artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

極限芸術~死刑囚の表現~

会期:2013/04/20~2013/06/23

鞆の津ミュージアム[広島県]

死刑囚たちが描いた絵画を集めた展覧会。実名と匿名合わせて37名によるおよそ300点の作品が一挙に展示された。同類の展覧会としては、例えば「獄中画の世界 25人のアウトサイダーアート展」(Gallery TEN、2010年)などが先行しているが、これだけ大規模な展覧会はおそらく初めての試みではないか。
会場を一巡してたちまち理解できるのは、いずれの作品も「死刑囚」という不自由な境遇で描写された絵画であること。画材はほとんど色鉛筆やボールペンであり、支持体もノートや色紙などに限られている。いずれも絵画のサイズが決して大きくないことも、その不自由の象徴だろう。いつ訪れるともわからない死刑執行への不安や恐怖がそれぞれの絵画の根底にひそんでいることも、大きな共通点だ。
とはいえ、そのようにして表現された絵画は、じつに多種多様。死刑囚である自分を具象的に描く者がいれば、抽象的に描く者もいるし、あるいは漫画として表現する者さえいる。死刑制度への反対を訴えるポスターもあれば、死刑によって命を落とす自分を象徴的に描く者もいる。技術的な面でも、稚拙なものから職人的な完成度を備えているものまで、さまざまだ。
例えば、林眞須美の《青空泥棒》。青い背景に黒い枠組みが描かれ、その中に赤い丸が一点置かれた、じつにシンプルな絵である。タイトルが暗示しているように、この赤い丸が青空から隔離された作者自身であることは、想像に難くない。青空の見えない三畳一間で365日を送る非人間的な日常。それを、直接的に描写したのであれば、とくに感慨も想像も生まれたなかったに違いない。情緒性を一切排除した抽象的な記号表現だからこそ、私たちはそれらの奥に向かって具体的に思いを馳せるのである。
あるいは、闇鏡の《100拝》は、ノートを日付によって分割し、それぞれの枠に野菜などのイラストを3つずつ記したもの。ネギ、大根、ナス、じゃがいも、豆腐などのイラストが細かく並んだ絵は、「死刑囚」という条件が連想させるシリアスなイメージとは裏腹に、何ともかわいらしい。これは、その日の食事で供された味噌汁の具材を記録したものだという。死刑囚による絵画表現には、考現学的な調査報告も含まれていたのだ。
本展で浮き彫りになっていたのは、単に死刑囚という特殊な境遇にある者が描いたアウトサイダーアートではない。それは、むしろ人が絵を描く原初的な動機である。これほど、切実に、純粋に、真正面から、絵を描くことができるアーティストが、現在どれだけいるだろうか。アートマーケットなどには目もくれず、アイロニーという逃げ道を拵えることもなく、絵画を理論武装するわけでもない。ただただ、絵を描きたかったのだ。いや、描かざるをえなかったのだ。そのあまりにも透明度の高い絵画は、私たちの不純な視線をあらわにする鏡のようでもあった。思わずたじろぐ私たちを、彼らはどんなふうに想像しているのだろうか。

2013/04/20(土)(福住廉)

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Chim↑Pom「PAVILION」

会期:2013/03/30~2013/07/28

岡本太郎記念館[東京都]

2年前、渋谷駅に設置された岡本太郎の壁画《明日の神話》に福島原発事故の絵を付け足し、ひと騒動おこしたChim↑Pom。それが縁で今回、岡本太郎記念館で太郎との対決=コラボレーションとなった。しかしChim↑Pomは大先輩の太郎も敏子も見たことがない。そこで彼らの家だった記念館と太郎の墓を往復し、生と死を接続して福島原発につなげようと考えた。展覧会名にもなっている《パヴィリオン》は、記念館の一室をホワイトキューブに変え、奥のガラスケース内に直径4センチほどの太郎の骨片を展示するというインスタレーション。いかにも仰々しい。僕が「パヴィリオン」という言葉を初めて知ったのは、忘れもしない1970年の万博のとき。その万博のパヴィリオン内でもっとも仰々しく展示されていたのがアメリカ館の「月の石」だ。そういえば太郎が死んだ日に大きな彗星が墜ちたことも思い出した。万博、宇宙、太郎の死とつながっていく。それにしてもこの仰々しさはChim↑Pomらしくないなあ。らしさでいえば、手前の黒い部屋で見せていた《ゴミの墓》という映像インスタレーションのほうだ。これは夜中に太郎の墓場に忍び込み、穴を掘ってゴミを埋め上に墓碑を置いてくるという映像と、黒御影石をゴミ袋の形に彫った墓碑からなる作品で、いかにもChim↑Pomらしい。もっともChim↑PomらしいことばっかりやってるのもChim↑Pomらしくないが。ところで、例の福島原発事故の絵《LEVEL7feat『明日の神話』》は1階奥の太郎のアトリエのイーゼル上に飾られているが、どうやら隣で見ていた人はそれを太郎の絵だと思ったらしい。たしかに太郎の絵に似せて描いてあるし、それもありかな。

2013/04/20(土)(村田真)

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プレビュー:リサーチ☆パラダイス 潜水と浮上

会期:2013/05/18~2013/06/09

ARTZONE[京都府]

ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山田創平が、2010年から大分・別府で地域住民へのインタビューや地域の歴史・文学などをリサーチして制作したインスタレーションを、ARTZONEバージョンとして展示する。ほかには、京都という地域をカメラで調査する「キョート・サーヴェイ・プロジェクト」に参加した、穐山史佳、金田奈津美、早瀬道生らの写真作品、ファッション業界のルールを越えて服づくりを楽しむ市井の人々をリサーチした、中川めぐみの「野生のデザイナー」などを展示。社会に沈潜している諸々をリサーチすことで、無限に広がる創造の原野を開拓する。

2013/04/20(土)(小吹隆文)

山口晃 展──付り澱エンナーレ老若男女ご覧あれ

会期:2013/04/20~2013/05/19

そごう美術館[神奈川県]

ヴァーチュオーゾ山愚痴屋の横浜初の個展。これまでの仕事のアンソロジーのほか、「ひとり国際展」として「山愚痴屋澱エンナーレ」も開催。どんなもんかというと、これがアイディア一発勝負の即効アート。たとえば《銃声》という映像は、バババッという音が聞こえてくるので見に行くと、壊れかけた街灯が音を立てながら点滅してるだけだったり、《オーロラ》は東京の夜空に出現したオーロラの映像かと思ったら、窓ガラスに息を吐きかけた曇りだったり、《一本の赤い線》という絵画は、巨大なキャンバスにバーネット・ニューマンのごとく赤く塗っただけだったり。これらはおそらく、根をつめて描く細密描写のストレス発散としての役割もはたしているんじゃないだろうか。あと目に止まったのが五木寛之の小説の挿絵で、とくに「五、六人」と題する挿絵はなんと5.5人の顔が描かれているのだ(ひとつの顔だけ目が3つある!)。発想もすごいが、それをなにげに絵で表わしてしまう画力がすごい。

2013/04/19(金)(村田真)

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サイドコア──身体/媒体/グラフィティ

会期:2013/03/23~2013/04/21

テラトリア[東京都]

大山エンリコイサム、竹内公太、ニコラ・ビュフといった名前に釣られて行ってみた。会場のテラトリアは、天王洲アイルの寺田倉庫本社内にできたクリエイティブスペースで、なぜかグラフィティ系の展示を中心にやっていくらしい。今回は身体とメディアの関係に意識的なアーティストたちの作品を選んでいるが、計15人のうちホンモノのグラフィティライターはひとりしかいないという。そのライター(QP)は今回グラフィティではなく、新宿の写真をコラージュした壁面作品を制作。完成度は高くないが、メッセージは明確に伝わってくる。隣の大山はグラフィティのストロークからエッセンスを抽出した絵画、その隣の松岡亮は大山作品に色づけしたみたいなステラを思わせる抽象画を出品。ニコラはキリンのすべり台とシーソーに落書きした一見カワイイ、しかしよく見るとすべり台がギロチンになっているという作品、菊地良太は橋の下にヒモを吊るしてブランコする記録写真、竹内公太はネットで自分のことを検索(「エゴサーチ」というらしい)して出て来た画像(男が頭にコーラを載せて歩いてる!)を描いた油彩画を出している。おもしろいなあ。広報もあまりしてないようだし、場所が場所だけに見に行く人が限られるのが残念だけど、いっそ寺田倉庫の壁にドーンと描いたら話題になるかも。

2013/04/19(金)(村田真)