artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

芦田尚美 展「不思議なお茶会」

会期:2009/07/31~2009/09/05

TKG エディションズ 京都 | Tomio Koyama Gallery[京都府]

『不思議の国のアリス』をモチーフにした芦田尚美の陶磁器の作品展。会場に入ると、まず、蓋の部分に“ウサギ”を載せた器が展示されていたのがニクい。展示そのものに物語が設定してある!と胸が躍った。動物や登場キャラクターの立体モチーフが載った蓋物も、封筒や帽子の形をした器もどれも見ているだけで連想が広がっていく。小さな作品が多かったが、クイズのような言葉遊びがいくつも隠されているような気がして、会場を何度もぐるぐると歩き回った。

2009/09/05(土)(酒井千穂)

きのこダンス「キンシーズ!」

会期:2009/09/05

まつだい雪国農耕文化村センター[農舞台][新潟県]

越後妻有の山林には子どもだけに見えるキノコの精霊が棲み、その霊を鎮めるためのキノコ踊りが行なわれてきたという。そのキノコ踊りを現代によみがえらせようとする試みが行なわれた。珍しいキノコ舞踊団ではない。村上華子企画の「キンシーズ」だ。キノコ踊りを再生させるためダンサーの森下真樹が呼ばれ、地元の素人よさこい団体「華焔」とともにダンスワークショップを重ねて、今回の発表となったもの。いわば村上華子と森下真樹と華焔ががっぷり4つならぬ3つに組んだ三位一体のダンス……のはずなのだが、村上のいかにもありそうな空想物語と、森下のモダンダンスから少し脱線した振付けと、華焔の農耕民的な素人丸出し踊りが、それぞれ自己主張しながら3すくみ状態に陥った印象だ。まあ3者がそれぞれやりたいことをやりたいようにやったのなら、それに越したことはないが。ひとつとてもよかったのは、企画者がどこまで計算に入れていたかは知らないが、舞台の向こうの棚田にカバコフ夫妻による農耕民の彫刻が闇のなかから時たま浮かび上がり、舞台上のモダンもどきのキノコ踊りとオーバーラップしていたことだ。

2009/09/05(土)(村田真)

北島敬三 1975-1991

会期:2009/08/29~2009/10/18

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

北島敬三のコザ(沖縄)、東京、ニューヨーク、東欧、ソ連でのスナップショット、200点近くを集成した回顧展。手法を微妙に変えつつも、出合い頭の一発撮りに徹した作品群がずらりと並ぶ。特に興味深かったのは東京のパート。1979年に毎月10日間、12回にわたって「イメージショップCAMP」で開催された「写真特急便─東京」の展示風景のスナップ写真である。現像液を染み込ませたスポンジで、壁に貼った印画紙をその場で現像・定着するという伝説のパフォーマンスにあふれ出している、無償のエネルギーの噴出はただ事ではない。
展示を見ながら感じたのだが、北島にとっての最大のテーマのひとつはスナップショットにおける「自己消去」ということではないだろうか。スナップショットは基本的に自己─カメラ─世界という関係項によって成立する。撮影することによって、世界の中に位置する写真家の存在が少しずつ、あるいは一気に浮かび上がってくるということだ。ところが北島は最初から、撮影者としての自己の影をなるべく画面から放逐し、被写体の好みや画像構成の美学もニュートラルなものに保とうとして腐心してきた。初期においては意識的な画面作りを回避するため、ノー・ファインダーやストロボ撮影が多用される。後期ではあたかもわざと下手に撮られた記念写真のような、強張ったポーズ、画面全体の均質化が貫かれる。その「自己消去」への身振りが高度に組織化され、潔癖な清々しささえ感じさせる強度に達したのが、1983年に第8回木村伊兵衛写真賞を受賞した「ニューヨーク」のシリーズだった。
この「自己消去」によって北島が何をもくろんでいるかといえば、その時点における都市と人間、そしてそれらを包み込む時代のシステムを、自己という曖昧なフィルターを介することなくクリアにあぶり出すことだろう。確かに1970年代のコザと東京、80年代のニューヨークと東欧、90年代のソ連の社会・経済・文化などのシステムが、彼の写真群からありありと浮かび上がってくるように感じる。むろんそのシステムは、人々の無意識的な身振りの集積をつなぎ合わせることで、ようやくおぼろげに形をとってくるような、あえかな、壊れやすい構造体である。北島は90年代以降、緊張感を保ちつつスナップショットを撮り続けていくデリケートな「自己消去」の作業を、これ以上続けるのはむずかしいと感じたのではないだろうか。その結果として、あのガチガチに凝り固まった「PORTRAITS」のシリーズに至る。「PORTRAITS」では「自己消去」はあらかじめ作品制作の手順のなかに組み込まれているため、スナップショットの不安定さや曖昧さを耐え忍ぶ必要はなくなる。
スナップショットから「PORTRAITS」への転身は、それゆえ必然的なものだったというのが、今回展示を見て感じたことである。だがそれは同時に、論理的な整合性の辻褄合わせに見えなくもない。スナップショットという揺らぎの場所に身を置きつつ「自己消去」を進めていくことは、本当に不可能なことなのだろうか。

2009/09/05(土)(飯沢耕太郎)

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TOKYO PHOTO 2009

会期:2009/09/04~2009/09/06

ベルサール六本木1F・BF[東京都]

写真作品だけを展示する本格的なアート・フェアは日本でははじめてではないだろうか。ようやく実現したこの画期的な企画が、来年以降も継続することを強く望みたい。ただ、まだ初日だったので最終的な結果はわからないが、観客の数は多いものの、作品の販売・購入にはあまり結びついてはいないようだ。
会場は二部構成で、1Fが「PHOTO AMERICA」ということで、サンディエゴ写真美術館のディレクター、デボラ・クロチコが選出したアメリカの近代写真、現代写真の展示を中心にいくつかのギャラリーが出品していた。BFは日本及び香港のパートで、18あまりのギャラリーが参加。ほかにアドバイザリー委員会のメンバーのひとりである後藤繁雄と写真雑誌『PHOTOGRAPHICA』が選定した「TOKYO PHOTO FRONT LINE」という枠で、若手作家8人(頭山ゆう紀、塩田正幸、津田直、山口典子、小山泰介、前田征紀、高木こずえ、福居伸宏)の作品が特別展示されていた。
展示の雰囲気はすっきりしていて悪くない。だが国内の主要ギャラリーのうち参加していないところも多く(たとえば、Taka Ishii Gallery、ギャラリー小柳、RAT HOLE GALLERY、フォト・ギャラリー・インターナショナルなど)、やや活気に欠ける。それでも、大阪のギャラリーのMEMのスペースに展示されていた、1930年代の関西前衛写真の主要な担い手のひとりであった椎原治のヴィンテージ・プリント、SCAI THE BATHHOUSEの斎木克裕や長島有里枝(水島の石油コンビナート!)の新作など、注目に値する作品に出会えたのは収穫だった。次回開催が可能なら、そこでどれだけのクオリティ、テンションを保てるかが勝負だろう。

2009/09/04(金)(飯沢耕太郎)

遠藤一郎 Driving Photo Music

会期:2009/09/02~2009/09/06

Art Center Ongoing[東京都]

未来美術家・遠藤一郎の個展。「new world」「未来へ」など、単純明快なメッセージをエンジンオイルで描きつけた写真作品と、それらの写真をもとにした《Driving Photo Music》を発表した。《Driving Photo Music》とは、遠藤が撮りためたデジタル写真をプロジェクターで投影し、彼が「未来号」で聴いている音楽にあわせながら、手元のキーボードを連打して写真を動かしていくオリジナル写真再生装置。一般的なパソコンとちがい、指示と再生のあいだにタイムラグが一切ないため、自分のリズムで意のままに写真を入れ換えていくことができる。大江千里、Dreams Come True、Underworldなど、ポピュラーミュージックの定番にあわせながら、高速道路の車内から撮影した太陽や雲、そして青空などの写真を立て続けに見てみると、それらがまさしく遠藤が移動してきた旅路そのものであることに気づかされる。そう、遠藤一郎とはつくづく「旅するアーティスト」なのである。それがレジデンスを繰り返しながら各地の国際展を渡り歩くアーティストと異なるのは、遠藤が地元の人びととしっかり交流しながら信頼関係を築き上げ、彼らから「また呼ばれるアーティスト」ということだ。あまりにもベタな作風は、ネタを重視するアートシーンからは軽視されがちだが、そもそもネタという言語ゲームを繰り返すばかりで、「また呼ばれないアーティスト」が多いなか、ほんとうに大切なものは、ベタな信頼関係にしかないことを、遠藤一郎は静かに教えている。

2009/09/04(金)(福住廉)