artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─

会期:2022/03/11~2022/03/30

上野の森美術館[東京都]

「昨年の『VOCA展』はコロナ騒ぎの真っ只中に開かれ、最後の数日は閉館を余儀なくされ、直後に最初の緊急事態宣言が出された。今年は2度目の緊急事態宣言の最中に始まり、会期中に解除された。10年前は震災直後に初日を迎えたものの、翌日からしばらく閉館したという。弥生は厄月か? 来年はどうなっているやら」、と書いたのは昨年のこと。今年はようやくコロナも収まり「VOCA展」も無事開催……と思ったら、直前にロシアがやらかしてくれました、ウクライナ侵攻。日本にはまだ大きな影響はないものの、第2次大戦後最大の世界的危機であることに間違いなく、穏やかな気分ではいられない。

そんな緊迫する世界情勢を尻目に、展覧会は例年のごとくバリエーションに富んだ作品が並び、それなりに楽しめた。VOCA賞は川内理香子、奨励賞は鎌田友介と近藤亜樹、佳作賞は谷澤紗和子と堀江栞、大原美術館賞は小森紀綱といった面々。いずれも力作ぞろいで納得できる受賞だが、なかでも感心したのが鎌田の《Japanese Houses(Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan)》。戦前、朝鮮半島や台湾やブラジルに建てられた日本家屋の写真と、第2次大戦中アントニン・レーモンドが日本家屋を焼夷弾で破壊するため米軍に提供した指南図、韓国に存在した日本家屋の部材などを、床の間を模した支持体に組み込んでいる。本来なら綿密なリサーチに基づくプロジェクト型のプランを、「VOCA展」に合わせて厚さ20センチ以内の「半平面」にまとめ上げた技量も見事。

受賞者以外ではユアサエボシと長原勲の作品に注目した。ユアサの《夢》は、「再評価の機運がたかまるユアサヱボシ(1924-1987)による大作」という設定の絵画。ジャングルのなかで獣が操縦するロボットと、戦時中の日本の子どもが相対する場面を描いたもので、高度な武器を擁するアメリカ対おもちゃの刀で立ち向かう日本という構図だ。戦前のイラストのようなポップでアナクロな画風が異彩を放っている。長原の《地上絵》は、上空から地上を空撮した写真に基づく俯瞰図。白い雲の合間から田園や道路がのぞくような構図で、右上と左下には赤いものが浮いているのだが、ここから日の丸を連想してしまうのはぼくだけだろうか。つまり日本の戦闘機による空爆の風景を想像してしまうのだ。あるいは戦争画の見すぎかもしれない。いやそれにしても、気になる作品が3点とも戦争に関連づけられるのは、このご時世だからか。

関連レビュー

VOCA展2021 現代美術の展望—新しい平面の作家たち—|村田真:artscapeレビュー(2021年04月15日号)

2022/03/19(土)(村田真)

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生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展

会期:2022/03/19~2022/06/19

東京都現代美術館[東京都]

子どものころ、ご多分にもれず怪獣映画が好きだった。初めて見たのは『モスラ』(1961)。まだ現実と虚構の区別がつかない年ごろだったので、モスラにへし折られたはずの東京タワーが建っているのを見て、「いつ建て直したんだろう」と不思議に思ったのを覚えている。それほどうまくミニチュアがつくられていたということだ。その後『キングコング対ゴジラ』(1962)、『マタンゴ』(1963)(これは怪獣映画とは少し違うが、死ぬほど怖かった)、『モスラ対ゴジラ』(1964)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)など次々に見た。だからテレビで『ウルトラQ』(1966)が始まると狂喜したもんだ(が、4人家族のチャンネル争いは熾烈で、2週に1回しか見せてもらえなかった)。

しかしその後、「ウルトラマン」(1966-)のシリーズになってから次第に興味が失せ、『ウルトラセブン』(1967)のころにはまったく見なくなってしまった。少し大人になったからでもあるが、どうもそれだけではない。実はそのとき、ひとつ気づいたことがある。ぼくは怪獣そのものが好きだったのではなく、またドラマに熱中していたわけでもなく、怪獣が建物を破壊するシーンが見たかったのだと。極端な話、怪獣なんかどうでもいいし、物語なんかあってもなくてもいい。ただ怪獣が街を壊してくれればよかったのだ。だからテレビよりミニチュアがリアルにつくり込まれている映画のほうに惹かれたし、建物のない山野でウルトラマンと怪獣が戦うシーンを見せられた日には心底がっかりしたもんだ。これはおそらく、自分が巨大化して世界をメチャクチャにしてみたいという破壊衝動の擬似体験だったんじゃないかと、あとになって思うようになった(ひょっとしたら小柄なプーチンも同じ願望を抱いているのかもしれない)。


長々と前置きを書いてしまったが、そうした怪獣映画で破壊されるミニチュアセットをつくっていたのが、特撮美術監督の井上泰幸だった。当時、怪獣ファンの子どもたちがそうであったように、ぼくも円谷英二の名前は知っていたけど、井上の名前など知るよしもなかった。だが、少なくともぼくにとって井上は円谷監督よりはるかに重要な存在であったことが、半世紀以上も経たいまになってようやく判明した次第。

展示は、井上が学生時代に描いた絵画や玲子夫人の彫刻などを集めた「特撮美術への道 ─芸術家であり、技術屋 1922-1953 」をプロローグに、『ゴジラ』(1954)に始まる怪獣映画や戦争映画のスケッチ、絵コンテ、記録写真、映像、マケットなど約500点を並べた「円谷英二との仕事 ─特撮の地位を上げるための献身 1953-1965」「特撮美術監督・井上泰幸 ─ミニチュアではなく、本物を作る 1966-1971」「アルファ企画から未来へ ─世の中にないものを作れ 1971-2000」、そして最後に、「空の大怪獣ラドン」で破壊される西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットを吹き抜けのアトリウムに再現した「井上作品を体感する ─岩田屋ミニチュアセットと戦艦三笠 3D データ 2021-2022」の5部構成。若き日の宝田明も映像に出てきて感慨深い。

この展覧会、子どものころに見ていたらどれほど感激したかわからないが、ひねくれじいさんのいまとなっては、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968)や『日本海大海戦』(1969)のスケッチはまるで戦争画を参照したんじゃないかとか、『首都消滅』(1987)の渦巻くような雲のデッサンはレオナルドの洪水の素描を思わせるとか、『竹取物語』(1987)の船と龍のスケッチは《華厳宗祖師絵伝》にそっくりだとか、ひとりツッコミを入れてペダンチックに楽しむしかなかった。

2022/03/18(金)(村田真)

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石巻の震災遺構

[宮城県]

石巻工房のショールームでもあるが、宿泊も可能な《石巻ホームベース》(2020)にて、トラフ建築設計事務所がデザインした部屋で一泊した(ここはデッキの方が部屋より広い)。共有部の広い吹き抜けはカフェを併設しており、気持ちが良い空間である。近郊では、コンビニを教会(!)にリノベーションした《石巻オアシス教会》(2016)を発見したが、これはめずらしい事例だろう。続いて、《マルホンまきあーとテラス》(2021)を再訪した。これは復興建築としても画期的なデザインだが、藤本壮介の国内の代表作になるだろう。昨年の訪問時はまだオープン前だった博物館の見学が、今回の目的である(ちなみに、公式HPの表記は、いまも「準備中」という誤解を招くのが気になった。実際は博物館のネット用のコンテンツが準備中という意味なのだが)。宮城県美術館などで文化財レスキューが行なわれた後、石巻に戻ってきた高橋英吉の彫刻群や、アナログ的な時層地図の展示の仕かけが印象に残った。


《石巻ホームベース》



高橋英吉の彫刻群


昨年はコロナ禍で入れなかった、《みやぎ東日本大震災津波伝承館》(2021)をようやく見学することができた。建築は津波の高さや被災の時刻をデザインに組み込んだものだが、プログラムとの齟齬、後から別のコンテンツが割り込んだこと、あれだけの大災害なのに絶対的に面積が少ない、全体的に内容が薄い、明るすぎて導入の映像が見えにくいなど、やはり展示については問題が多い。ボランティアの案内が貴重な話をしてくれるのが、せめてもの救いだった。向かいの門脇小学校も、震災遺構として整備が終わっていた(4月から一般公開)。震災遺構・大川小学校とその伝承館(デザインはAL建築設計事務所らが担当)は、実際に裁判も行なわれたためか、はっきりと子どもの犠牲者が出たことに対し、責任を認めている展示であり、このような例はほかであまり見たことがない。ここも遺構内には立ち入れないが、さまざまな角度から見学は可能であり、実物の存在は重みをもつ。なお、「記憶の街」の模型は、なぜか道路向かいの小さい民間施設で収蔵・展示していた。


《みやぎ東日本大震災津波伝承館》 当初展示室にする予定ではなかったエリア



門脇小学校



大川小学校



責任を認める大川小学校の伝承館


市内に戻って、勝邦義氏の案内で、石巻のキマワリ荘を訪問した。1階はかんのさゆりの写真展が開催され、忍者屋敷のような階段を上ると、mado-beyaで中﨑透らの三人展、その奥にサウンド・インスタレーションがある。すなわち、小さな民家に複数のギャラリーが同居するスペースだが、Reborn-Art Festivalの副産物らしい。その隣もユニークな電気屋であり、自動車などのメカのイラストレーター佐藤元信のドローイングを展示していた。

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2022/03/15(火)(五十嵐太郎)

からだのかたち〈3〉──東大医学解剖学掛図

会期:2021/12/15~2022/03/27

JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク[MODULE][東京都]

ぼくの学生時代、大学の講義といえばスライド写真がよく使われていた。暗い教室でプロジェクターがカシャカシャ鳴る音は、学生にとっては快い子守唄だった(笑)。その後、本や資料の画像を直接スクリーンに投影できるOHP(オーバーヘッドプロジェクター)が普及し、パソコンを使ったパワーポイントが主流になり、いまや自宅で音声も画像も得られるオンライン授業が定着しようとしている。では、スライドの前はなにが使われていたのだろう。昔は画像やグラフを生徒たちにどうやって示していたのか? その答えのひとつが「掛図」というもの。掛軸のようにふだんは丸めておき、使用するとき壁に掛けて広げるやつ。そういえば小学校のころ、先生が使ってたなあ。

同展では、明治初期から東京大学医学部で使われてきた人体解剖の掛図が20点ほど公開されている。いずれも人体の各部位がほぼ墨一色で描かれており、わずかに動脈と静脈を赤と青に塗り分けた図もある。これらは大学が雇った職業画工の手になるもので、ときに近くの東京美術学校の画学生が駆り出されることもあったという。とはいえ、レオナルド・ダ・ヴィンチのように実際に人体の内部を見て描いたのではなく、西洋の図譜類から転写していたらしい。教壇に掲げて多数の学生に見せるため、写実性や細密性は必要なく、余計なものは省略してわかりやすく描いてある。リアリズムではなく、本来の意味でのイラストレーション(明確にすること=図解)なのだ。

何度も開いたり巻いたりしたのだろう、表面にシワが寄ったり折り目ができたりして、使い込まれていることがわかる。いくら優秀な画工や画学生に描いてもらったとしても、主観的な表現は許されず、サインもない。美術品ではなく、あくまで実用品であり、もっといえば消耗品だったのだ。そんなものをよく残しておいてくれたと感心する。ふと思うのは、日本には掛軸の伝統があるから違和感はないけど、外国でも掛図は使われていたんだろうか。

2022/03/10(木)(村田真)

若山美音子「マグノリアの香り」

会期:2022/03/08(火)~2022/03/21(月)

ニコンサロン[東京都]

若山美音子は中国・四川省成都に生まれ、四川大学外国語学部日本語学科を卒業後に来日して、早稲田大学政治経済学部で学んだ。2000年頃から写真作品を制作し始め、瀬戸正人が主宰する「夜の写真学校」(Place M)で学ぶ。ニコンサロンでの個展は初めてだが、いくつかのギャラリーで個展を開催し、写真集『遠い呼吸-A distant breath-』(Place M、2020)を出版するなど、写真家としてのキャリアを伸ばしつつある。

今回の展示作品は、コロナ禍以前に、故郷の成都を中心に撮影した写真をまとめたもので、前作と比較しても視点のとり方に揺るぎない自信を感じることができた。若山の写真を見ると、特に2010年代以降の中国では、かつての日本の1970-80年代のように、都市の光景が大きく変わりつつある時期に差しかかっているのがよくわかる。古い建物や街路が新たに建て替えられ、人のたたずまいも様変わりしつつある活気あふれる街に、若山はきちんと正対してシャッターを切っている。おそらくあと10年も経てば、このハイブリッドな状況は失われ、均質な風景に覆い尽くされてしまうだろう。その意味では、新型コロナウイルス感染症の蔓延の影響で自由な渡航ができなくなったここ2年余りのロスは、とてももったいなかった。機会があれば、この続編をぜひ見てみたい。

なおタイトルのマグノリアは、春から夏にかけて花弁に糸を通して成都の街で売られている花だそうだ。その濃密な匂いが漂ってくるような写真群だった。

2022/03/09(水)(飯沢耕太郎)