artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
名古屋の排除アート
[愛知県]
2020年12月にウェブ版の「美術手帖」にて、「排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン」を寄稿したところ、予想をはるかにうわまる反響があった。というのは、すでに筆者は15年以上前に『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004)を上梓し、そこで排除アート(ただし、当時、この言葉は用いておらず、「排除系オブジェ」と呼んでいたが)を論じており、特にもう新しくないものだと考えていたからである。ともあれ、同書では街中で監視カメラが増殖していることと、ホームレスを排除するベンチやオブジェが登場していたことを批判的に論じていたが、前者にはもう慣れてしまい、また実際に犯人の検挙に役立つことから、ほとんど問題視されなくなった。だが、排除アートは身体そのものに影響を与えるためなのか、ウェブの論考を契機に、改めて多くの人が意見を表明している。また直前の2020年11月に渋谷でホームレスの女性殴打事件が発生し、バス停の排除ベンチが注目されたことも大きいだろう。
排除ベンチも排除アートも、筆者が知る限り、1990年代には存在していたが、いったん気になると、日本中で発見することができる(特に大都市は多い)。ウェブの論考が発表された後、筆者はいくつかの新聞社から取材を受け、排除アートを論じる本を岩波ブックレットで準備中だが、NHK名古屋の番組制作にも協力した。その際、名古屋の排除アートを幾つかめぐり、コメントをしたが、一番強烈だったのは、若宮大通公園の水辺である。ホームレスの居場所になりそうなスペースに、家型のフレームをいくつも設置した後、おそらくそれでも排除できなかったため、今度は鉄筋を水平方向にはりめぐらせていた。さらに柵を追加し、三重に防御しており、景観を和ませるためなのか、最後にお花をつけている。この近くの陸橋の階段は立ち入り禁止の柵で大量に埋めつくし、もはや反転して、本当に現代アート的に見える。実は水上には、1988年に設置された新宮晋の作品も残るのだが、現在は動いていない。かつてパブリック・アートが導入された若宮大通公園は、いまや排除アートだらけである。こうした景観は、現代日本の社会の変化を反映しているかもしれない。
2022/03/04(金)(五十嵐太郎)
欠片(かけら)~キンスキ・イムレ 写真の世界〜
会期:2021/12/07〜~2022/03/31
リスト・ハンガリー文化センター[東京都]
おそらく多くの人にとっては、初めて聞く名前だろう。筆者も、キンスキ・イムレ(ハンガリーの名前の表記は姓―名の順)という写真家については、東京・麻布十番のリスト・ハンガリー文化センターでの展示を見るまでは、まったく知らなかった。
キンスキは1901年にハンガリー・ブダペストで、ユダヤ系の知識人の家に生まれた。大学中退後、ハンガリー繊維業協会で文書管理の職に就くが、熱心なアマチュア写真家として知られるようになる。だが、いくつかの写真家団体の会員として活動し、雑誌などにも寄稿していたが、結局写真家として大成することはなかった。ユダヤ人への迫害により、1945年に強制労働に招集されて移動中に44歳という若さで亡くなってしまったからだ。彼が残したネガは、遺族によって管理され、苛烈な戦後の時期をくぐり抜けて、近年になってようやく陽の目を見ることになる。今回の展覧会には、ブダペストのバラッシ・インスティテュートで2019年に開催された回顧展の出品作、55点から抜粋された20点の作品が展示されていた。
展示作を見ると、キンスキの写真家としての能力の高さがよくわかる。街頭スナップ、建築、人物、抽象的な影の写真など、被写体の幅は広いが、どれも瞬間の表情を的確な構図、シャープな描写で捉えている。何よりも素晴らしいのは、ブダペストにおける両大戦間のつかの間の都市生活の輝きが、いきいきと写しとられていることだろう。もうひとつ興味深いのは、彼が同時代のモダニズム写真の文法や美意識を積極的に取り入れていることだ。上から見下ろした俯瞰構図、光と影のコントラスト、長時間露光によるブレの効果、クローズアップなどの視覚的効果への着目は、同時期の日本の「新興写真」の作り手たちとも重なり合う。もし、彼が第二次世界大戦後も生きていたら、さらにスケールの大きな作品世界をつくり上げていったのではないだろうか。
ラースロー・モホイ=ナジ、アンドレ・ケルテス、マーティン・ムンカッチ、ロバート・キャパなど、海外で活動したハンガリー出身の写真家たちについては、日本でもよく知られているが、キンスキのように国内にとどまった写真家たちについてはほとんど情報がない。本展をきっかけに、ハンガリー写真の流れがよりクリアに見えてくることを期待したい。
2022/03/04(金)(飯沢耕太郎)
Chim↑Pom展:ハッピースプリング
会期:2022/02/18~2022/05/29
森美術館[東京都]
筆者の著作『建築の東京』(みすず書房、2020)は、オリンピックにあわせて刊行した東京論だが、実は表紙にChim↑Pomのスクラップ&ビルドをテーマにした展覧会の会場写真を用いている。建築・都市論なのだが、どうしても東京の再開発で使いたい写真がなかったからだ。そもそも同書は、東京におけるデザインの保守化を批判的に論じており、第一章ではむしろChim↑Pomや会田誠らのアーティストの空間的な想像力をとりあげている。つまり、彼らの作品は、建築・都市論の文脈からも刺激的なのだ。
さて、これまでの活動を振り返る「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」は、約8割はすでに美術館やギャラリーなどの会場で見ていた作品やプロジェクトだったが、改めてまとめて鑑賞すると、原爆、震災など、社会的な問題に対し、彼らが一貫性をもった知的なアート・コレクティブであることがよくわかる(しかもコロナ禍の直前に、イギリスでパンデミックの展示も企画)。特に再現展示や、関連するアーカイブ(プロジェクトへの反響やコメントなどを年表やコンピュータのデータによって紹介)が充実しており、総覧できることに意義がある内容だった。
正直、筆者も最初はお騒がせ集団という感じでとらえていた。しかし、渋谷駅の《明日の神話》(1968-69)に311の原発事故を踏まえた絵が追加されたとき、直感的にChim↑Pomの仕業ではないかと思い、後から本当にそうだったと判明したことで、その認識を変えた。今回の展示では、最初の部屋にいきなり仮設の路上空間をつくったように、公共性や道をテーマに掲げている。今度、筆者は排除アートを批判的に論じる本を出版する予定だが、まさにこれと呼応する内容だった。他者を排除する「アート」ではなく、むしろアートによって公共的な道をつくり、空間の可能性を開くこと(例えば、国立台湾美術館のプロジェクト)。今度の本では、地下の排除アートと対比させながら、ロバート・インディアナのパブリック・アート「LOVE」に触れるが、Chim↑Pomもすでにプロジェクト《ラブ・イズ・オーバー》(2014)において利用している。エリイの結婚式のパレードを新宿のデモとして実行し、「LOVE」に集結するというものだ。公共空間やスクラップ・アンド・ビルドへのラディカルな問いかけを行なっており、建築系の人も、見るべき展覧会である。すでに仮設の路上においてウクライナの文字が刻まれていたが、彼らはロシアによるウクライナへの侵攻に対しても何らかのアクションを展開していくのではないか。
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美術館は道を育てられるのか?──「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」と「ルール?展」|田中みゆき:キュレーターズノート(2022年04月01日号)
2022/03/03(木)(五十嵐太郎)
池崎一世・佐藤麻優子・染井冴香展「whereissheus」
会期:2022/02/08~2022/03/19
ガーディアン・ガーデン[東京都]
チラシや広報ページを見た限りでは、企画意図がうまくつかめない展覧会だと思っていたのだが、実際に展示を見ると、じわじわと面白さが伝わってきた。
池崎一世、佐藤麻優子、染井冴香の3人は、ガーディアン・ガーデンで開催されている公募展、写真「1_WALL」でグランプリ、あるいはファイナリストに選出されており、今回の展示は、「公募展の入選者たちの、その後の活躍を紹介する」という「The Second Stage at GG」の枠で開催されている。世代も作風も完全に重なっているわけではないが、3人とも自らの生活を起点として、日常的な事物に目を向けることが多いこと、あらかじめ明確なコンセプトを打ち出すよりは、まずは撮影することから認識を組み上げようとしていること、画像の加工はほとんど行なわず、ストレートな描写を心がけていることなどが共通している。その3人の指向性がうまく絡み合って、既視感と脱力感を感じさせるユニークな写真の世界が成立していた。カラフルなつけ鼻や角を付けたり、顔を黒く塗ったり、クリスマスツリーのような姿になったりといった、パフォーマンス的な要素を取り入れた作品も多いのだが、自然体であっさりと処理されているので、見る者に余分な負担を強いない。にもかかわらず、日常に潜む無意識レベルの不気味さが、しっかりとあぶり出されてきているのが興味深かった。
この3人のユニットでの活動が、これから先も続くのかどうかはわからない。だが、まだいろいろな可能性を孕んでいるようにも見える。ソロ活動とうまく絡めていくと、何か思いがけない世界が開けてくるのではないだろうか。
2022/03/03(木)(飯沢耕太郎)
写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて
会期:2022/03/02~2022/05/08
東京都写真美術館 3階展示室[東京都]
東京都写真美術館は2007年から2017年にかけて「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」展を5回にわたって開催し、2018年からは「写真発祥地の原風景」と題する新たな連続展をスタートさせた。本展は「長崎」編に続くその第2弾である。
幕末から明治にかけて、「箱館」から「函館」に表記が変わった北海道南部の港湾都市「はこだて」には、長崎や横浜といったほかの「写真発祥地」とは異なる特徴がある。写真術の渡来、伝承において、初代ロシア領事のゴスケーヴィチ、同領事館付属病院の医師ザレスキー(ゼレンスキー)など、ロシア人がかなり深く関与しているのだ。彼らから技術を学んだ、横山松三郎、木津幸吉、田本研造をはじめとして、独自の写真文化が花開いていった。また、札幌に北海道開拓使が設立された明治以降は、田本、ライムント・フォン・シュティルフリート、武林盛一らが、その命を受けて開拓の状況を克明に記録していった。今回の展示では、それら草創期の写真、絵画、印刷物などを中心に、「はこだて」が視覚メディアにおいて、どのように扱われていったかを、多面的に提示している。
展示の内容は、さまざまな媒体をちりばめつつ、観客のイマジネーションを大きく膨らませるものになっており、あらためて「初期写真」の可能性の大きな広がりを感じた。写真帖『Esso Album』で、アイヌ人の生活を撮影した野口源之助の仕事のような、新たな発見もあった。ただ、これまでの展示活動の蓄積を踏まえると、そろそろ幕末~明治初期の日本の写真のあり方について、総体的、包括的な枠組みを明確に打ち出していくべきではないだろうか。小出しではなく、15年間の企画を総ざらいするような大規模展が必要なのではないかと思う。
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写真発祥地の原風景 長崎|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年04月15日号)
2022/03/02(水)(飯沢耕太郎)