artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
金沢 国立工芸館「めぐるアール・ヌーヴォー展 モードのなかの日本工芸とデザイン」ほか
[石川県]
国立工芸館の「めぐるアール・ヌーヴォー展 モードのなかの日本工芸とデザイン」は、小規模ながら、京都国立近代美術館のコレクションも活用しつつ、海外への影響(エミール・ガレ、ルネ・ラリック、ドーム兄弟など)と日本での受容(当時、ヨーロッパを訪れた浅井忠や神坂雪佳、杉浦非水による広告のモダンなグラフィックなど)、そして自然をモチーフとした現代工芸(松田権六や田口善国など)をコンパクトに紹介していた。カタログは制作されていなかったが、展示を理解するための11の扉を記した無料配布のリーフレットも充実している。ちなみに、以前、パリのギメ東洋美術館の「明治」展で見た日本からの輸出品は、かなり装飾過多であり、西欧のジャポニスムとは少し違う。
向かって右隣の石川県立美術館における常設展示の小特集「日本画のてびき─近代から現代へ─」は、「日本画」とは何かを改めて問う企画だった。そこでフェノロサによる1872年の講演「美術真説」における「Japanese painting」の訳語として「日本画」の言葉が初めて登場したことから、彼が洋画に対する優位性として指摘した5つの特徴(非写実/陰影なし/輪郭/淡白/簡潔)を振り返る。そして下村正一や安嶋雨晶については、それぞれの具象的な過去作との比較を通じて、1950-60年代の抽象化の影響を確認し、作風が大胆に変化したことを示す。日本的な絵画をたどると、英語の訳語や近代絵画の受容が埋め込まれている。
《石川県立歴史博物館》(1986)と《加賀本多博物館》(2015)は、煉瓦造の旧兵器庫3棟(1909、1913、1914)をそれぞれ異なる構法によって、補強しつつリノベーションした実験的なプロジェクトだった。外観はいずれも原形とあまり変わらないが、内部は鉄筋コンクリート造、鉄骨造、そして斜めのバットレス補強という3種類の手法を用いている。歴史博物館の近現代のパートでは、三八豪雪の大変さや、宝塚のスキームをまねて、かつて内灘に存在した粟ヶ崎遊園などを紹介していた。昭和のちゃぶ台はここにもあり、博物館の定番と化している。また明治期に輸出用の工芸を育成した金沢の銅器会社もとりあげたが、これは県美術館の常設展示と重なっており、多面的にその位置づけが確認できるだろう。
めぐるアール・ヌーヴォー展 モードのなかの日本工芸とデザイン
会期:2021年12月25日〜2022年3月21日(月)
会場:国立工芸館
(石川県金沢市出羽町3-2)
日本画のてびき─近代から現代へ─
会期:2022年1月27日(木)〜2022年2月20日(日)
会場:石川県立美術館
(石川県金沢市出羽町2-1)
石川県立歴史博物館
(石川県金沢市出羽町3-1)
加賀本多博物館
(石川県金沢市出羽町3-1)
2022/02/15(火)(五十嵐太郎)
大阪中之島美術館「Hello! Super Collection 超コレクション展 ─99のものがたり─」展ほか
[大阪府]
大阪の新型コロナの感染者数が多かったので、準備室が設置されてから約30年、ようやく迎える開館がさらに延期になるのではと心配していたが、杞憂に終わった。1月にはすぐ美術館の長期閉館を決定した青森県とは違う対応である。実はオープン前に完成した建築の内部を一度見学する機会があったが、やはり大勢の来場者が入り、長いエスカレータや階段による人の動きや、大空間の吹き抜けのスケール感がわかった状態を体験するのが、ダイナミックでいい。立体的に人が行き交うさまは交通施設のようでもあるが、《大阪中之島美術館》(2022)は都市型の新しい巨大美術館として誕生した。設計を担当したのは、コンペで巨匠や大手設計組織を破り、最優秀案に選ばれた遠藤克彦である。次世代につながるという意味で、ようやく1970年生まれの建築家が、これだけ大きな公共建築を手がけたことも祝福したい。黒い直方体が浮かぶ外観だが、内部は外への眺望が効果的に計算されている。そしてフランスの現代建築を想起させる艶をもったデザインだ。
開館記念の「Hello! Super Collection 超コレクション展 ─99のものがたり─」は、凄いヴォリュームだったが、ただ作品を並べるだけでなく、実業家の山本發次郎らのコレクションをもとにした作品収集の経緯もあわせて紹介している。もちろん、まずは大阪に関わりのある近現代の作品が見所なのだが、ほかに特徴的なのは、1992年から家具や食器などを含むデザインのコレクションも進めていたこと。そして閉館した大阪のサントリーミュージアムから預かったポスターコレクションも充実していた。メインの展示室は上部の4、5階だが、2階の多目的スペースでは、一般から提供されたホームビデオをもとに林勇気らが参加したホームビデオ・プロジェクト「テールズアウト」も開催している。また隣接する国立国際美術館の「感覚の領域 今、『経験する』ということ」展では、コロナ禍が世界共通の体験だと再認識させる大岩オスカール、壁に囲まれた空間ごと作品環境を創出する名和晃平を楽しみ、美術館の壁が動く(!)、いや来場者が押して動かす飯川雄大の作品に驚く。そして京阪電車 なにわ橋駅のアートエリアB1の鉄道芸術祭vol.10「GDP THE MOVIE〜ギャラクティック運輸の初仕事〜」は、contact Gonzoとdot architectsが共同制作し、ゆるいSF映画の撮影所兼映画館兼メイキング展示を設置していた。大阪の中之島が、現代アートの拠点として盛り上がっている。
Hello! Super Collection 超コレクション展 ─99のものがたり─
会期:2022年2月2日(水)~3月21日(月・祝)
会場:大阪中之島美術館
(大阪府大阪市北区中之島4-3-1)
感覚の領域 今、「経験する」ということ
会期:2022年2月8日(火)~5月22日(日)
会場:国立国際美術館
(大阪府大阪市北区中之島4-2-55)
鉄道芸術祭vol.10「GDP THE MOVIE〜ギャラクティック運輸の初仕事〜」
会期:2021年11月20日(土)~2022年2月27日(日)
会場:アートエリアB1
(大阪府北区中之島1-1-1 京阪電車なにわ橋駅地下1階)
関連レビュー
クリエイティブアイランド中之島、大阪中之島美術館|五十嵐太郎:artscapeレビュー(2021年11月15日号)
2022/02/13(日)(五十嵐太郎)
小田原のどか 個展「近代を彫刻/超克する─雪国青森編」ほか
青森県は感染拡大のため、美術館を閉じていたが、学芸員への取材をかねて、展示を見学させてもらった。まず「小田原のどか 個展 近代を彫刻/超克する─雪国青森編」(青森公立大学 国際芸術センター青森[ACAC])は、リサーチをもとにした鋭い切れ味の内容である。すなわち、大熊氏広による《雪中行軍記念像(歩兵第5連隊遭難記念碑)》/工部美術学校/油粘土の系譜と、高村光太郎による《乙女の像》/東京美術学校/紙粘土の系譜を対比しつつ、地方から近代彫刻史の枠組を検証し、思想的な課題としてパブリックな彫刻を読む彼女の著作『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021)とも連動していた。それだけにとどまらず、さらに複製(同形二体の乙女像)、彫刻のアイデンティティ(土産物の劣化した縮小版)、義手(八甲田雪中行軍の負傷者)という別の視点への可能性にも拓く。ところで、狙ったわけではないかもしれないが、大雪でほとんど埋まった中庭の展示は八甲田山の悲劇を想起させ、墓を模した黒いオブジェ群の並び方が、建築空間に沿って湾曲していたことは、直線的な配置になりがちなモニュメントへの批評のようにも思われた。
別の部屋で同時開催していた、壁に大量のコギンを陳列する「大川亮コレクション─生命を打ち込む表現」展も、慶野結香の担当である。これは郷土の工芸に着想を得て、津軽で農閑期の副業品を生みだそうとした大川の収集物を紹介するもので、彼は木村産業研究所(日本に帰国した前川國男の最初の仕事)の創立にも関わったという。東京国立近代美術館の「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」展とあわせて見ると興味深い。
青森県立美術館もかなり雪で埋もれていたが、奥脇嵩大のキュレーションによる、すごいタイトルの展覧会「美術館堆肥化計画2021」は、美術館が文字通り、外に飛びだす企画だった。すなわち、「旅するケンビ」という目的を掲げ、先行して津軽各地の商業施設や博物館において地域資源をもとに小さな展覧会を開催し、それらの企画の成果が美術館において合流する。テーマは多岐にわたり、石器と似た形状をもつが、実際は自然に生成した礫=「偽石器」、プロの写真家ではない農家の竹内正一と外崎令子が撮影した十三湖干拓の記録写真、ラテン語の「耕す」を語源とする「colere-ON」の活動、堆肥に関わる糞やミミズの研究者の紹介などだ。つまり、生活や地域をアートにつなぎなおす企画である。なお、訪問時はちょうど設営中だったのが、アート・ユーザー・カンファレンスによる太陽や空気を題材とし、壮大な発想にもとづくコンセプチュアルな作品である。
小田原のどか 個展「近代を彫刻/超克する─雪国青森編」
会期:2021年12月25日(土)~2022年2月13日(日)
会場:青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)
(青森県青森市合子沢字山崎152-6)
大川亮コレクション
会期:2021年12月25日(土)~2022年2月13日(日)
会場:青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)
美術館堆肥化計画2021成果展示
会期:2022年3月22日(火)〜2022年6月26日(日)
会場:青森県立美術館
(青森県青森市安田字近野185)
2022/02/12(土)(五十嵐太郎)
ハリナ・ディルシュカ『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』
つい10年前まではまったくといっていいほど無名だったスウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)。2013年にストックホルム近代美術館を皮切りにヨーロッパで巡回展が開かれて一躍注目を浴び、2018-19年にはグッゲンハイム美術館で回顧展が開催され、同館最多の約60万人の動員を記録したという。なぜそんなに話題になったのか? それはクリントが、抽象絵画の先駆者とされるカンディンスキーやモンドリアンより早くから抽象画を描いていたからであり、そして女性だったからだ。この2点は密接に結びついて、ある疑念を生じさせる。つまり、クリントは女性ゆえに「最初の抽象画家」の名誉に与れなかったのではないかと。この映画は、クリントの生涯をざっくり振り返りつつ、そうした疑惑についての論争を紹介するもの。
クリントは、似たような名前の画家クリムト(1862-1918)と同じ年にスウェーデンに生まれ、同じ北欧の画家ムンク(1863-1944)と同時代を生きた。ついでにいうと、カンディンスキー(1866-1944)やモンドリアン(1872-1944)も同じ年に亡くなっている。ストックホルムの王立芸術アカデミーで学び、そこで知り合った4人の女性と「ザ・ファイブ(De Fem)」を結成。彼女たちはスピリチュアリズムに関心を抱き、神智学に傾倒し、しばしば降霊術も行なっていたという。こうした神秘的思考を絵画に反映させ、1906年から植物の枝葉や記号を思わせる抽象的な図像を描き始めた。カンディンスキーが初めて抽象絵画を描いたのは1910年頃とされるから、それより数年早いことになる。
こうしたことから、抽象絵画を始めたのはカンディンスキーでもモンドリアンでもなく、ヒルマ・アフ・クリントであり、美術史は書き換えなければならないといった意見や、そうしないのは彼女が女性だからだといった主張が展開されていることを映画では紹介している。確かにそのとおりだが、しかし一方で、映画を見る限り、植物的な形態の残る彼女の絵画が果たして純粋抽象といえるのか、あるいは、降霊術を用いて描いたとされる絵画がモダンアートとしての抽象と認められるのか、といった疑問も湧いてくる(カンディンスキーもモンドリアンも神智学の影響を受けたことは知られているが、降霊術を用いて描いたとは聞いたことがない)。もしそうだとしたら、例えばアウトサイダーアートの代表的存在であるアドルフ・ヴェルフリが、1904年から始めたドローイングが史上初の抽象絵画になるかもしれない。いや、そもそも抽象図像ならそれこそ古今東西どこでも見られるものだ。
そう考えていくと、抽象絵画を創始したのはいつ、だれかといった問題は些末なものに思えてくる。確かに、クリントはカンディンスキーより早くから抽象化を進めていただろうし、にもかかわらずそれが美術史に記載されないのは彼女が女性だったからかもしれない。そのことが重要ではないとはいわないが、でもこの映画はそんな論争を超えて、「抽象」とはなにか、「絵画」とはなにか、人はなにに突き動かされて絵を描くのか、といった根源的な問題にまで思いを馳せさせてくれるのだ。そこがすばらしい。
公式サイト:https://trenova.jp/hilma/(2022年4月公開予定)
2022/02/08(火)(村田真)
オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動
会期:2022/01/22~2022/03/21
アーツ千代田 3331[東京都]
1927年竣工という古い建物(食糧ビル)を改装して、東京都江東区にオープンした佐賀町エキジビット・スペース(1983-2000)は、とても印象深く、記憶に残るアート・スペースだった。美術館でもギャラリーでもない「オルタナティブ・スペース」という斬新なコンセプトの下に、新進から中堅までの現代美術の俊英たちが作品を寄せ、大きな話題を集めた。また、現代美術の領域における写真というメディアの可能性を大きく拡張したことも高く評価できる。今回開催された「オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動」展は、その佐賀町エキジビット・スペースの運営において、中心的な役割を担った小池一子の回顧展である。
展示は二部構成で、第一部「中間子─編集、翻訳、コピーライト、企画、キュレーション」では、早稲田大学文学部を卒業して、1959年に堀内誠一が所属していたアド・センターに入社してから後の、主に広告の領域で展開された仕事を集成している。田中一光、三宅一生、石岡瑛子といったクリエイターとの出会いにも触発され、PARCOや無印良品などの仕事で、時代の最先端の広告表現を切り拓いていった。
だが、今回の展覧会の白眉といえるのは、やはり第二部「佐賀町─現代美術の定点観測」だろう。こちらは佐賀町エキジビット・スペースで取り上げてきた大竹伸朗、岡部昌生、杉本博司、内藤礼、森村泰昌、横尾忠則、吉澤美香らの作品が並ぶ。杉本や森村だけでなく、写真を使った作品としては、1993年に開催された「00-Collaboration 詩と美術」展に出品された佐藤時啓×野村喜和夫の《光―呼吸/反復彷徨》(1993)も展示されていた。たしか同スペースではオノデラユキも展覧会を開催しているはずで、1990年代の現代美術と写真の融合の状況をリードしていたのが、佐賀町エキジビット・スペースだったことは間違いない。
とはいえ、小池の仕事をとりたてて広告と現代美術に分けて論じる必要はないのではないかとも思う。彼女の行動原理の基本は、世界をポジティブに捉え返し、力強く、質の高いメッセージを伝達することにあり、その点においては両方の領域に違いはないからだ。小池はむしろ、佐賀町エキジビット・スペースの活動を通じて、写真や広告などの要素を積極的に取り込むことで、現代美術をより開かれたものにすることを試みたのではないだろうか。
2022/02/08(土)(飯沢耕太郎)