2019年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

《国立現代美術館ソウル館》《ソウル市立美術館》《アモーレパシフィック美術館》

国立現代美術館ソウル館、ソウル市立美術館、アモーレパシフィック美術館[韓国・ソウル]

ソウルの展覧会をいくつかまわった。国立現代美術館ソウル館は、現代的な情報環境がもたらす社会状況をテーマにすえた企画展「Vertiginous Data」が興味深い内容だった。監視カメラなどで顔認証されることに抗議する仮面の作品ほか、フォレンジック・アーキテクチャーも参加している。これまで彼らは遠隔地から調査することが多かったように思うが、テロリストと間違えられ、殺害された民間人の理不尽な事件を扱う作品では、現地で検証する作品が紹介されていた。同館では、フィラデルフィア美術館のコレクションを用い、上野の東京国立博物館で開催した「マルセル・デュシャンと日本美術(The Essential Duchamp)」展が巡回しており、やはり蛇足となった最後の部屋(日本美術の紹介)はなく、逆に違う作品も入っていた。ただし、《大ガラス》は映像のみの紹介である。また足を運ぶ時間はなかったが、東京国立近代美術館の「アジアにめざめたら」展も、国立現代美術館別館に巡回している。

ソウル市立美術館の「デイヴィッド・ホックニー」展は、多くの若い来場者で賑わっていたことが印象的だった。初期の謎めいたポエティックな作品、ロンドンとはまったく異なる環境に刺激されたロサンゼルスでの展開、群像をいかに描くかという試行錯誤、ピカソが亡くなったことを受けて、ギターの絵をモチーフとしたオマージュの連作、ホテルの中庭を独特の手法で描くなど、透視図法の解体、写真やデジタル技術への関心、近年の複数キャンバスによる巨大絵画など、彼のさまざまな実験の軌跡をたどる充実の内容だった。また、最近オープンした化粧品メーカーの《アモーレ・パシフィック新社屋》は、建築もなかなか優れたデザインだったが(設計はデイヴィッド・チッパーフィールド)、地下の美術館も気合が入っている。ビル・ヴィオラ、ジョセフ・コスース、ロバート・インディアナ、韓国のアーティストのナム・ジュン・パイクやイ・ブルなど、コレクション展では、力のある現代美術の作品を紹介していた。

「Vertiginous Data」展、会場の様子


「Vertiginous Data」展、フォレンジック・アーキテクチャーの作品(左)


「The Essential Duchamp」展、会場の様子


「デイヴィッド・ホックニー」展、会場の様子


《アモーレ・パシフィック新社屋》外観


《アモーレ・パシフィック新社屋》コレクション展示、ナム・ジュン・パイク(左)とロバート・インディアナ(右)の作品


《アモーレ・パシフィック新社屋》コレクション展示、イ・ブルの作品

2019/03/30(土)(五十嵐太郎)

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絵画展...なのか?

会期:2019/03/21~2019/05/12

川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]

絵画とは、なんらかのかたちを平面に描いたもの。なんらかのかたちは具象でも抽象でもかまわないし、「かたち」と認識できなくてもいい。重要なのは「平面」に「描く」ことだが、「平面」は平らな面でなくても凹凸があってもいいし、「描く」のは手でなくて足でも口でもいいし、吹きつけても滴らしてもかまわない。絵画とはずいぶん自由度が高い表現なのだ。同展の出品者は、「画家ではない」といいながら水面を撮った写真に彩色したり、石をつなげて面にしている山本修司、どう見ても彫刻だが、その表面に色彩を施す原田要、キャンバスに絵具を流すだけでなく、ギャラリー内外の壁や椅子にも彩色する中島麦の3人。確かにこれを「絵画展」というのかどうかためらうところだが、別に絵画であろうがなかろうが楽しめる展覧会だから許そう。

2019/03/29(金)(村田真)

野村恵子「山霊の庭 Otari-Pristine Peaks」

会期:2019/03/16~2019/04/13

Kanzan Gallery[東京都]

このところ、女性写真家たちの質の高い仕事が目につくが、野村恵子もそのひとりである。1990年代にデビューした彼女と同世代の写真家たちが、それぞれ力をつけ、しっかりとした作品を発表しているのはとても嬉しいことだ。野村は昨年刊行した写真集、『Otari-Pristine Peaks 山霊の庭』(スーパーラボ)で第28回林忠彦賞を受賞した。今回の展示はそれを受けてのことだが、菊田樹子がキュレーションするKanzan Galleryでの連続展「Emotional Photography」の一環でもある。

雪深い長野県小谷村の人々の暮らし、祭礼、狩猟の様子などを「湧き上がる感覚や感情を静かに受け入れながら」撮影した本シリーズは、たしかに「感情」、「情動」をキーワードとする「Emotional Photography」のコンセプトにふさわしい。特に、妊娠し、子どもを産む若い女性の姿が、大きくフィーチャーされることで、ほかの山村の暮らしをテーマとするドキュメンタリーとは一線を画するものとなった。

野村と菊田による会場構成も、とてもよく練り上げられていた。壁には直貼りされた大判プリントとフレーム入りの写真が掲げられ、写真とテキストを上面に置いた白い柱状の什器が床に並ぶ。ほかに、3カ所のスクリーンで映像をプロジェクションしているのだが、その位置、内容、上映のタイミングもきちんと計算されている。写真集とはまた違った角度から、「山に生かされて」暮らしを営む人々の姿が重層的に浮かび上がってきていた。近年、ドキュメンタリー写真における展示の重要度はさらに上がってきているが、それによく応えたインスタレーションだった。

2019/03/27(水)(飯沢耕太郎)

菊池聡太朗「ウィスマ・クエラ」

会期:2019/03/26~2019/04/03

ギャラリーターンアラウンド[宮城県]

東北大の五十嵐研の大学院を修了した菊池聡太朗の個展が、仙台の現代美術のギャラリーターンアラウンドで開催された。インドネシアのカリスマ的な建築家マングンウィジャヤによるジョグジャカルタの自邸《ウィスマ・クエラ》をタイトルに掲げているように、彼が図面なき増殖建築に魅せられ、その記録写真や記憶を独自のインスタレーションとして表現したのである。おそらくマングンウィジャヤは日本で無名と思われるが、カンポンのプロジェクトによって、イスラム世界の建築を顕彰するアガ・カーン賞を受賞している。独自の建築哲学をもち、職人集団と活動しながら、きわめて異形のデザインを行なっていた。彼のデザインは、広義には装飾性がポストモダンと呼べるのかもしれないが、ある種のヘタウマ的なテイストで、既存のカテゴリーに括ることが難しい。特に自邸は、彼の死後も日常的に小さな増改築が繰り返され、建築や家具などの境目も曖昧になっている。

菊池はインドネシアに留学中、この建築にしばらく滞在し、目の前で起きる変化も記録しながら、その空間体験をどのように視覚化するかを修士設計のテーマに取り組んでいた。そして彼が現場で撮影した時空間が錯綜した写真群を展示する空間を独自のルールによって構築し、学内外の講評会で高い評価を得た。彼は東京都写真美術館で開催中の「ヒューマン・スプリング」展を含め、写真家の志賀理江子の制作を長い期間にわたってサポートしたことで、観念的なデザインに陥らず、スケール感をリアルに理解した設計に到達したことも、修士設計の最終成果物に説得力を与えている。ただし、ギャラリー・ターンアラウンドでは、その展示空間を1/1で再現するには十分な広さがないこともあり、ドローイングと小さくプリントした写真群のインスタレーションで、別の空間を創造した。志賀はもちろん、リー・キットの影響なども見受けられるが、短い期間で、新しい独自の世界を高い密度で出現させた力量は高く評価できるだろう。

マングンウィジャヤの自邸《ウィスマ・クエラ》


「ウィスマ・クエラ」展、会場の様子


「ウィスマ・クエラ」展、会場の様子


「ウィスマ・クエラ」展、会場の様子


「ウィスマ・クエラ」展、会場の様子


「ウィスマ・クエラ」展、会場の様子


2019/03/26(金)(五十嵐太郎)

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宮本隆司『首くくり栲象』出版記念展覧会

会期:2019/03/18~2019/03/31

BankART SILK[神奈川県]

2018年3月から活動を休止していた横浜市の現代美術スペース、BankART Studio NYKが、同市内の3カ所で活動を再開した。BankART Home、BankART Stationに続いて、坂倉準三設計の歴史的建造物《シルクセンター》の1階にオープンしたのがBankART SILKである。そのオープニング第2弾として、宮本隆司の「首くくり栲象」展が開催された。

宮本は10年ほど前から、庭先に吊り下げた縄に首を入れてぶら下がる「首くくり栲象(たくぞう)」(本名:古澤守)のパフォーマンスを写真と映像で記録してきた。いまにも崩れ落ちそうな木造平屋の「庭劇場」でほぼ毎日、首をくくってきた1947年生まれのパフォーマーは、2018年3月に亡くなり、いまはもうその「死に触れず、死を作品化する」伝説的なパフォーマンスを見ることはできない。その意味では貴重な記録といえるのだが、それ以上に、その普通ではない行為をあえて普通に撮影している宮本の撮影の仕方に共感を覚える。宮本が「庭劇場」を撮影し始めた理由のひとつは「家が近かったこと」だったようだが、自然体の撮り方にもかかわらず、そこには建築写真で鍛え上げた細やかな観察力と、精確な画面構成の能力が充分に発揮されていた。

会場では写真作品のほかに、パフォーマンスの一部始終を記録した映像作品も上映していたのだが、こちらも興味深い内容だった。フレームを固定した画面に、「首くくり栲象」のパフォーマンスが淡々と記録されているだけなのだが、途中でその傍に、巨大な猫が絶妙な間合いで出現して消えていく。むろん仕組んだものではないだろうが、その展開には意表をつかれた。なお、宮本隆司の写真と演劇評論家の長井和博のエッセイ「午後八時発動」を掲載した作品集『首くくり栲象』(BankART1929)も刊行されている。

2019/03/26(火)(飯沢耕太郎)

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