artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
宮本隆司「草・虫・海」

会期:2009/09/18~2009/10/17
TARO NASU[東京都]
宮本隆司は、ある日、勤務先の神戸芸術工科大学のキャンバスの地面に、ウグイスとスズメバチの死骸が落ちているのに気づいた。それを拾い上げたとき、ふと印画紙の上に置いて光を当て、フォトグラム作品にすることを思いつく。
夏の間、セミ、蝶、蟻、蚊などの昆虫の死骸を集めては、フォトグラムを作り続けた。縦位置の画面に虫の影が垂直に並べられ、どこかモニュメントを思わせる雰囲気を醸し出している。
「Kobe
2008 bugs 」と名づけられたこのシリーズが、1995年の阪神・淡路大震災の記憶を踏まえた鎮魂のイメージとして作られているのは明らかだろう。それは同時に展示されていたフォトグラム作品「Grass」が、同じ年に起こったもうひとつの大きな出来事、オウム真理教のサティアン跡に生えていた草を印画紙の上に置いて制作されていることからもわかる。歴史を個人的な営みによって照射しようとする視点が、これらの作品にはある。
とはいえ、そのやり方は、決して声高で押し付けがましいものではなく、慎ましやかでさりげなく、しかもチャーミングだ。虫たちが原寸大の大きさに留まっていること(蟻や蚊はほんの小さな点だ)と、フォトグラムの自然のフォルムを忠実に、だが実に細やかに写しとる力が相まって、静かな、説得力のある祈りの形に昇華されている。宮本にとっては、大作の間の息継ぎのような仕事だが、これはこれで魅力的だった。
2009/09/18(金)(飯沢耕太郎)
米田知子「Rivers become oceans」

会期:2009/09/05~2009/10/03
ShugoArts[東京都]
米田知子の、バングラディッシュ・ビエンナーレ(2008)出品作からピックアップした新作展。南の国の風景や人物を題材にしているためだろうか。これまでの彼女の作品とはやや肌合いが違う。
1971年の激しい独立戦争の記憶が作品の背景にあり、戦争やサボタージュに参加した市民のポートレート、現在のダッカで撮影されたスナップなどが展示されている。そして、それらを包み込み、押し流していく自然の力の象徴として水や河のイメージが配置される。これまでの作品のように、練り上げられたコンセプトによって、細部まで緊張感を保ってきっちりと構成されている写真はむしろ少なく、ゆるく柔らかな空気感があらわれているものが多い。インクジェットプリントを、壁に直接貼付けた展示については、賛否両論があるだろう。たしかに作品一点一点の強度は落ちるが、全体としては気持ちよく心を満たす眺めになっている。バングラディッシュ・ビエンナーレの展示風景の資料写真を見ると、もっと写真の数が多く、壁全面にちらばっているようなインスタレーションだった。ギャラリーの天井がやや低いので、限定された数しか展示できなかったのが残念だ。昨年の原美術館での回顧的な展覧会を通過して、米田の関心の幅が、地域の枠を超えてさらに広がりつつあることがよくわかった。
2009/09/17(木)(飯沢耕太郎)
ある風景の中に

会期:2009/09/15~2009/10/18
京都芸術センター[京都府]
日頃見慣れた風景を改めて見つめ直すことで、何かしらの発見を促す作品を集めた展覧会。キュレーターの安河内宏法はその方法を2種類に分類。風景のなかに元々何があるのかを気付かせる作家として岡田一郎、鈴木昭男、藤枝守を、馴染みやすい物や音と自分との関係を操作する作家として、梅田哲也、矢津吉隆、ニシジマ・アツシを招いた。いずれも質の高い展示を見せてくれたが、筆者が最も感銘を受けたのは梅田哲也のインスタレーション。ワークショップルームという、展示には向かない空間を逆手にとり、一体どこまでが作品でどこからが普段の室内なのかわからないマジカルな空間を創出させた。また、鈴木昭男の出世作である、大量の空き缶を階段から落とすパフォーマンスの再現(観客自身の行動により再現される)も憎い展示だった。一方、ニシジマ・アツシと藤枝守の展示には注文がある。作品解説が欲しいのだ。私はボランティアスタッフの説明を聞くまでまったく見当違いの理解をしていた。同様の観客が少なからずいるはずだ。作品には魅力があるだけに、その点だけが惜しい。それにしても、最近の京都芸術センターの企画展は見応えがある。今後もこの好調を維持してもらいたいものだ。
2009/09/16(水)(小吹隆文)
西奥起一 展「見るための手ざわり」

会期:2009/09/15~2009/09/27
neutron[京都府]
高知県在住の作家。住居としている築120年の古民家を改装した際に、そこに積もっていた埃や裏庭に堆積していた落ち葉などを作品化したものが展示されていた。この展覧会を見たら、履いて捨てるもの、という感覚が一気に吹き飛ばされてしまうだろうなあ。立体作品も平面作品もしばらく釘付けになってしまうくらい美しい仕事だった。タイトルにも長い時の経過のなかで起こる物語を想起させるセンスがうかがえて、それらが存在していた場所への想像をめぐらせてしまう。初めて知った作家だったが、またぜひ見たいと感じるステキな展覧会だった。
2009/09/15(火)(酒井千穂)
アキ・ルミ新作展「庭は燃えている」

会期:2009/09/01~2009/09/29
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
アキ・ルミはオノデラユキのパートナー。1990年代からオノデラと一緒にパリに活動の拠点を移し、制作を続けてきた。オノデラの仕事が先に国際的に評価されたので、どうしてもその陰に隠れがちだが、彼の繊細で緻密な作品世界の質は着実に深まりつつあるように見える。
今回のツァイト・フォト・サロンでの展示は、写真やドローイングをスキャニングして細かくつなぎあわせ、大画面に構成した作品が中心。基調になっているのは「庭」のイメージで、唐草模様や奇妙な魔術的な彫刻のようなオリエンタルな図像と、水、植物、稲妻などが絡み合い、図と地とが複雑に入り組んだ、混沌とした空間を形成している。その全体が赤い色で統一されているので、さらに魔術性が強まっているようだ。彼が生み出そうとしている世界像がどんなものなのか、まだ明確に見えてきているわけではない。だが同時に展示されていたドローイング作品も含めて、勝手に増殖していくイマジネーションの広がりを、断面図のように定着しようとする意図が伺える。オノデラユキの作品が、どちらかといえば明快な論理的構築力を感じさせるのに対して、アキ・ルミの方は触覚的で、感情の震えが生々しく露呈している。つまりこの二人は、女性─男性原理、男性─女性原理という転倒した関係性を保って仕事をしているわけで、そのあたりが妙に面白い。
2009/09/15(火)(飯沢耕太郎)


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