artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
鈴木秀ヲ「輪郭の眺め」

会期:2011/05/24~2011/06/04
ギャルリ ドゥミ・ソメーユ[東京都]
鈴木秀ヲの新境地である。これまでの彼の仕事は、1995年の写真集『パーテル・ノステル[少年の科学]』(Mole)によく表われているように、「オブジェ少年」の夢想を形にしたような、端正で構築的なモノクローム作品が中心だった。ところが、今回の「輪郭の眺め」では、これまでの仮面をかなぐり捨てるように、夢想の方向を大人のエロティシズムに転換させている。
鈴木がテーマとして選んだのはベティ・ペイジ。これには驚いた。ベティ・ペイジといえば「アンダーグラウンドのマリリン・モンロー」と称された1950~60年代のカルト・モデルである。特にあられもない衣裳に身を包んで、ボンデージ系の雑誌のためにポーズとった写真で、密かな、だが根強い人気を誇っていた。1980年代以降、そのコケティッシュな魅力あふれる写真群はふたたび注目されるようになり、2005年には伝記映画まで公開されている。鈴木がベティ・ペイジ・フリークだったとはまったく知らなかったが、写真集や雑誌の写真図版から複写したプリントを、コラージュ的に配置した展示はかなり面白かった。緑と赤の画像をずらしてプリントし、立体写真のような効果を出したり、特徴的なスカーレットの色味を強調したり、画像の一部をわざとぼかしたりする操作を加えることで、現実と幻想の間をふわふわと漂うような気分が生じてきている。あまり肩肘張らずに、どこか楽しげに、余裕を持ってイメージと戯れている様子が伝わってきた。このアイディアと手法は、ベティ・ペイジ以外の時代のイコンにも応用が利くのではないだろうか。
2011/06/02(木)(飯沢耕太郎)
尾形一郎/尾形優「ナミビア:室内の砂丘」

会期:2011/05/30~2011/06/11
[東京都]
会場:ギャラリーせいほう/ときの忘れもの
尾形一郎、尾形優が共作した『HOUSE』(FOIL、2009)は、ギリシアの鳩小屋、沖縄の「構成主義」的なビル、メキシコの「ウルトラバロック」様式の教会など、世界各地のヴァナキュラーな建築物を独自の視点でとらえ直した刺激的な写真集だった。そのなかで、最も異彩を放っていた「ナミビア:室内の砂丘」シリーズの展覧会が、東京・銀座のギャラリーせいほうと、南青山のときの忘れもので同時に実現した。ギャラリーせいほうには「大作7点」が、ときの忘れものには「20点組の初のポートフォリオ」が展示されている。
2006年にアフリカ大陸南部のナミビアの砂漠地帯で撮影されたこのシリーズの被写体は、約100年前のダイヤモンド・ラッシュの時に入植したドイツ人たちが住みついた建物である。それらは、当時流行していたゼツェッシオン様式でつくられているが、その後見捨てられて空き家になり、部屋の中まで砂が入り込んできている。その自然と人工物がせめぎあう眺めが、なんともシュールなのが興味深い。展覧会に寄せたコメントで、自身建築家でもある二人が「建築という方法で、どこまで人の心の深層や無意識の領域が表現できるか」と書いているが、まさにその設定にぴったりの被写体といえるだろう。家を建てたドイツ人にも、それを撮影した二人にも、また写真を見るわれわれ観客にも、まったく予想もつかなかった光景がそこに広がっていて、見ていると「こんな場所が本当にあるのか」と、どことなく宙にさらわれるような気分になってくる。作品のフレーミングや配置も、さすがに建築家らしく細部までしっかりと整えられていた。
2011/06/02(木)(飯沢耕太郎)
梁煕 展

会期:2011/05/30~2011/06/11
Gallery Q[東京都]
ソウル出身のYANG HEEによる個展。キャンバスにアクリルで描いた少女像の上にオーガンジーという薄いメッシュを覆い被せた絵画作品を発表した。シンプルな描線と淡い色彩で描かれた少女たちはいずれも無邪気な素振りを見せているが、その上に重ねられた白いヴェイルのような皮膜にはあらかじめ細かい網の目や花柄などが織り込まれているため、「あちら側」にいる彼女たちと「こちら側」にいる私たちのあいだの断絶を感じざるをえない。この薄い皮膜は平面を装飾する形式的な工夫ではなく、彼女たちの無垢な純粋性ないしは処女性を強調するための装置なのだろう。誘引力があるにもかかわらず手の届かない不可能性。このもどかしさがエロティシズムを駆り立てる一方で、不純な進路を進みつつある現代絵画を生粋の原点にリセットしようとする試みにも思えるところが、興味深い。
2011/06/02(木)(福住廉)
五百羅漢──増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信

会期:2011/04/29~2011/07/03
江戸東京博物館[東京都]
幕末の絵師、狩野一信が10年にわたって描いた「五百羅漢図」。この展覧会は増上寺が秘蔵するその全100幅を一挙に公開したもの。172×85cmという画面と、その画面の下部に前景を、上部に後景を描くという構図がそれぞれ定型化されているため、ともすると単調な鑑賞になりがちだが、抑揚をつけた展示構成と何より描かれた羅漢たちの面妖な容姿のおかげで、いちいちおもしろい。羅漢の特徴は、坊主頭を取り巻く光輪と、何か曰くありげないやらしい目つき。世俗を達観した仏僧というより、生活の俗塵にまみれながらも悟りを開いた修行僧として描かれていたわけだ。じっさい百幅のうちの前半は羅漢たちの暮らしや修行の模様を描いているが、そこには浮世離れしたというより等身大の暮らしがあるだけだし、雲に乗って浮遊する羅漢たちを見てみると、庶民や動物を救済する聖なる一面と、下々を見下ろす卑しい一面を同時に感じ取れる。それは仏の清濁併せ呑む度量の大きさを示すというより、人間の生々しい実像を提示することによって見る者への訴求力を高めようとする戦術の現われのように思われた。平たく言えば、一信は十分に「ウケ」を狙っていたのではないか。いくら歴史上の人物だとはいえ、絵描きとしての素直な欲望が垣間見えるところがおもしろい。
2011/06/02(木)(福住廉)
山本真人「The messy room」

会期:2011/05/23~2011/06/04
表参道画廊[東京都]
毎年5月末から6月初めの時期に、日本写真協会が主催して開催される「東京写真月間」。富士フイルムフォトサロンの「日本写真協会賞受賞作品展」(5月27日~6月2日)をはじめとして多彩な行事が行なわれるが、都内のギャラリーでも関連した展覧会が企画されている。渋谷区神宮前の表参道画廊では、東京国立近代美術館の増田玲の企画で山本真人の個展が開催された。山本の展示を見るのは初めてだが、なかなか力のある写真作家だと思う。
展示作品は「陽の目をみることなくしまわれていた大量のネガ」から、画面の大部分を黒く潰してプリントした写真を古風なフレームにおさめた「The last whisper」と、トイレットペーパー、テープなど、日常的なオブジェを配した鏡を空に向けて雲を写し込んだ「Euclid’s talk in sleep」の二つのシリーズである。どちらも見る者の感情を上手に揺さぶる的確な画面構成で、布や椅子を使った作品のインスタレーションもよく考えられている。どちらの作品にも、ほのかにユーモラスな感触が漂っているのがなかなかいい。会場に本がおいてあったので気づいたのだが、山本は以前に、蜂巣敦著の『殺人現場を歩く』(ミリオン出版、2003)、『殺人現場を歩く2』(同、2006)の写真撮影も担当していた。これら凄みのある「現場写真」は気になっていたので、「なるほど」という感じがするとともに、多様な方向に柔らかく伸び広がっていく才能の持ち主であることがわかった。次の作品にも注目していきたい。
2011/06/01(水)(飯沢耕太郎)


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