artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
戦争と日本近代美術

会期:2011/05/14~2011/06/19
板橋区立美術館[東京都]
太平洋戦争前後の近代美術を同館所蔵作品から振り返る企画展。柳瀬正夢や山下菊二、新海覚雄、太田三郎などによる絵画を中心に、戦時中の画材の配給票などの資料もあわせて展示が構成された。戦争というと、おのずと「戦争画」を連想しがちだが、戦意高揚のために交戦の場面を直接的に描いた戦争画は一切含まれず、原爆投下をモチーフにした古沢岩美の《憑曲》や、池田龍雄の《僕らを傷つけたもの 1945年の記憶》などが辛うじて戦争のイメージを呼び起こしていた。もちろん日本近代美術と戦争というテーマについて真摯に検討するのであれば、戦争画を公開したほうがよいに決まっているが、本展における戦争画の不在はあるいは現代社会における戦争と図らずも通底しているようにも考えられた。原爆と同じ原子力の「平和利用」によって現代社会の繁栄が築かれてきたように、かつて外側に対象化することのできた敵は、いまや内側に反転してこびりついてしまったからだ。しかも戦争による世界の崩壊は、ある種のスペクタクルを伴いながら一気に殲滅する核戦争の類いに限られたわけではなく、晩発性の放射性物質のように知らず知らずのうちにゆっくりと破滅に向かって進行するのかもしれない。従来の戦争画が描写しているのは20世紀までの戦争だから、現在の戦争はまったく新しいイメージでとらえなおさなければならない。本展における戦争画の不在は、新たな戦争画の必要を告げていた。
2011/06/01(水)(福住廉)
新incubation On a Knife Edge──二つの向こう岸

会期:2011/05/31~2011/07/10
京都芸術センター[京都府]
若手とベテラン作家の表現を二つの個展として同時に紹介するシリーズ「新incubation」。3回目の今回は、松井智惠とHyon Gyon(ヒョンギョン)が展示を行なった。松井は近年、シリーズで発表している映像《HEIDI(ハイジ)》の新作を3点。Hyon Gyonは強烈な色彩と描き込みの迫力が印象的な平面作品、映像インスタレーションなどを展開。元小学校である会場の手洗い場や教室などを背景にした松井の新作映像《HEIDI51》は、学校という場所を懐かしむ密やかな喜びと同時に、時の経過を自覚させるような追憶の哀愁と現実の空しさも帯びている。韓国の巫俗信仰であり災いを払うという儀式「クッ」をモチーフにしたHyon Gyonの作品は、その儀式が映し出されるスクリーンの背面のパネルにたくさんの包丁が刺さっていたり、暴力的なイメージも強列で松井作品と対極にあるような印象。しかし女性ならではの感覚的な知覚や経験から発せられる表現の、自己と他者、生きる時間をめぐる観察はどちらも鋭く心に残る。
2011/05/31(火)、2011/06/27(月)(酒井千穂)
山江真友美 展 ─求めよ手の記憶─

会期:2011/05/31~2011/06/05
アートライフみつはし[京都府]
山江の作品は花がモチーフだが、現実の花を描いたものではなく、テーマも花そのものではない。“少女のエロス”を花に託して描いているのだ。薄く、柔らかく、しっとりとして、触れた途端に散ってしまいそうな繊細な花々。薄っすら入った差し色の赤が効果的で、乳白色の花びらが一層引き立って見える。匂い立つような画面を前に、しばし時の経つのを忘れた。
2011/05/31(火)(小吹隆文)
新incubation3「On a Knife Edge──二つの向こう岸」展

会期:2011/05/31~2011/07/10
京都芸術センター[京都府]
活躍中のベテラン作家と新進気鋭の若手の個展を同時開催する企画展。3回目の今回は、松井智惠とHyon Gyonの競演だ。松井は、近年制作し続けている映像シリーズ《HEIDI(ハイジ)》の新作と近作3点及びドローイング5点を、会場内の3カ所で展示。Hyon Gyonは、母国の韓国に根差した巫女信仰の儀礼をモチーフとする絵画や映像作品を発表した。どちらの作品も、極度にストレスがかかった状態の人間や精神を表現しており、合理的な理解の外側にある世界を描いている。極めて女性的な表現と言ったらお叱りを受けるかもしれないが、おそらく男性作家からこのような作品が生まれることはないだろう。
2011/05/31(火)(小吹隆文)
浅倉伸 Maniacushionoid

会期:2011/05/07~2011/05/29
湘南くじら館スペースkujira[神奈川県]
岩手県在住で、今年の「VOCA2011」展に出品した浅倉伸の個展。色とりどりのフェルトに黒いサインペンだけで細かい模様を描き込むシリーズを発表した。その絵は内臓的というかゴシック的というか、いずれにせよ鬼気迫る迫力を伴っているが、内部に詰め物をしてクッションのように膨らませているせいか、ゆるやかに湾曲した表面がある種の触覚性や肉体性を強く醸し出している。たとえていえば、女性の丸みを帯びた臀部に彫りこまれたタトゥーに近いのかもしれない。けれども、浅倉の絵がおもしろいのは、そうしたエロティシズムに加えて、それが表面に描かれているにもかかわらず、その裏面を連想させるからだ。肉体のフォルムを再現しながらも、その内部を透視させるといってもいい。身体的で触覚的な表面に内臓的なイメージが現われているという二重性が見る者の視覚に訴えかけてくるのだ。そのようにしてイメージが重なり合いながら広がっていく経験こそ、絵画の魅力ではなかったか。
2011/05/29(日)(福住廉)


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