artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
東京綜合写真専門学校学生自主企画卒業展 カミングアパート

会期:2009/02/17~2009/02/22
横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]
2~3月は「卒展」のシーズン。各大学の写真学科、写真専門学校の卒業生たちが、都内や近県の会場で展覧会を開催する。ほとんどは総花的に卒業制作を展示するだけなのだが、最近は出品者を絞り込んで選抜展にしたり、テーマを設定したりする動きも出てきた。その中でも、この東京綜合写真専門学校の「カミングアパート」展は、「学生自主企画卒業展」ということで異彩を放っていた。
東京綜合写真専門学校がこの形の「卒展」を開催するようになったのは4年ほど前からで、普通の選抜展は六本木・ミッドタウンの富士フィルムフォトサロンで開催し、横浜市民ギャラリーあざみ野のかなり広いスペースを学生有志に開放している。今回は昼間部、夜間部合わせて40名の卒業生が「自主企画卒業展」の方に参加した(両方に出品している学生もいる)。その棲み分けは、今のところうまくいっているようだが、どう見てもあざみ野の展示の方に活気があるように感じられる。
今回特に目立ったのは、写真以外の展示。イラストレーション(阿部萌夢、大川[寳田]苗、長田水記、清水玄)、インスタレーション(若木里美、chaka[波多野康介、嘉義拓馬])、映像(上田朋衛、遠藤優貴、大町碧)などの作品は、発想が豊かで質も高い。写真学校の学生なのにそれでいいのかという話になりそうだが、もはや写真専門学校だから写真だけをやっていればいい時代ではないのだろう。ただしこれはむろん諸刃の剣。むしろ職人的な高度な専門性が、閉塞感を打ち破り、道を切り拓くという可能性も充分に考えられるからだ。正統派の写真作品として面白かったのは大塚広幸「DROPPED IN IRON HEAD」、桑代のぞみ「あいまい」、竹下修平「怠惰なプール」といったところか。
2009/02/20(金)(飯沢耕太郎)
アジアとヨーロッパの肖像
会期:2009.2.7~2009.3.29
神奈川県立歴史博物館[神奈川県]
アジア人の描いたアジア人とヨーロッパ人、ヨーロッパ人の描いたヨーロッパ人とアジア人の肖像を、東西の「接触以前」「接触以降」「近代の眼」などに分類整理した展覧会。接触以前の勝手な想像で描いた怪物的な肖像もおもしろいが、接触まもないころの東西混淆した異様な肖像画に惹かれる。なかでも、工部美術学校の教師ヴィンチェンツォ・ラグーザと結婚してイタリアに渡ったラグーザ玉が、望郷の念にかられて描いた《故国の思い出》という作品は、なかば西洋人と化した日本人が記憶をもとに日本の情景を油絵で描いたという、三重にも四重にも反転した構造をもつ実に味わい深い絵。でもここでの展示は一部なので、残りは葉山で見なくては。
2009/02/17(火)(村田真)
コレド・ウィメンズ・アート・スタイル

会期:2009.2.16~2009.3.8
コレド日本橋[東京都]
商業空間のなかでアートを見る楽しさと見せる難しさを同時に感じさせる展覧会。出品は若手女性アーティスト8人。金子奈央は油絵をそのまま展示しても埋没してしまうと考えたのか、それともキュレーター上田雄三の入れ知恵か、自作を巨大な布にプリントして吹き抜け空間に吊るした。これはよくめだつが、かえって広告のように見えてしまい埋没しかねない。もうひとり油絵の福島沙由美は、自作をショーウィンドーのなかに閉じ込めた。これならオリジナルを見てもらえるが、はたしてどこまでじっくり鑑賞してもらえるか。同様のことはほかの立体のアーティストにもいえる。こうしたオープンな場所で見せる場合、美術館やギャラリーとは違って安全性や通行人の反応も考えなければならい。その結果、作品のもっていた魔性や攻撃性がそがれたり、ショーケースに押し込まれて商品みたいにディスプレイされかねない。そんな危険性から唯一免れていた(かもしれない)のが奥村昂子のインスタレーションだ。中空に吊るされた白い糸のかたまりは幻の城のイメージだが、このような空間でゆらゆら揺れるさまは正直いってみすぼらしい。まるで幽霊かクモの巣みたいな……と連想してハタと気づく。そうか、実はこの作品、きれいに制御された商業ビルへの痛烈なアイロニーかもしれないぞ。本人がどこまで意図したか知らないが。
2009/02/16(月)(村田真)
椿昇 2004-2009: GOLD/WHITE/BLACK

会期:2009/02/17~2009/03/29
京都国立近代美術館[京都府]
2003年の「国連少年」(水戸芸術館)以来となる椿昇の大規模個展は、いかにも彼らしい挑発に満ちた内容となった。2004年以降、椿が目の当たりにしたのは、あらゆる天然資源を掘り尽くす米国・ユタの鉱山及び鉱山労働者が体現するグローバリズム経済の歪みや、イスラエルとパレスチナの間で永遠に続くかのごとき宗教的・政治的対立など。そうした体験を基に本展では、全長約30メートル(実物大)のミサイルのオブジェや、十二使徒とだぶらせた鉱山労働者の肖像、パレスチナの壁を再利用する国際宇宙ステーションのプラン、スターバックスのロゴマークと宗教的モチーフとバングラデシュの犠牲祭の映像が融合した祭壇のごときインスタレーション等が設営され、まるで斎場のような空間が出現した。また、彼の一貫したテーマである「ラディカル・ダイアローグ(根源的対話)」の実践として、さまざまなジャンルで活躍するゲストを招いたトークイベントが毎週開催される。椿いわく「利潤と簒奪を礼賛する高度資本主義社会が限界を迎えた今こそ、シェアと共存を旨とする新たな社会システムを構築するチャンスであり、そのためには各人が徹底的に思考する必要がある。本展はそのための装置である」(筆者要約)。しかし、メッセージを解説する文字資料は敢えて省略されており、観客は作品のみを通してアーティストの意図を読み取るしかない。この不親切な設定をどう捉えるかで、本展への評価は二分されるだろう。事実、記者発表時にも「言葉」の解釈をめぐって椿と某新聞記者の間で激しいやり取りがなされた。自分自身はもちろん、観客、美術館、メディアに対しても安易な対応を許さない厳しい態度は、知的武闘派の椿らしい愛のムチといえる。しかし、視覚体験のみで本展の意図を正しく理解するのは非常に困難だし、椿の挑発にメディアがどこまで応えるのかも心もとない。やはり何らかの形で言説を前面に出す工夫が必要ではあるまいか。
2009/02/16(月)(小吹隆文)
ライト・[イン]サイト──拡張する光、変容する知覚

会期:2008.12.6~2009.2.28
NTTインターコミュニケーション・センター [ICC][東京都]
さて帰ろうとオペラシティから初台の駅に向かったら、ばったりICCの四方幸子さんに遭遇。「ICC見てくれた?」と聞かれたので「いやあの今日はその」とごあいさつしたら、「見なきゃダメよ」といわれてムリヤリ引きずり込まれた。引きずり込まれていうのもなんだが、ここまで彼女が強引になれるのは自分のつくったものに自信があるから。やっぱりキュレーターはこうでなくっちゃ。展覧会は光と知覚をテーマにしたもの。強烈な発光で体験者の影を壁に残すインゴ・ギュンター、スモークを焚いた部屋で光の彫刻をつくるアンソニー・マッコール、ストロボ光で「LIGHT」の文字を網膜に残像させる藤本由紀夫、それに空っぽのテレビにロウソクを灯したナムジュン・パイクの《キャンドル・テレビ》や、レモンに黄色い電球をつないだヨゼフ・ボイスの《カプリ・バッテリー》まで、新旧メディアアートの佳作が並ぶ(そういえば昔「ライトアート」なんて呼び名もあったな)。でもスタッフがあれこれ誘導したり、1時間待たなきゃ見られなかったりする作品もあるのがウザイ。メディアアート展というのはおしなべて「注文の多い展覧会」だ。
ライト・[イン]サイト:http://www.ntticc.or.jp/Archive/2008/Light_InSight/index_j.html
2009/02/15(日)


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