2020年07月01日号
次回7月15日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和

会期:2020/02/21~2020/04/12

練馬区立美術館[東京都]

日本の美術史上、洋画も日本画も手がける画家はしばしばいるし、絵を描きながら図案で稼ぐ画家も少なくないが、図案から始めて日本画を学び、洋画に転向してフランスに留学、後半生は文人画に没頭した画家は珍しいと思う。明治・大正・昭和を生き、98歳の大往生を遂げた津田青楓だ。

津田は1880年、生け花の家元の次男として京都に誕生。生活のため図案制作をしながら、日本画家に師事したり、染織学校で学んだりしたが、20歳で徴兵されて日露戦争に従軍。除隊後は一転して関西美術院でデッサンを学び、本格的に油絵を習得するため1907年にパリに留学。帰国後、保守的な洋画壇に背を向け、1914年に二科会を創立し、フォーヴィスムの画風で会を盛り立てていく。と、ここまででもめまぐるしく仕事が移り変わっていくのがわかるが、このあとさらに大きな変化が訪れる。

1923年、関東大震災をきっかけにマルクス経済学者の河上肇と知り合い、次第に社会運動に目覚め、プロレタリア美術にのめり込んでいくのだ。ぼくがこれまで知っていた津田青楓の作品は《研究室に於ける河上肇像》と、拷問を受けた左翼運動家を描いた《犠牲者》の2点だけだが、いずれもこの時期の作品だ。しかし《犠牲者》を制作中に治安維持法違反で検挙され、拘留中に社会運動から身を引くことを誓約させられる。この「転向」は、同時に油絵の断筆宣言でもあった。油絵は社会的関心をリアルに絵に表わすものだと考えられていたからだ。以後、第2次大戦を挟んで半世紀近く、浮世離れした水墨画や書に親しんでいくことになる。

図案、日本画、油絵、文人画、書と多様な仕事を展開した画家の回顧展なので、作品も多彩きわまりない。しかも油絵だけでもフォーヴ風のヌードから社会主義リアリズムまで振れ幅が大きい。だから見ていて退屈しないけど、図案とか水墨画とか興味ない部分はスルーしたから、しっかり見たのは油絵だけで、全体の3分の1にも満たなかった。

2020/02/28(金)(村田真)

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白髪一雄

会期:2020/01/11~2020/03/22(02/29〜03/22は臨時休館)

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

戦後日本の前衛美術の流れにおいて、大きな役割を果たした具体美術協会の中心メンバーだった白髪一雄の回顧展は、圧倒的な迫力と存在感を備えた代表作がずらりと並んでいて見応えがあった。古賀春江を思わせる幻想画から、次第に抽象性を強め、画面に全身で没入する「フット・ペインティング」に至る道筋も興味深かったのだが、ここでは別な角度から白髪の仕事を捉え直してみたい。

展示の最後に、《緑のフォトアルバム》、《青いフォトアルバム》、《赤いフォトスクラップブック》と題された写真帖3冊が出品されていた。ガラスケースの中なので、ひとつの見開きのページしか見ることができないのだが、そこに貼られていたポートレートやパフォーマンスの記録写真の質はかなり高い。また、年表の1956年の項に《レンズ》という作品が紹介されている。板を削った窪みの底にレンズを嵌め込んだ作品だが、その解説に白髪は「無類のカメラ好き、カメラマニア」だったと記されていた。白髪が具体美術協会第1回東京展(1955)に参加したときのパフォーマンス《泥に挑む》の記録写真にも、写真作品としての表現性の高さを感じる。それらを考え合わせると、白髪の仕事を写真という切り口で再検証することも可能なのではないだろうか。

具体美術協会のメンバーたちは、白髪の「フット・ペインティング」のように、完成作だけでなく、そのプロセスを重視する作品を多数残している。有名な村上三郎の《紙破り》のパフォーマンスもその一例だろう。パフォーマンス作品においては、写真あるいは映像による記録だけが、唯一の存在証明となることが多い。写真と前衛美術との関係に、新たな角度から光を当てる展覧会も考えられそうだ。

2020/02/28(金)(飯沢耕太郎)

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北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美

会期:2020/02/01~2020/04/07(※)

東京都庭園美術館[東京都]

※2月29日〜3月31日は臨時休館(3月16日現在。最新の状況は公式サイトをご参照ください)

フランスは装飾美術に長けた国である。その根底にあるのが「ラール・ド・ヴィーヴル(生活の芸術)」という思想だ(「アール・ド・ヴィーヴル」という読み方もある)。つまり生活のなかに自分が好きなものや心惹かれるものを取り入れて、人生を豊かにしたいと考える人がフランスには多いのである。その出発点のひとつとも言えるのが、1925年に開かれた「パリ万国博覧会(アール・デコ博覧会)」だろう。同博覧会のメイン会場にガラスの噴水塔を製作し、注目を大いに集めたのがルネ・ラリックである。以後、ラリックはアール・デコを代表するガラス工芸家として君臨した。いつの世も、技術革新によって産業が発達する。ガラスは型吹きやプレス成型などを用いれば加工が容易で、量産に適する。しかも独特の透明感と輝きを持つため、ラリックは貴石に代わる新素材としてガラスに着目した。それまでジュエリー作家として培った経験と審美眼を存分に発揮することで、ガラス工芸で成功を収めたのである。

本展はラリックのガラス工芸品の全容を紹介する展覧会だ。何しろ、会場の東京都庭園美術館は旧朝香宮邸である。同邸宅は世界的にも貴重なアール・デコ建築で、正面玄関ガラスレリーフ扉はラリックの作品としても知られている。香水瓶をはじめ、食器や花瓶、ランプ、化粧道具、アクセサリー、印章、カーマスコットなど、ラリックはありとあらゆる生活道具を魅力的なガラス工芸品に変えた。その数は4300種類にも及ぶ。例えば欧州では1920年代以降に一般女性の間にも化粧の習慣が広がったのだが、そもそも貴婦人だけの習慣だった化粧道具には、金銀などの高級素材を使った装飾が施されていた。ラリックはそこにガラス細工を施し、同じような贅沢を一般女性にも提供したのである。特に女性は化粧をする行為自体に喜びやときめきが伴う。装飾美術にはそれをより一層高める役割があるとラリックは認識していたのだ。もちろんそれは商品の売れ行きにも直結する。

旧朝香宮邸正面玄関ガラスレリーフ扉(部分)1933、東京都庭園美術館蔵

日本には昔から工芸品には「用の美」という概念があるが、用の美と装飾美術とは、美の意味が異なる。前者はどちらかと言うと機能美や素朴な美を指し、暮らしに寄り添うものであるが、後者は詳細につくり込まれた美を指し、生活に彩りや刺激を与えるもののような気がする。アール・デコ博覧会以降、フランスでは装飾美術が「ラール・ド・ヴィーヴル」の下地となっていったのだろう。その後、欧州ではファインアートが発達し、近年はむしろ用をなさないものこそ芸術価値が高くなる現象が起きている。したがって装飾美術からファインアートへ、「ラール・ド・ヴィーヴル」の価値観も移行したのかもしれないが、その点ははっきりとはわからない。しかしラリックが残したガラス工芸品を見ていると、その境界すらも薄らいでいく。約1世紀前、フランスには優れた装飾美術に彩られた生活文化が確かにあった。

香水瓶《牧神のくちづけ》モリナール社、1928(右から3番目)ほか香水瓶各種 北澤美術館蔵[撮影:清水哲郎]


公式サイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/200201-0407_lalique.html

2020/02/28(金)(杉江あこ)

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「コズミック・ガーデン」サンドラ・シント展

会期:2020/02/11~2020/05/10(※)

銀座メゾンエルメス フォーラム[東京都]

※3月3日〜3月22日は臨時休館(3月16日現在。最新の状況は公式サイトをご参照ください)

いま、世界中に新型コロナウィルスの感染が広がり大騒動となっている。本展を観たのは2月28日。ちょうど安倍首相が全国の小中高校に臨時休校要請を呼びかけた翌日のことだった。このあたりから全国の美術館の臨時休館が相次いで発表され、私は慌てて展覧会を観に出かけたのだった。マスクは言うまでもなく、トイレットペーパーなどの紙類まで売り切れるし、世の中全体が得体の知れない恐怖に対してパニックを起こしている状態である。この異様な状況は、3.11以後の社会に似ているとふと思い起こした。あのときも震災や津波の恐怖とともに、目に見えない放射線に脅えたのだった。放射線もウィルスも、目に見えないからこそ恐怖が増大する。

例外なく、私も漠然とした恐怖にさらされたひとりだった。マスクを着用し、外出先でもこまめに手洗いと消毒を行ないつつ訪れた本展は、そんな心境をまさに見透かすような内容だった。壁一面に塗られた青の世界にまず圧倒される。淡い青から濃い青へと徐々に変化する青のグラデーションのなかで、白い線画が浮遊している。白い線画は雲や霧、波しぶきのようであり、自分が鳥になって青空を駆け巡り、また海を見下ろしているような気持ちになった。なかなか爽快な眺めである。さらに奥へ進むと、紺碧の空間が待ち受ける。床には絨毯が敷かれ、靴を脱いで上がるよう指示される。絨毯にまで白い線画が飛び跳ねるように及んだそこは、無限の星が瞬く宇宙だった。果てしない宇宙の中に身を置き、寝そべって、静かに星々を眺める時間が用意されていた。

本展のアーティスト、サンドラ・シントが想定したシナリオは、おそらくこの空、海、宇宙の世界までだったに違いない。しかしこのとき、私が感じたのはウィルスの存在である。最初から薄々と感じてはいたが、この宇宙の中に入った途端、幻想的な星々がウィルスの大群に見えて仕方がなかったのだ。目に見えない恐怖が可視化された(ように見えた)瞬間である。だからと言って、恐怖が一層高まったのかと言うとそうではない。むしろ可視化された(ように見えた)ことで、肝が据わったのである。あぁ、もしかすると、こんな風にウィルスが人間の社会を取り巻いているのかもしれない。ならば覚悟を決めて、ウィルスとともに共生しようではないか。言うなれば、こんな心境である。シントが問いかけるのは、「カタストロフや混沌といった状況に直面した時、私たち人間が感情と向き合う時間」だと言う。まさにそんな時間を体験できた。


公式サイト: https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/200211/

2020/02/28(金)(杉江あこ)

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野村浩展 Merandi

会期:2020/02/22~2020/04/04

POETIC SCAPE[東京都]

野村浩は写真を中心に、さまざまなメディアを横断的に取り込みながら創作活動を続けているアーティストである。2019年に第31回写真の会賞を受賞するなど、このところその活動ぶりに弾みがついている。今回、東京・目黒のPOETIC SCAPEで展示された「Merandi」シリーズも、いかにも彼らしいひねりが効いた作品だった。

野村は2007年に『EYES』(赤々舎)と題する写真集を刊行している。丸くてちょっと猫っぽい「目玉」が、いろいろな日常的な場面で、オブジェに貼り付いて出現してくる様を撮影したものだ。「Merandi」もその延長線上にあるシリーズで、今回「目玉」たちは、なんとイタリアの静物画の巨匠ジョルジョ・モランディの絵の中に嵌め込まれている。といっても、もちろんフェイクで、モランディっぽい色彩とタッチで描かれた小さな油彩画(野村自身の筆によるもの)の中から、こちらを見つめているのだ。「目玉」がそこにあるだけで、どこか落ち着かない気分になるのだが、その心理的効果は計算済みで、「Morandi」と「Merandi」の語呂合わせもうまくはまっていた。ほかに、銅版画や写真による試作もあり、野村の本気度がうかがえるいい展示だった。野村の個展は、毎回楽しみに見に行くのだが、期待が裏切られることはほとんどない。作家としての自信に裏打ちされた実力が備わってきているのではないだろうか。

なお、展覧会カタログ風に編集されたミニ画集『Merandi』(私家版)も同時に刊行されている。土屋誠一の解説付きの、なかなかしっかりとした造りの作品集である。

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2020/02/27(木)(飯沢耕太郎)

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