2019年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

雨ニモマケズ(singing in the rain)

会期:2019/03/01~2019/03/24

BankART Station+R16 Studio[神奈川県]

BankARTの新しい拠点、みなとみらい線の新高島駅に直結する「Station」と、国道16号線沿いの東横線の廃線跡をスタジオに再利用した「R16」。この2カ所をつなぐ展覧会が「雨ニモマケズ」だ。なんでこんなタイトルかというと、行けばわかるが、R16は高架下の吹きっさらしの場所で、雨にも風にも冬の寒さにも負けそうになるハードな空間なのだ。ちなみに英語タイトルは "singing in the rain" と、なぜか明るい。

まずR16のほうは、土屋信子、渡辺篤、金子未弥、マツダホームらここをベースとする作家を中心に作品を公開。そのためオープンスタジオ的な普段着の展示だ。その点、Stationのほうは外からアーティストを招いている上、空間が大きく密閉されているせいか、気合いが入った見ごたえのある作品が多い。その両方に出しているのが小田原のどかで、長崎の爆心地に立てられた矢形の標柱をネオンで再現したもの。爆心地に記念碑を建てるという発想はだれでもするが、まさか矢印を立てるとは! グーグルマップじゃあるまいし。小田原はこの爆心地と記念碑(彫刻)を巡って『↓(2019)』という小冊子も出しているので、一読を勧めたい。Stationのほうの作品はいちばん奥まった倉庫のような暗い空間にポツンと立っているので効果的だ。

山下拓也は、高さ2メートルほどもあるマンガのキャラクターみたいな版画を対にして10体くらい立てている。巨大なケヤキの切り株を輪切りにした衝立を版木にして、表裏に彫って刷っているのだ。ダイナミックな版表現と、描かれたひょうきんなキャラとのギャップがすばらしい。西原尚は2枚の薄い金属板を帆のように張った車を前後に行き来させ、金属板の奏でるホワンホワンという音を聞く作品。無用の装置と無用の音が周囲を脱力させる。村田峰紀は、ウィーンウィーンとつぶやきながら仮設壁にボールペンでぐりぐり穴が開くまで引っ掻き、そのまま線を引きながら裏に回って同じように引っ掻くパフォーマンスを披露。その痕跡を見るだけでも、彼が優れた造形センスを有するアーティストであることがわかる。

「Station」はその名のとおり駅に隣接する、というより駅に付随する空間なので制約も多いが、逆に可能性も高い。通行人を呼び込んだり、近隣企業を巻き込んだり、ここだけでなく別の駅とつないだ企画展も考えられるだろう。消滅したBankARTスタジオNYK以上の活動も期待できるぞ。つーか、期待してね。


関連記事

小田原のどか個展「STATUMANIA 彫像建立癖」|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年04月15日号)

2019/03/03(日)(村田真)

カメラが写した80年前の中国──京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真

会期:2019/02/13~2019/04/14

京都大学総合博物館[京都府]

「華北交通」とは、日中戦争勃発直後の1937年8月に南満州鉄道株式会社(満鉄)の北支事務局として天津で発足し、日本軍による華北の軍事占領と鉄道接収後、39年4月に設立された交通・運輸会社である。傀儡政権として樹立された中華民国臨時政府の特殊会社で、満鉄と同じく日本の国策会社であり、北京、天津、青島などの大都市を含む華北占領地と内モンゴルの一部を営業範囲としていた。旅客や資源の輸送のほか、経済調査、学校や病院経営、警護組織の訓練なども担っていた。また満鉄と同様、弘報(広報)活動にも力を入れ、内地に向けて「平和」「融和」をアピールし、日本人技術者や労働者を中国北部に誘致するため、日本語のグラフ雑誌『北支』『華北』の編集や弘報写真の配信を行ない、線路開発、沿線の資源や産業、遺跡や仏閣、風土や生活風景、年中行事、学校教育などを撮影し、膨大にストックしていた。日本の敗戦後、華北交通は解散するが、35,000点あまりの写真が京都大学人文科学研究所に保管されており、近年、調査や研究が進められ、2019年2月にはデジタル・アーカイブも公開された。本展は、2016年の東京展に続き、2回目の展示となる。

展示構成は、写真を保存・整理するために作成された「旧分類表」に基づき、「華北交通(会社)」「資源」「産業」「生活・文化」「各路線」のテーマ別のほか、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所が行なった雲岡石窟調査の写真も含む(調査費の半額を華北交通が援助した)。また、旧分類とは別に設定された「鉄道・列車」「民族」「教育」「日本人社会」「娯楽」「検閲印付写真」のテーマによる紹介は、華北交通写真のプロパガンダとしての性格に迫るものであり、興味深い。鉄道へのゲリラ攻撃を防ぐために、インフラの警備組織を沿線住民に担わせようとした「愛路」工作。一方、検閲で不許可とされた写真には、列車事故現場が生々しく写る。ロシアからの移住者、モンゴル人の各部族、ユダヤ教徒や回教徒(イスラム教徒)など、沿線範囲に住む民族の多様性。イスラム教徒の子どもにアラビア文字を教える教育場面や、「愛路婦女隊」のたすき掛けをした農村の女性に日本語や料理、看護を教える授業風景。「新民体操」と呼ばれたラジオ体操にはげむ子どもたち。グラフ雑誌『北支』の表紙には、優雅な民族衣装に身を包んだ若い女性、無邪気に笑う子ども、雄大な遺跡や仏閣の写真が並ぶ。これらは「帝国によって守られるべき」かつエキゾチシズムの対象であり、山岳に残る史跡を背に煙を上げて進む機関車を写した写真は、「前近代的時間」/「進歩・技術・近代」の対比を視覚的に切り取ってみせる。いずれも典型的な植民地プロパガンダの表象だ。


会場風景


会場風景

ほぼ同時期に、「満洲」で展開された写真表現を検証する展覧会として、2017年に名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展がある。同展で紹介された、満鉄が発行したグラフ雑誌『満洲グラフ』の写真は、モダニズム写真の実験性とプロパガンダとしての質が危うい拮抗を保って展開されていたことが分かる。本展もまた、写真とプロパガンダの関係のみならず、中国現代史、植民地教育史、民俗学、仏教美術研究など幅広い射程の研究に資する内容をもつ。

ただ惜しむらくは、展示の大半が引き伸ばした複製パネルで構成されており、現物のプリントはガラスケース内にわずかしか展示されていなかったことだ。元のプリントの鮮明さに引き込まれる体験に加え、70年以上の時間を経た紙焼き写真の質感、台紙の紙質や反り具合、キャプション情報や撮影メモの手書き文字、スタンプの刻印や打ち消し線などの情報のレイヤーといった、アーカイブのもつ「感覚的体験」「触覚的な質」が削がれた「資料展」然だったことが惜しまれる。


会場風景

また、展示構成のなかで、ウェブ上で全写真データが公開されている「華北交通アーカイブ」に触れられていても良かったのではないか。「華北交通アーカイブ」では、膨大な写真を撮影年や駅名別に検索できるほか、「機械タグ」のワードリストも載っている。ただ、画像自動認識による即物的なタグ付けで、アーカイブの潜在的な豊かさを開くことにどこまで貢献できるだろうかという疑問が残る。中立性の担保よりも、むしろ個別的な眼差しの痕跡を積み上げて可視化していくような試みが、ウェブ上のデジタル・アーカイブという場でできないだろうか。例えば、ユーザーがそれぞれの関心に従って「検索タグ」を多言語で追加できたり、その検索結果であるイメージの集合体を公開履歴として蓄積できるような機能。とりわけ、民族衣装をまとった中国人・モンゴル人女性や「愛路婦女隊」、「大日本国防婦人会」のたすき掛けをした和装の日本人女性など、ジェンダーやエスニシティの表象は、撮影者である「日本人男性」すなわち帝国の眼差しの反映であり、それらを多言語かつ複数の眼差しで読み解き、積み重ねていくことで、支配者の眼差しをズラし、相対化していくことにつながる。その時アーカイブは、複眼的かつ生産的な批評の営みの場となる。

華北交通アーカイブ:http://codh.rois.ac.jp/north-china-railway/

関連レビュー

異郷のモダニズム─満洲写真全史─|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

2019/03/02(土)(高嶋慈)

増山士郎「Self Sufficient Life」

会期:2019/02/15~2019/03/10

京都場[京都府]

アイルランド、ペルー、モンゴルの3ヵ国にて、現地の人々の協力と家畜から毛の提供を受け、伝統的な技術を用いて動物繊維加工品をつくる増山士郎のプロジェクトを集大成的に見せる個展。資本主義の発達したアイルランドで失われつつある伝統的な羊毛産業に着目した《毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む》(2012)、ペルーの高山地帯で放牧を営む家族の協力のもと制作された続編《毛を刈ったアルパカのために、そのアルパカの毛でマフラーを織る》(2014)、そしてモンゴルの遊牧民の協力のもと制作した完結編《毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍をつくる》(2015)の3作品が展示された。毛を刈り、梳き、糸車で紡ぎ、紡いだ糸を手編みや織機で布に仕立てるまでを現地の人々に教わる様子を記録した映像と、すべて手作業でつくられたセーターやマフラー、鞍、そしてそれらを身に着けた動物たちの写真でそれぞれ構成されている。セーターやマフラーは野趣あふれる佇まいながら、化学染料で染められていない優しく繊細な色合いが魅力的だ。


[撮影:曽我高明]


増山の3つのプロジェクトは、飄々としたユーモアをはらみつつ、資本主義社会や産業化と「コミュニティ・アート」、双方への批評的なアプローチを含む点に意義がある。牧畜や遊牧を営む「遠い」土地に赴き、家畜の毛を刈り、貨幣で代価を支払う代わりに、セーターやマフラーを編んでプレゼントする。伝統的なスローな技術を用い、生産と加工を同じ場で連続的に行なう振る舞いは、近代産業化や大量生産に対する批判的応答である。

また、生産物を相手に「贈与」する振る舞いは、「アーティストがコミュニティに入り、現地の素材や技術を用いて、現地の人々とともに作品をつくる」昨今の流行に対し、「アートによる一方的な搾取ではないか」という批判がなされることへの応答でもある。さらに増山の「贈与」の相手が、現地の人々ですらなく「(毛の提供者すなわち二重の「搾取」の対象である)動物」である点に、ユーモアに秘められたラディカルさがある。


[撮影:曽我高明]

2019/03/02(土)(高嶋慈)

第22回 岡本太郎現代芸術賞展

会期:2019/02/15~2019/04/14

川崎市岡本太郎美術館[東京都]

416点の応募のなかから選ばれた25組の作品を展示。応募数は長期的には減りつつあるようだが、入選作を見る限り相変わらず中身が濃いので安心というか、ますます濃くなっているのが心配というか。そのうち読売アンデパンダン展の末期みたいになればおもしろいけどね。

今回、年齢を公表している入選者のなかに還暦過ぎが2人いる。これは喜ばしいことだ。多くのコンペが年齢制限を設けているなかで、年齢も国籍も問わないのは、表現の自由と多様性を確保するうえで欠かせない条件だと思う。そのひとり本堀雄二は、捨てられた段ボール箱で薬師三尊と十二神将をつくり、もうひとりの武内カズノリは、陶磁の人面と杉枝などによるインスタレーションを発表。どちらも自然の力や環境問題に目を向けており、なんか世代的に「気持ち」がわかるなあ。武内は特別賞を受賞。

岡本太郎賞を受賞した檜皮一彦は、積み上げた車椅子の山からLEDライトをランダムに照射するといういささか暴力的な作品を出展。壁には車椅子を必要とする人物の映像が流れ、かなりインパクトがあった。岡本敏子賞の風間天心は僧侶もやっているそうで、水引を施したお城のようにリッパな祭壇をつくり「平成」を弔った。これから平成ネタの作品が増えそう。特別賞の國久真有は、台の上にキャンバスを置き、周囲を巡りながら手の届く限り線を引くという公開制作を実施中。線は腕のストロークを表わす円弧となり、それが幾重にも重なって大きなキャンバスの中央に矩形の余白ができる。こうした「ストローク画法」はほかにもあるが、彼女はそれによって単なる偶然による絵画ではない、もう一段上の表現を目指しているようだ。同じく特別賞の田島大介は、未来都市のような超高層ビルの俯瞰図を遠近感を強調して描いている。いまどきパソコンで作図できるのに、紙にインクで細密に手描きするという愚直さに惹かれる。

賞は逃したが、捨てがたい作品に、大きなサンドペーパーに木の枝や石ころで風景画を描いた藤原史江の《森羅万象》がある。描かれているのは樹木や川辺など、その枝や石を採取した場所だそうだ。採取したもので採取した風景を描くという自己言及的な絵画であり、それをサンドペーパーを支持体にすることで、「描く」「書く」の元が「掻く」「欠く」行為だったことを思い出させもする。ただいかんせん作品として地味。

2019/03/02(土)(村田真)

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齋藤陽道「感動、」

会期:2019/01/19~2019/03/30

東京都人権プラザ[東京都]

齋藤陽道は2010年に「キヤノン写真新世紀」で優秀賞(佐内正史選)を受賞し、翌年デビュー写真集の『感動』(赤々舎)を刊行した。今回の東京・浜松町の東京人権プラザでの個展は、その写真集におさめた作品全点を一堂に会するものである。タイトルに「、」がついているのは、そこから継続して歩み続けているという意思表示だろう。

まさに齋藤の写真行為の原点というべき写真群だが、こうしてあらためて見ると、それらがまったく色褪せないどころか、より輝きを増しているようにすら感じられる。聾唖の写真家である齋藤にとって、「障がい者プロレス」の仲間たちや、マイノリティと目される人たちの存在は、文字通り他人事ではなかったはずだ。写真に写り込んでいる彼らの姿は、ポジティブな視点で光とともに捉えられており、そこには「ポルノグラフィ的な消費される『感動』」ではなく、「絶句して、嗚咽して、なおおのれの存在が奮い立つような『感動』」を確かに捕まえたという強い思いが、ストレートに表明されている。齋藤の被写体に対する反応が、先入観にとらわれることなく、生きものが生きものに皮膚感覚で接するようなものであることがよくわかった。

このシリーズの「キヤノン写真新世紀」優秀賞受賞時のタイトルは「同類」だった。写真集出版の時期が東日本大震災の直後だったこともあり、あまりにも「自意識過剰なタイトル」だということで「感動」に変えたのだという。だが、この写真群にはむしろ「同類」というタイトルのほうがふさわしいのかもしれない。ひとりぼっちで世界に投げ出されて、か細く震えていた生きものが、「同類」に出会ったことの歓びが、どの写真にも溢れているからだ。

2019/03/01(金)(飯沢耕太郎)

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