2020年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)とその一帯

西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)[中国、上海]

上海の黄浦江の西岸(ウェストバンド)は、かつて工業地帯だったが、現在は美術館やギャラリーが続々と増えている。2019年末にオープンした西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)は、5年間という期間限定だが、ポンピドゥー・センターと提携していることで注目された。香港にアート・バーゼル、上海にポンピドゥーとなると、日本とは違い、中国の現代美術シーンが活性化していることを思い知らされる。すでにこの建物の周辺には、コンテナを積んだシャンアートや青山周平が手がけたオオタファインアーツなどの現代美術のギャラリー群が集結し(工場だったM50のアート地区から移転したものもあるという)、写真センター、石油タンクや倉庫を改造した展示施設が並ぶ。近くには超高層のオフィスやタワーマンションも林立し、高級なエリアとなっている。


「ポンピドゥー・センター展」の展示風景



コンテナを積んだシャンアートの外観

飛行機の格納庫を転用した巨大なアートセンターA館では、ファーウェイのプロモーション企画「手机影像艺术」展が開催され、写真、映像、音響の性能を体験してもらうアート的な展示が行なわれていた。ただし、こちらはインスタや自撮り目的の若者が多い。


アートセンターA館の内部

さて、ウェストバンド・ミュージアムは、デイヴィッド・チッパーフィールドの設計によるもの。コンテクストがあまりない敷地のため、デザインの根拠をつくる難しさを感じたが、2階は異なる方角を向く3つの直方体ヴォリュームの展示室をのせて、端部は風景を見ることができる大きな開口をもつ。西欧近代から現代美術までの名品コレクションを紹介するオープニング展「時のかたち(THE SHAPE OF TIME)」は、これらの箱を用いていた。


西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)の外観


ウェストバンド・ミュージアムの内部

きわめて高い天井は、ラフな仕上げになっており、仮設壁も最上部までは到達させないので、新築でありながら、リノベーション風にも見える。ただし、この粗さが狙ったものなのか、施工の未熟さゆえなのかは微妙である。天井はすべて開閉可能で、自然採光も取りこめる(ただし、オープニング展では閉じられていた)。やはりチッパーフィールドが手がけたソウルのアモーレ・パシフィック美術館のビルと似た中央の吹き抜けにあるショップは、ミーハーなグッズが一切なし、ハイブロウな美術書のみだった。1990年代の初頭、筆者が初めて上海を訪れたとき、ここで洗練された空間を見る日が来るとは思わなかった。


ウェストバンド・ミュージアムの天井


ウェストバンド・ミュージアムの柱のフォルム


ウェストバンドに立ち並ぶ、展示施設群

2020/01/01(水)(五十嵐太郎)

パワーステーション・オブ・アート(PSA)再訪

パワーステーション・オブ・アート(PSA)[中国、上海]

発電所をリノベーションした上海のパワーステーション・オブ・アート(PSA)を半年ぶりに訪れたが、凄かった。5階の「ゴードン・マッタ=クラーク展(Passing Through Architecture: The 10 Years of Gordon Matta-Clark)」は、国立近代美術館の企画と同じような感じなのかと思っていたら、MoMAの伝説の「ディコンストラクティビスト・アーキテクチャー」展(1988)に関わった建築批評家のマーク・ウィグリーがキュレーションを担当し、まったく違う内容だった。会場全体をマッタ=クラークの太くて短い活動期間、すなわち大学を卒業した1968年から1978年までの巨大な年表に見立てた、斬新な展示構成である。小さな仮設壁は切り取られたように表現されているのも、ニヤリとさせられる。そして10年のあいだの100枚のドローイング、60の写真記録、8つの映像ドキュメント、220の文献資料を配置する。断面模型を活用し、建築への介入をわかりやすく紹介した国立近代美術館の展示に対し、PSAは説明もわずかで、展示のカッコ良さを追求していた。特にCCA所蔵でない、未発表の魅力的なドローイングは、樹木と建築の変容、無数の矢印が描かれており、展示の白眉だった。


パワーステーション・オブ・アート(PSA)の外観


PSAで開催されていた「ゴードン・マッタ=クラーク展」の展示風景


「ゴードン・マッタ=クラーク展」の展示風景より



ゴードン・マッタ=クラークの未発表ドローイング・コーナー

PSAはベルナール・チュミや篠原一男などの建築展にも力を入れており、7階は「ジャン・ヌーヴェル展(Jean Nouvel, in my head, in my eye…belonging…)」が開催されていた。ここは石上純也の個展に使われたフロアだが、今回は部屋を小分けにせず、大胆に2分割していた。通路のような片方は暗闇の中に光造形による小さな模型群を並べる。そしてもう一方は段状のシアター的な空間とし、巨大なスクリーンで作品を紹介していた。建築の見せ方は、映像や闇に関心を抱くヌーヴェルらしいし、その試みは実験的だが、必ずしも成功しているわけではない。模型群は知っているプロジェクトが多く、情報量が少ない。また映像はただの写真スライドショーもあり、スケール感にあわせて、もっと内容や解像度の工夫がほしい。


「ジャン・ヌーヴェル展」より、小さな模型群の展示


「ジャン・ヌーヴェル展」より、段状のシアター空間に張られた巨大スクリーンで作品が紹介されていた

そして2階では中国の作家を紹介する大規模なコレクション展(ヨーゼフ・ボイスやローマン・シグネールもあったが)、1階では若手キュレータの企画展が開催されていた。なお、PSAはグッズも素晴らしいが、これだけ巨大な美術館なのに、現在カフェ営業が行なわれていないのは辛い。ところで、向かいの建物では「チームラボ展」が企画されており、上海でも人気だった。


上海でも大人気の「チームラボ展」

[公式サイト]
*「ゴードン・マッタ=クラーク展」
http://powerstationofart.com/en/exhibition/Gordon-Matta-Clark.html
*「ジャン・ヌーヴェル展」
http://powerstationofart.com/en/exhibition/Jean-Nouvel.html

2019/12/31(火)(五十嵐太郎)

心ある機械たち again

会期:2019/12/28~2020/02/02

BankART Station+BankART SILK[神奈川県]

2008年に開かれた「心ある機械たち」の続編。機械といってもハイスペックなITやAIとは無縁の、どちらかといえばローテクで、思わず笑ってしまうユーモラスな動きを見せ、突拍子もない音を奏でる、なんの役にも立たない愛すべき機械たちだ。

役に立たない機械といえば、やっぱり牛島達治だ。今回も役立たずの意味不明な作品をいくつか出している。《まっすぐなキュウリたちの午後(競争)》というタイトルからして意味不明の作品は、細長いサーキット上をモニター搭載の2台の貨車が追いかけっこをする装置。なにが目的なのかさっぱりわからないが、そのモニターに映し出されるのは、隣にある《まっすぐなキュウリたちの午後(砂の街)》という対作品に仕掛けたカメラの映像だ。こちらの作品は、西洋風の街のミニチュアを回転させ、その上からレール上を往復する貨車が砂をかけるという、これまたワケのわからない機械。考えるだけ無駄なようだ。

西原尚もレールを敷いて2台の車を往復させる《まじめなキカイ》を出している。こちらは太鼓代わりのドラム缶とノイズを発するスピーカを載せて、調子はずれのアジテーションを奏でながらゆっくり進む。レトロな味わいのあるポンコツ機械だ。武藤勇の《不測の事態》は、台座の上に小さなベルトコンベアを載せた作品で、ボタンを押すと作動する仕掛け。手前には壷や皿やハニワなどが台座の上に置かれ、床には陶器の破片が散らばっているので、誰かが陶器を載せてボタンを押したに違いない。

器といえば、今村源の《まわってアルコト・ウツワ》は、パッと見お椀が置いてあるだけ。でもよく見ると高速回転していることに気づく、後日もういちど見に行ったらお椀がブレて、回転しているのがバレバレだった。機械はメンテナンスが必要だから大変だ。回転といえば、タムラサトルも《回転する3頭のシカ(前)》と《回転する3頭のシカ(後)》を出品。シカの上半身3頭分と下半身3頭分を型どって青く塗り、それぞれ放射状につなげて回転させるのだが、なぜシカが3頭なのか、なぜ前後で分かれているのか、ナゾだ。例えば、上半身が馬で下半身が鹿なら「3馬鹿大将」でわかりやすいが、アーティストはそんな安易な発想はしない。

もう1人、回すのが好きなのが片岡純也だ。カフェのカウンターに置かれた《Coffee cup》は、一見ただのコーヒーカップだが、中をのぞくと、なんとコーヒーが渦を巻いているではないか! カウンターの下から機械で回しているのだが、思わずミルクを注ぎたくなる。《ソファーの足を回る電球》は、文字どおりソファの脚の周囲を電球がクルクル回転しているし、《回る時計・進まない秒針》は、掛け時計の秒針だけ天を指したまま止まり、時計本体を回転させている。時計・秒針といえば、三浦かおりの《秒の音》は、秒針だけの時計を60個ずらりと並べたもの。針の先に小さな鈴をつけているのでシャラシャラかまびすしい。このように同展は、作者を超えて作品同士が共鳴し合っているのが特徴だ。

三浦はほかにも、本を細かく刻んで箱に入れ、文字(の書かれた紙片)を撹拌する二つの作品、《うごめく》と《機微―百科事典13巻/subtleties-encyclopedia vol.13》を出品。たしか、夜中に本の文字が混ざり合い、意味を失ってしまうんじゃないかと心配した文学者がいたが、この作品は文字を分子に見立ててシャッフルし、意味のない混沌スープに仕立て上げた優れものだ。

2019/12/27(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00051749.json s 10159829

梅田哲也 うたの起源

会期:2019/11/02~2020/01/13

福岡市美術館[福岡県]

サウンド、光、重力といった物理現象を取り込み、場所の特性とともに成立させるインスタレーションと、パフォーマンス作品を手がける梅田哲也の、美術館での初個展。看視スタッフの誘導によって鑑賞者が展示可動壁を押し、奥のホワイトキューブ空間で起こる「何か」を体験する作品《うたの起源》のほか、水の重量の移動によって上昇/下降する物体、明滅する光を惑星の回転のように壁に投げかけるライトの運動、回転する三つの拡声器から流れる人声や楽器の音が混じり合うハーモニックな音響など、さまざまな作品が美術館内のあちこちに仕掛けられている。メイン空間のほか、コレクション展示室、入口ロビーと階段、普段は入れない倉庫など複数の空間に作品が設置されているため、「館内ツアー」の側面ももつ。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 提供:福岡市美術館]


このツアー的な要素を「ギャラリーツアーを模したパフォーマンス」として昇華した公演が、年末の1日限りで開催された。出演者は、梅田自身に加え、ダンサー・振付家のハイネ・アヴダルと篠崎由紀子、捩子ぴじんら。美術館の外→梅田作品の点在する展示室内→バックヤードという三層構造でツアーは構成されている。

観客はまず、ガイド係の看視員に導かれ、美術館の「外側」を歩く。かつては博多湾の海底だったという説明を聞きながら隣接する庭を抜けて、裏側の搬入口へ。パフォーマーの存在感は、偶然居合わせた通行人と見紛うくらいのささやかさだ。搬入用のエレベーターに乗って館内に戻り、ガラス張りの通路を進むと、「樹のあいだに赤い実が見えますか」とガイドに問いかけられる。ガラス越しに何かを凝視する男が佇む。角度によって現われたり見えなくなったりする「赤い実」は、ガラスに反映した館内の赤いライトだ。コレクション展示室内に入ると、再び看視員のガイドにより、ダリや田中敦子、アニッシュ・カプーアの作品の解説が始まる。だが少し離れたところでは、3人の男女が謎めいた儀式風の所作を繰り返している。梅田作品を通過したあとは、階段を降りてバックヤード空間へ。機械空調室の重い扉を開け、暗闇をライトで探るパフォーマー。機械のたてるノイズ、内臓のように壁を這う太いチューブ、暗闇に明滅する無数の赤い光。天井板を剥がした開口部からは、何かが動く不可解な物音が響く。ドアのない狭い空間に誘導されると、突然明かりが消え、暗闇のなかで一瞬のハミングに包まれる。古美術の展示室で薬師如来像の解説を聞き、ピアノの爪弾きが聞こえるホールを通り抜け、入口ロビーに戻ったときには、胎内巡りを終えて「日常」に帰還したような感覚に包まれていた。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 提供:福岡市美術館]


普段は表から見えない「バックヤード」をあえて見せる。とともに、看視員など「裏方スタッフ」を「パフォーマー」として作品の要素に取り込む。内/外の空間を裏返し、知覚を研ぎ澄ませるよう促し、非日常を通り抜けて日常へと回帰する感覚を味わわせる。その意味で本公演は、劇場空間の機材や裏方スタッフの「運動」そのものを舞台上で見せながら非日常的なイリュージョンの旅を体験させた舞台作品『インターンシップ』の、「美術館バージョン」と言える。


公式サイト:https://umeda.exhb.jp/#event

関連記事

周年を迎える美術館が見せるもの──「アジア美術、100年の旅」と「梅田哲也 うたの起源」|正路佐知子:キュレーターズノート(2019年11月15日号)
TPAM2018 梅田哲也『インターンシップ』|高嶋慈:artscapeレビュー(2018年03月15日号)

2019/12/27(金)(高嶋慈)

artscapeレビュー /relation/e_00051372.json s 10159409

笹岡啓子「PARK CITY」

会期:2019/12/06~2019/12/26

photographers’ gallery[東京都]

笹岡啓子が「PARK CITY」のシリーズを撮影しはじめたのは2001年、photographers’ galleryで最初に同シリーズを展示したのが2004年だから、すでにかなりの時間が経過している。そのあいだに東日本大震災の被災地を撮影した「Difference 3.11」(2012〜)や海岸線をモチーフに「地続きの海」の景観を探る「SHORELINE」(2015〜)など、いくつかのシリーズを発表しているので、この作品だけに集中してきたわけではない。だが、これだけ長く続くと、その時間の厚みをどのように新作に組み込んでいくかが、大きな課題として浮上してくるのは当然だろう。

笹岡は2009年に写真集『PARK CITY』(インスクリプト)を刊行している。そのときは、6×6判のモノクロームフィルムで撮影した写真を集成していた。それと比較すると、今回の展示ではよりヴァリエーションが増えてきている。カラー写真が中心になり、ネガの状態に色を反転してプリントした作品もあった。笹岡の出身地でもある広島の平和記念公園を中心とした地域を、傍観者的な距離感で撮影していく、被写体の選択の方向性に大きな変化はない。だが、以前の冷静なアプローチとは異質な、どこか感情的な要素を強調した写真が目につくようにも感じた。

このシリーズが、今後どのように展開していくのかはまだよくわからない。笹岡自身にも迷いがあるのではないだろうか。この時期を抜けることで、これまで撮影してきた広島平和記念資料館の展示物の観客たちや、慰霊のために川の周辺に群れ集う人々などの諸要素が、よりくっきりと構造化されてくることを期待したい。なお本作品の一部は、同時期に刊行された『photographers’ gallery press no.14』にも掲載されている。

関連レビュー

笹岡啓子「PARK CITY」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

笹岡啓子「PARK CITY」|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

笹岡啓子「PARK CITY」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2015年01月15日号)

笹岡啓子『PARK CITY』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2010年03月15日号)

2019/12/25(水)(飯沢耕太郎)

文字の大きさ