2020年05月15日号
次回6月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢

幻想建築の系譜で語られ、シュルレアリスムの文脈で賞賛され、アウトサイダー・アートの先駆にも位置づけられる、郵便配達夫シュヴァルの理想宮。たった1人で、33年の歳月をかけて完成させた奇想の宮殿の誕生秘話をドラマチックに描いた映画。

南仏の小村で郵便配達をしていた寡黙な偏屈親父シュヴァルが、途方もない宮殿建設を始めたのは、後妻のあいだに娘が生まれて間もない40歳を過ぎたころ。配達の途中で石につまづいて倒れたのがきっかけで、石を集め始めた。以後、毎日30キロ以上を歩く配達の仕事が終わってから、さらに数キロ歩いて石を拾っては積み上げ、奇想天外、前代未聞の建物を営々と築いていく。もちろん建築の知識などあろうはずもなく、雑誌や絵葉書で見た世界中の建築を想像でつなぎ合わせ、野山を歩くなかで培った自然の力にゆだねてつくり上げていったのだ。村人には変人扱いされたが意に介さず、憑かれたように没頭した。ここらへんがアウトサイダー・アートたるゆえんだ。

溺愛していた娘が若くして亡くなり深く悲しむが、代わりに前妻とのあいだにもうけた息子が大人になって訪ねてきて、一家で近くに住み始める。このころから“宮殿”は徐々に知られるようになり、シュヴァルを変人扱いしていた村人の態度も軟化。しかし、宮殿が完成するころ息子が亡くなり、やがて後妻にも先立たれてしまう。シュヴァルはさらに長生きして家族の墓廟をつくり、88歳の長寿をまっとうした。

映画は事実に基づいているものの、脚色も多い。例えば、シュヴァルは愛娘のために「宮殿」を建てたように描かれているが、果たしてそうだろうか。また、前半ではシュヴァルが奇人変人として描かれているのに、後半では家族に愛され、村人に尊敬される好々爺に収まってしまったことにも違和感を覚える。シュヴァルはそんな小さなコミュニティに収まるような器ではないだろう。娘がどうなろうが、村民にどう思われようがどこ吹く風、ひたすらつくり続けただろうし、最後まで偏屈・変人だったと思いたい。そうでなければあんな夢(悪夢?)のような宮殿はつくれないはずだ。希代の偉業を陳腐な美談に仕立ててしまったのがちょっと残念。


公式サイト:https://cheval-movie.com/

2020/01/13(月)(村田真)

保科豊巳退任記念展「萃点」SUI-TEN

会期:2020/01/07~2020/01/19

東京藝術大学大学美術館[東京都]

母校の東京藝大で4半世紀にわたって後進の指導に当たり、美術学部長まで務めた保科豊巳の退任記念展。タイトルの「萃点」とは南方熊楠の造語らしく、さまざまな物事が集まる地点、交差点といった意味だそうだ。遠くからパッと見たら「笑点」かと思った(笑)。

作家としての保科は、1980年代初頭、湾曲させた数本の細い角材を交差させて壁と床に止め、上から覆うように和紙を貼った緊張感のあるインスタレーションでデビュー。展覧会でもメディアでも藝大で同級だった川俣正としばしばライバル視され(ぼく自身よく一緒にメディアで紹介した)、1982年には川俣がヴェネツィア・ビエンナーレに選ばれたのに対し、保科はパリ・ビエンナーレに出品するなど、競い合っていた。ぼくの見るところ、作品も言動も「剛」の川俣に対し、保科はよくも悪くも「柔」という印象があリ、どこかつかみどころがなかった。ま、そこがおもしろかったんだけど。

しかし80年代後半から川俣が海外に活動の場を広げていくのと対照的に、保科の活動は減速。カタログの展覧会歴(抜粋)を見ると、80年代には毎年4本くらい発表していたのに、90年代には年に1本程度に減っている。その原因のひとつが教員生活だ。日本では制作活動だけでは食えないから、大半の作家は教職を兼ねる。でも、いちど教育現場に携わると、雑務に追われて制作どころでなくなり、作家活動を止めざるをえなくなる。特に根がマジメな人間ほど教職にのめり込みがちだ。その点、保科は「柔」だからうまいこと乗り切るんじゃないかと思っていたが、後輩の齋藤芽生がカタログに書いた「ご挨拶に代えて」を読む限り、意外とマジメに仕事していたらしい。本当かなあ? でも学部長まで上りつめたんだから本当だろう。

横道にそれた。展示は最初期のパフォーマンスの記録写真から、パリ・ビエンナーレの出品作の再現、屋外インスタレーションの記録写真、スケッチやドローイング、最近の井戸や家型の作品までバリエーションに富んでいる。が、なんか物足りない。それは彼の作品の大半がインスタレーションなので現物が残っておらず、おまけに近年は地方や韓国、中国など海外での発表が多いため、ぼく自身が見ていないせいかもしれないが、それにしても物足りないなあ。ようやく宮仕えを終えて自由の身になったんだから、これからに期待したい。

2020/01/11(土)(村田真)

ダ・ヴィンチ没後500年 「夢の実現」展

会期:2020/01/05~2020/01/26

代官山ヒルサイドフォーラム[東京都]

昨年はレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年。パリのルーヴル美術館では史上最大規模の回顧展が開催中だが、ストの影響で見られない日もあったそうで、それがニュースになるくらい話題の展覧会なのだ。パリとは比ぶべくもないものの、東京でも「没後500年展」が開かれた。主催は東京造形大学。絵画、彫刻、デザイン、映像など各専攻の先生と生徒たちが協力して、1人の万能の天才に迫ろうというのだ。

同展の見どころは、未完成を含めてレオナルドの絵画作品全16点が展示されること。しかも劣化したり後に修復された作品はオリジナルに近づけ、未完成作品はちゃんと完成させて見せるというから、親切というか余計なお世話というか。もちろんホンモノは1点もないばかりか、絵の具と筆による複製もなく、すべてヴァーチュアル復元。フェルメールの「リ・クリエイト」といい、大塚国際美術館といい、日本人はオリジナルより「復元」のほうが得意かもしれない。

展示は、ほぼ原寸大に復元した図の隣に小さな原図も並べているのでわかりやすい。例えば初期の《受胎告知》や晩年の《聖アンナと聖母子》などは、もともとオリジナルの姿をとどめているので問題ないが、《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》の復元図になると、空はあくまで青く、お肌はつるつるに若返って、なんだか薄っぺらく感じられる。下描き段階で終わった《聖ヒエロニムス》や《東方三博士(マギ)の礼拝》にいたっては、「ウソだろ!」「レオナルドってこんなにヘタだったか?」とツッコミたくなるほど違和感満載なのだ。

なぜこんなに違和感を覚えるのか。未完成作品を見慣れてしまっているせいもあるかもしれないが、やっぱり復元する側の知識と技術が追いつかなかったからではないか。いくら専門家が集まっても、一人の超絶的天才にはかなわないということだ。いやむしろ寄ってたかってイジるほど芸術作品としては陳腐で凡庸なものになっていく。もうひとつは、ヴァーチュアル技術の限界だ。いくら忠実に復元したところで、紙にインクを載せて出力されるので、どうしても浮いた感じになってしまう。これを油彩画やテンペラ画で再現すればもう少し違っていたはずだが、そのためにはまた相当な技術が必要とされるだろう。正確に復元しようとすればするほど違和感が増し、レオナルドに近づこうと思えば思うほど遠ざかる感じ……。

ほかにも、絵具の剥落の激しい壁画《最後の晩餐》を修復して壁に投影したり、計画だけで終わった伝説の《スフォルツァ騎馬像》を縮小復元したり、スケッチが残されていた「集中式聖堂」や「大墳墓計画」を立体化したり。無謀な試みに挑戦したことはホメてあげたい。


公式サイト:http://leonardo500.jp/

2020/01/08(水)(村田真)

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター

会期:2020/01/09~2020/03/08

Bunkamura ザ・ミュージアム[東京都]

2017年にBunkamura ザ・ミュージアムで開催された「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター」展は、観客数が8万人を超えるという、写真展としては異例の大ヒットとなった。それまで日本ではほぼ知られていなかった彼の名前が、大きくクローズアップされるとともに、その写真の魅力が多くの人たちに伝わったのではないかと思う。それから3年、ソール・ライターの展覧会がふたたび同会場で開催された。今回の展示でも、彼の代表作といえる、ニューヨークの日常的な場面を撮影したスナップショットが中心となっている。だが、出品点数が増えただけでなく、初期のモノクローム作品、セルフポートレートや近親者を撮影したポートレートがまとめて展示されるなど、さらにスケールアップした展覧会になっていた。遺された8万点以上というカラーポジから選んだ作品によるスライド・ショーも見応えがあった。

特に注目したのは、妹のデボラと、後半生をともに過ごしたソームズ・バントリーのポートレートのパートである。2歳違いの妹のデボラは、兄のよき理解者だったが、20代で精神を病み、2007年に亡くなるまで施設で過ごすことになる。ライターは彼女の繊細な表情と身振りを、愛情を込めて、壊れ物を扱うように注意深く撮影している。ファッションモデルとして彼の前に登場したソームズは、最高のミューズだった。ライターは彼女の姿を、ときには少女のように、ときには妖艶に、さまざまな視点から撮影した。そこには彼の人間観察力と、写真撮影への飽くなき情熱が見事に発揮されている。

この二つのシリーズが加わることで、やや距離を置いてかすめとるように撮影したニューヨークの情景と、身近な他者に向けた親密な眼差しという、ソール・ライターの二面的な写真の世界が浮かび上がってきた。ソール・ライター財団の献身的な調査にもかかわらず、まだ数万点以上にのぼる未整理作品が残っているのだという。また違った角度から、彼の写真展を見る機会もあるのではないだろうか。

関連レビュー

ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2017年05月15日号)

2020/01/08(水)(飯沢耕太郎)

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坂田一男 捲土重来

会期:2019/12/7~2020/01/26

東京ステーションギャラリー[東京都]

坂田一男というと、たしか日本のキュビスムの第一人者で、作品もその文脈で何点か見たことがあるだけだった。そんな画家の回顧展なのでスルーしかけたが、監修に岡﨑乾二郎の名前があるので見に行くことにした。たぶんそういう人は多いと思う。はっきり言って坂田一男の名前だけじゃ入らないでしょ。そして展覧会も坂田の作品を見るというより、岡﨑の解説を読みに行ったようなもんだった。

坂田一男は1921年に渡仏。レジェに師事し、オザンファンらキュビスム周辺の画家たちと交流し、1933年に帰国。以後、第2次大戦を挟んで、地元岡山でキュビスムを発展させた抽象絵画を追求し続けた。作品を見る限り、レジェやコルビュジエらの影響に始まり、抽象的な画面構成のなかに壷や鯉のぼり、シリンダーみたいなものを描いたりしているのが目を引くが、特に色彩が美しいわけでもないし、仕上げも粗く、けっしておもしろいものではない。だが、岡﨑に言わせれば、坂田は帰国後もブレることなくキュビスム以降の西洋絵画の核心に迫ることができた、日本では例外的存在ということになる。

例えば、師匠のレジェが対象を図として描き、背景を余白として残したのに対し、坂田は地(背景)も図(対象)も等価に描こうとしたとか。あるいは、画面に好んで描いた壷や鯉のぼりやシリンダーは、内部に別の空間を宿しており、それを描くことによって画面を重層化し、絵画に厚みをもたせることができたとか。さらには、洪水により作品の一部がダメージを受けたとき、絵具の剥落やその修復も創作行為に採り込んで、絵画における時間性を攪乱しようとしたとか……。なるほど、そういわれれば納得するし、大いに共感もするのだが、しかしそういわれて作品を見直したところで、多少よく見えるようになったとしても、やっぱり感激するほどの絵ではないよなあ。

タイトルの「捲土重来」とは、忘れられた画家の作品を読み直して再評価するといった意味だろうが、果たして坂田が生きていたら、岡﨑の解説をどのように読んだだろう。よくぞ読み解いてくれたと感激するか、誰の絵の話? と訝しむか。余談だが、友人の画家は展覧会を見て、自分の作品も50年後、100年後に新たな視点で再評価してくれる人がいるだろうか、いや、いることを信じて描いている。なぜなら絵画は時空を超えた人たちと対話できるメディアだから、と述べていた。岡﨑は迷える画家に希望をもたらす伝道師かもしれない。

2020/01/05(日)(村田真)

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