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美術に関するレビュー/プレビュー

ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展

会期:2022/02/10~2022/04/03

東京都美術館[東京都]

これは楽しみにしていた展覧会。もちろん17世紀オランダ絵画に興味があるからだが、なによりフェルメールの《窓辺で手紙を読む女》が見たかった。一時は開催延期になってヤキモキしたけど、無事開催されてほっとした。この作品、日本で公開されるのは確か3回目だが、今回はなんと、これまでとは違う《窓辺で手紙を読む女》が来るのだ。どういうことかというと、近年の修復によって背景の壁に塗り込められていた画中画が「発掘」されたからだ。以前から壁に画中画が隠されていることは知られていたが、上塗りされたのが画家の死後であることが判明したため、オリジナル画面に戻したというわけ。だから今回は、装いも新たな《窓辺で手紙を読む女》の来日ということになる。

フェルメールは、窓辺で手紙を読んだり楽器を弾いたりする女性像を何点も残しているが、この作品がその出発点といわれている。だが、ほかの女性像と違って頭部が画面の中心よりやや下にあり、その上の壁の空白がやけに広く感じられたものだ。この空白が気になって、画面の上半分だけ模写したことがある(「上の空」シリーズ)。ところが今回、キューピッドの画中画が現われた画面を見ると、逆に上半分が窮屈に感じられた。しかもキューピッドは「愛」を暗示するため、女性の読む手紙が恋文であることが示唆され、絵のテーマが明確になってしまう。これだったら修復前の空白のほうが情緒が感じられるし、絵の意味も曖昧なままで、むしろフェルメールらしかったかもしれない。そう考えれば、画家の死後に壁を塗り込めた人の気持ちもわからないではないが、しかし画面のど真ん中にL字型の黒い額縁が加わることで、より強固な幾何学的構成が蘇ったのも事実だろう。

ひとつ気になったのは、画面上端の部分。修復前はカーテンを吊るレールの数センチ上まで描かれていたのに、現在は額縁に隠れて見えなくなっているのだ。あれ? と思ってカタログをよく見ると、上端だけでなく、下端も左右端も数センチずつ狭まっているではないか。つまり画面全体が微妙に縮んだというか、額縁の縁が内側に寄っているのだ。これも画面の四辺がフェルメールの死後、何者かによって描き加えられたことがわかったため、額縁で隠したのだという。この修正によってカーテンがより手前に迫り、錯視的効果が強まったように感じられる。それにしても、世界的に知られる古典的名作でこれほどの変更があるというのも珍しい。絵が描かれてから時間が経つほどオリジナルの状態に戻すのは難しくなりそうなもんだが、しかし一方で、時代が進むにつれて検査機器や修復技術が発達するため、復元しやすくなる面もあるのかもしれない。

関連レビュー

フェルメール展|村田真:artscapeレビュー(2018年10月15日号)

2022/02/24(木)(村田真)

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第一回ふげん社写真賞グランプリ受賞記念 木原千裕写真展「いくつかある光の」

会期:2022/02/11~2022/03/06

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

1985年、福岡県出身の木原千裕は、昨年公募された第1回ふげん社写真賞でグランプリを受賞した。同年開催の第23回写真「1_WALL」でもグランプリを受賞しており、将来を大きく嘱望される写真家の登場といえるだろう。町口覚がデザインする作品集が刊行されたことを受けた本展は、ふげん社写真賞グランプリ受賞記念展である。

木原は「1_WALL」のグランプリ受賞作「circuit」では、同性の恋人との濃密な関係における葛藤を、写真を通じて昇華することをめざした。この「いくつかある光の」では、逆に「家族でもない、友人でもない、関係性に名前のない」人物にカメラを向けている。自宅から1,383キロも離れた東北の海辺の街に住むその人を4度訪ねて撮影した写真が、連続写真(シークエンス)の視覚的な効果を生かしながら淡々と並んでいた。たしかに「circuit」の写真と比較すれば、やや緊張感を欠いた穏やかな写真群だが、これはこれで見る者を引き込む魅力が備わっているように感じる。「何者でもない他者」の写真には違いないのだが、撮影を重ねるうちにふとした仕草や表情から、関係の深まりが伝わってくるのだ。木原の人間観察力の細やかさ、微妙な気配を感じとり、定着する、写真家としての能力の高さがよく伝わってきた。

上々の出来栄えといえそうだが、彼女の潜在能力と器の大きさは、こんなものではないと思う。次作がどうなっていくのかがとても楽しみだ。

2022/02/19(土)(飯沢耕太郎)

宝石 地球がうみだすキセキ

会期:2022/02/19~2022/06/19

国立科学博物館[東京都]

宝石は美術品か、工芸品か、それとも自然物か? もし宝石が美術品か工芸品なら美術館で扱うべきだし、自然物なら博物館の管轄だ。そもそも宝石というのは、美しい鉱石を加工して装飾などに使用するものなので、元は自然物であり、そこに手を加えて製品化した美術・工芸品でもある。言い換えれば、加工される前の原石はいくら美しくても芸術でもなんでもないし、逆に、宝石として加工されたものは石彫や木彫と同じく自然物とは言えない。だから、もし博物館で扱うなら宝石の成り立ちや種類の多様性を伝えるべきだし、美術館で見せるなら見た目の美しさや装飾技術の見事さを強調すべきだろう。だとするなら、科博で見せる今回の展覧会は外観の華やかさや美しさより、質実剛健でストイックな展示になるのではないか……。そんな余計な心配をしながら見に行った。

展示は、「原石の誕生」「原石から宝石へ」「宝石の特性と多様性」「ジュエリーの技巧」「宝石の極み」の5章立て。予想どおり、前半は宝石の成り立ちや種類にスペースが割かれていたが、けっして退屈なものではない。岩の塊にへばりついたガーネットやアマゾナイトの原石は、まるで癌のようで鳥肌が立ちそうだし、円柱の上に球体がついているマラカイトは、まさに名前どおりの男根状でつい見入ってしまった。また、原石が削られ磨かれて宝石になる技術は見事なもので、とりわけダイヤモンドに目を奪われる。同じサイズ、同じカットのダイヤモンドとクリスタル(水晶)を並べているのだが、輝きがぜんぜん違う。これまで、ダイヤモンドも水晶もガラスも大して変わらないじゃないか、を口実に妻に宝石を買ったことがなかったが、ここまで違いを目の当たりにすると、女性が(いや人類が、というべきか)ダイヤモンドに惹かれる理由が少しはわかった気がする。

後半は宝石の美しさに焦点を当てた展示で、いかにも高価そうな指輪、ネックレス、ブローチなどを並べて、もはや美術展というか宝飾店のノリ。値札をつけたらより興味が湧くんじゃないかと思うが、そんなことしたら招かざる客までおびき寄せることになってしまいかねない。展示品にはレプリカもあるが、大半は本物の宝石なので、めちゃくちゃ金がかかっているはず。いったい保険評価額はいくらくらいなんだろう。そういえば今回はいつもより会場にスタッフが多く配置されていたような気がするのは、警備も兼ねているからだろうか。

蛇足ながら同展には、古代から現代までの指輪を集めた国立西洋美術館の橋本コレクションも出ているが、考えてみたらなぜ橋本氏は西洋美術館に寄贈したのか。西美は周知のように、ルネサンスから近代までの絵画、彫刻、版画をコレクションの軸とする。橋本コレクションは西洋の指輪が中心なので、東博でもなければ科博でも東近でもないのは納得できるが、西美も少し違うような気がする。おそらく、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館のような、宝飾品も含めた広い意味でのデザイン専門の国立美術館が日本にないことが問題なのだ。


公式サイト:https://hoseki-ten.jp

2022/02/18(金)(村田真)

開館40周年記念展 扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022

会期:2022/02/05(土)~2022/05/15(日)

埼玉県立近代美術館[埼玉]

コロナ禍では海外から作品を借りにくい状況が続くこともあって、あらためて美術館が所有するコレクションの価値が注目されていると思うが、埼玉県立近代美術館は開館40周年というタイミングが重なり、館そのものの歩みや活動を紹介する展覧会が開催された。したがって、作品だけでなく、関連する資料も陳列し、同館の歴史、収蔵・企画の経緯や方針(埼玉県立博物館からの移管、瑛九のアーカイブ、小村雪岱の挿画や舞台美術、地域の作家、1970年代というテーマ)、そして設計者である黒川紀章にスポットを当てたものである。例えば、初代館長の本間正義の文章(「展示ということ」の連載など)、田中一光がデザインした開館記念展のポスター、黒川のスケッチやドローイング、美術館の基本設計図、模型、工事記録写真、地質標本、「1970年─物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」の展示プラン図や会場記録写真などからは、美術館の背景を知ることができるだろう。なお、黒川は1980年代にいずれも公園の中に立地するポストモダンの美術館三部作を手がけたが、最初が埼玉であり、その後に《名古屋市美術館》(1988)と《広島市現代美術館》(1989)が続いた。


「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 瑛九の資料展示



「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 小村雪岱の舞台装置原画



「扉は開いているか ─ 美術館とコレクション1982-2022」展 ナイジェル・ホールの「サイタマ・ミュージアム・プロジェクト」(エスキース)



「1970年─物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」の会場構成など 埼玉県立近代美術館


埼玉県立近代美術館の特徴としては、インスタレーションを試みた田中米吉や川俣正、コインロッカーに作品を設置した宮島達男など、歴代のアーティストが積極的に建築に介入したことも挙げられるだろう。特に田中の《ドッキング(表面)No.86-1985》(1986)は、建築の格子パターンとそろえることで同化しつつも、ヴォリュームとしては直方体が斜めに貫入し、建築と一体化していた。これらは建築が完成した後のサイトスペシフィックな作品だが、奈義町現代美術館(1994)や金沢21世紀美術館(2004)のコミッションワークに継承されるものとして位置づけられる。ともあれ、埼玉県立近代美術館が地方のミュージアムが果たすべき役割を切り開いていたことがうかがえた。

大宮の住宅地に立ち寄り、今年45歳で急逝した柄沢祐輔の代表作、《s-house》(2013)を外から見学した。フォルマリスティックなデザインと大胆なガラス張りの外観をもつ住宅として話題になったものである。さすがに現在は透明な状態では使われていなかったが、以前、ゼミ合宿で見学を依頼していたが、都合がつかず、ようやく訪れることができた。彼は話していたとき、すごい速度で矢継ぎ早にさまざまなアイデアを出していたことが記憶に残る。もっと多くの建築を実現して欲しかった。

2022/02/17(木)(五十嵐太郎)

Chim↑Pom展:ハッピースプリング

会期:2022/02/18~2022/05/29

森美術館[東京都]

Chim↑Pomが森美術館で回顧展を開く、と聞いたときの違和感はなんだろう。「美術館」と「回顧展」はすぐに結びつくが、「Chim↑Pom」と「美術館」、「Chim↑Pom」と「回顧展」が接続しづらいのだ。Chim↑Pomといえば、渋谷に徘徊するネズミを捕まえてピカチュウみたいな剥製にしたり、広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と書いたり、岡本太郎の壁画《明日の神話》に福島原発事故の絵を無断で付け加えたりと、お騒がせの芸術確信犯との印象が強い。もっともいま挙げた3つは、17年に及ぶ彼らの活動のなかでは初期の「作品」にすぎないが、しかしその後も、新宿歌舞伎町のビル全体を作品化したり、福島の原発事故による帰還困難区域内での国際展を立ち上げたり、とても美術館には収まらない「ストリート」な活動を続けている。それがいまさら美術館でなにを、とも思うが、まあ新しいもの好きの森美術館だからうなずけないでもない。

Chim↑Pom自身も違和感は承知のうえで、「芸術実行犯を自称するChim↑Pom17年間の全活動を振りかえろうだなんて正気の沙汰とは思えませんが、さすが森美術館というか、それでこそ東京イチの美術館というもの。(中略)とにかく森美術館と共に、歴史的な展覧会を作り上げていければと考えている所存でございます。お楽しみに」と前口上を述べている。しかし最近は「公」について積極的に問いかけるアーティストだけに、私設の森美術館より国公立美術館でやってほしかったという思いもある。確かに新作だとなにをしでかすかわからないから、どこも腰が引けるだろうけど、回顧展だったらできるんじゃないか。もう遅いけどね。 などと考えながら会場に入ると、いきなり天井高6メートルの展示室が上下2層に分けられ、下層は鉄パイプで支えられている。おお、すばらしい導入部。下層では、前述の渋谷のネズミを剥製にした「スーパーラット」や、新宿のビルの床を貫通させた「また明日も観てくれるかな?」、台湾の美術館の内から外までアスファルトで舗装した《道(Street)》など、主に都市や公共空間をテーマにしたプロジェクトを写真、映像、マケットなどで紹介。雑然としたディスプレイが路地裏の空気を醸し出している。階段を上ると、上層は床にアスファルトが敷かれ、ところどころマンホールや通気口があり、下をのぞける仕組み。つまり下層でうごめくわれわれは、地下を這いずり回るネズミかゴキブリみたいな存在だってことに気づくのだ。これは見事。回顧展でありながら、展示構成自体が新作インスタレーションとして成立しているのだ。やっぱりただの回顧展ではない。

実はこの上下2層のインスタレーションは展示全体の序盤で、10あるセクションのうち「都市と公共性」「道」の2つを占めるにすぎない。その後も「Don’t Follow the Wind」「ヒロシマ」「東日本大震災」と興味深いプロジェクトが続くのだが、ここでは割愛。それより、あとで知ったのだが、虎ノ門でも「ミュージアム+アーティスト共同プロジェクトスペース」として、森美術館では展示できなかった作品をいくつか公開しているらしい。「本スペースは、本展実現までのプロセスにおいて、作家と美術館のあいだでさまざまに生じた立場や見解の相違をきっかけとし、多様な観点からの議論を発展的に深めることを目的とした場所です」とのこと。まだ見ていないが、やはり「美術館」や「回顧展」にはすんなりと収まらなかったようで、かなりの攻防が繰り広げられたことが想像される。それで空中分解も妥協もせず、第3の道を探り、発展的に議論を深めていこうとするところが、さすがChim↑Pom。


「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」展 会場風景[筆者撮影]


2022/02/17(木)(村田真)

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