2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ジェン・ボー「Dao is in Weeds 道在稊稗/道(タオ)は雑草に在り」

会期:2019/06/01~2019/07/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

北京出身で、香港を拠点に活動し、ソーシャリー・エンゲージド・アートにおいて世界的に注目を集める作家、ジェン・ボーの個展。「植物、雑草」を基軸に、被差別部落、性的マイノリティ、植民地支配といった周縁化された事象に光を当てる作品群が展開された。


ジェンは本展に先立ち、京都市立芸術大学の移転予定地である崇仁地域で滞在調査を行なった。1階の展示室は寺子屋風の設えがなされ、かつて被差別部落であった崇仁地域の「歴史を学ぶ場」として、水路による「境界線」が描かれた古地図、文献資料、街歩きの写真などが閲覧できる。また、建築家、生態学者、文化人類学者、歴史学者、活動家、美術家などさまざまな専門分野の人々が参加したワークショップの成果物として、「水平社宣言」を「植物も含む全ての種の平等」に拡張して書き換えた宣言文も展示された(鑑賞者も「新たな宣言文の起草案」を書いて参加でき、「開かれた学びの場」が仮設されている)。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

一方、2階に展示された映像作品のシリーズ《Pteridophilia》(2016-)では、「植物」が、人間以外の生物種も含めて政治的意志決定の主体とみなす「生態熟議民主主義」の構成要員から、「性愛」のパートナーへと拡張される。作品タイトルは、「シダ」を意味する接頭辞「pterido-」と、「あるものに対する愛情または嗜好性」を意味する接尾辞「-philia」を組み合わせた造語。深い森のなかで、全裸の若い男性が、シダの葉を舌で愛撫し、葉の先端で自らの胸や性器を刺激し、激しい情交を交わす。シダが選ばれた理由は、受粉による受精やオス/メスの区別がなく、胞子による無性生殖を行なう「胞子体」が主体であるという特殊な生殖形態にある。《Pteridophilia》は、こうした「クィア」なシダ植物と「クィア」な人々との性愛を描くことで、ヘテロセクシャルという規範や人間/植物といった「種」の区別すら越境した、「新たな性愛のかたち」を提示した。



会場風景
[Photo by Takeru Koroda, courtesy of Kyoto City University of Arts]

だが、本作は、同じくシダを扱った《Survival Manual》(2015-16)と関連づけて見るならば、単にユートピア的なビジョンの提示に留まらない、別のさらなる政治性を帯びてくる。《Survival Manual》は、太平洋戦争末期の1945年3月に台湾で発行された日本語の本『台湾野生食用植物図譜』を、ジェンが手描きで模写した作品である。台湾でシダは、原住民に重要視された植物である一方、戦時中は日本軍が、終戦後には中国本土からの国民党が、食糧難に備えてシダを食用植物として用いた。こうした歴史を念頭において《Pteridophilia》を見るとき、オーガズムの高まりとともに口に含んだシダの葉を食いちぎり、噛みくだき、飲み込んで体内に取り込もうとする男性の姿は、植民地支配がまさにカニバリズム的な欲望の表出やレイプに他ならないこと、欲望のままに相手を食らい尽くす行為であることを突きつける。それはまた、植物、とりわけ無性生殖の胞子体であるシダを用いることで、支配者=男性/被支配者=女性という、単純化されたジェンダーの支配図式からも逃れることに成功している。


だが、極めて残念なことに、《Pteridophilia》の展示にあたっては、「日本の性表現規制に基づき」という文言とともに、映像の一部が暗転され、音声のみで展示されていた。近年国内で相次ぐ表現の規制や炎上を考慮し、「リスク回避」を優先させた処置だと思われる。背景にはホモフォビアもあるのではないか。問題は、「誰がその判断を下したのか」「作家側から異議や抗議はなかったのか」といった経緯や責任主体の所在が不透明化され、ブラックボックス化し、暗黙のうちに「決定事項」となっていることだ。「開かれた」作品を見せる(見せて民主主義的な場を演出する)ことよりも、表現規制があったことについての情報やプロセスの開示と「議論の場を開く」ことこそが問われているのではないか。

2019/06/02(日)(高嶋慈)

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筒井宏樹編『スペース・プラン 鳥取の前衛芸術家集団1968-1977』

発行所:アートダイバー

発売日:2019/04/15

スペース・プランとは、谷口俊(1929-)、フナイタケヒコ(1942-)、山田健朗(1941-)らによって結成された鳥取の芸術家集団である。1968年の「脱出計画No.1 新しい芸術グループ結成のために」という檄文をもって活動を開始したこの集団は、68年から77年にかけて、県内で計13回の展覧会を実施した。そのなかには、当時アメリカで勃興して間もないミニマリズム的な様式が数多く見られる。のみならず、その発表の場に選ばれた鳥取砂丘や湖山池青島での野外展示も、当時としてはきわめて先進的な試みであったはずだ。にもかかわらず、ほぼ一貫して鳥取を舞台としたこの芸術家集団の活動は、これまで専門家のあいだでもほとんど知られていなかった。その彼らの活動に光を当て、長期にわたる調査を経て本書を世に送り出したのは、ひとえに編者である筒井宏樹(鳥取大学准教授)の功績である。

本書の元になったのは、昨年鳥取で開催された展覧会「スペース・プラン記録展──鳥取の前衛芸術家集団1968-1977」(2018年12月7日(金)〜19日(水)、ギャラリー鳥たちのいえ)である。この展覧会は、前述のように一般には(あるいは専門家のあいだでも)知られざる存在であったスペース・プランの活動を紹介した、世界でもはじめての展覧会だった。筆者は幸いにしてこの展覧会を実見することができたが、2週間弱の会期のうちに、遠方から足を運ぶことのできた来場者はごく一握りだったのではないか。そうした事情も勘案すれば、同展に出品された多くの記録が、こうして一冊の図録としてまとめられたことの意義はかぎりなく大きい。

しかしそもそも、今あらためてスペース・プランという半世紀前の芸術家集団に注目する意義とは何なのか。そう訝しむ読者には、まずは編者による序論「スペース・プランとその時代」(6-11頁)の一読をすすめたい。そこでは、この地方の芸術家集団がなぜ68年という早い時期にミニマリズムへと接近しえたのか、そして、いかなる経緯により69年の鳥取砂丘での展示が可能になったのかが客観的な裏づけとともに語られる。なかでも、美術家・福嶋敬恭(1940-)を媒介とした、京都の「北白川美術村」とのつながりは興味深い。美術コレクターのジョン・パワーズの導きで64年に渡米した福嶋は、同地で兆しつつあったミニマリズムの萌芽をその目に収めている。その福嶋の中学時代の美術教師であったのが前述の谷口俊であり、その実弟が、同じくスペース・プランのメンバーであった福嶋盛人(1941-)であったというわけだ。北白川で聞いた福嶋の話に大きな衝撃を受けた谷口は、68年に《BLUE MEDIA》というミニマリズム的な作品を発表する。スペース・プランはこれを機に結成され、以後10年におよぶ数々の野外展示が実現されていった。

以上のエピソードは、関係者の多くが存命であるがゆえに可能になった、戦後美術の一側面を示す貴重な証言であろう。これ以外にも本書は、ひとりの研究者がいなければ確実に埋もれていたであろう、数々の貴重な資料に満ちあふれている。地方の前衛芸術家集団の再評価、ということで言えば、今から数年前に行なわれた「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(国立国際美術館、2016-2017)を連想させなくもない。その「THE PLAY」展と同じく本書のデザインを手がけた木村稔将は、スペース・プランにまつわる雑多な写真や文書を巧みに配することで、忘却からかろうじて救い出された過去の記録に新たな生を与えている。現代美術における「地域性」や「コレクティヴ」があらためて問いただされる昨今の状況に鑑みれば、本書の刊行はまことに時宜を得たものであると言えよう。

2019/06/01(土) (星野太)

大橋愛「arche」

会期:2019/05/18~2019/06/29

POETIC SCAPE[東京都]

大橋愛は2013年に写真集『piece』(FOIL)を刊行後、次のテーマを模索するうちに、自身が小、中、高校の頃に通っていた箱根山中のカトリック系女子校、函嶺白百合学園を撮影することを思いついた。それから4年間、何度となく通い詰めて、小学生たちを周囲の環境も含めて撮り続けた写真を集成したのが、今回のPOETIC SCAPEの展覧会である。

戦時下に疎開学園として設立された同学園は、豊かな自然に包まれた環境で、のびのびと授業がおこなわれている。『piece』は身近な人の死を契機として、その鎮魂の意味を込めて編まれた写真集だった。大橋にとって、山中にひっそりと小さな王国をつくりあげている函嶺白百合学園を撮影することは、その痛手を癒す行為であり、そこは「守られること」の大切さを強く感じさせる場所だったのではないだろうか。

写真を撮影するにあたっては、学校側からかなり厳しい条件が出された。顔や個人が特定できるアングルから撮影しないこと、ひとりではなく複数が写っているようにすることなどである。やはり最初はもう少し一人ひとりの表情を見たいと思ったのだが、写真を見続けているうちに、これはこれでよかったのではないかと思えてきた。大橋が伝えたかったのは、40年前とほとんど変わらないという学校の佇まいであり、「守られること」の安らぎと、それがいつ壊れるかわからないというぎりぎりのバランスだったのではないだろうか。特定の個人が見えてくる写真を入れると、その緊密な構成が崩れてしまう。特に、同じカトリック系ミッションスクールでもあるカリタス学園の小学生たちが襲われた川崎の殺傷事件の直後だっただけに、その配慮が身に沁みたということもある。むしろ、DMにも使われた綾取りをする少女たちの手をクローズアップした写真のように、被写体の細部を、そっと距離を置いて読み解いていくことが大事になるのではないだろうか。

2019/06/01(土)(飯沢耕太郎)

プロジェクト#04 利部志穂 Piazza del Paradiso

会期:2019/05/11~2019/06/09

アズマテイプロジェクト[神奈川県]

ぼくのアトリエから徒歩5分ほど、イセザキモールに面した伊勢佐木町センタービルの3階に、今年初めアートスペースがオープンした。横浜の繁華街には、3階建てで1階が商店という戦後まもない時期のビルがまだ残っているが、ここもそのひとつ。階段を昇ると、エッシャーを思わせる歪んだ階段が現出したり、いまどき珍しいレアな看板やポスターが貼られていたりして、昭和レトロな雰囲気を濃厚に漂わせている。その3階の奥のなぜかロフト付きの部屋と、元は印刷所だったという壁がボロボロの一室がアズマテイプロジェクトだ。

ここは名前から察せられるように、東亭順を代表とする4人のアーティストらが立ち上げた「創造的実験場」。その最初のチラシには、「貸しスペースでもなく、作品売買を目的としているわけでもなく、若手美術家を支援するつもりもなく、支援を受けて町興しに協力するわけでもなく、純粋にいま我々が観たいものを観せてもらい、我々が見せたいものを見せ、聴きたいものを聴き、会いたい人に会う機会の場として運営していく」とある。つまり社会的な義務や責任を負わず、誰からも文句をいわせず、自分たちがやりたいことをやっていくという宣言だ。これはいまの窮屈な世の中である意味とても賢い選択だと思う。大変だけどね。

今回4回目の企画展は利部志穂。天井から針金でモノを吊るしたり、床に廃材を老いたり、壁に絵を掛けたり、詩のような文章を掲げたり、この場の空気に反応したインスタレーションを見せている。2年間イタリアに滞在していたそうで、タイトルはイタリア語で「天国の広場」という意味。

2019/06/01(土)(村田真)

川田喜久治「影の中の陰」

会期:2019/05/29~2019/07/05

PGI[東京都]

川田喜久治は2018年1月からインスタグラムに写真をアップし始めた。今回のPGIの個展では、2019年5月まで、つまり「『平成』の最終年から、元号が『令和』に変わるまで」ほぼ毎日アップされた370点から、約50点を選んで展示している。出品作は「1.空、雲、雨、太陽と月のメタファー、あるいは、オマージュ」、「2.『見えない都市』あるいは。『記憶のない都市』」、「3.影の中の陰」の3パートに分かれるが、「展示においてはそれぞれを混合し、異時同図のイメージスクロール(一種の絵のながれ)としている」という。

作品には、1970年代の「ロス・カプリチョス」、90年代の「ラスト・コスモロジー」、2000年代の「ワールズ・エンド」など、これまでの川田の仕事を彷彿とさせるものが数多く含まれている。つまり、インスタグラムという「新しいコミュニケーションを秘めたこの方法」を試すにあたって、彼はこれまでの自分の写真観、世界観を総点検し、そこからさまざまな手法を抽出し、全精力を傾けて「イメージスクロール」を構築しようとしているのだ。結果として、「影の中の陰」はいかにも川田らしい作品であるとともに、新たなチャレンジの意味を持つものともなった。川田は1933年生まれだから、今年86歳になるわけだが、小柄な体の奥から湧き出る創作エネルギーの噴出には、驚きを通り過ぎて唖然としてしまう。

インスタグラムへの挑戦は、川田にとって新鮮な衝撃でもあったようだ。展覧会のコメントに「あのハート印の『いいね』を繰り返す見えない人たちの呪文のような声援は、日々の光の謎の奥へと探索をうながしてくる」と書いている。インスタグラムヘのアップを契機として、さらなる未知の表現領域への飛躍も期待できそうだ。

2019/05/29(水)(飯沢耕太郎)

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