2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

『東京計画2019』vol.2 風間サチコ

会期:2019/06/01~2019/07/13

gallery αM[東京都]

東京都現代美術館学芸員の薮前知子氏をゲストキュレーターに迎えたαMプロジェクト2019の第2弾は、いまどき珍しいアナクロ・アナログなモノタイプの巨大木版画を制作する風間サチコ。タイトルの「東京計画2019」は、かつて丹下健三が東京湾に海上都市を建設するという大風呂敷を広げた「東京計画1960」に基づく。というわけで、今回は丹下健三に矛先ならぬ彫刻刀の刃先を向けた作品群。

最大の作品は幅640センチにもおよぶ《ディスリンピック2680》で、2680は皇紀の年号だから西暦に直すと2020年、つまり次の東京オリンピックの開会式を揶揄したものだ。画面はほぼ左右対称で、大げさなつくりものの足下で整然と行進する人々はアリのように小さく、ファシズム臭がプンプン漂う。

ちなみに、皇紀2600年は最初の東京オリンピックが開かれるはずだった年。同じ年には万国博覧会も計画されていたが、どちらも幻に終わった。また、満州平原を走っていた超特急あじあ号を朝鮮半島、対馬海峡を経て東京までつなげようと「弾丸列車」の計画を立てていたのも同じころ。これらの計画は戦後20年ほどを経て、東京オリンピック、大阪万博、新幹線というかたちでゾンビのごとく復活・実現していく。そしてこれらに深く関わり、成功に導いたのが丹下健三だった。丹下はまた戦時中、国威発揚のための大東亜建設記念営造計画で一等を獲得するが、戦後かたちを変えて真逆ともいうべき広島平和記念公園として復活させていく。これらを踏まえて作品を見ると、また格別の味わいがある。

たとえば、青焼き風・絵巻風戯画《青丹記》。土星型UFOの環が外れて中心の球体が海に落下、それを漁師たちが陸に引き上げて、格子状に組んだヤグラの上に載せるというもの。この格子上の球体から、お台場に建つフジテレビ本社を連想してしまうのは、もちろんそれが丹下最晩年の作品のひとつだからだ。歴史を読み直す視線や、ひと味違った風刺精神もさることながら、それを白と黒だけの力強い大作に彫り込んでしまう技量も見事というほかない。

2019/06/08(土)(村田真)

平山達也「諏訪へ帰ろう」

会期:2019/06/03~2019/06/15

表参道画廊[東京都]

平林達也は写真プリント専門のフォトグラファーズ・ラボラトリーを運営しながら、写真家としての活動を続けている。昨年(2018年)も、銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで個展「白い花(Desire is cause of all thing)」を開催するなど、表現の幅が広がり、作品のクオリティも上がってきた。表参道画廊で「東京写真月間2019」の一環として、日本カメラ博物館の白山眞理の企画で開催された本展も、目の付け所がいい面白い展示だった。

平林は4年ほど前に、長野県諏訪出身の曾祖父の存在をはじめて知った。1873年生まれの平林放鶴(本名・鶴吉、のちに潔と改名)は、二松學舎で学び、1900年に東京・神田に家塾、勸學書院を設立した。その後、1904年には故郷に戻って上諏訪角間新田に湖畔學堂を創設し、多くの子弟に「国語漢文算術珠算作文習字」を学ばせた。1920年、当時大流行していたスペイン風邪で死去する。

平林は、この曾祖父の事蹟を丹念に追いかけ、彼が足跡を印した地を写真におさめていった。むろん資料も乏しく、平林放鶴が亡くなってからだいぶ時が経つので、その作業が完成したのかといえば疑問が残る。黒枠のフレームにおさめた写真に、テキストとともに古写真やデータなどの資料を組み合わせていくやり方も、まだまだ検討の余地がある。それでも、個人的なアーカイブを、写真を中心に構築していく試みは多くの可能性をはらんでいると思う。写真の喚起力のみに依拠するのではなく、テキストとの相互作用によって複雑なメッセージを伝達していく作業を粘り強く続けていけば、この作品もより厚みと説得力のあるドキュメントになっていくのではないだろうか。

2019/06/08(土)(飯沢耕太郎)

BankART AIR 2019 オープンスタジオ

会期:2019/05/31~2019/06/09

BankART Station、 BankART SILK[神奈川県]

みなとみらい線の新高島駅に直結するBankARTの新スペースBankART Stationと、関内のシルクセンター1階にオープンしたBankART SILKの2カ所をアーティストたちに活動の場として提供、計31組60人以上が2カ月間制作し、その成果を見せている。BankART Stationのほうは人工光に照らし出された新しい地下空間、BankART SILKのほうは坂倉準三設計のモダンなオフィス空間で、どちらも古い倉庫を利用したBankART Studio NYKのような強固なたたずまいはなく、制作のとっかかりが少なそうな雰囲気。そんなわけで、この場所自体を主題にしたり、空間そのものから発想した作品は少ない。

おもしろかったのは、この地下空間から地上にはい出て、更地に1坪程度の白い小屋を建て、内部を真っ黒に塗って四方の壁に小さな穴を開けたカメラ・オブスクラをつくった細淵太麻紀のプラン。カメラ・オブスクラ自体は珍しいものではないが、照明を消せば真っ暗な地下のスタジオを出て日光の下でわざわざブラックボックスをこしらえるというのは、ある意味コミカルなリプレイスメント・プロジェクトと捉えることもできる。ということは逆に、BankART Stationの空間自体を巨大なカメラ・オブスクラに見立てることも可能かもしれないという思考実験でもあるはずだ。

で、実際に中に入れてもらった。まずは地上に出て、日産、資生堂、京急などのビルを横目に見ながら1ヘクタールはあろうかという雑草の生い茂る更地に入り、ブラックボックスの中へ(こうしたプロセスが重要だ)。内部は完全な闇で、ピンホールを開けると反対側の壁に倒立像が映る……はずだが、小雨で光量が少ないせいかすぐには映らず、2、3分してようやくうっすら光が見え始める程度。全体像が浮かび上がるには(つまり目が闇に慣れるまで)5分以上かかった。撮影するときも相当の時間がかかるそうだ。ピンホールは4面の壁にひとつずつ開けられているので、四方向すべてを撮影することができる(ただし開けるのはひとつずつ)。

闇の中でふと思い出したのは、元ひきこもりのアーティスト渡辺篤が、光を閉ざした箱に1週間ほど閉じこもったこと。この小屋に閉じこもって倒立した世界を見ていたら、どんなひきこもり人間が生まれるだろう。

2019/06/07(金)(村田真)

荒木経惟「梅ヶ丘墓情」

会期:2019/05/25~2019/06/15

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

1994年のタカ・イシイギャラリーのオープン以来、同ギャラリーで開催されてきた荒木経惟の個展は今回で27回目になるという。彼の誕生日である5月25日からスタートする展示もすっかり恒例になった。

今年の展覧会のタイトルの「梅ヶ丘墓情」は、彼が現在住んでいる小田急線の駅名にちなむ。自らの生と写真とを縒り合わせるように作品を発表してきた荒木にとっては、ごく自然な発想と言えそうだ。だが、「東京」のような広がりのある地名をタイトルにすることが多かったことを考えると、より狭い地域に限定されていることが気になる。というのは、展示作品のうちほんの数点を除いては、ほとんどの写真がマンションの自室と屋上だけで撮影されているからだ。むろん荒木には、以前住んでいた豪徳寺のマンションの屋上を撮影し続けた『愛のバルコニー』(河出書房新社、2012)という名作があり、つい先日もJCIIフォトサロンで同名の展覧会が開催されたばかりだ。ビザールな人形たちをそこここに配置した今回のシリーズも、その延長上の作品と見ることができる。だが、以前の「バルコニー」シリーズに溢れていた、グロデスクで、ユーモラスで、悪戯っぽい「奇想」のオンパレードは、今回のシリーズではほとんど影を潜めている。むしろそこから感じられるのは、しんと静まりかえった、無味、無臭、無音の情景であり、じわじわと滲み出てくる寂寥感だ。

その肌合いの違いが「体力が日増しに衰え、外出を控えることが多くなった」(広報用リーフレット)という、現在の彼の生活の状況に由来しているのは間違いない。以前に比べて、タナトスの影が大きくせり出し、すべての写真を薄膜のように覆っている。それを創作意欲の衰えと見ることも、あながち間違いではないだろう。それでも、写真を一枚一枚見ていくうちに、この悲哀に満ちた眺めもまた、心揺さぶるものであることを受け容れざるを得なくなる。荒木がこれから先、どれだけ個展を開催できるのかはわからない。だが、最後まで見続けていこうと思う。

荒木経惟 「梅ヶ丘墓情」、2019、RP プロクリスタルプリント © Nobuyoshi Araki / Courtesy of Taka Ishii Gallery

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

「明治に生きた“写真大尽” 鹿島清兵衛 物語」

会期:2019/06/01~2019/08/31

写真歴史博物館[東京都]

日本の写真史を彩る人物たちの中で、最も心そそられるのが誰かといえば、もしかすると鹿島清兵衛かもしれない。清兵衛は東京・新川の酒問屋、鹿島屋の養子で、店の財産を写真の趣味に費やし、最後はとうとう離籍されて、若い頃に習い覚えた笛の囃子方にまで落ちぶれて生涯を終えた。ロシア公使と張り合って身請けしたという新橋の名妓、ぽん太とのロマンス、富士山の写真を巨大サイズに引き伸ばして宮内省に献上し、歌舞伎の名優、九代目市川団十郎の等身大の舞台写真を撮影するなど、“写真大尽”の華やかな前半生と零落後の後半生との鮮やかな対比は、小説や芝居の格好の題材となるだろう。実際に森鷗外が『百物語』(『中央公論』反省社、1911)で、また白洲正子が『遊鬼──わが師 わが友』(新潮社、1989)で、清兵衛を小説の中に登場させている。だが、肝心の鹿島清兵衛の写真がどんなものだったのかを確認する機会はそれほど多くない。古写真研究家の井桜直美が企画・監修した今回の展覧会は、その意味で貴重なものといえるだろう。

残念ながら、宮内庁所蔵の「富士山の図」(1894)をはじめとして、オリジナル写真の借用はむずかしく、出品作品のほとんどは複製である。だが、最近のデジタル複写の技術の進化によって、実際の作品にかなり近い印象を与えることができるようになった。そこから見えてくる清兵衛の写真家としての力量が、かなり高いものであったことは間違いない。技術的にしっかりしているだけでなく、被写体をゆったりとした構図におさめた、堂々たる風格を感じさせる作品が多い。残念なことに会場が狭いので、出品点数も限られるし、ほかの同時代の写真家たちと比較するような展示もむずかしい。できればもう少し広い会場で、明治後期の写真をまとめて見る機会があればいいと思う。鹿島清兵衛のような「素人写真家」の登場によって、日本の写真表現がどのように展開していったのかは、とても興味深い問題提起になるはずだ。

2019/06/07(金)(飯沢耕太郎)

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