artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
チェ・ジョンファ個展 花ひらく森
会期:2019/11/15~2020/02/24
GYRE GALLERY[東京都]
チェ・ジョンファといえば、チープなプラスチック製品をブランクーシよろしく垂直に積み上げたり、蛍光カラーのハリボテの花や動物を街角に設置したり、日本でも作品をしばしば見かける韓国のアーティスト。今年の六本木アートナイトではメインアーティストとして、六本木の夜を極彩色に彩ってくれたのが記憶に新しい。
チープな素材とポップな色彩がトレードマークだが、今回はそんな予想を覆す意外な素材も使っている。たとえば、工芸品と見まがう年代物の洗濯板、角の丸くなった発泡スチロールの浮子、さまざまな色とかたちのボルト、使い古した鍋・やかん、工事で使用済みの鉄筋など、およそチープ、ポップからほど遠い質実剛健な素材ばかり……と書いて、いま気がついた。これらは年季が入って民芸化しているように見えるけど、本を正せばチープでポップなものばかりじゃないか。彼はなんでもいいからたくさん集めているわけではなく、素材を周到に選りすぐっているのだ。ぱっと見変わったように見えるけど、そして古いものに目を向けた点で作家として老成したように装いつつ、実はなにも変わってないよと舌を出しているのかもしれない。
2019/11/30(土)(村田真)
目[mé]「非常にはっきりとわからない」
会期:2019/11/02~2019/12/28
千葉市美術館[千葉県]
いつもはビルの8階に受付があるのだが、今回は1階のさや堂ホールに受付をしつらえ、7、8階の展示室に上がる仕組み。さや堂ホールは工事中みたいに半透明のシートで覆われ、中央に置かれた教壇のような台の上には布に包まれた彫像らしきものが2体置かれ、手前に椅子を並べている。んー、なんか怪しげだ。
まず8階に上がってみた。展示室にはところどころ目の作品や美術館のコレクションが飾られているが、一部にはシートが掛けられ、脚立や仮設壁が無造作に置かれ、あろうことかスタッフが道具を持って行ったり来たり、仮動壁をあっちこっち動かしたりしているではないか。展示し終わった作品を見せるのではなく、作品の搬入(搬出)プロセスを見せる「ワーク・イン・プログレス」のインスタレーションだろうか。などと思いながら7階に下りてみると……、あれ? と思ってもういちど8階に上がって確認し、また下りて、を何度か繰り返すことになる。ぼくだけじゃなく、みんなそうして自分の「目」を疑っていた。
まだ会期もあるのでネタバレしないように詳しくは書かないが、これは7、8階の展示室の特殊な構造に着目したインスタレーションであり、もし展示室の構造が違っていたらこの発想は生まれなかった展覧会だ。だとするなら、この展覧会は目のほうから美術館にアプローチしたのだろうか、それとも美術館が目にオファーしてから展示室に着目したのだろうか。いずれにせよここまでやりきるのは見事というほかない。しかもインスタレーションだけなら単なるトリックアートになりかねないところを、スタッフがあれこれ動かすパフォーマンスを加えることで時間軸を掻き乱し、複雑性を増している。
そもそも美術の根源は「物真似」にある、とぼくは思っている。目の前にあるものでもないものでも、ホンモノそっくりに描き出すこと。これが絵画の出発点だ。不思議なことに人間は、そうした物真似=ニセモノを喜び、ときにホンモノ以上に重宝したりする。こうしたホンモノとニセモノとのせめぎ合いを、目は楽しみながら作品化し、また見る者を驚かせようとする。美術の出発点が物真似遊びにあるとするなら、目はまさに美術の原点に戻って遊んでいるのだ。あれ? ネタバレしちゃった? 帰りに美術館の隣の更地を見ると、鉄パイプの足場が組まれ、仮囲いには「千葉市立美術館拡張整備工事」の看板が貼られていた。ひょっとして、これも目の仕業? 館名もわざと間違えた?
2019/11/30(土)(村田真)
奈良原一高のスペイン──約束の旅
会期:2019/11/23~2020/01/26
世田谷美術館[東京都]
奈良原一高は1962〜65年にヨーロッパに滞在し、そのあいだに3回にわたってスペインを訪れた。スペイン全土を車で回り、通算5カ月間滞在し、闘牛場に200回以上も通い詰めたという。フランスやイタリアなどで撮影した写真は写真集『ヨーロッパ・静止した時間』(鹿島研究所出版会、1967)にまとまり、第18回芸術選奨文部大臣賞、第9回毎日芸術賞を受賞するなど高い評価を受ける。だが、あれほど集中して撮影したスペインの写真をまとめた『スペイン 偉大なる午後』(求龍堂、1969)のほうはそれほどの反響はなく、その後の回顧展などに出品される機会も少なかった。だが、世田谷美術館で開催された「奈良原一高のスペイン──約束の旅」展を見て、このシリーズが1960年代の奈良原の代表作にふさわしい名作であることにあらためて気づかされた。
会場には『ヨーロッパ・静止した時間』から選ばれた「遠い都市」(15点)をプロローグとして、スペインで撮影された未発表作を含む120点が「フィエスタ」、「バヤ・コン・ディオス」、「偉大なる午後」の3部構成で展示されていた。特にパンプローナの牛追い祭りを中心とした「フィエスタ」の章と、闘牛を取り巻く場面を撮影した「偉大なる午後」のパートに特徴的なのだが、広角レンズを駆使した奈良原のカメラワークは、いつも以上にのびやかで、思わず踊り出しそうな躍動的な気分に溢れている。歴史の厚みに押しつぶされ、死の匂いの色濃いヨーロッパのほかの地域と比較して、荒々しい野性的な生命力に満たされたスペインの風土で、彼は大きな解放感を味わっていたのではないだろうか。奈良原がスペインを訪れた理由のひとつは、早稲田大学大学院でスペイン美術史を専攻していたことによる。だが実際にスペインを旅しながら、イメージと現実の落差に驚きと当惑を感じたことが想像できる。それでも、その違和感を逆手にとって、奈良原はスペインに全身全霊で没入していった。訪れた町や村で出会った人々のポートレートを中心とした「バヤ・コン・ディオス」のパートには、その出会いの歓びが刻みつけられている。
今回の展覧会で重要なのは、2019年8月に亡くなった勝井三雄が装丁・デザインした『スペイン 偉大なる午後』の製作のプロセスが丁寧に辿られていることである。ほぼ同世代の写真家とデザイナーとの出会いは、観音開きやコラージュ的な構成など、さまざまな意匠を凝らした華麗なブックデザインの写真集としてかたちをとった。奈良原が刊行してきた数々の写真集を、デザイナーとのコラボレーションの成果として捉え直すことも必要になってくるだろう。(追記:病気療養中だった奈良原一高は2020年1月19日に逝去した。)
2019/11/28(木)(飯沢耕太郎)
今 道子 作品展
会期:2019/11/18~2019/11/30
巷房[東京都]
昨年もメキシコを題材とした写真を中心とした作品で個展「Recent Works 2018」(PGI)を開催した今道子が、あまり間を置かず東京・銀座のギャラリー巷房の3階と地下スペースを使って新作展を開催した。このところのコンスタントな作品発表を見ると、彼女の新たな開花期が来つつあるのではないかと思う。
地下スペースには、人形(日本、西洋)、動物や鳥の剥製などを装飾物でデコレーションした、いつもの作風の大作が並んでいたが、3階のスペースでは意欲的なチャレンジを試みている。今回の展示のメインになっているのは、人形作家、四谷シモンのポートレート作品なのだ。これまでは、魚、魚介類、野菜、果物のような「生もの」を使うことはあっても、人間の姿を画面の中に取り入れることはあまりなかった。1990年代には、ヌードの男性モデルや、セルフポートレートを撮影したりしたことがあった。また例外的にドイツ文学者の種村季弘をモデルとした「種村季弘氏+鰯+帽子」(2000)も制作している。だが、今回の四谷シモンのポートレートは数も多く、はじめての本格的なシリーズとして成立していた。
本人は「人間はオブジェを撮るよりむずかしい」と語る。特に顔をコントロールするのに苦労したようだ。だが結果的には、澁澤龍彦邸で澁澤龍子夫人や自作の人形ととともに撮影した作品や、今の自宅で鏡にカメラと自分の顔の一部を映し込んで撮影した作品など、これまでにない新たな領域が見えてきていた。つまり、オブジェ作品としての完成度を高めるだけでなく、モデルとその周囲の環境をストーリー仕立てで構築していくという方向性である。もしまた機会があれば、誰か別のモデルで、ふたたびポートレート作品に取り組んでほしいものだ。
2019/11/27(水)(飯沢耕太郎)
Ryu Ika 写真展「いのちを授けるならば」
会期:2019/11/19~2019/12/07
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
このところ、各写真学校、大学の写真学科に中国人(香港、台湾を含む)の留学生の姿が目立つようになった。そのなかから、いくつかの写真コンペティションで受賞する者も出てきている。一昨年の第19回写真「1_WALL」でグランプリを受賞し、2019年7〜8月に受賞展「生きてそこにいて」(ガーディアン・ガーデン)を開催した田凱、第8回エモンアワードでグランプリを受賞し、昨年7〜8月に受賞展「Dyed my Hair Blond, Burnt Dark at sea」(エモン・フォトギャラリー)を開催したLILY SHUなどの動きを見ると、はっきりとひとつの流れがかたちをとり始めているように感じる。今年の第21回写真「1_WALL」でグランプリを受賞し、今回コミュニケーションギャラリーふげん社で個展を開催したRyu Ika(劉怡嘉)も、まさにその一翼を担うひとりといえる。
Ryuは1994年、中国・内モンゴルの生まれで現在武蔵野美術大学映像学科に在学中である。その作品世界は、異様なほどのテンションの高さに特徴があり、被写体となるモノも、人物も、風景も、暴力的とさえいえそうなエナジーによって充填されている。今回展示された新作「いのちを授けるならば」のシリーズも例外ではない。同シリーズは、友人が「自分の体を自分のものと感じていない。本当の自分は海から来ていて、波に乗ってバラバラになって海辺にたどり着く」と話してくれたことに想を得て制作された。海岸に漂着した木や貝やビニール袋を自分の体と同一視する友人とともに、彼女の誕生日に海辺に出かけ、裸で波や漂着物と戯れる様子を撮影している。そのクローズアップを含む、荒々しいタッチの写真群を壁に貼り巡らせ、その一部を赤いフィルターを装着したライトで照らし出していた。
内モンゴルの風物を、獲物に飛びかかるように撮影したこれまでの作品もそうなのだが、Ryuの写真には「世界はこのようにしか見えない」という強力な確信が宿っている。その身を切るような切実さは、同世代の日本人の写真家にはなかなか真似のできないものだ。これから先も、Ryuを含む日本在住の中国人写真家の仕事に注目していきたい。
2019/11/27(水)(飯沢耕太郎)