artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
諏訪直樹没後20年追悼展 黙契の歳月

会期:2010/09/13~2010/09/25
コバヤシ画廊[東京都]
諏訪とほぼ同じ時代を生き、似たような問題意識を抱えていた岡村桂三郎、鈴木省三、中上清、山本直彰に諏訪を加えた5人展。同展を企画した北澤憲昭氏は案内状のなかで、「彼が没したのちの20年は、まさに絵画隆盛の時代であり、次々と繰り出される新しい絵画の試みは、いまでは分厚い層を成している」と書いているが、どうだろう。彼らの絵画の試みと現在の絵画の隆盛にはあきらかに断絶があり、両者のあいだにはなんの関係もないように思える(岡村は例外かもしれない)。諏訪の名前がほとんど忘れ去られているのはそのためだ。そこが悲しい。
2010/09/24(金)(村田真)
前衛★R70展

会期:2010/09/13~2010/10/02
ギャラリー58[東京都]
赤瀬川原平、秋山祐徳太子、池田龍雄、田中信太郎、中村宏、吉野辰海という全員70歳超の老練アーティスト6人展。さすがに現在「最」はとれたものの、半世紀ものあいだ真剣勝負であれ冗談半分であれ「前衛」として活躍してきた方々、なにも言葉はありません。
2010/09/24(金)(村田真)
panorama すべてを見ながら、見えていない私たちへ

会期:2010/09/18~2010/10/24
京都芸術センター[京都府]
内海聖史、押江千衣子、木藤純子、水野勝規を擁した企画展。絵画、映像、インスタレーションという、タイプの異なる作品をさまざまな環境で提示し、作品を「見ること」の意味を問い直した。会場は元小学校をリフォームしたアートセンターで、南北2つのギャラリーに加え、エントランス、廊下、談話室、和室と、ほぼ全館を使用した。カラフルな点の集積で豊かな空間をつくり上げる内海、見る者の内面に浸透するような情景を描く押江、グラスなど透明感のある素材の小オブジェを、そっと添えるように提示する木藤、日常とは異なる時間の流れが感じられる映像が持ち味の水野、四者の個性が響き合い、得も言われぬ芳香が空間を満たしていた。見る順序を変えれば、また新たな感興を得られる気配も。ボリュームは決して大きくないが、濃密な味わいで深い充足感が得られる好企画だった。
2010/09/22(水)(小吹隆文)
隅田川──江戸が愛した風景

会期:2010/09/22~2010/11/14
江戸東京博物館[東京都]
パリのセーヌ川にロンドンのテムズ川……に比べると、江戸・東京の隅田川は激しく見劣りがする。とくにぼくらの世代(50代)にとっては、隅田川=臭くて汚い川、という子どものころに染みついたイメージが記憶にこびりついて離れないからなあ。この展覧会は江戸時代の屏風絵から昭和初期の版画まで、隅田川を描いた絵を160点ほど集めたもの。北斎の《冨嶽三十六景》にも広重の《名所江戸百景》にも描かれているが、圧巻はチラシにも使われている橋本貞秀の《東都両国ばし夏景色》。花火見物のために両国橋に押し寄せた何万という群衆を米粒みたいに描いているのだ。ほかにも満員電車のようにたくさんの人々を乗せた橋の絵が何点かあるが、筆者不詳《文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図》は、人の重みで橋が崩れ落ち、何百という人々が隅田川に飲み込まれていく大惨事を描いたもの。悲惨な絵なのにどこかユーモアすら感じさせるのは、お調子者の江戸ッ子をサラリと描いたひょうきんな絵柄ゆえだろう。
2010/09/21(火)(村田真)
入ッテハイケナイ家──“House” Keep out

会期:2010/09/10~2010/10/11
八番館隣[神奈川県]
吉祥寺のオルタナティヴ・スペース「Art Center Ongoing」を運営する小川希が、「黄金町バザール2010」内で企画したグループ展。かつて風俗店だった建物を会場に、有賀慎吾、柴田祐輔、鈴木光、永畑智大、芳賀龍一の5人がそれぞれ作品を発表した。いずれもデンジャラスな魅力を十分に発揮した作品で、見応えがあったが、それは空間の特性を過剰に引き出そうとしていたからだろう。柴田は1階の蕎麦屋だった店舗内をぐちゃぐちゃに引っかきまわし、芳賀も目的不明の暴力的な装置を取りつけることで、カモフラージュとしての蕎麦屋の仮面性と人工性を破壊してみせた。「ちょんの間」として使われていた2階では、有賀が拘禁された不気味な人体像を、永畑がチープでキッチュなセックスマシーンを、そして鈴木はモノローグで綴った私小説風の静謐な映像作品をそれぞれ展示した。こうした空間の歴史性や記憶を過剰に上書きするような戦術が際立って見えたのは、「黄金町バザール2010」が街の歴史や記憶をアートによって封じ込めようとしていたからだ。それが負の歴史を抱えるこの街にアートを根づかせるための戦略的な方途の現われだとしても、私たちの記憶に焼きつくのは、白い壁に展示されたアートなどではなく、むしろ暗がりの中で鼻をつくかび臭い匂いであり、それらに蓋をしようとするアートではなく、むしろ積極的に押し広げようとするアートである。まちおこし系のアートプロジェクトに意義があるとすれば、それはアートによって地域経済が潤ったり、地域の共同体が再生するなどという実利的な面ではなく、私たち自身がどのようなアートを必要としているのかを露にするところにあるのかもしれない。
2010/09/20(月)(福住廉)


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