artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

阪口正太郎「私的風景の形成」

会期:2022/01/11~2022/01/24

ニコンサロン[東京都]

阪口正太郎という作者は初めて聞く名前だが、秋田公立美術大学美術学部美術学科コミュニケーションデザイン専攻の教授を務めており、写真の世界で活動してきた人ではないようだ。そのキャリアが、今回の個展の出品作にもよく現われていて、どれを見ても、写真表現の領域を逸脱、あるいは拡張している。プリントの上にドローイングを施した作品が多く、糸でかがったり、巻きつけたり、コラージュを試みたりしたものもある。手法自体はそれほど珍しいものではないが、制作の動機とプロセスに無理がなく、のびのびとした、スケールの大きな作品世界が成立していた。

特に、森、海、樹木など自然を被写体とした写真に、鹿や熊のような動物、「魚人間」など、神話的な形象を描き加えた作品に面白味を感じる。風景写真をドローイングや糸などを使って「私的風景」として再構築しようとする、意欲的な仕事といえるだろう。植田正治が1980年代に発表した「風景の光景(私風景)」シリーズを思い出した。

実はこの展覧会は、阪口が不慮の事故で負傷したために、中止になる可能性があった。何とか作品の準備ができて、無事開催できたのはとてもよかったのだが、展示作品のフレーミングや会場のインスタレーションに関しては、まだ完全に満足のいく形でできあがっているようには見えなかった。そのあたりを、しっかりと仕上げることができたならば、よりクオリティの高い展示になったのではないだろうか。このユニークな作風を、さらに大きく育てあげ、秋田の風土に根ざした作品に結びつけていってほしい。

2022/01/20(木)(飯沢耕太郎)

ポストバブルの建築家展―かたちが語るとき―アジール・フロッタン復活プロジェクト

会期:2022/01/12~2022/02/19

BankART Station[神奈川県]

タイトルに示されているように、この展覧会は2つの要素からなる。ひとつはフランスで開催された日本人の建築家展、もうひとつはセーヌ川の避難船をリノベーションする「アジール・フロッタン復活プロジェクト」だ。まず「アジール・フロッタン」とは、石炭運搬用につくられた箱船を1929年にル・コルビュジエが難民のための避難所としてリノベーションしたもの。その設計を担当したのが、当時コルビュジエの事務所にいた前川國男だった。それから100年近く、避難所としての役割を終えてからもセーヌ川に係留されていたが、2006年にギャラリーなど文化的に再利用する復活プロジェクトが始動。当初ここで日本の建築展を開く計画があったが、2018年にアクシデントにより沈没し、計画はポシャッてしまう。2020年には前川の縁で日本側が協力し、浮上に成功。現在再生計画が進められている。

日本人の建築家展のほうは、建築史家の五十嵐太郎氏が選んだ1960年以降の生まれの35組の建築家をフランスに紹介するもの。こちらは国際交流基金パリ日本文化会館で開催し、FRACサントル・ヴァル・ド・ロワールを回る予定だったが、コロナ禍により延期され、順序も逆転。その後、兵庫県立美術館を経てBankARTに来た次第。どちらもアクシデント続きなのだ。

BankARTでは、各1平方メートルほどのテーブル上に35組の建築のマケットやプランを載せ、「かたちとは」で始まる建築家のコメントも紹介している。出品は、開館間近な遠藤克彦の《大阪中之島美術館》(2021)、「アジール・フロッタン復活プロジェクト」を推進する遠藤秀平の《Rooftecture OG》(2020)をはじめ、平田晃久の《Tree-ness House》(2017)、西沢立衛の《豊島美術館》(2010)、田根剛の《Todoroki House in Valley》(2018)など。1960年以降の生まれに焦点を当てた理由を、五十嵐氏は次のように説明する。バブル期には奇抜なデザインのポストモダニズム建築が流行したが、バブル崩壊と2度の大震災により派手な形態が忌避され、かたちよりコミュニティの関係が重視されるようになった。しかし奇抜な形態を追求しながら、同時にコミュニティにも関与していく建築は可能ではないか。そんな「ポストバブル世代」の建築家にスポットを当てたのだと。これはバブル期の派手なニューウェイブから、90年代以降、コミュニティを重視するアートプロジェクトに向かった現代美術の流れとも共通する課題だ。

さて、それではアジール・フロッタンは本展のどこに関わっているのかというと、会場に入ればなんとなく見えてくる。細長い展示室を斜めに横切る低い仮設壁が船の輪郭をなぞっているのだ。つまり、アジール・フロッタンの船内で展覧会が開かれているという設定なのだ。内部の仕切り壁や円柱も再現され、展覧会場に立つだけでセーヌ川に浮かんでいる気分、にはならないが、少なくともそのスケール感くらいは味わえる。また、船内に塗り重ねられたペンキのかけらも展示され、あろうことか、ベルリンの壁の破片のように販売されてもいるのだ。

2022/01/19(水)(村田真)

初沢亜利『東京二〇二〇、二〇二一。』

発行所:徳間書店

発行日:2021年12月31日

2022年に入って、オミクロン変異株による新型コロナウィルス感染者の増加は止まらないものの、2020年から続くパンデミックにも、おぼろげに「終わり」が見えてきたようだ。それに伴い、コロナ禍の状況を写真家がどのように捉えてきたのかを、あらためて検証する動きも出てきた。だが、たとえば東日本大震災などと比較しても、「コロナ時代」を写真で提示することのむずかしさを感じる。ウィルスの脅威を可視化しにくいということだけでなく、マスク姿の群衆や人気のない街といったステロタイプに陥りがちになるからだ。また、2年以上もパンデミックが続いていることで、非日常が日常化し、逆にくっきりとした像を結びにくくなってきているということもある。

初沢亜利も、その困難な課題を引き受けようとしている写真家のひとりだ。既に2020年8月に、1回目の緊急事態宣言下の東京を撮影した写真集『東京、コロナ禍』(柏書房)を上梓しているが、今回、その後の状況の変化をフォローし、衆議院選挙やオリンピック開催の周辺にまでカメラを向けた『東京二〇二〇、二〇二一。』をまとめた。前作もそうだったのだが、本書の掲載写真のベースになっているのは、日々、SNSにアップしていた写真群だという。つまり「写真日記」という体裁なのだが、内向きにステイホームの様子を撮った写真を並べるのではなく(そういう写真はほぼない)、視線が常に外に向いていることに注目したい。

驚くべき行動力で東京中を駆け巡り、横浜に戻ってきたダイヤモンド・プリンセス号、人影のまばらな全国戦没者追悼式、マスク姿で埋め尽くされた初詣の明治神宮、オリンピック反対のデモ、選挙応援演説を終えて虚ろな眼差しを向ける安倍前首相の姿などを丹念に記録していく。とはいえ、全体としてみれば、ジャーナリスティックな題材の写真を点在させつつ、コロナ禍の東京の日常の空気感を炙り出すようなスナップショットを中心に構成しており、その絶妙なバランス感覚が、初沢のドキュメントの真骨頂といえるだろう。

あとがきにあたる「東京の自画像」と題する文章で「撮影者も読者も共に過ごしたコロナ禍だ。前提の共有という点は、これまでにはない本作の特徴だ」と書いているが、たしかに東北地方の被災地、北朝鮮、沖縄など、これまで彼が撮影してきたテーマとはやや異なるアプローチが見られる。日本だけでなく、世界中を巻き込んだパンデミックという共通体験を、どのように受けとめ、投げ返していくのかを手探りで模索する仕事の、最初の成果ともいえるだろう。

2022/01/16(日)(飯沢耕太郎)

横田大輔「Room/Untitled」

会期:2022/01/11~2022/02/06

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

『アサヒカメラ』、『日本カメラ』の休刊以後、日本の写真表現の現在形をフォローする定期刊行物は、ほぼなくなってしまった。その意味で、ふげん社から2022年1月に創刊された『写真(Sha Shin)』への期待は大きい。年2冊のペースで刊行される予定の同誌の創刊号では「東京 TOKYO」と題する特集が組まれている。その巻頭に30ページにわたり新作「Room/Untitled」を掲載した横田大輔の同名の個展が、「創刊記念展」としてふげん社のギャラリースペースで開催された。

今回の展示は、これまでの横田の写真展をずっと見てきた観客にとっては、やや意外な印象を与えるだろう。いつものノイジーな、プリントの物質性を強調したインスタレーションは影を潜め、白枠のフレームにきっちりとおさめられた作品が並んでいる。静謐かつ、端正な写真のたたずまいは、それらが渋谷や立川のラブホテルで撮影されたとはとても思えないほどだ。

だが今回の展示作品は、見かけ以上に横田大輔という写真家のあり方を、自ら問い直し、次の課題を提示するプロブレマティックな仕事になっているのではないだろうか。批評性、構築性は、以前よりむしろ高まっており、見る者の深層意識を掻き乱す毒をたっぷりと含み込んでいる。いわば、横田大輔の「第二期」が、ここから始まるのではないかという印象を受けた。なお、同ギャラリーの2階スペースでは、『写真』創刊号の「東京 TOKYO」特集の掲載作家である北島敬三、金村修、山谷祐介、小松浩子、細倉真弓、森山大道のプリントが展示された。今後、新しい号が出るたびに、掲載作家の展覧会を開催していく予定という。次号(2022年7月発売予定)以降の展示も楽しみだ。

2022/01/16(日)(飯沢耕太郎)

未来へつなぐ陶芸─伝統工芸のチカラ 展

会期:2022/01/15~2022/03/21

パナソニック汐留美術館[東京都]

数年前より私は有田焼の仕事に携わり、産地に何度も足を運んで、窯元や作家の方々と交流を持ち続けてきた。彼らの制作活動の背景に共通してあるもののひとつに、日本工芸会の存在がある。同会の会員になるには推薦人を立てる方法もあるが、準会員以上になるには「日本伝統工芸展」に入選することが条件となる。なかでも日本工芸会新人賞を受賞してこそ、陶芸作家として初めて認められるといった風潮もあるようだ。そうして彼らは毎年、「日本伝統工芸展」に大作を出品し、腕試しをすることが作家人生のサイクルとなる。日本工芸会は陶芸作家にとっての拠り所であり、自らを証明するアイデンティティでもあるのだろう。


展示風景 パナソニック汐留美術館


本展は、そんな日本工芸会の中心的存在である陶芸部会50周年を記念した展覧会だ。私も「日本伝統工芸展」を何度か訪れたことがあるが、これまでの百貨店の催事場で行なわれる展示とは異なり、美術館での展示はなかなか新鮮だった。しかも日本工芸会発足当時の1950年代からの作品を一望できたことは大変興味深く、第I章で初の重要無形文化財保持者となった陶芸作家4人の作品が観られたことも貴重だった(富本憲吉、濱田庄司といった民藝運動の作家らがその4人のうちに入っていたことは驚きだった)。あえて言うなら、第II章の「産地と表現」として括った展示コーナーで産地の特徴についてもう少し深掘りしてほしかったとも思う。なぜなら、陶芸は産地により土、焼成方法、技法、様式などがまったく異なるからだ。それが日本の陶芸の複雑さであり、面白さにつながっているからである。


展示風景 パナソニック汐留美術館


最後の第Ⅲ章では「未来へつなぐ伝統工芸」として現代作家の作品が一挙に紹介されていた。私も陶芸作家の方々と交流していて感じるが、彼らは伝統工芸の産地で伝統技術を継承して作品づくりに挑んでいながらも、決して過去を向いているわけではない。未来に向かって、新しい表現やスタイルを生み出すことにつねに一所懸命である。「伝統とは革新の連続である」とよく言われるように、新しいことに挑まなければ伝統工芸を継ぐことはできないからだ。そんな彼らの後ろ盾となっているのが、日本工芸会という存在なのだろう。


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/22/220115/

2022/01/14(金)(杉江あこ)

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