artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
塔本シスコ生誕百年記念「卍字楼で花爛漫展」
会期:2013/04/05~2013/04/21
京都深草・企画工房「卍字楼」[京都府]
京都市にあるギャルリー宮脇でも同時に個展が開催されていたのだが、こちらは少し離れた深草にある会場での展覧会。駅から少し離れたところで、個人のお宅だったので玄関を開けるのも緊張した。ダンボールに描いた大型の作品、花や動物などを描いたキャンバスの作品、人形、着物、帯地、お菓子の空き箱や瓶に描いたものなど。座敷の床の間、縁側のスペースなども使って展示されていたのだが、自由でエネルギッシュな筆の跡、鮮やかな色彩が壮快でこちらまでとても気持ちいい。ギャラリー空間などで見るのとも異なる味わいが感じられたのは、明るく射し込む自然光だけによる展覧会だったせいもあるだろうか。うろうろと何周も見てまわり、長居をしてしまったのだが、見に行くことができて良かった。
2013/04/21(日)(酒井千穂)
島田真悠子 個展「デイドリーム」
会期:2013/04/05~2013/04/25
ライズギャラリー[東京都]
白昼夢みたいな絵が10点ほど。犬から発せられるビーム、そのビームに当たって失神する人、トポロジカルな空間に引き込まれそうな人、花瓶の周囲を回る男たち……。タイトルも「ズキュン」とか「ふわっ」とか、もうやりたい放題。こういうの、おじさんには真似できませんね。
2013/04/21(日)(村田真)
Chim↑Pom「PAVILION」展
会期:2013/03/30~2013/07/28
岡本太郎記念館[東京都]
死を扱うと、Chim↑Pomは生き生きする。そして、彼らが死を観念としてばかりではなく、ひとつの現実として扱うとき、彼らの躍動は何かある真実に触れてしまう。そんなことが希に起こる。そのとき、出来事は事件となる。「事件」といっても、法に触れるかどうかといった話ではない。「PAVILION」展で決定的に重要な作品は、岡本太郎の遺骨を展示した《PAVILION》だろう。真っ白い光を放つディスプレイのなかに、掌に載るくらいの小さな骨が、まるで宝飾でも展示しているかのように、飾られている。岡本を骨として見るという、なんともあっけらかんとしたあけすけな仕掛けは、世界を理想化されたものあるいは美化されたものとしてではなく、ひとつの生命の運動として見るよううながしてくる。この作品を含めた展示全体にそうしたベクトルが感じられた。とくに再制作された《BLACK OF DEATH》は、自然のエネルギーに満ち満ちていると感じさせられ、強いインパクトを受けた。最初につくられた際には濃厚だったいたずら的雰囲気が希薄だったことも功を奏していた。それによって、Chim↑Pomたちの誘導で空を黒くしてしまうカラスの群れは最初のものより迫力が増しているように見えた。そこに、人間の生活の背後で普段は隠れているはずの非人間的な自然界の相貌が立ち現われた。それは恐ろしく、美しかった。岡本一人の死は自然の運動のなかのひとつのモメントであり、しかしその死も包み込んで、運動は休まず続いてゆく。Chim↑Pomが岡本太郎の死に触れて、新しい渦巻きをつくって見せた。これもまたひとつの自然の運動である。とすれば、その運動を観客の前に開示して見せたということこそ彼らが起こしている本当の事件なのである。
2013/04/21(日)(木村覚)
伊達伸明 展「ウクレレとウモレギ」、トークイベント「夜話:ほりおこすこと」
会期:2013/04/16~2013/04/28
アートスペース虹[京都府]
取り壊される建物を素材にウクレレを制作している伊達伸明の個展。今展では、昨年度仙台で開催された「亜炭香古学」というイベントの活動報告とともに、大阪の旧フェスティバルホールの建材から制作された《旧フェスティバルホール》ウクレレ、大正時代に建てられた駅舎から制作された《JR灘駅》ウクレレなど、7本が展示された。ウクレレはどれも誰かの手が触れた痕跡の残るものばかりでそれぞれの個性と建物にまつわるドラマが満載。毎回その凝ったつくりに感心してしまうのだが、特に今回は《フェスティバルホール》が凄かった。ボディ表板には、ステージの床材、裏板には反響板、内部にはロビーの大理石(の柱)などまで使われている。指揮台の赤いマットを中敷きに用いたハードケースも、旧フェスティバルホールに親しんだファンにはさぞたまらない一品だっただろう。20日の日曜日には、仙台市市民文化事業団の薄井真矢さんとのトークイベントも行なわれた。内容は今回展示されたウクレレ制作のエピソードと、亜炭に注目し開催された仙台での「亜炭香古学」のイベントのレポートがメイン。「亜炭」がなんなのかも今展まで知らなかった私だが、古代の樹木が火山による噴出物などで埋められ炭化してできたもので、戦後の仙台市内ではごく一般的に使用されていた燃料だという。現在では採掘されることも禁じられ、それを知っているのは65歳以上の高齢者ばかりだとのこと。「亜炭」にまつわる情報、思い出などが続々とお年寄りたちから寄せられ、大盛況であったという話も興味深いものだった。そういえば、このプロジェクトの過程を新聞にした伊達さん手作りの「亞炭香報」もユニーク。「亜炭香」の作り方を記載した号や、市民から寄せられたエピソードやアンケートが載っている号など、絵も内容も素晴らしい。「亞炭香報」はこちらでもダウンロードできる。http://www.sendaicf.jp/machinaka2012/blog/date/
2013/04/20(日),2013/04/28(日)(酒井千穂)
三喜徹雄/GERDEN
会期:2013/04/16~2013/05/12
楓ギャラリー[大阪府]
1967年の結成以来、関西を拠点にしながら野外での表現活動を一貫して継続している前衛芸術運動「THE PLAY」。その主要なメンバーである三喜徹雄の個展。「THE PLAY」と同様、三喜個人の表現活動も海岸や山間部などで催しているが、本展も画廊の軒先と庭に作品を展示した。
緑が生い茂る庭に設置されていたのは、巨大な球状のオブジェ。最低限の竹を湾曲させながら組み合わせているため、後景を見通すことができるほど、量塊性には乏しい。けれども、背景に溶け込むかのような物体のありようは、求心的な造形によって自然と対峙する西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現の可能性を示していた。しかも、西欧彫刻の伝統とは異なる立体表現を志向したにもかかわらず、依然として重力に従順だったもの派とは対照的に、その圏外からも軽やかに脱出する遠心性を造形化していたところがすばらしい。文字どおり、庭からも転がっていくような自在な運動性が感じられたのだ。
その身軽な運動性は、形式的にも内容的にも、三喜徹雄の表現活動の全般に通底する大きな特徴だが、軒先にずらりと展示されたこれまでの作品を記録した資料を通覧すると、そこには現代アートに対する根源的な批評性が含まれていることに気づく。それは、私たち鑑賞者のなかに認められる、美術作品と美術家を同一視する視線である。
私たちは、美術家の内的な必然性にしたがって表現された造形を美術作品として考える傾向がある。美術家は自らの思想なりメッセージを作品に埋め込んでおり、それゆえ私たち鑑賞者は想像力を駆使してそれらを掘り起こし、読み解かなければならないというわけだ。これは一見すると当たり前の考え方のようだが、じつは近代という時代に特有の芸術観念にすぎない。軒先の壁に貼りつけられたノートに記された三喜徹雄の次の言葉は、その芸術観念に毒された私たちの脳天を揺さぶるほどの強い衝撃があるに違いない。
「よく『意味』など聞いてくるアホもおるけど、意味なんかおまえが考えろと返事することにしてます。もしそいつに意味などというもんがあるんやったら、それはおまえの中にあるんであって、俺に聞くな!!」
2013/04/20(土)(福住廉)