artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

トーキョーワンダーウォール2011

会期:2011/05/28~2011/06/19

東京都現代美術館[東京都]

密かに楽しみにしている「ワンダーウォール」公募展。今年は立体も含めて92人の作品が入選。ざっと一巡して、これは村瀬恭子風、これは池田光弘風というように多くの作品に既視感を抱いてしまった。これは今回に限ったことではなく、ポストモダンの風潮ではもはや仕方のないことかもしれない。そんななかでちょっといいなと思ったのは、江川純太、山崎怜太、鈴木寛人、西山弘洋、林田茉莉、菊池奈緒、安藤文也、佐藤イチダイ、及川さとみの9人。ちょうど1割だな。

2011/06/16(木)(村田真)

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名和晃平──シンセシス展

会期:2011/06/11~2011/08/28

東京都現代美術館[東京都]

これはすごい。現代美術館の巨大な1フロアを作品で埋め尽くしている! そんなことで驚いていてはいけないのだが、しかし30代なかばで、しかも「セル(Cell)」というひとつのコンセプトでこれだけの仕事を見せられるのはやはり驚きだ。プリズムシートを貼った透明の箱に動物の剥製を入れた「プリズム」をはじめ、鹿の剥製を透明の球体でびっしり覆った「ビーズ」、人間や動物の全身像を解像度の異なる多面体で表わし、ズラして重ねた「ポリゴン」、おもちゃや日用品に発砲ポリウレタンの霧を吹きつけて表面をモコモコにした「ヴィラス」、シリコンオイルのプールに規則正しく泡を発生させる「リキッド」、そして圧巻は球体から発展させた高さ15mの巨大彫刻のパーツを並べた「マニフォールド」まで、「セル」を核に2次元(表面)と3次元(彫刻)を往還しながら立体、平面、映像などに展開してきた作品群は、見る者に知的な刺激を与えてやまない。が、物質の根源に迫ろうとするせいか作品に色彩がほとんどなく、また素材も制作方法もきわめて人工的なので(手の痕跡が薄い)、どこか遠い世界のデザイン展を見せられているようなよそよそしさを感じさせるのも事実。まあそれも含めておもしろいのだが。会場を一巡して最後の部屋に作品解説の紙が置いてあり、それを見ながらもう一巡するというアイディアもいい。

2011/06/16(木)(村田真)

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安井仲治 写真展 1930-1941

会期:2011/06/06~2011/07/31

写大ギャラリー[東京都]

何度見ても、安井仲治の作品には驚かされる。「安井仲治は日本近代写真の父である」と喝破した森山大道をはじめとして、多くの論者がその天才ぶりに驚嘆し、38歳という早過ぎた死を惜しんでいるが、それでもなおまだ充分な評価を得ているとはいえないのではないだろうか。今回の東京工芸大学中野キャンバス内の写大ギャラリーでの展示を見ても、この人の存在は時代に関係なく底光りをする輝きを放っているように思えるのだ。
今回は新たに収蔵された安井のモダン・プリント30点のお披露目ということで、1930年に「第3回銀鈴社展」に出品された「海港風景」から、早過ぎた晩年の傑作《雪》(1941)まで、ほぼ過不足なく彼の代表作を見ることができた。人によっては、彼の作風が余りにも大きく広がっていて、その正体がつかみにくいと思ってしまうかもしれない。シュルレアリスムの影響を取り入れた「シルエットの構成」(1938頃)のような作品から、メーデーのデモに取材した《旗》《検束》《歌》(以上1931)、切れ味の鋭いスナップショットの「山根曲馬団」シリーズ(1940)など、たしかに同じ作者の作品とは思えないほどの幅の広さだ。だが、現実を内面的なフィルターを介して独特の生命感あふれる映像に再構築していく手つきは見事に一貫しており、どの作品を見ても「安井仲治の世界」としかいいようのない手触りを感じる。『アサヒカメラ』1938年5月号の「自作解説」に「自分が小さい智慧で細工出来ぬ姿に出くわした時は其儘素直にこれを撮ります」と記した《秩序》(1935)のような作品を見ると、彼がアメリカやヨーロッパの同世代の写真家たちと、ほとんど同じ問題意識を共有していたことがよくわかる。この「トタン板の切れっぱし」の集積のクローズアップは、ウォーカー・エヴァンズの写真集『アメリカン・フォトグラフス(American Photographs)』(1938)におさめられた「ブリキの遺物(Tin Relic)」にそっくりなのだ。
なお、会場に置いてあった芳名帳を兼ねたスケッチブックに「写大ギャラリーはオリジナル・プリントを展示する場所だから、モダン・プリントはよろしくないのではないか」という指摘が記してあった。だが、写真家の死後に制作されたモダン・プリントも、オリジナル・プリントの範疇には入る。ただ、写真家自身が最初にプリントしたいわゆる「ヴィンテージ・プリント」とは、位置づけが違ってくることは否定できない。今回のモダン・プリントはほぼ完璧な出来栄えだが、混乱を避けるためにも、このプリントが誰によって、どのような経緯で制作されたのかを、会場のどこかに明記しておく方がよかったのではないだろうか。

2011/06/16(木)(飯沢耕太郎)

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平竜二「Vicissitudes 儚きもの彼方より」

会期:2011/06/08~2011/07/10

LIBRAIRIE6[東京都]

あまり他に例のない独特の作風の持ち主だと思う。平竜二は1960年熊本生まれ。高村規に師事してコマーシャル写真の仕事をした後、1988年に渡米し、ニューヨークで栗田紘一郎からプラチナプリントを学んだ。プラチナプリントは光と影の中間の領域を豊かなグラデーションで表現できるが、技術的にはかなりコントロールが難しい。平のプラチナプリントは完成度が高く、ここまで完璧に使いこなせる写真家はあまりいないのではないだろうか。
今回展示された「Vicissitudes 儚きもの彼方より」は二つのシリーズで構成されていて、ひとつはタンポポやオジギソウなど自分で種子から育てた植物を、シンプルに黒バックで撮影したもの。植物のフォルムを、細やかに、愛情を込めて写しとっている。もうひとつのシリーズでは、カメラの前にフィルターを置き、そこに写る影を長時間露光で定着した。光源が 燭のように淡く、弱い光なので、被写体になっている花や昆虫の影に微妙な揺らぎが生じてきている。こちらの「影」シリーズの方が、この写真家の「儚きもの」に寄せるシンパシーと、生きものの微かな命の震えを受けとめる感度の高さをよく示しているように思えた。
日本の写真家で、このように繊細な美意識の持ち主ということになると、中山岩太の1930~40年代の仕事くらいしか思いつかない。「影」シリーズの、どこからともなく射し込んでくるほのかな光の質も、中山と共通している。ただ、中山の濃密なエロティシズムを感じさせる作品と比較すると、平のプラチナプリントがどこかひ弱な印象を与えることは否定できない。さらにこの独自の作品世界を突き詰め、毒や怖さをも秘めた生命力のエッセンスをつかみ取ってほしい。

2011/06/15(水)(飯沢耕太郎)

プレビュー:オン・ザ・ロード:森山大道 写真展

会期:2011/06/28~2011/09/19

国立国際美術館[大阪府]

東京を拠点に活動を行なってきた写真家・森山大道の個展。1965年のカメラ雑誌デビュー当時から現在までの軌跡を、おもな写真集10数冊の流れに即して顧みるという今展は、東京をテーマにした最新のカラー写真も紹介される。関西では初めての個展というのは意外だが、出品総数は400点以上というボリューム。その写真観や魅力も十分にあじわえそうだ。

2011/06/15(水)(酒井千穂)

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