2019年11月15日号
次回12月2日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

小早川秋聲─無限のひろがりと寂けさと─

会期:2019/08/31~2019/09/16

加島美術[東京都]

関東では初めてという回顧展。小早川秋聲(1885-1974)といえば、ぼくは戦争画の《國之楯》と《日本刀》しか知らないし、同展も《國之楯》を中心に展示されているので、これが代表作といっていい。でも戦争画が代表作といわれるのは、画家にとってどうなんだろう。ましてや住職の家に生まれ、敗戦後30年近くも生きた日本画家としては忸怩たるものがあったに違いない。おそらくそうした葛藤が《國之楯》に先取りされているからこそ、代表作といわれるのかもしれないが。

《國之楯》は1人の兵士の遺体が軍服姿のまま横たわり、顔には寄せ書きされた日の丸の旗が掛けられている。背景は漆黒で身体が宙に浮いているようにも見え、頭上には光輪のような輪が掛かり、よく見ると身体の上にも大きく弧が描かれているのがわかる。息子を寝かせて描いたとされ、秋聲の妻は縁起が悪いと嫌がったという。秋聲はこれを陸軍省に依頼されて制作したにもかかわらず、日本兵の死体を描いたため、厭戦気分が広まるのを恐れた軍部から受け取りを拒否されてしまう。そこで彼は身体の上に降り積もっていた桜の花を黒く塗りつぶし、題も当初の《軍神》から《大君の御楯》に変え、さらに戦後《國之楯》に改題し、絵にも手を加えたという。身体の上には桜花の痕跡が残り、うっすら見える円弧は塗りつぶした跡らしい。戦争に協力したことを後悔していた証だろう。

この作品は京都霊山護国神社の所蔵で、鳥取県の日南町美術館に寄託しているため、なかなか見る機会がなかった。今回は同作品を含めて計40点を集めているが、絵の放つオーラといいサイズといい《國之楯》が圧倒的。それ以外の戦前の作品は花鳥風月のほか、渡欧した際のパリのサーカスを描いた《巴里所見》など日本画には珍しい画題もある。満州事変の翌1931年には早くも従軍画家として名乗りを上げ、計45回中国に渡ったというから当初はやる気満々だったのだ。明らかな戦争画としては《日本刀》《軍艦》などがあるが、あからさまに戦闘を描いていない《明けゆく蒙古》《祖国日向之秋》《三日月兜之譽》なども、拡大解釈すれば戦争画の範疇に入るだろう。逆に《國之楯》は見ようによっては「反戦画」と見ることもできる。

2019/09/04(水)(村田真)

韓国国立現代美術館 清州館

[韓国 清州市]

日韓交流展「2019韓日藝術通信」のオープニングトークに招かれ、韓国中部の都市、清州を初めて訪れた。清州は地方都市だが、市立美術館は本館に加えて2つの分館があり(今回の日韓交流展の会場はそのうちの1つ)、レジデンス施設も別に設けられている。レジデンス施設は26名まで収容可能であり、スタジオの他に宿泊場所、ギャラリー、過去の滞在作家の資料のアーカイブスペースもあり、制作に集中できる環境が整備されている。手厚い文化予算の韓国と日本の差を強く感じた。



韓国国立現代美術館 清州館


また清州には、国立現代美術館の分館「清州館」もある。2018年に開館した清州館では、「Open Storage(見える収蔵庫)」というコンセプトの下、国立現代美術館や美術銀行の所蔵品を、収蔵した状態で公開している。コンテナや棚に置かれた彫刻や立体作品、収蔵棚に掛けられた平面作品を、直に、あるいはガラス越しに見ることができる。まず来場者を出迎えるメインの1階では、大型の立体や彫刻作品がずらりと並び、圧巻だ。ナムジュン・パイク、李禹煥、イ・ブル、ス・ドホ、ユン・ソクナム、イ・スギョンといった韓国人作家に加え、アンソニー・カロ、ニキ・ド・サンファル、トニー・クラッグ、キキ・スミスらが並ぶ。奥の収蔵棚には、より小振りのブロンズや石の彫刻が二段、三段で収蔵され、森のなかを彷徨うようだ。「サイズ」「素材」「具象/抽象」のゆるやかな分類はあるものの、雑然さを感じさせないのは、洗練された棚のデザインの力が大きい。また、3階では、韓国人作家の作品を、平面作品(建築/ポートレートの主題別)、工芸、彫刻、メディアアートのジャンル別に展示している。加えて、「修復」の紹介スペースもあり、修復に使うさまざまな道具や和紙などの素材、プロセスを実物や写真、映像で展示している。




「見える収蔵庫」というアイデアは、単に目新しさだけでなく、「普段は表に出にくい美術館の基幹部分を可視化する」という意味で意義深い。それは、「保存修復」とともに、コレクションが美術館の根幹的な機能であることに改めて光を当てる。また、「地方分館」というシステムは、「文化の(首都への)一極集中を防ぐ」という意義も合わせ持つ。こうした国立施設が無料で開放されている点も日本との大きな差だ。私が訪れた日は、社会見学と思われる児童の団体でにぎわっており、さまざまな面でうらやましく感じられた。



公式サイト:韓国国立現代美術館 清州館https://www.mmca.go.kr/jpn/contents.do?menuId=5050011541

2019/09/03(火)(高嶋慈)

遠藤薫「重力と虹霓」展

会期:2019/08/30~2019/09/22

資生堂ギャラリー[東京都]

新進アーティストを支援する目的で毎年3作家を紹介する「shiseido art egg」シルーズ、今年の3人目が遠藤だ。第1回、第2回も見たが、頭で考えたり情をくすぐる作品はあっても、目に訴える作品が少ないという不満があった。唯一視覚的に満足したのが遠藤の《Handkerchief》と題された古布のインスタレーションだ。大きいほうのギャラリーに東北や沖縄、東南アジアのボロ布が多数吊るされている。遠藤によればその布の表面をかすかに覆う蚕の糸が重要なのだが、それより、大小の矩形の画面を彩る経年でくすんだ色合いが、優れた抽象表現主義絵画にも見えくるのだ。仕事着や雑巾、パラシュートに使われていた布もあり、その存在感はハンパではない。


会場風景


2019/08/30(金)(村田真)

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藤幡正樹「E.Q.」

会期:2019/07/06~2019/08/31

東京画廊[東京都]

壁に魚眼レンズで撮ったような映像が映し出される。よく見ると映像の中心にカメラが仕掛けられ、観客を含めた画廊空間全体が映し出されるのだが、その動画イメージの中心にブラックホールのような黒い穴ができたり、楕円形につぶれたり反転したり、動き続けている。奥の部屋には白い枕が置かれていて、近づくといきなり虫みたいなものが湧いてくる。これも正面に据えたカメラが捉えた観客の姿を細胞のように細かく分けて再生したもの。大ざっぱな原理はわかっても、なにをどうすればこういう映像が得られるのかさっぱりわからない。それはぼくの知識の問題だが、ここでは視覚技術がどこから視覚芸術になるのかが問われている。

2019/08/30(金)(村田真)

中谷ミチコ「白昼のマスク/夜を固める」

会期:2019/08/09~2019/09/01

アートフロントギャラリー[東京都]

中谷はレリーフを用いた作品を制作しているが、一般にレリーフが「浮き彫り」であるのに対し、彼女が使うのは凹凸を反転させた凹型レリーフ。思わず「沈み彫り」といってしまいそうだが、「沈み彫り」は地=背景面が彫った面より高い浮き彫りのことなので、鋳造過程における「雌型」といったほうがわかりやすい。雌型は通常ブロンズなどを流し込んで用を終えるが、彼女は雌型に透明樹脂を流し込んで固めたものを作品とする。だから透明な面をのぞくと奥に人物の顔や動物の姿が見えるが、それは凹凸がひっくり返った状態であり、いわば彫刻の「裏面」なのだ。ここに1つ反転の発想がある。

今回は新作として、内部に人物や草むらが見える黒い立方体の彫刻を出品している。これは「夜を固める」というタイトルのごとく、内部に雌型を配置して黒い半透明の樹脂で固めたもので、闇を立体化した彫刻といってもいい。闇を描いた絵というのはたまにあるが、闇を表した彫刻というのは見たことがないし、考えたこともなかった。そういえばかつて、なぜ光線があるのに闇線はないんだろうと疑問に思ったことがある。光のスポットを当てるように、闇のスポットを当てるとそこだけ暗くなるような、そんな闇線を発明したら、演劇やマジックショーでは重宝するはずだ。でもそれが不可能なのは、闇という実体があるのではなく、光がない状態を闇と呼ぶからだ。光がなければなにも見えないので、絵では黒色で表せるけど、彫刻では表しようがない。それを中谷は一種の情景彫刻として実現させたのだ。これがもう1つの反転の発想だ。「白昼のマスク/夜を固める」は2つの反転の発想で成り立っている。

2019/08/30(金)(村田真)

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