2020年10月15日号
次回11月2日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

天覧美術/ART with Emperor

会期:2020/05/22~2020/05/31

KUNST ARZT[京都府]

アーティストの岡本光博はこれまで、「美術ペニス」展(2013)、「モノグラム美術」展(2014)、「ディズニー美術」展(2015)、「フクシマ美術」展(2016)などのキュレーションを、自身が主宰するKUNST ARZTにて手がけ、表現と検閲、タブー、複製・引用と著作権の問題についてユーモアを交えながら問うてきた。岡本は本展で、天皇制をテーマに設定。本評では、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」に岡本と同じく出品した小泉明郎、そして木村了子の3作品について、「可視化/消去」を軸に分析し、本展の射程を明らかにする。



会場風景 [photo: office mura photo]


日本画家、木村了子の《菊福図》(2009)は、「菊の御紋」と「菊門」という二重の「タブー」を重ね合わせ、去勢された政治的タブーに私秘的な性愛図のリビドーを注ぎ込んで相殺させるインパクトが目を引く。だが、天皇制と美術の関係を扱う本展の導入として重要なのは、青年期の平成天皇を「理想化された美青年」として御真影風に描いた《菊の皇子様》(2020)である(御真影と同様、「礼拝対象」として、鑑賞者が仰ぎ見る高い位置に展示されている)。展覧会タイトルの「天覧」は「天皇が観覧すること」の意味だが、近代以前は「神聖で不可侵の禁域」として秘匿された天皇像は、明治期の近代国民国家の形成過程で、ナショナルアイデンティティの形成と浸透の視覚的手段として、肖像写真や肖像画によって「見られる対象」として可視化されていく。そうした御真影は、「記録性や写実性が高い」とされる欧米輸入の媒体で制作されたが、ナショナルアイデンティティの象徴を「伝統的でよりふさわしい」日本画で描き直す木村の作品は、一種のパロディとしての「回復」であることに加え、ジェンダーの表象と家父長制についての問題提起の射程をもつ。木村はこれまで、美麗で官能性を湛えた男性像を描くことで、「美人画」が内包するジェンダーと欲望の視線の非対称性を批評的に反転させてきた。《菊の皇子様》もまた、(女性からの異性愛的視点で見た)「美的な対象」として描くことで、ジェンダーと表象をめぐる別の政治的闘争の領域に投げ込んでいく。(皇后とのセットや「天皇ご一家」の写真表象により)「近代家族」の規範や家父長制イデオロギーの体現としても機能し、「父(男系継承の、臣民=赤子にとっての)」たる存在であることを体現する天皇像は、美的対象化を被ることで、そうした権威性を脱臼され、解除されていくのだ。



木村了子《菊の皇子様》(2020)絹本着色金彩、裏純金箔
[photo: office mura photo]


岡本光博の出品作《r#282 表現の自由の机 2》(2020)は、韓国の済州島に設置された「平和の少女像」の左肩にとまる小鳥を、監視カメラが見張るなか、3Dスキャンで型取りし、実物大のブロンズ像として「複製」したものを、鳥かごに閉じ込めた作品である。3Dスキャナーを構えた岡本が、少女像と対峙する制作風景の写真も添えられる。鳥かごに閉じ込められた「自由」の象徴は、不自由展の炎上・攻撃と中止に対するストレートな批判的応答だが、本作の問題提起はそれだけにとどまらない。少女像に近づく者が「監視」されることに抗するように、スキャンする視線を向け返すことで、視線の非対称性を反転させること。また、「少女像の(一部分の)複製」を通して、デジタル・ファブリケーションの普及と著作権の問題に言及するとともに、少女像が韓国各地やサンフランシスコなど国外にも複数体設置され、ミニチュアも含めて「複製」され続けている事態のパロディともとれる。「複製」の「複製」──だが、小鳥がとまるべき少女像の「本体」が不在であることは、なぜ「ここ・日本にない」のか? 何によって抹消させられたのか? という問いを突きつけ、歴史修正主義による消去という日本の文脈についても示唆する。



岡本光博《r#282 表現の自由の机 2》(2020)
ブロンズ製鳥(韓国で3Dスキャニングした「平和の碑」(少女像)の肩の鳥のデータを鋳造)、鳥かご、バードミラー


一方、小泉明郎は、自身の幼少期のトラウマと、戦後日本が抱え続けるトラウマを重ね合わせた映像作品《Rite for a Dream II(with countless stones in your mouth)》(2017)を出品。「父が連れ去られる悪夢」の原因になったという、特撮ヒーローのテレビドラマの恐怖を煽るシーンをコラージュした映像に、平成天皇の「即位礼正殿の儀」のニュース中継の音声が重ねられる。映像は、悪を倒す正義のヒーローという「中心」を欠いたまま、トラウマ的な恐怖シーンが延々と継ぎはぎされていく。爆発や火災、火だるまの人間、皮膚が溶けたりカビのような胞子で覆われた人体、手術や実験、垂れる血のり、気持ち悪い虫……。これらは何のトラウマなのか? ラストでは、「天皇陛下万歳!」の音声に合わせて、姿の見えない敵に襲われた人々や子どもがバタバタと倒れ、爆発や炎上シーンが畳みかけるように連続し、沖縄やサイパンでの集団自決や手榴弾での玉砕を想起させる。それは、戦後日本が「戦争」の負債を清算できないまま抱える、悪夢のようなトラウマティックな反復の回路である(第二次大戦で子どもを殺害した日本兵の証言を、事故で記憶障害になった男性に暗誦させ、その「語りの失敗」によって「加害の記憶喪失」を患う日本を批判する《忘却の地にて》(2015)と主題的に通底する)。本作は、「消去」されたヒーロー/天皇という「不在の中心」によって、天皇の戦争責任の隠蔽と、それを抑圧・忘却しようとすればするほど回帰してくるトラウマの回路を、批評的にあぶり出す。

また、冒頭では「父と息子」の写真を映したカットが意味ありげに提示され、クライマックス(?)では捕われの少年が「お父さん、助けて」と叫ぶ。だが、彼を助ける「父」(その代替としてのヒーロー)は現われず、子どもたちは虚しく倒れていく。「父と子」の物語、より正確には「父に見捨てられた子」の物語は、群衆に罵られながらゴルゴダの丘を上るキリストを介して、父(天皇)と子(臣民)の関係に輻輳的に重ね合わせる《夢の儀礼─帝国は今日も歌う─》(2017)に連なっていく。



小泉明郎《Rite for a Dream II (with countless stones in your mouth)》(2017) 映像12分36秒
引用:「仮面ライダー」(1971-73)東映株式会社


このように、木村、岡本、小泉の作品は、近代天皇制の一翼を担った御真影、加害の記憶喪失、世代継承という時間軸を内包しながら、パロディや引用の戦略を用いて、表象というより広義の政治的領域における天皇制や戦後日本社会の病理的構造について深く照射していた。なお本展は、6月2日~20日まで、「皇居編」として東京のeitoeikoでの巡回展が予定されている。

編集部注:eitoeikoでの会期は6/27までに延長されました。(2020年6月16日)

2020/05/23(土)(高嶋慈)

鈴木理策『知覚の感光板』

発行所:赤々舎

発行日:2020年4月13日

鈴木理策は2004年に写真集『Mont Sainte Victoire』(Nazraeli Press)を刊行している。ポール・セザンヌが描き続けた南仏のサント=ヴィクトワール山を撮影したシリーズだが、このときの撮影で8×10インチの大判カメラを使い始めたことも含めて、鈴木にとって大きな転機となるシリーズだった。本書はその続編というべき写真集で、セザンヌだけでなく、クロード・モネといった19世紀の画家たちが描いたフランス各地の風景を撮影した写真が集成されている。ただし、どの写真がどの画家のどの作品をもとにしているという情報の記載は、注意深く避けられている。そのことによって、読者が夾雑物なしに鈴木の写真行為の成果に向き合うことが可能になった。

鈴木が試みたのは、身体の外で進行する、カメラという「機械の知覚」のあり方を、風景を撮影することであらためて検証することだった。肉眼でものを見るときには、過去の記憶に侵食されており、また風景そのものが刻々と変化していくので、知覚の純粋さを保つのはむずかしくなる。だが、まさに「知覚の感光板」というべき大判カメラを使えば、「純粋にものを見る」ことが可能となる。そこに、撮影者の思惑を超えた世界のあり方が出現してくるということだ。

その鈴木の意図は、本書でよく実現しているのではないだろうか。光や風といった「揺らぎ」が多くの写真に取り入れられており、ブレやボケなどをそのまま写し込んだ作品もかなりある。目の前の風景に対峙しつつ、どんな写真ができ上がってくるのかという期待を抱きながらシャッターを切っていくことの歓びが、伝わってくる作品が多かった。須山悠里による、瀟洒な装丁・デザインも素晴らしい出来栄えだ。

関連レビュー

鈴木理策「知覚の感光板」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年12月15日号)

2020/05/21(木)(飯沢耕太郎)

銅像本を発掘した──三澤敏博『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』、金子治夫『日本の銅像』、かみゆ歴史編集部(編)『日本の銅像 完全名鑑』

ここ2カ月間ほど展覧会も見ず、アトリエにも行かず、ほとんど家にいた。じゃあ家で仕事三昧だったかというとそんなに仕事があるはずもなく、かといって読書やオンラインに熱中するでもなく、ひたすら部屋を片づけていた。ほぼ20年間、ということは21世紀に入ってから一度も大掃除をしたことがなかったので、自室は津波の後の瓦礫の山状態。そういえば東日本大震災のとき、本棚や積み上げた本から雪崩が起きて床が本の海と化したことがある。あの後ちゃんと整理すればよかったものを、本を戻すのに精一杯で、再び本が降り積もってしまったのだ。そのため、ほしい本を探すのに一苦労という状態が20年も続いていた。

本の山(海にもなる)といっても、半分くらいは展覧会のカタログやパンフレット類で、その大半はパラパラめくった程度。買った(もらった)まま一度も開いたことのないカタログも相当ある。ザッと数えてみたら雑誌も含めて6千冊以上。これでも2、3年ごとに数百冊単位で処分してきたのだが、減るより増えるスピードのほうが速い。もし処分せずに溜め込んでいたら床が抜けていたに違いない。そこで今回は、もう2度と(あるいは1度も)見ないだろうカタログを中心に千冊以上を古本屋に引き取ってもらい、床にスペースをつくってなんとかベッドを入れることができた。それまではリビングの隅に敷いたマットレスで寝るという家庭内ホームレスだったのだ。と、どうでもいいことを書いているが、この大掃除の過程で興味深い本を「発掘」したので紹介したいという前フリでした。



三澤敏博『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』

発行所:交通新聞社

発行日:2016/11/18

まずは、読んでないだけでなく、買ったことも覚えておらず、こんな本があったことすら初めて知ったみたいな「掘り出し物」を。三澤敏博著『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』だ。裏を見るとブックオフのシールが貼ってあるが、いつ、どこのブックオフで買ったのやら。交通新聞社が出している「散歩の達人ヒストリ」というシリーズの1冊で、判型はB6判と小さく、シリーズものでこのタイトルだから軽い歴史本か入門書かと思って読んでみたら、中身は意外としっかりしている。

タイトルどおり、本書は銅像になった幕末維新の志士たちを採り上げ、彼らがどんな活躍をし、どのような経緯で銅像が建てられたかを詳述したもの。周知のように、日本の銅像は維新期に導入した西洋文化のひとつで、国家に貢献した人物を顕彰するために建てられるようになったが、当初は銅像と神社が同列に考えられていたという驚きの事実が序章で語られる。明治初期には国家に尽くした忠臣をまつるため、新政府が別格官幣社という新しい神社の制度を定めたため、だれを神社に、だれを銅像にという選択肢があったというのだ。いまでは考えられないが、銅像と神社は似たようなものだったのだ。しかし神社は広い土地を必要とする上、維持運営にもお金がかかるので、経費削減の意味でも銅像が推奨されたという。

以下、本書では、靖国神社の大村益次郎像、上野公園の西郷隆盛像、皇居外苑の楠木正成像、そして日本全国に波及した二宮金次郎像が扱われる。これらの銅像に関して、なぜその人物が銅像になり、なぜそこに建てられたのかとか、なぜ西郷像だけは軍服でも騎馬姿でもなく着流しなのかといったエピソードは、先行する木下直之の『銅像時代』や、木下氏のBankARTスクールでの講義でおおむね知っていた(いま『銅像時代』をパラパラめくったら神社との関係も載っていた!)。だが、大村像も西郷像も顔の造作は、日本の紙幣や切手印刷の基礎を築いたお雇い外国人キヨッソーネが描いた肖像画を手本にした、という話は初耳だ。

だいたい銅像が建てられるのは、像主の死後10年以上たってからのこと。写真も肖像画もほとんどなかった当時、どれだけ容貌を似せられるかが問題だった。キヨッソーネは西郷の肖像を制作する際、顔の上半分は弟の従道を、下半分はいとこの大山巌をモデルにし、西洋的なリアリズムで仕上げたという。そんな肖像画を参考にしたせいか、大村像も西郷像も顔が濃く、日本人離れしている印象だ。しかし大村像に関しては、作者の大熊氏廣が大村の親族を訪ね、似ているといわれる妹をスケッチし、未亡人の助言を聞きながら肖像画を完成させたというのが真相らしい(大熊の描いた肖像画とキヨッソーネ作といわれる肖像画が瓜二つであることは図版からわかる)。ましてや維新から500年以上も前の楠木の実際の顔など、だれも知るよしもない。そこで作者の高村光雲は、その性格から顔貌を推し量って制作したという。

ほかにも、西郷像と楠木像の作者は光雲だが、西郷の連れている犬と楠木が乗る馬はどちらも動物彫刻で知られる後藤貞行の作だとか、勝海舟は「銅像は時勢により大砲の弾丸に鋳直されるかもしれないから興味ない」と、戦時中の金属供与を予言するような発言をしていたとか、二宮金次郎の銅像は昭和初期に全国の小学校に広まったが、主導したのは国ではなく民間の銅器業者と石材業者だったとか、戦中に学校の金次郎像が金属供与で撤収される際に壮行会が行なわれたとか、空いた台座に「二宮先生応徴中」の札が立てられたとか、最近はマンガやアニメ、ゆるキャラ像のほか、坂本龍馬をはじめNHK大河ドラマの主人公の銅像が各地に建てられるようになったとか、うなずけたり笑えたりするエピソードが満載。銅像についてだけでなく、時代背景や人物紹介にも相当のページが割かれているので、日本史に疎いぼくにもよくわかりまちた。



金子治夫『日本の銅像』

発行所:淡交社

発行日:2012/04/05

『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』を読んでいたら、淡交社の『日本の銅像』という写真集を思い出したので掘り出してみた。明治以降に建てられた全国225体(番外編を含めると236体)の銅像を、金子治夫のモノクロ写真で紹介したもの。おもしろいのは、銅像が地域別でも設置年順でもなく、像主の生きた時代順に並んでいること。神武天皇に始まり、可美真手命、日本武尊、大隅弥五郎、聖徳太子と続き、最後は吉田茂で終わっている(番外編では鬼太郎と目玉おやじ、寅さん、鎌倉の大仏などが紹介されている)。美術オタクには設置年順、銅像オタクには地域別が望ましいが、このオーダーを喜ぶのはきっと偉人オタクだろう。その証拠に、巻末には像の作者ではなく像主の解説がある。

写真はモノクロとはいえ銅像本体だけでなく、台座はもちろん周囲の風景まで写し込んでいるのでありがたい。顔などのディテールはわかりにくいけど(拡大写真がついているものもある)、どのような環境に置かれ、どんな台座に乗っているかが一目瞭然だからだ。これを見れば像自身の居心地がわかるような気がする。多くは公園や広場に建てられているが、なかにはホール内(太田道灌)、湖の上(八重垣姫)、ビルの隙間(桂小五郎)に置かれているものもある。また構図も凝っていて、織田信長像は灯台みたいな安土駅を強引に画面に入れたり、水戸黄門・助さん・格さん像は画面の大半を占める水戸駅前風景の右端にちょこんと写っていたり、平賀源内像は背後に枯れ木を入れてエレキテル放射に見せかけたり、眺めているだけでも楽しいのだ。



かみゆ歴史編集部(編)『日本の銅像 完全名鑑』

発行所:廣済堂出版

発行日:2013/10/05

こうして銅像にハマっているうちに、廣済堂出版から『日本の銅像 完全名鑑』という本が出ているのを知った。これはさすがに家にないので取り寄せてみた。「史上初! 歴史人物銅像オールカラーガイド」と銘打たれているように、日本全国950体の銅像を都道府県別にカラーで紹介するムックだ。地域別にカラーで見せてくれるのはうれしいけど、主要な像以外は図版が小さく、台座も写っておらず、作者名も設置年も記されていないのが残念。まあ数が多いので仕方ないか。ページの合間に「アニメ・マンガ編」「力士編」「芸能編」などジャンル別の銅像も紹介するなど、飽きない工夫も凝らされている。

また、巻頭の「銅像なんでもランキング」も興味深い。設置数ベスト3では、1位の松尾芭蕉像33体、2位の坂本龍馬像32体がぶっちぎりで、3位は聖徳太子、織田信長、明治天皇の各12体ずつとなっている。でも本当は二宮金次郎像がおそらく千体以上(戦前は石像も含めてその10倍?)で圧倒的1位だが、量産されたものだし、正確な数がつかめないのでランク外。大きさベスト3は、熊本の天草四郎像の15メートルがトップで、以下、福岡の日蓮上人像10.6メートル、鹿児島の西郷隆盛像10.5メートルと続く。九州人は大きなものが好きなようだ。古さでは、兼六園の日本武尊像が1880年、靖国神社の大村益次郎像が1893年、浜離宮の可美真手命像が1894年、という順。ただし日本武尊は神話上の人物で、しかもこの像は西南戦争の殉死者の慰霊碑として建てられたものなので、個人の偉業を顕彰する近代的な銅像では大村像が最初になる。


なぜ銅像なのか

以上3冊の銅像本を読み(見)比べてみたが、興味をそそるのはそれぞれの発行年だ。『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』が2016年でもっとも新しく、『日本の銅像』が2012年で、『日本の銅像 完全名鑑』が2013年の出版。さらに、前述の木下直之の『銅像時代』が2014年、未読だが、平瀬礼太の『銅像受難の近代』という本が2011年に出ている。どうやら2010年代はにわか銅像ブームに沸いた時代といえそうだ。しかしなぜこの時期に銅像なのか。東日本大震災は関係なさそうだし、明治150年(2018)には早すぎるし。美術とプロパガンダの狭間という意味で銅像と通じる戦争画は、戦後70年(2015)の節目にブームになったが、それとも関係なさそうだ。

ところで、今回の大掃除の「副産物」として、恐ろしいことに、20余年分の新聞の切り抜きがホコリまみれで発見されてしまった。全部で4、5千枚はあろうかという厖大な切り抜きを1週間かけて振り分けていったのだが、やはり2010年代に銅像を巡る記事が目についた。そのひとつ、朝日新聞2011年11月1日の朝刊の「銅像どうして今もなお」と題された記事。これは前年(2010)から各地に篤姫、坂本龍馬、上杉景勝・直江兼続、豊臣秀頼らの銅像が建てられ、銅像関連の出版も相次いでいるという内容で、皇居前の楠木像、鹿児島の篤姫像、亀有の両津勘吉像の写真3点を載せている。その裏面にはマンガのキャラクターの銅像の所在地を紹介する「こち亀マップたちまち重版」の記事があり、連動していることがわかる。そういえばこの時期、マンガ・アニメのキャラクターやNHK大河ドラマの登場人物の銅像が各地に建てられ、観光の目玉になっていたのだ。銅像ブームの正体はこれだったのか!

でもそれだけではミもフタもないし、戦前の「由緒正しい」銅像の立場がないので、もう少し美術の視点から憶測してみたい。一言でいえば、1990年代にブームを迎えたパブリックアートに対する反動ではないか、というのが私の見立てだ。

パブリックアートは1994、95年に相次いで完成したファーレ立川と新宿アイランドをピークとして各地に林立するが、その地とは縁もゆかりもないキテレツな作品が多く、当初は歓迎されたもののすぐに飽きられてしまう。そうしたパブリックアートの反動として、バンクシーに代表される自由でシニカルなストリートアートが話題になり、地域に入り込んで内側からコミュニティを活性化させるソーシャリー・エンゲイジド・アートが注目されたが、そこでもうひとつねじれた動きとして、パブリックアートのルーツを批判的に遡った結果、ツッコミどころ満載の銅像に行き着いたというわけだ。だから逆にいうと、銅像について問うことで閉塞したパブリックアートの突破口を見出し、公共と美術の関係性を問い直せるのではないかとの期待もあったと思う。そう考えると、その後の銅像への関心が戦前・戦後の断絶へと向かい、小田原まどかの「この国の彫刻のために」(『彫刻の問題』所収、トポフィル、2017)といった一連の論考に受け継がれていくのも納得できるのだ。

ちなみに、ぼくがいまさら銅像に引っかかった直接のきっかけは、たぶん三つある。ひとつめは、この2月、横浜に建つ井伊直弼像に関する企画展「井伊直弼と横浜」を神奈川県立歴史博物館で見て、あらためて銅像のおもしろさと厄介さを知ったこと。二つめは、同じく2月、BankARTスクールの講座のため、横浜みなとみらい地区のパブリックアートについて調べたこと(ちなみに井伊直弼像はみなとみらいを見下ろす場所にある)、三つめは、コロナ禍において3密を避けながら鑑賞できる美術形式として、あらためてパブリックアートや銅像の存在を見直したことだ。つまり銅像とパブリックアートのことが脳に残存していたときに、この『幕末維新 銅像になった人、ならなかった人』に出会ってしまったわけ。だからバイアスがかかっているかもしれないけど、案外これから銅像建立が流行る予感がないわけではない。

関連レビュー

掃部山銅像建立110年 井伊直弼と横浜|村田真:artscapeレビュー(2020年03月01日号)
小田原のどか編著『彫刻 SCULPTURE 1』|星野太:artscapeレビュー(2018年08月01日号)

2020/05/20(木)(村田真)

湘南T-SITE、Fujisawa SST、ミナガーデン十日市場

[神奈川県]

なかなか足を運ぶ機会がなかった《湘南T-SITE》(2014)も、ようやく訪れる機会を得た。再開したばかりで待ちかねた人が集まっていたが、店内への入場制限や、椅子の使用禁止、一部の飲食施設の休業などによって感染の対策を施していた。《代官山T-SITE》と同様、クライン・ダイサム・アーキテクツが総合ディレクションを担当しており、基本的には同じコンセプトのデザインである。代官山は「T」の字を外壁で反復しているのに対し、湘南は(蔦屋書店のシンボルにあたる)蔦の葉のモチーフを選ぶといった差異は認められる。また平行に配置された 3棟の屋内外を串刺しにするようなストリートも同じ構成だ(ただし、湘南は一部、車道を横断する)。もっとも、こういうことは現場に行かないとわからないのだが、まわりの風景が全然違う。


車道を挟んで各棟が並ぶ


蔦の葉のモチーフで覆われた《湘南T-SITE》の外壁

すなわち、《湘南T-SITE》は、パナソニック工場跡地につくられた新興の住宅地、《Fujisawaサスティナブル・スマートタウン》のコアのひとつとなる施設なのだ。したがって、まわりをピカピカの住宅がぐるりと囲んでいる。環境に配慮した約1000戸のニュータウンゆえに、戸建て住宅の内部はさまざまな最新の設備をもつが、外観はほとんど同じようなデザインであり、絵に描いたような郊外住宅群だ。なお、交通量が多いロードサイド沿いに、太陽光発電のパネルが延々と続く風景も独特である。《湘南T-SITE》も、ロードサイド側には開かず、直接のアクセスはない。斜めの太陽光パネルと、一段高く持ち上げたデッキによって、道路と距離がとられている。


《湘南T-SITE》に隣接する住宅街


《湘南T-SITE》の駐車場から見た住宅

11棟のスマートハウスなので、規模はまったく違うが、横浜市の《ミナガーデン十日市場》(2012)も、やはり環境配慮型まちづくりをうたう。これは飯田善彦と小林克弘がマスターアーキテクトとなり、産・官・学の共同プロジェクトとして横河健や首都大学東京などが参加したものである。興味深いのは、ひな壇造成をせず、起伏のある地形や植生をうまく活かしながら、各住戸が角度を変えながらややランダムに配され、中央にみんなの庭が設けられていること。その結果、ありがちな郊外住宅地とはならずに(周囲は集合住宅群)、家と家の関係性を操作するだけで、単調さを回避しつつ、忘れがたい風景が生みだされていた。


《ミナガーデン十日市場》のスマートハウス群


各住戸のあいだに塀がなく、共有スペースになっている


起伏のある地形や植生を活かした住戸配置が《ミナガーデン十日市場》の特徴のひとつ

2020/05/17(日)(五十嵐太郎)

石井正則『13(サーティーン) ハンセン病療養所からの言葉』

発行所:トランスビュー

発行日:2020年3月30日

石井正則は俳優として活動しながら写真撮影を続けてきた。その写真愛、カメラ愛の深さが、趣味の域を遥かに超えていることは、日付を写し込む機能がついた「3000円以下で買った中古のフィルムカメラ」を解説、作例付きで紹介した彼の著書、『駄カメラ大百科』(徳間書店、2018)を見ればよくわかる。

本書は、その石井がここ数年撮り続けてきた、全国に13ある国立ハンセン病療養所の写真と、ハンセン病患者たちの詩とを一冊におさめた写真文集である。35ミリ判のカメラだけでなく、8×10インチの大判カメラも使用した写真のクオリティはとても高く、一枚一枚が丁寧に撮影されている。とはいえ、写真の空気感はけっして堅苦しいものではなく、石井自身がスタッフや患者たちと写っている写真、花のクローズアップの写真など、柔らかに包み込むような雰囲気のものが多い。「フィルムに残る『場の記憶』と、入所者のみなさまの力強い『詩』で、改めてハンセン病に関する理解、さらには他の様々な問題への関心を深めていただけたら、と願っています」という制作意図が、しっかりと伝わる造りになっていた。

写真と詩とが交互に掲載されたレイアウトもよく考えられている。少し気になったのは、日付入りのコンパクトカメラで撮影された写真と8×10インチの大判カメラの「作品」、さらにカラー写真とモノクローム写真との取り合わせが、ややバラバラに見えてしまうことだ。写真の選択と配置に、もう少し統一感があったほうがよかったかもしれない。残念なことに、写真集の刊行にあわせて、2020年2月〜5月に東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で開催予定だった写真展「13(サーティーン)〜ハンセン病療養所の現在を撮る〜」は中止になってしまった。ぜひ、日程を再調整して開催してほしい。

2020/05/17(日)(飯沢耕太郎)

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