artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
内藤礼「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」

会期:2010/11/14~2010/01/24
神奈川県立近代美術館鎌倉[神奈川県]
会期の終了が近づいているのを知り、ほとんど勢いだけで夜行バスに乗り鎌倉を目指した。薄暗い会場に入ると、ガラスの陳列ケースに小花柄や水玉などのプリントの布地、小さなガラス瓶、リボン、ビーズ、電球などで構成したインスタレーションが続く。鑑賞者はひとりずつ、順番に陳列ケースの中に入ることができるようになっている。美術館の展覧会場で、作品を独り占めするような贅沢な気分が味わえるのが凄い。中に入って意識を集中してみると、小さな鏡面やガラス、水面などに映る周囲の光景、水の波紋や微風の流れに気づいてハッとさせられるのだが、それらのひそやかな要素が、さらに連想を掻き立てていくのが楽しい。また、この日は快晴という恵まれた天気だったのでなおさらだろうが、屋外のインスタレーションがとても印象に残った。池のそばに張られたテグスのビーズがときどきキラキラと輝いて見えるありさまも、リボンが風に舞いあがって視界から消えてしまう瞬間も美しかった。
2010/01/17(日)(酒井千穂)
横浜美術館開館20周年記念展「束芋:断面の世代」

会期:2009/12/11~2010/03/03
横浜美術館[神奈川県]
鎌倉から横浜へ移動し束芋展へ。12月も来館したが、電気トラブルのせいでほとんど見ることができなかったのでリベンジ。スクリーンと空間がどれも独特の鋭さとジメジメした暗さの魅力、その迫力をいっそう引き立てる面白いインスタレーションだったけれど、なんとなく全体的に消化不良の気分が否めなかった。集合住宅をモチーフにした作品以外の映像作品はビジュアルイメージのみが運動的にパターンとして繰り返されている印象のほうが強く、束芋が表現する「断面の世代」の感覚がなかなか掴みきれなかった気がして残念。この日の私自身のコンディションのせいが大きかったのかもしれないが。
2010/01/17(日)
内藤礼「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」

会期:2010/11/14~2010/01/24
神奈川県立近代美術館鎌倉[神奈川県]
会期の終了が近づいているのを知り、ほとんど勢いだけで夜行バスに乗り鎌倉を目指した。薄暗い会場に入ると、ガラスの陳列ケースに小花柄や水玉などのプリントの布地、小さなガラス瓶、リボン、ビーズ、電球などで構成したインスタレーションが続く。鑑賞者はひとりずつ、順番に陳列ケースの中に入ることができるようになっている。美術館の展覧会場で、作品を独り占めするような贅沢な気分が味わえるのが凄い。中に入って意識を集中してみると、小さな鏡面やガラス、水面などに映る周囲の光景、水の波紋や微風の流れに気づいてハッとさせられるのだが、それらのひそやかな要素が、さらに連想を掻き立てていくのが楽しい。また、この日は快晴という恵まれた天気だったのでなおさらだろうが、屋外のインスタレーションがとても印象に残った。池のそばに張られたテグスのビーズがときどきキラキラと輝いて見えるありさまも、リボンが風に舞いあがって視界から消えてしまう瞬間も美しかった。
2010/01/17(日)
束芋 断面の世代

会期:2009/12/11~2010/03/03
横浜美術館[神奈川県]
束芋の新作展。横浜美術館の企画展示室を存分に使い倒して映像インスタレーションや平面作品を発表した。2006年に原美術館で催された「ヨロヨロン」展と同じだったのは、空間を大胆に演出した映像インスタレーションを発表していたこと。ちがっていたのはその映像作品の内容が人体や生命の根源への志向性をよりいっそう強めていたこと、そして展観を見終わった後に煮え切らない物足りなさが残されたこと。それは、おそらく束芋がいう「断面の世代」に由来しているのだと思う。たとえば象徴的なのが、展示室の内壁を一巡するように展示された平面作品だ。ここでは日常生活を構成する数々のモノと身体部位が節合しつつ分節する様子が絵巻物のように連続的に表わされていたが、それらはいずれも断片の連続に終始しており、決して全体へと統合されることがない。物語に集約されることがないまま、モノローグが延々と繰り返されているといってもいい。ねらいとしては、部分の中に全体の構造が反復されているフラクタクル理論のように、その断片を基準に全体を想像させたいのだろうが、モノと身体が融合するというモチーフがワンパターンであるせいか、平面作品に全体を見通すような断面を見出すことはなかなか難しい。団地のなかの部屋をずらしながら見せていく映像作品にしても、たしかに断片の集合によって全体を見通すことができるような気がしなくもないが、それは「集合」であって「全体」ではない。束芋とほぼ同世代のわたしが、むしろ強く思い至ったのは、そうした、いわば断片への居直りにたいする苛立ちである。古今東西を問わず、およそ芸術的な表現は全体を魔術的に想像させてきたからこそ、芸術という価値を社会的に公認されてきたのではなかったのだろうか。それができない不可能性こそ「断面の世代」の特徴だといわれればそれまでだが、作品を見る側としては延々と繰り返される断片のモノローグだけでは到底満足できない。先行する鴻池朋子ややなぎみわが「神話」という壮大な物語を見事に紡ぎ出しているように、(ある意味で)嘘でもいいから、想像的に全体へと一歩踏み出すことが、「断面の世代」が乗り越えるべきハードルではないだろうか。それが欠落したまま、いくら生命や身体の神秘を描き出してみても、その深度はたかが知れている。生命や身体こそ「全体」の最たるものだからだ。
2010/01/17(日)(福住廉)
東京藝術大学先端芸術表現科卒業|修了制作2010

会期:2010/01/16~2010/01/24
BankART Studio NYK[神奈川県]
毎年恒例となった東京芸大先端芸術表現科の卒業修了制作展。BankART Studio NYKの広大な空間を過不足なく使い切った展示で、なかなか見応えがあった。昨年に引き続きプロジェクト系の作品が激減したせいか、モノとしての作品で真っ向勝負する傾向が強かったようだが、なかでも際立っていたのが下平千夏。大量の輪ゴムをつなぎあわせた直線で放射状のオブジェをつくりだした。マンガで多用される効果線のようでありながら、同時にソリッドな物質感も感じさせる、不思議な立体作品で、たいへんおもしろい。
2010/01/17(日)(福住廉)


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