなかには、ナチスに脅されて安く売ってしまったため戦後になっても返還されないケースや、なかには一家全員が虐殺されたため行く場所を失った名画もある。笑えるのは、ゲーリングが取得したフェルメール作品が真っ赤なニセモノだったこと。この作品を売ったオランダ人のメーヘレンは戦後ナチスに協力した罪に問われたが、法廷で自分が描いた贋作だと告白し、逆にナチスを手玉にとった男として英雄扱いされたという。欧米には美術作品を巡る推理小説が多いが、その多くがナチスの名画略奪や贋作をモチーフにしているのは、戦後70年以上たったいまでも多くの謎が解決していないからだろう。

映画のタイトルは「ヒトラーvsピカソ」だが、残念ながらピカソは言葉だけしか出てこない。だが、ここでピカソの名は、同時代芸術を弾圧したヒトラーに対し、古い芸術観に異議を申し立て、《ゲルニカ》に代表されるように巨悪と戦い、新たな芸術を創造し続けた20世紀美術の象徴として用いられているのだ。監督は、ヴェネツィア・ビエンナーレやイタリア国立21世紀美術館などのテレビドキュメンタリーの撮影・編集を手がけたクラウディオ・ポリ。これが初の映画監督作品という。


公式サイト:http://hitlervspicasso-movie.com/

2019/01/25(金)(村田真)

子どものための建築と空間展

会期:2019/01/12~2019/03/24

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

歩き始めた赤ん坊が初めて履く靴を「ファーストシューズ」と呼ぶが、これに倣うなら、子どもが初めて通う保育園や幼稚園、小学校は「ファーストパブリックスペース」と言うべきか。本展はそんな子どもの「ファーストパブリックスペース」を明治時代から現代にわたって紹介する内容だった。

日本での初等教育機関は江戸時代の寺子屋が始まりとされるが、すべての子どもが小学校に通うことが法で定められ、近代的な一斉教育が始まるのは明治時代からである。また、それと同時に幼児教育も始まった。本展ではまずその象徴である「旧開智学校」が紹介される。これは日本建築に西洋建築の要素を取り入れた擬洋風建築で、重要文化財にも指定されている。大正時代になると大正デモクラシーを背景に、大正自由教育運動が起こる。かの有名なフランク・ロイド・ライトと遠藤新設計の「自由学園」はそうしたなかで生まれた学校だ。昭和初期になると重工業化が進み、西欧の影響を受けたモダンデザインが流行する。谷口吉郎設計の「慶應義塾幼稚舎」はその代表のひとつ。戦後の復興期には科学的な見地を取り入れた、鉄筋コンクリート造の標準設計校舎が普及する。いわゆる一律的な校舎が圧倒的に増えていくのは、この頃からの流れである。その一方で、校舎の真ん中に光庭を取り入れた建築、円形建築、クラスター型建築など、さまざまな新しい試みも生まれていった。


「旧開智学校(重要文化財)」(1876)立石清重[写真提供:旧開智学校]
※画像写真の無断転載を禁じます。


「自由学園明日館食堂」(1921)フランク・ロイド・ライト+遠藤新[写真提供:自由学園明日館]
※画像写真の無断転載を禁じます。

このように時代背景に合わせて校舎も柔軟に変化していった様子が展示写真を通してよくわかり、初等教育機関が近代建築を俯瞰するうえで切り口のひとつになることに興味を持った。展示内容は校舎だけでなく、教育玩具や児童文学、児童遊園や遊具といった子どもの周辺環境にまで及んでいる。もちろん紹介されているのは当時の先駆的かつ独創的な建築ばかりなので、こうした保育園や幼稚園、小学校に通えた人は日本中にごくひと握りしかいない。私も縁がなかった大多数派なわけで、展示写真を眺めながらつくづく羨ましい思いに駆られた。子どもの頃に過ごした場所や見たものは、自身を振り返ってもうそうだが、原風景として長く記憶に留まる。なかには、その人の人生に大きく影響を与える場合もある。だから、もし私がここに通っていたら……とありもしない想像をつい膨らませてしまうが、いやいや、それでも結局は今のような平凡な人生を送っていたんだろうなと思い直す。

公式サイト:https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/19/190112/

2019/01/11(杉江あこ)

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スタジオ開墾

[宮城県]

仙台の卸町に登場したスタジオ開墾のお披露目が行なわれ、プロジェクトを実施した「とうほくあきんどでざいん塾」の長内綾子や松井健太郎とともに、トークに登壇した。これまで仙台にはなかったアーティストのシェアスタジオである。スタジオ開墾は大きな倉庫街の一角に位置するが、倉庫を活用して阿部仁史が事務所を構えたり、かつて東北大の国際ワークショップが開催されたエリアであり、近年は東西線の開通によってアクセスが良くなり、注目を集めていた。スタジオ開墾も、昨年の夏から時間をかけて、ギャラリー・ターンアラウンドの関本欣哉が指導しながら、プロジェクトの参加者とともに、使われていなかった倉庫をセルフビルドで改造したものである。そして鉄骨2階建ての倉庫の1階、約350m2の空間を利用し、7つの専用ブースや制作や展示のための共有スペースを設けた。オープニングでは、青野文昭の大型の作品を展示していたように、かなりの天井高があり、現代アートにとっては使いでのある空間だろう。いつ訪れても、必ず出会えるサイトスペシフィックの印象的な作品を置くといいかもしれない。

シェアスタジオは月2万円からの設定であり、賃料が安い。したがって、芸大や美大を卒業したばかりの若手のアーティストも入居しやすいだろう。現時点でいったんすべてのブースが埋まったらしい。興味深いのは、エントランスにブックカフェを併設していること。ゆえに、スタジオに知り合いがいなくても、ふらっと立ち寄りやすい。特に書籍はアート系の古書店の倉庫を兼ねており、単なるコーヒーテーブルブックではなく、魅力的な写真集や作品集が数多く並んでいる。現在、夜の営業は予定していないが、もし可能になれば、アートの関係者に会いに飲みに出かけてみたい場所だ。ともあれ、仙台の新しいアートの情報発信基地として今後の展開が楽しみである。

外観


内観


青野文昭の大型作品


ブースのひとつに作品が展示されている


エントランスのブックカフェ


2019/01/07(月)(五十嵐太郎)

《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》

[イタリア、ローマ]

《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》は、いつも外側だけ眺めて帰っていたが、今回はタイミングがよく、初めて内部に入ることができた。聖堂内は凱旋門のモチーフを反復している。またラファエロの絵画も飾られている。もっとも、ここでのお目当てはブラマンテが手がけた中庭だ。オーダーの縦積みと、横の並びのリズムが心地よい。イオニア式の柱頭の平面的な表現を含めて、バロックとは違う簡素な美を表現している。やはり、ブラマンテが関わったローマの《パラッツォ・デラ・カンチェレリア》も、端正なプロポーションの中庭をもつ。古典主義の操作を複雑化せず、縁取りによって反復される半円の形を美しく見せるデザインだ。フィレンツェの品がいいルネサンス建築を想起する。ただし、付設のレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館は、入場しても地下しか見ることができない。展示も彼が発明した機械の木造模型が並ぶだけで、あまり工夫がない。

さて、《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》の中庭を囲む1階と2階では、思いがけず、現代美術の「DREAM」展を開催していた。まずジャウメ・プレンサが中庭全体を使うインスタレーションを展開し、室内に入るとジェームズ・タレル、アンゼルム・キーファー、クリスチャン・ボルタンスキーの大御所に混じって、日本からは池田亮司や田根剛らも参加している。ただ、池田の高解像度の映像を小さな部屋で投影しても十分な効果が出せないように、企画側があまりうまく古建築の空間を使いこなせていないのが気になった。とはいえ、この展示のおかげで堂々と室内に入り、回廊の2階も歩くことができたのはありがたい。出口になっている2階のショップはいまいちだったが、カフェを併設しており、異なる視点の高さからブラマンテによる中庭の空間を鑑賞できる。全体としてはちぐはぐだが、ルネサンスの建築をいまも活用しているのだ。

《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》外観


《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》ラファエロの絵画


ブラマンテによる《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》の中庭


ブラマンテによる《パラッツォ・デラ・カンチェレリア》の中庭


《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》で開催された「DREAM」展


《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》ジャウメ・プレンサによる中庭のインスタレーション


《サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂》2階の回廊のカフェ

2019/01/03(木)(五十嵐太郎)