artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

写真家 水谷章人 作品展「甦る白銀の閃光」

会期:2022/01/04~2022/03/30

写真歴史博物館[東京都]

水谷章人(1940~)は日本のスポーツ写真の第一人者である。長野県飯田市に生まれ、1965年に東京綜合写真専門学校卒業後、斬新な作品を次々に発表して新風を吹き込んだ。特にスキー写真は最も力を入れ、得意とするテーマで、今回の「甦る白銀の閃光」展には、その1960~80年代の白黒写真の代表作が出品されていた。

水谷によれば、1980年にパワーライフから写真集としても出版された「白銀の閃光」シリーズには、大きく分けて2つの種類があるという。ひとつは「1000分の1秒を競う競技のアルペンスキーを撮影したスポーツ写真」である。そしてもうひとつは、「基礎スキー」の分野を扱うもので、「スキーヤーをモデルにし、私独自のイメージを映像化したもの」である。今回の展示では主に後者を見ることができたのだが、その素晴らしさに陶然とさせられた。「一流のスキーヤー」をモデルとし、彼らに細かな指示を与えて緻密なプランの下に撮影した写真群は、人と自然とが一体となったスキーという競技の魅力をいきいきと捉えている。それとともに、白黒のコントラストを強めたり、ブレの効果を活かしたりした画面構成によって、動から静、静から動へと一瞬に移り動いていく瞬間が、見事に定着されていた。あらためてモノクローム写真の表現力の凄みを味わうとともに、デジタル化以降、逆にその緊張感が失われてしまったことがよくわかった。

今回はスキーに焦点を絞った展示だったが、スポーツ写真家としての水谷章人の全体像を見ることができる機会も、ぜひつくっていただきたいものだ。

2022/02/07(月)(飯沢耕太郎)

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笠井爾示『Stuttgart』

発行所:bookshop M

発売日:2022/01/25

笠井爾示は10歳だった1980年に、舞踏家の父、笠井叡と母、久子とともにドイツ・シュトゥットガルトに渡り、18歳まで当地で過ごした。1988年に一時帰国したとき、先に帰っていた母がうつ病で危険な状態にあることを知り、そのまま日本に留まることにする。多摩美術大学卒業後、写真家として幅広く活動するようになるが、シュトゥットガルトは彼にとって特別な思いのある土地であり続けてきた。本書は、2019年7月~8月に母、久子とともにシュトゥットガルトを再訪した時に撮影した写真を、「時系列どおりに」並べた135点(すべて縦位置)によって構成されている。

思い出の土地というだけでなく、母親にカメラを向けるということには、ともすれば決意や構えが必要になるようにも思える。だが、実際に目の前に現われる景色や母の姿は、余分な感情移入がなく、どちらかといえば淡々としたものだ。被写体をコントロールしようという意思はほとんど感じられず、そこにあるものをすっと受け容れ、だが、ここしかないというタイミングでシャッターを切っている。特に印象深いのは、裸の久子を撮影した一連のカットなのだが、それらも、見る者を身構えさせるような押しつけがましさを感じさせない。老化によるからだの歪みやねじれ、窪みや皺なども、あるがままに、むしろチャーミングに写しとっている。息子と母という関係にまつわりつくことが多い陰湿さがまったくないことが、むしろ奇跡のようにすら思える。

むろん、そのような受容的な姿勢を選択するにあたっては、笠井なりの葛藤もあったのではないだろうか。よりドラマティックなスタイルで撮影することもできたはずだ。だが、あえてこの距離感、この空気感を選んだことで、『Stuttgart』は、笠井爾示と久子という母子の関係に収束することなく、「開かれた」写真集として成立した。それは、誰もが自分と母親との関係に思いを寄せてしまうような、強い共感力を備えている。町口覚の造本設計による、ブックデザインが素晴らしい。基調となる黄色は、久子がうつ病から立ち直るきっかけになったという「黄色のラッパスイセン」を意識しているのだろう。

2022/02/06(日)(飯沢耕太郎)

美術の眼、考古の眼

会期:2022/01/22~2022/03/06

横浜市歴史博物館[神奈川県]

横浜市歴史博物館というと、なんとなく文化施設の集中する関内にありそうな気がするが、市の中心部からけっこう離れた港北ニュータウン(都筑区)に位置する(関内にあるのは神奈川県立歴史博物館)。なんでこんな郊外につくられたのかというと、新興開発地区で土地が取得しやすかったのかもしれないが、それよりおそらく、隣に弥生時代の大塚・歳勝土遺跡があるというロケーションが大きいだろう。この遺跡では以前アートプロジェクトが行なわれていて、ぼくもその帰りに博物館に立ち寄ったことがある。その歴史博物館で、横浜市出土の縄文土器と現代美術のコラボレーションが行なわれるというから見に行った。

縄文土器と現代美術の組み合わせは唐突に感じられるかもしれないが、例えば弥生土器や鎌倉彫刻などに比べて現代美術との相性がよく、岡本太郎をはじめ縄文に刺激を受けたアーティストは少なくない。それは縄文土器が持つダイナミックな形態や普遍的な渦巻文様が、時代を超えて現代のアーティストにも訴えるからだろう。日本美術史の最古と最新はぐるっと回って、それこそ縄文のようにつながっているのかもしれない。あるいは、縄文から栄養を吸収しようという意味ではウロボロスにたとえるべきか。

出品作家は松山賢、薬王寺太一、間島秀徳、それに縄文人たち。松山は少女像や虫の絵で知られるが、以前から縄文風の渦巻文様を描いたり、野焼きによる土偶もどきも制作してきた。今回は人や獣の身体に渦巻文様を刻んだ「土器怪人」「土器怪獣」シリーズ、それらを絵にした大作《土器怪人怪獣図》などを出品。クマやイノシシやサンショウウオなどを模した小さな土器も多く、売店でも売られている。ホンモノの縄文土器と間違えて買うやつがいるかもしれない。間違えるといえば、薬王寺の土器もホンモノと間違えかねない。薬王寺は南仏で見たメソアメリカの土器や土偶に衝撃を受け、縄文風の土器を制作するようになったという。とはいえ、単なる模倣では意味がないので、土器の形を球体にしたり、現代的な紋様を試みたりしている。それでも本物の縄文土器と並んでいるのを見ると、色も質感もそっくりなので紛らわしい。歴史博物館もこんな冒険をするんだ。

主に水をテーマにする日本画家の間島の作品は、縄文とは直接関係ないが、美術を目指すきっかけになったのが岡本太郎の著書『日本の伝統』(光文社、2005)だと語り、また、八ヶ岳美術館での個展では、村内で出土した縄文土器とともに自作を展示した経験があるということから選ばれたようだ。会場では、間島による長尺の絵巻に松山の土器を載せたコラボも見られるが、引き立て役になっている感は否めない。ホンモノの縄文土器では、高さ40センチほどの阿久和宮腰遺跡出土土器(深鉢)をはじめ、市内で見つかった土器が30点ほど並ぶ。なかには「太陽の塔」によく似た原出口遺跡出土土偶もあって、横浜市にもこんなに縄文人が住んでいたんだと驚く。

さて、考古資料と現代美術を同時に見せる企画展はじつは珍しいものではなく、これまでにも何度かあったし、同展も3年前の「土器怪人土偶怪獣 松山賢展」(津南町農と縄文の体験実習館なじょもん)がきっかけになったと、学芸員の橋口豊氏がカタログに書いている。興味深いのは、それを見た橋口氏が「居心地の悪さに近い違和感を覚え」「この感覚を多くの人と共有できたら面白そうだ」と考えて同展を構想したこと。つまりこの展覧会は、学芸員が調査研究した成果を発表するというより、はしょっていえば「違和感を共有できたら面白そうだ」から始めたものだという。これは目からウロコ。しかも、縄文土器を現代美術として見てもいいし、現代美術を考古資料として見てもいいし、出品作家や学芸員の意図どおりに見ても、無視してもいいと、見方を見る者に丸投げしているのだ。これはもちろん見る者に思考停止を迫るものではなく、逆に自由な思考や想像を促すための仕掛けというべきかもしれない。本来ミュージアムとはそうあるべきだろう。

2022/02/05(土)(村田真)

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subjektive fotografie vol.4 原本康三

会期:2022/01/19~2022/02/12

スタジオ35分[東京都]

東京・新井薬師前のスタジオ35分で連続的に開催されてきた「subjektive fotografie」展も4回目を迎えた。新山清、大藤薫、後藤敬一郎に続いて、今回は広島出身の原本康三(1921-2006)を紹介している。ドイツ・ザールブリュッケンのオットー・シュタイネルトが1950年代に展開した「subjektive fotografie」展(日本では「主観主義写真」と称された)には、同時代の何人かの日本人写真家が参加している。原本康三もその一人で、シュタイネルトの企画で1959年に開催された「subjektive fotografie 3」展に出品し、同展のカタログを兼ねて1959年3月に、スイス・ローザンヌで刊行された『camera』誌の「subjektive fotografie」特集にも、マン・レイ、ラースロー・モホイ=ナジ、ハーバート・バイヤー、アーヴィング・ペンらとともに作品が掲載されている。今回は、残された数少ないヴィンテージ・プリントから複写したニュー・プリントが展示されていた。

原本は、主に瀬戸内海沿岸の海辺に題材を求めて撮影を試みていた。魚介類、海辺の道、石垣、網などの日常的な事物を、白黒のコントラストの高いプリントに焼き付け、ときにはネガフォトなどのテクニックも用いている。極端な幻想性に走るのではなく、あくまでもリアルな実感が基調になっており、画面構成のテンションも高い。とりたてて特徴のある作風とはいえないが、この時期の「主観主義写真」の作り手の表現レベルを、しっかりと体現しているといえるだろう。

スタジオ35分の連続展示によって、短命には終わった日本の「主観主義写真」の時代の見取り図が、少しずつ明らかになってきた。次世代の写真家グループVIVOとその周辺の写真家たちを含めて、その射程は意外なほどの広がりを見せている。そろそろ、その全体像を外観できる写真集、あるいは展覧会を企画するべき時期が来ているのではないだろうか。

2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)

原久路&林ナツミ「セカイヲミツメル」

会期:2022/01/06~2022/02/07

リコーイメージングスクエア東京[東京都]

東京でユニットとして活動していた原久路&林ナツミは、東日本大震災後の2014年に大分県別府市に移住した。そこで、偶然の機会からひとりの少女に出会い、彼女を撮影したことから写真シリーズ「セカイヲミツメル」を構想する。「少女たちのまなざし」に魅せられ、「芝居がかった華やぎから、物憂い真面目さへと一瞬ごとに移ろうきらめき」を捉えようとしたのだ。本展には同シリーズから約40点が展示されていた。

むろん、ただの「美少女写真」ではない。原と林は、スナップショットと演出写真の要素を巧みに使い分け、さまざまなアイディアを的確に実現していく。デジタル画像特有の合成や加工も無理なく取り込んでいた。さらに、この年頃のモデルたちのなかに潜んでいる残酷さやビザールさも見過ごしてはいない。棒のようなものを手に、もうひとりの自分を冷酷に見据える少女(《双子ごっこ》と題されている)、水を吐く少女、巨大化した少女など、「美少女写真」の範疇を乗りこえていこうという意欲を感じる。

ただまだ全体的に、どこか絵空事めいた気分が漂っていることは否定できない。原の旧作「バルテュス絵画の考察」(2009)や林の「本日の浮遊」シリーズ(2011~)から強く伝わってきた、「これを見せたい」という切実さが、本作にはあまり感じられないのだ。いい作品もあるが、まだ習作の段階のようなものも目につく。たとえばひとりの少女、あるいはひとつのコンセプトに徹底してこだわることも、考えていいのではないかと思う。

2022/02/04(金)(飯沢耕太郎)