artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ドガ展

会期:2010/09/18~2010/12/31

横浜美術館[東京都]

なんでいま横浜で「ドガ展」なのかわからないが、理由なんかどうでもいい。とにかく日本では21年ぶりにドガ作品が大量に見られることが重要なのだ。今回は《エトワール》《バレエの授業》《浴盤(湯浴みする女)》といったオルセー美術館所蔵の有名作品も来ているが、描きかけや描き損じ、それに素描や版画も少なくない。でもルーベンス作品では下図のほうが完成作より貴重なのにも似て、そうした完成度の低い作品にこそドガの素顔とその卓越した技量を読み取ることができるのだ。もう《エトワール》なんて見飽きたぜ。それより初期の衣紋の習作や競馬風景、盛り場の女を描いた版画、晩年の水浴のデッサンのほうに新しい発見がある。

2010/09/17(金)(村田真)

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東京フォト2010

会期:2010/09/17~2010/09/20

六本木ヒルズ森タワー40階 アカデミーヒルズ40[東京都]

昨年に続き第二回目の「東京フォト」が開催された。参加ギャラリーが30を超し、写真作品に特化したアートフェアという位置づけも、かなり明確になってきたようだ。観客もかなり入っているし、売り上げも全体としてみれば伸びている。2年目としてはまず成功といえるのではないだろうか。
写真作品をコンスタントに購入するコレクターの絶対数を増やすというのは、アート・ディーラーの永遠の課題のひとつだろう。日本の場合、1970年代からずっとそのことが模索されてきたにもかかわらず、最近までなかなか厳しい状況だった。それでも、今回の「東京フォト」を見ていると、写真作品のマーケットが広く認知されつつあることを感じる。ギャラリーやディーラーの側も、その動きに応えるように、作品をあまり大きくない、壁に掛けるのに適当なサイズに絞り込み、内容的にもあまり過激なものは避けるようになっている。顧客が安心して購入できる、評価の定まったマスター・ピースを中心に出品しているギャラリーも多かった。むろんそれは諸刃の剣で、当たり障りのない穏当な作品が整然と並んでいる様子を見ると、あまり面白味は感じない。昨年と比較しても、出品作品の均質化が急速に進みつつあるのがちょっと気がかりだ。
そんななかで、西野壮平の大画面のコラージュ作品をずらりと並べたエモンフォトギャラリー、イランの女性作家、ラハ・ラスティファードとヌーシャ・タヴァコリアンという新鮮なラインナップを選んだ東京画廊+BTAP、新進作家の春木麻衣子の作品だけで勝負をかけたTARO NASUなどの果敢な展示が目立っていた。「売れる」ことはむろん大事だが、こういうアートフェアはギャラリーの基本姿勢を推しはかる指標になることも否定できない。

2010/09/17(金)(飯沢耕太郎)

中比良真子 展 Stars on the ground

会期:2010/09/14~2010/09/26

neutron kyoto[京都府]

夜の街中の風景を俯瞰で描いたモノトーンの作品が並んでいた。中比良の過去の作品ですぐに思い浮かべるのは、水面に周辺の風景が映り込む様子を描いたものや、余白をあえて大胆に取り入れた風景だったので、今回、シンプルに描かれた作品は意外だったのだが、聞くと夜景を描いたシリーズは昨年から制作、発表されていたのだという。マンションや鉄道、家々に灯る光がぽつぽつと点在する風景の一連の絵画は、一見、さりげなさすぎるほど地味で平凡なイメージなのだが、夜空の星になぞらえたタイトルを見ながらじっくりと画面を見ていくと、その丁寧な観察と細かな描写に気がついて、想像がじわじわと膨らんでくる。建物に灯る小さな白い光の粒がそれぞれのドラマを秘めているように見えてくるのだが、それは中比良の細やかな感性にそっと近づくような気分でもあった。奇をてらわない等身大の作家の感覚や言葉のイメージが快く、個人的には以前の作品よりもむしろ中比良らしい印象もあり、次回が楽しみになった。

2010/09/15(水)(酒井千穂)

陰翳礼賛 国立美術館コレクションによる

会期:2010/09/08~2010/10/18

国立新美術館 企画展示室2E[東京都]

独立行政法人化した東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館の5館による共同企画展。普段は各美術館の常設展示の枠でおこなわれているような企画だが、さすがに規模が大きくなり、所蔵作品の多様性もあってかなり見応えがあった。1952年に東京国立近代美術館がオープンしてから半世紀以上が過ぎ、各美術館の所蔵作品が曲がりなりにも充実してきたことが、展示を見ていてもわかる。
「影あるいは陰」をテーマとする4部構成の展示の内容もしっかりと練り上げられている。特に東京国立近代美術館と京都国立近代美術館のコレクションを中心とした第3部「カメラがとらえた影と陰」は、写真作品で構成されており、ウジェーヌ・アジェ、アレクサンドル・ロトチェンコから森山大道、古屋誠一まで、モノクローム・プリントにおける「影の美学」がバランスよく紹介されていた。光によってつくられる影や陰だけでなく、写真の場合は被写体を逆光で撮影することでシルエットとして表現する手法もよく使われる。さらに作品によっては、実体とその影という関係が逆転して、むしろ影の方が中心的な主題として迫り出してきている場合もあるのが興味深い。第4部「影と陰を再考する現代」のパートに含まれる、写真を用いた現代美術作品(榎倉康二、杉本博司、トーマス・デマンドなど)も含めて、このテーマは写真作品のみに絞り込んで、もっと本格的に追求していってもよいのではないかと感じた。

2010/09/15(水)(飯沢耕太郎)

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獄中画の世界 25人のアウトサイダーアート展

会期:2010/09/10~2010/09/19

Gallery TEN[東京都]

「獄中画」とは牢獄で描かれた絵画のこと。帝銀事件の故平沢貞通をはじめ、元連合赤軍の重信房子や愛犬家殺人事件の風間博子、さらには映画監督の足立正生や匿名の獄中者など、25人による40点あまりの獄中画が展示された。使用できる画材が限定されているせいか、ボールペンだけで緻密に描きこんだ作品が多いが、モチーフは風景や動物、仏像など幅広い。企画者が「アウトサイダーアート」として位置づけているように、展示された獄中画は高度な技術を駆使しているわけではないし、美術史の先端に居場所を求める貪欲さとも無縁であり、描くことの純粋さにおいては、どんな著名な絵描きよりも勝っているといえる。ただ、逆にいえば、その純粋性は獄中で描かれたというサブ・ストーリーに大きく依存しているわけで、実際自由への渇望や死刑の恐怖を感じさせる絵には、獄中者の内面と描かれたモチーフがあまりにも直線的に結ばれているがゆえに、不自由な獄中で自らを内省しながら描いたという獄中画の物語に回収されてしまっているように思えた。しかし、そうしたクリシェを免れる絵がなかったわけではない。それが、元連合赤軍、永田洋子の絵だ。マンガのような描線で獄舎の日常を描いた絵にあるのは、獄中で暮らす自らを徹底して見つめるリアリズム。そこには、多くの獄中者が不自由な獄舎から自由な外界を夢見るのとは対照的に、いまある不自由さを直視する冷徹なまなざしが一貫している。柔らかな描線で子どものようなキャラクターを描いているだけに、その冷たく硬い意思がよりいっそう際立ち、恐ろしく感じられるといってもいい。「獄中画」というジャンルに内蔵された定型的な物語を撹乱しているという点で、永田洋子の絵は評価したい。

2010/09/15(水)(福住廉)