artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
チェルノブイリから見えるもの

会期:2011/05/03~2011/06/25
原爆の図丸木美術館[埼玉県]
1986年のチェルノブイリ原発事故の後、いわゆる「死の灰」に汚染された地域に立ち入り、そこで生活を送ることを決意した人びとを撮影した広河隆一と本橋成一の写真、そして彼らを描いた貝原浩のスケッチ画を見せる展覧会。福島第一原発による放射能汚染の実態が徐々に明らかになりつつある今、その脅威のもとで私たちはいかに生きるのかという問題を、チェルノブイリという前例から考えさせる、まさしく時宜を得た企画展だ。震災以後、「被災者の心情への配慮」を理由に「原爆を視る 1945-1970」展の開催をとりやめた目黒区美術館とはじつに対照的だが、丸木位里・俊夫妻による《原爆の図》シリーズを常設展示している同館は、やるべき仕事をきっちり果たしたという点で、高く評価されるべきである。三者のなかでも、とりわけ印象深かったのが貝原浩のスケッチ画。現地の風物や人びとの日常、そして文化を和紙に水彩と墨で丹念に描いた絵がなんとも味わい深い。しかも、それらの余白に詳細な解説文が書きこまれているため、時間性を伴った絵本や絵巻物のように、見ているうちにぐいぐいと画面に惹きこまれてゆく。画と文が有機的に一体化しているという意味では、先ごろ世界記憶遺産に認定された山本作兵衛の炭鉱画に近いといってもいい。貝原が目撃したのは、放射能に汚染されたことを知りながら、それでも故郷で生きることを決意した人びとの、たくましくも哀しい心持ちだ。それが彼らの郷土愛に由来していることはまちがいない。けれども、貝原の画文を見ていると、究極的にはそれが人間の「生」が本来的に自然と密着しているという厳然たる事実にも起因していることに気づかされる。大地と空間と水なくして生命が成り立たないことを身体的に知っているからこそ、たとえ汚れてしまったとしても、彼らはその土地で生きることを選んだのではなかったか。色とりどりのスカーフを頭に巻いた老女たちを指して、「あの太い足にはきっと大地の精気を吸い上げる力があるのだと思う」と記した貝原の視線は、そのことを鋭く見抜いていたのだ。貝原浩のスケッチ画は、『風しもの村から──チェルノブイリ・スケッチ』(平原社、1992年)で見ることができる。
2011/06/22(水)(福住廉)
岸雪絵 展「a patched scene」

会期:2011/06/21~2011/07/03
ギャラリー恵風[京都府]
画廊のふたつの壁面にまたがる絵巻物風の大作に驚かされた。街中の風景を元にした版画だが、一つのモチーフが左右反転して繋がっているなど仕掛けが満載で、異世界に迷い込んだような気分になれる。彼女はこれまで小売店のショーケースに並んだ商品などを主なモチーフとしており、屋外を描くのは珍しい。本展で新たな可能性が示されたので、今後は作風が一層広がるかもしれない。
2011/06/22(水)(小吹隆文)
路上 On the Road

会期:2011/05/17~2011/07/31
東京国立近代美術館ギャラリー4[東京都]
「路上」というからストリートアートでも紹介されるのかと思ったら、そんなはずもなく、岸田劉生の《道路と土手と塀(切通之写生)》や東山魁夷《道》など文字どおり道路を描いた絵から、ラウシェンバーグや荒川修作らどこが路上なんだかわからない作品まで多々そろえてあった。おもしろいのは、銀座の建物を道沿いに片っ端から撮った木村荘八の『アルバム・銀座八丁』(1954)と、同様のコンセプトによるエド・ルシェーの『サンセット・ストリップ沿いのすべての建物』(1966)が並べてあること。「どうだ、日本人のが早い(ものもある)ぞ」と自慢しているかのようであった。
2011/06/22(水)(村田真)
パウル・クレー──おわらないアトリエ

会期:2011/05/31~2011/07/31
東京国立近代美術館[東京都]
パウル・クレーというと、ぼくのなかでは嫌いになる理由はなにもないのに、なぜか好きにもなれないという微妙な位置にいたが、この展覧会を見てその理由が少しわかったような気がする。同展はただたんに作品を時代順に並べるのではなく、「クレーの作品は物理的にどのようにつくられたのか」という視点に立ち、さまざまな技法や形式ごとに作品を分類・展示してみせている。たとえば「写して/塗って/写して」では、鉛筆やインクで描いた素描を黒い油絵具を塗った紙の上に置き、針で描線をなぞって転写した上に水彩絵具で着色するという技法を紹介。また「切って/回して/貼って」では、いちど仕上げた作品を切り分けて独立した2点の作品に、あるいは左右を入れ替えて別の作品にしてしまう事例を展示。つまり、クレーの作品には終わりがなく、ある意味つねに生成過程にあるということだろう。そうしたある種のハンパさが、理由だったのかもしれない。ぼくの好みはともかく、こうした生成過程にある作品や「おわらないアトリエ」という考えは、これからますます発展の余地があるように思う。
2011/06/22(水)(村田真)
ロバート・フランク写真展 Part I 「Outside My Window」

会期:2011/06/02~2011/07/30
gallery bauhaus[東京都]
ロバート・フランクの写真集『私の手の詩』(1972)、『Flower is......』(1987)の発行元である邑元舍代表の元村和彦は、長年にわたるフランクとの交友の間に彼のプリントを多数所持するようになった。その一部を二部構成で紹介するのが今回の展示で、夏休みを挟んで9月3日~10月29日には Part II 「Flower Is」が開催される。
Part I 「Outside My Window」の展示は、1950年代初頭のパリやロンドンでのスナップショットから、1958年の写真集『アメリカ人(The Americans)』の時代を経て、1970年代以降の複数の写真をコラージュ的に構成する実験的な作品まで多岐にわたっている。だがそこには、あくまでも日常の事物に寄り添いながら、自らの生の流れに沿って写真を綴れ織りのように編み上げていこうとするフランクの志向をはっきりと見ることができる。1974年に愛娘、アンドレアの飛行機事故死を受けて制作したコラージュ作品には、「SKY」「ANDREA DIED DEC.28 th 1974」という書き込みがあり、鎮魂と作品制作の行為が切れ目なく融合していることが見てとれる。このような生と写真のアマルガムをめざすあり方は、1970年代以降、むしろアメリカの写真家たちよりは深瀬昌久、荒木経惟、鈴木清といった日本の「私写真」の写真家たちに受け継がれていったのではないだろうか。フランクは日本の現代写真家たちとの親密な交流で知られているが、それはその作品世界の基層が共通しているからではないかと思う。
会場に作家の埴谷雄高が『私の手の詩』に寄せた文章の一部を抜粋して掲げてあった。「事物も人間も、それを凝視すればするほど、見られるものと見るものとのあいだの内的なかかわりをあきらかにして、生と存在の端的な秘密を私達に示すのである」。たしかにフランクの写真を見ていると、そこから「生と存在の端的な秘密」が生々しい切り口で浮かび上がってくるように感じる。見慣れていたものが見慣れない異物に変貌する瞬間を、恐ろしく的確に捉える彼の特異な眼差しのあり方を、あらためて確認することができた。
2011/06/22(水)(飯沢耕太郎)


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