artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
能面・能装束展

会期:2010/01/02~2010/03/14
大倉集古館[東京都]
『東京人』の取材で久しぶりに訪れる。能にも装束にも興味ないのだが、唯一おもしろかったのは、面の裏側(内側)の写真も展示されてること。銘が書かれているからだが、内側からみると女も般若もみんな目が点になってる。これを見て思い出したのが、能面の表面を削ってマヌケ面にしてしまう青田真也の作品。
2010/01/26(火)(村田真)
糸川知佐 展「99と私」

会期:2010/01/26~2010/01/31
アートスペース虹[京都府]
会場のテーブルには卵くらいの大きさの布製のオブジェが100個展示されていた。一つひとつに《ゴディバ》《モンゴル》など、それぞれのキャラクターを示すネーミングが付けられている。カタログ式の表を見ながら手にとると、なんとも愉快な気分になってくる。モチーフ自体どれもユニークなのだが、模様や色、素材の組み合わせだけで表された名前も多く想像を掻き立てる。一方、滞在制作をする会期中徐々に増えていく壁面のドローイングにはタイトルがなかった。一見、まったく脈絡のつかめない奇妙でひょうきんなモチーフの組み合わせと構図がシュールなのだが、本人の思い描くイメージはしっかりとあり、聞いてみるときちんとつじつまがあう物語として描かれているのが面白い。繊細な線と美しい色も魅力的だ。
2010/01/26(火)
能面・能装束展

会期:2010/01/02~2010/03/14
大倉集古館[東京都]
『東京人』の取材で久しぶりに訪れる。能にも装束にも興味ないのだが、唯一おもしろかったのは、面の裏側(内側)の写真も展示されてること。銘が書かれているからだが、内側からみると女も般若もみんな目が点になってる。これを見て思い出したのが、能面の表面を削ってマヌケ面にしてしまう青田真也の作品。
2010/01/26(火)
古田直人「あぶない 左右見てから」

会期:2010/01/26~2010/01/31
企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]
新宿区須賀町の企画ギャラリー・明るい部屋では、時々何とも不思議な写真家の仕事を見ることができる。写真専門のギャラリーでの展示ははじめてという古田直人もそんな一人。会場に入ると壁、床にびっしりとプリントした写真が貼られ、靴を脱いで鑑賞するようになっている。「写真風呂」に入るような感触が、妙になまぬるくて、気持がいいような悪いような雰囲気だ。写真のほとんどは出合い頭の路上スナップだが、そのタイミングが微妙にずれていて、それもどこか居心地の悪い感じを与える。しかも壁に貼られた写真には、びっしりと細かな文字が書き込んである。電話帳から書き抜いたという人の名前、住んでいる秩父周辺の駅の名前、そこから派生したという「陰核」「目過」「大血沢」といった奇妙な単語。なぜ写真とこれらの文字が関連づけられているのかはよくわからない。だが、どこか呪術的な行為のようにも見えてくる。写真と呪いと笑いが複雑に屈折しながら結びついているのだ。
こういう若い写真家の仕事は、ともすれば長く続かず、いつのまにか消えてしまうことも多い。古田もそうなる可能性があるが、僕は彼には潜在的なパワーがあるように思える。今のところ、コピー用紙にあまり精度のよくないプリンターでプリントした作品が中心なので、チープさが目立ちすぎて落着きが悪い。ねじ曲がった発想の回路を、もっとうまく形にできる方法論が見つかれば、飛躍的に作品の質が上がってくるのではないだろうか。
2010/01/26(火)(飯沢耕太郎)
オサム・ジェームズ・中川「BANTA─沁みついた記憶」

会期:2010/01/20~2010/02/02
銀座ニコンサロン[東京都]
オサム・ジェームズ・中川は1962年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。7カ月で日本に戻り、15歳まで過ごした後、ふたたび渡米してセントトーマス大学、ヒューストン大学で写真を学んだ。今回の作品は、母親の故郷である沖縄で2008年に制作されたもので、「BANTA」というのは海から切り立った崖のことである。中川は断崖の上から下を見おろして、あるいは下から見上げる角度でシャッターを切る。だが、このシリーズが通常とはやや歪んだパースペクティブで見えてくるのは、彼が何度もくり返して崖の細部を写しとり、複数の視点から見られた画像をフォトショップで繋ぎあわせ、縦長の画面として再構成しているからだ。最大で100カット近い写真が繋ぎあわされているのだという。
デジタル加工による「ハイパーリアルな写真」ではあるが、彼の試みには沖縄で実際に崖の前に立った時の「美と畏れ」に裏打ちされた、強烈な現実感がみなぎっている。沖縄戦において、これらの「BANTA」ではアメリカ軍に追いつめられて多数の投身者が出た。デジタル加工による視覚の歪みは、あたかも彼らの最後の視線をなぞるようにおこなわれているのだ。それは中川が「見た」光景を「見るべき」光景へと変換させようとする魔術的な行為であり、ぎりぎりの所で写真家の営みとして成立していると思う。崖のディテールのごつごつとした物質的な手触りが、そのまま正確に写しとられているので、「リアル」と「ハイパーリアル」がせめぎあって異様な緊張感を生じさせているのだ。そのことによって、中川自身にも完全には統御不可能な「ある/ありえない」光景が出現してくる。デジタル時代における写真の可能性を問いかける、意欲あふれる作品といえるだろう。
2010/01/23(土)(飯沢耕太郎)


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