artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
松下徹「KELEN」

会期:2011/05/21~2011/06/19
island MEDIUM[東京都]
頭蓋骨やスニーカーをモチーフに表面を削ったりひびを入れたりしている。最初は写真(印画紙)の上に細工しているのかと思ったら手描きだそうで、じつに複雑な技法と工程を駆使して画面を処理しているらしい。作者はアメリカで思春期をすごし、グラフィティやストリートアートに触発されたという。たしかにモチーフはストリート系だけど、完璧な仕上がりはむしろ工芸に近い。
2011/05/27(金)(村田真)
高井史子「the water」
会期:2011/05/21~2011/06/12
Bambinart Gallery[東京都]
モノクロームに近い青灰色で人気のない風景を描いている。なかには左右対称の風景もあり、必ずしも実在する場所を描いたものでないことがわかる。作者はドイツに留学していた経験があるというが、そういえばこのどんよりとした風景はドイツっぽい。こういう陰鬱なロマン主義絵画ってけっこう好きだけどなあ。
2011/05/27(金)(村田真)
山本伸樹 展「失くなったもの 残ったもの」
会期:2011/05/20~2011/06/12
HIGURE 17-15 cas[東京都]
1階には、軽トラックやドラム缶を新聞紙で型どった立体が無造作に積まれ、2階にはやはり新聞紙で固めた子ブタが数十匹ぶら下がっている。これだけではなんのことだかさっぱりだが、作者が福島県在住で、しかも使用した新聞紙が震災報道で埋められていることに気づけば、これが震災後、そして原発事故後の荒涼たる姿を表わしていることは明らかだ。もちろん被災地の光景はこんなものではないだろうけど、そんな希有な災害に直面した表現者のやむにやまれぬ思いは痛いほど伝わってくる。
2011/05/27(金)(村田真)
川田喜久治「日光─寓話」

会期:2011/05/10~2011/06/25
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
1959年、6人の写真家たちによって「VIVO」(エスペラント語で生命の意味)と名づけられたグループが結成された。東松照明、奈良原一高、川田喜久治、細江英公、佐藤明、丹野章の6人は、1925年生まれの丹野章を除いては、いずれも1930~33年生まれの写真家たちである。「VIVO」は1961年までの3年間という短い活動期間だったが、同時代及びそれ以降の写真家たちに決定的ともいえるような影響を及ぼした。日本の戦後写真史において、明確に個人の想像力の発現といえるような表現が成立するのは、彼らの登場が呼び水になったといえるだろう。
その「VIVO」の写真家たちも70歳代後半から80歳代になった。佐藤明は既に亡くなり、奈良原一高も長い闘病生活で制作活動ができない状態になっている。だが東松、川田、細江、丹野はまだまだ元気で、現役の写真家として写真展の開催や著書の刊行などの活動を展開している。特に川田はこのところ毎年のように新作展を開催しており、2010年度の日本写真協会年度賞を受賞するなど、その精力的な仕事ぶりには脱帽するしかない。1950~60年代にデビューした川田たちの世代の息の長さと肺活量の大きさは、その下の世代と比較してもやや異常なほどだ。
今回の川田の展示は、日本文化のバロック的な美意識の典型というべき日光をテーマにした新作である。ただ、メインとなる日光東照宮や華厳の滝の画像は1980年代に『藝術新潮』の取材で撮影したもので、それらをデジタル的に加工しつつ、新たに撮影したイメージと合成している。2000年代になって本格的にデジタル表現にチャレンジし始めてから、彼の作品はよりカオス的な流動性が強まっているように感じるが、今回のシリーズはその極致といえそうだ。特に画像の細部からわらわらと湧き出るように出現してくる龍、鳳凰、象、猿、猫などの幻獣たちが、見る者を過剰なエネルギーが渦巻く魔術的世界に引き込んでいく。川田はまた展覧会のテキストとして「日光─寓話」と題する文章を寄せているのだが、これもまた充分に一個の掌篇小説として読むことができるものだ。中井英夫や澁澤龍彦の系譜に連なる幻想譚を書き継いでいくのも面白いのではないだろうか。
2011/05/27(金)(飯沢耕太郎)
石川雷太 展 ノイズ・テロル・サブリミナル

会期:2011/05/20~2011/05/30
少なくとも東日本の人間にとって、いまもっとも注目している数字が放射線の線量であることは間違いない。「シーベルト」という単位はすっかり社会に定着してしまった。石川雷太は、いくつかの放射性鉱石を並べ、ガイガーカウンターでそれらの線量を計測させる作品などを展示した。暗闇の中で鈍く輝く鉱石そのものは美しいが、ガイガーカウンターを近づけると計測針がゆるやかに振れ動き、目に見えない放射線の存在を目の当たりにさせられる。試しに自分の身体に向けてみても針はわずかに振れたから、東京に暮らす者であっても、多かれ少なかれ放射線を浴びているということなのだろう。容易には知覚しがたい放射線を知覚させるだけであれば、ガイガーカウンターというテクノロジーで十分事足りる。けれども、それが紛れもなく「自然」の一部であり、しかも「美」の背後に潜んでいることを知覚するにはアートという技術を動員するほかない。得体の知れない「アートの力」を社会にむけて無闇に喧伝するのではなく、あくまでも美学の内側から現実を突き抜けようとする石川雷太の作品は、現代アートの正統である。
2011/05/26(木)(福住廉)


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