artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
レ・ジラフ「キリンたちのオペレッタ」
会期:2013/04/29
六本木ヒルズアリーナ+けやき坂[東京都]
午後うちのムスコがけやき坂の路上に落書きした後、麻布十番で食事してたら開演時間がすぎてしまったので戻ってみると、すでに高さ8メートルの赤いキリンが9頭、けやき坂の落書きの上を練り歩いていた。ほかに歌姫やサーカス団の団長などが歌ったり叫んだりしているが、そんなのはどうでもよくて、目はキリンに釘づけ。胴体の前後にふたり入り、竹馬みたいな高い脚に乗って動かしているのだが、プロポーションもバランスも悪いのにカッコいいのだ。長ーい首は前の人が操作するのだが、その手が丸見え。胴体を支える支柱も丸見え。なのに違和感がない。必要なものは無理に隠そうとせず堂々と表に出す。アートはこうでなくちゃ。しかし既視感を抱いたのも事実で、横浜の「開国博Y150」のとき登場した機械仕掛けの巨大クモとよく似ているのだ。巨大クモはラ・マシン、キリンはカンパニーオフと製作者は違うけど、どちらもフランス製。さすが、納得。
2013/04/29(月)(村田真)
「貴婦人と一角獣」展
会期:2013/04/24~2013/07/15
国立新美術館[東京都]
カルチエラタンの一角を占めるクリュニー中世美術館は、パリのど真ん中にもかかわらず外界から遮断され、千年ほど時計を巻き戻したような閑静なたたずまいが気分いいので、中世美術にはあまり関心はないけど2.3回訪れたことがある。そこの至宝ともいうべきタピスリー《貴婦人と一角獣》がやってきた。パリではぼんやりながめるだけだったが、今回初めて解説を読みながらじっくり見ることができていろんな発見があった。まずこのタピスリー、6点からなる連作で、うち5面が「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」の5感を表わし、残る1面が「我が唯一の望み」と呼ばれている。なぜ5感を表わしていることがわかるのかといえば、たとえば鏡(視覚)とかオルガン(聴覚)とか、各面に5感のひとつを表わすモチーフが織り込まれているからだ(「我が唯一の望み」はその言葉が編み込まれており、5感とは峻別される)。で、感心したのは、各面ともそれぞれの感覚を強調するかのようにモチーフが繰り返されていること。「視覚」は貴婦人が差し出した鏡に一角獣の姿が映し出されているのだが、その周囲にいるウサギと犬たちも見つめ合うことで鏡の性質を強調しているし、「聴覚」は貴婦人の奏でるオルガンの音に一角獣と獅子が聞き入っているが、そのオルガンの上に小さな一角獣と獅子の像をのせて繰り返している。「嗅覚」は貴婦人が花冠づくりを、「味覚」は貴婦人が砂糖菓子をオウムにやろうとしているが、どちらもかたわらにいるサルがその真似をすることでモチーフを増幅させている。「触覚」は貴婦人が左手で一角獣の角を触っているが、右手は角とアナロジカルな旗のポールを握りしめているのだ。このようなモチーフの繰り返しやアナロジー表現は近代以前には珍しいことではなかったが、いまあらためて目の当たりにするととても新しく感じる。展示は巨大なギャラリーの中央部に大きなホールを設け、6面のタピスリーをゆったりと飾っている。閉館後、ここをパーティー会場に貸し出したら儲かるだろうに。
2013/04/29(月)(村田真)
歩く男
会期:2013/04/20~2013/05/11
CAS[大阪府]
主題や対象を外側から眺めるのではなく、作者自身が主体的に作品世界に飛び込むアーティストたちをピックアップした展覧会。出品作家は、林勇気、山村幸則、白石晃一の3名。キュレーターは東京造形大学准教授の藤井匡だ。林はテレビゲームを思わせる横方向のスクロールが印象的な映像作品と、2つの映像の組み合わせからなる新作を発表、山村は神戸牛の子牛に海を見せるべく神戸の市街地を山から海、海から山へと歩き回る近作を出品し、白川はレインボーカラーの洗濯バサミや結束バンド、スーパーボールでビル屋上にインスタレーションを構築した。正直、自分が企画意図を正しく理解できているのかは心もとない。しかし、単体でも見応えがある作家たちが3名も集結したのだから、それだけで十分満足だ。
2013/04/28(日)(小吹隆文)
小野規「東北─247日目から341日目に」
会期:2013/04/13~2013/05/05
小野規が「京都グラフィー」の展示の一環として開催した「東北─247日目から341日目に」展は、これまで数多く発表されてきた「震災後の写真」の展覧会とは、やや異なった感触を与えるものだった。彼はスイスの建築雑誌『TRACÉS』の依頼を受けて、2011年11月から2012年2月にかけて、岩手県宮古市から宮城県を経て福島県相馬市に至る東日本大震災の被災地を、3回にわたって撮影した。この震災当日から8ヶ月以上経過している時期というのが、なかなか微妙だと思う。すでに震災直後の混乱はおさまり、瓦礫の片付けも進んでいる。とはいえ、特に沿岸部にはまだ生々しい津波の傷跡がくっきりと残ったままだ。
小野は撮影にあたって、「被災というドラマを撮ることよりも、波の到達した縁の部分をなぞる」ことを心がけたのだという。そこから見えてくるのは「破壊され、変形し、自然の形態(フォルム)との境界が曖昧に」なってしまった「戦後経済のかたち」だ。東北の風景を、日本の戦後の経済発展(とその停滞)のフロントラインとして捉える視点はとても興味深い。それを可能としたのが、自分を「19世紀なかばに、エジプトやメキシコで考古学資料を撮影していた写真家」になぞらえるような小野の撮影の姿勢だろう。その淡々と、冷静に距離を置いて撮影された写真群を、あまりにも素っ気なく取り澄ましたものと感じて忌避する人もいるかもしれない。だが美学的なアプローチを注意深く回避して、あくまで「考古学資料」として写真を提示することに徹するという彼の選択は、それはそれで貴重な試みではないだろうか。各地の神社とその周辺を、特に入念に撮影しているのもその姿勢のあらわれと言えるだろう。
なお「京都グラフィー」では、小野のほかにも細江英公、マリック・シディベ、ケイト・バリー、アルル国立高等写真学校の学生たちの展示など、京都市内のさまざまなスペース12カ所で写真展が開催され、シンポジウムやワークショップも開催された。時期もいいので、恒例行事として大きく発展していくことが期待できそうだ。
2013/04/28(日)(飯沢耕太郎)
オオサカがとんがっていた時代─戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで─
会期:2013/04/27~2013/07/06
大阪大学総合学術博物館[大阪府]
戦後から1970年大阪万博前夜までの大阪の文化状況を、美術、建築、音楽を中心に振り返る企画展。出品物のうち、資料類は約70件。具体美術協会のものが大半を占めたが、パンリアル美術協会、デモクラート美術家協会、生活美術連盟の資料も少数ながら見ることができた。作品は約40点で、前田藤四郎、池田遊子、早川良雄、瑛久、泉茂、白髪一雄、嶋本昭三、元永定正、村上三郎、田中敦子、ジョルジュ・マチウ、サム・フランシスなどがラインアップされていた。具体美術協会に比して他の団体の割合が少ないのは、現存する資料の豊富さが如実に関係している。このことから、活動記録を残すことの重要性を痛感した。また、本展は大学の博物館で行なわれたが、本来ならこのような企画は地元の美術館がとっくの昔に行なっておくべきものだ。その背景には、美術館の活動が思うに任せない1990年代以降の状況があると思われるが、必要なことが行なわれない現状を嘆かわしく思う。
2013/04/27(土)(小吹隆文)