artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
百々俊二『空火照の街』
発行所:Case Publishing
発行日:2019年11月
百々俊二は一貫して被写体と直接的に向き合いつつ撮影を続けてきた。そして、カメラの前にはつねに混沌とした人間たちのうごめきがある。そのことは、大阪のディープな街と人とを撮影して最初の写真集としてまとめた『新世界むかしも今も』(長征社、1986)から、東日本大震災後に日本海沿岸を8×10インチの大判カメラで撮影した『日本海』(赤々舎、2014)まで、まったく変わりない。その百々の新作写真集『空火照の街』におさめられているのも、いかにも彼らしい直写、直撃の写真群である。
百々は1983年にはじめてタイの首都、バンコクを訪れ、以来1991年まで計7回、2014年から18年までは年2回のペースで撮影を続けた。『空火照の街』には、そのあいだに6×6判の二眼レフカメラで撮影したモノクロームの写真群が、見開き、裁ち落としのページ構成でびっしりと並んでいる(ブックデザインは田中義久、山田悠太朗)。モノクロームへのこだわりについて、百々は写真集のあとがきの文章で以下のように述べている。
「モノクローム、黒白は、私の心にひそむ隠れた感傷を引き出してくれる。太陽の光と闇と、影、陰翳が色彩よりも存在感がある。[中略]暗室のプリント作業で好きなのは、現像液の中で印画紙に陽画として浮かび上がる水に滲む陰影を見る瞬間スリリングでたまらなく魅力的だ。それは撮影したときの記憶が、具体的なイメージとして立ち現れるからだ。」
この百々の言葉には説得力がある。たしかに、白黒の深みのある「陰翳」は、彼が被写体と対峙していたときの感情の起伏を、生々しく伝えてくれる。読者は、百々の視線と同化して、熱気でむせ返るようなバンコクの街を彷徨うことになる。タイトルの「空火照」(そらほでり)というのは、「空が赤く映えること。夕焼け」という意味だという。モノクロームの写真群から、夕焼けの赤を感じとってほしいという思いを込めたネーミングだろう。
2019/12/09(月)(飯沢耕太郎)
飯沼珠実「Japan in der DDR - 東ドイツにみつけた三軒の日本の家/二度消された記憶」
会期:2019/11/09~2019/12/14
KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY[東京都]
冷戦期の東ドイツの3都市(ライプツィヒ、ドレスデン、ベルリン)で日本の建設会社が建てた3軒のホテルについてリサーチし、自身の撮影した写真や収集した資料を5章からなる書籍にまとめた飯沼珠実。本展では、「第4章 二度消された記憶」が展示された。
飯沼は、関係者へのインタビューや資料調査を進めるなかで、1979年に建設事務所が空き巣被害に遭い、金庫に入っていた現金と、35ミリフィルムカメラからフィルムが抜き取られて盗まれた事件を知る。この盗難事件に着想を得た飯沼は、「盗まれた記憶を取り返してみよう」という動機から、35ミリフィルムカメラを携え、ベルリンに現存するホテルの周辺を撮影した。帰国後、東京の現像所にフィルムを持ち込むが、現像機の整備不良のためにフィルムが感光し、また外れたネジが機械内部に混入してフィルムを傷つけたため、現像されたイメージの一部は白く消え、ところどころに傷痕が入っていた。本展では、これらの「白く不鮮明にかすみ、傷を付けられた写真たち」が展示された。
それは、(リサーチベースではあるものの)「二重のフィクションの介在」である。「盗まれたフィルムに写っていたであろうイメージ」を再演的に創造するという行為は、(機械的なアクシデントによって)傷を付けられ、「消えかけ、見えにくい、隔てられた」イメージへと変質する。一度目の「消去」を実行したのは、シュタージ(秘密警察)のスパイによるものだと推測された。では、二度目の「消去・抑圧」をもたらした作用は何だろうか? それは事実としては現像機の整備不良という人災だが、過去の想起と同時にはたらく忘却の作用が図らずもリテラルに顕現した、私たちはその暴力的な顕現をこそ眼差しているのではないだろうか。そして写真が「記憶」の謂いとなりうるのは、(物理的永続性ではなく)その可傷性・被傷性ゆえではないだろうか。
2019/12/06(金)(高嶋慈)
オリエンタル・ディスクール
会期:2019/11/29~2019/12/09
Komagome1-14cas[東京都]
「移民」、とりわけ韓国・朝鮮系ディアスポラの女性アーティスト3組に焦点を当てた自主企画展。それぞれの作品を通覧して浮かび上がる共通の問いは、「私たちの/が『記憶』と思っているものはどこまでフィクションか?」という文化的・民族的アイデンティティをめぐる問いかけだ。
在日韓国人を両親に持ち、日本語教育を受けながらフランスで生まれ育ったヨシミ・リーは、現在、フランス系住民の多いカナダのケベック州に住む。彼女の写真作品《Hanbok, (Déracinée)》は韓服(Hanbok)を着た西洋的な顔立ちの少女のポートレートであり、古典的な肖像写真を思わせるポーズや構図、無表情な少女の顔、端正なモノクロの陰影は、一見すると、19世紀後半の銀塩写真のような印象を与える。だがそれは演出・捏造された「伝統性」だ。被写体となった自身の娘に、民族の記憶はどう継承されるべきなのか?アジア系フランス人としての個人の生と「伝統」の虚構性との狭間で引き裂かれたその作品は、「写真は、アイデンティティの正統性の証明であると同時に捏造にもなる装置である」という両義的な決定不可能性をも示唆している。
アリサ・バーガーの場合、自身の家族の歴史を辿って複数の声を集めることは、朝鮮半島、ロシア、ドイツをめぐる複雑な現代史そのものへの言及と直結する。映像作品《ThreeBordersStill》では、肉親へのインタビューを軸に、家族アルバムの写真やビデオなど膨大な映像イメージと思索的なテクストが交錯する。アリサの母方の曾祖父は三・一独立運動の迫害を逃れてウラジオストクへ脱北した高麗人(コリョサラン)であり、彼女はその高麗人である母親とユダヤ人の父親の娘としてロシアで生まれ、ドイツへ移住した。家族写真を見せながら肉親それぞれが語る出会いと離散は、ドイツ語、ロシア語、韓国語など複数の言語が入り交じり、「家族」のなかに複数の国境線が存在する事実を告げる。彼女の作品は、複数の言語とボーダーの交差する地点にあるものとして自身を炙り出す。
在日韓国人のアーティストであるユミソンと、イスラエル出身の写真家イシャイ・ガルバシュは、ユニットを組み、パフォーマンスの記録である《Throw the poison in the well》を制作した。タイトルの「井戸に毒を流す」は、関東大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒を流した」というデマによって起きた虐殺を指す。自身は経験していない「民族が共有する傷の記憶」をどう想起し、「現在」に対する批評へとつなぐことができるか。2人は、住宅地の防火用バケツや用水路に、毒の代わりに赤い小さな唐辛子を流すパフォーマンスを行なった。それは、「過去のフィクション」の再演という身振りによって、「平和な日常風景」のただ中に亀裂を入れるように、「想像上にしか存在しなかった虚像のマイノリティ」「『いない』ことにされている存在」に実体を与え、可視化させる。だが彼らが流す「唐辛子」が韓国では「厄除け」の意味を持つことを考慮すれば、それは「架空のテロ」を模倣しつつ、「不可視化された他者への恐怖や憎しみ」を浄化し、祓う行為へと希望的に反転させているのだ。
関連レビュー
イシャイ・ガルバシュ、ユミソン「Throw the poison in the well」|高嶋慈:artscapeレビュー(2016年06月15日号)
2019/12/06(金)(高嶋慈)
石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語
会期:2019/11/01~2020/01/31
ちひろ美術館・東京[東京都]
写真家・石内都は28歳で写真家として活動し始めたときから、本名の藤倉陽子ではなく母の旧姓名である「石内都」を作家名として用いはじめた。むろん、母に対する敬愛のあらわれなのだが、それだけではなく、母ができなかったこと、やり残したことを引き継ぐという思いがあったのではないだろうか。石内は2000年の母の死の前後から「Mother’s」と題する作品を制作し始める。母の火傷を負った皮膚、遺された下着、口紅、靴などを撮影したこのシリーズは、広島の原爆資料館の所蔵品を撮影した『ひろしま』(集英社、2008)や、メキシコの画家、フリーダ・カーロの遺品を撮影した『Frida by Ishiuchi』(RM、2013)といった作品集に結びつくことになった。
今回、東京都練馬区のちひろ美術館・東京で開催された「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」もその延長上の企画といえそうだ。石内は1916年生まれの母、藤倉都とほぼ同年代の、1918年生まれのいわさきちひろのワンピースや口紅などの遺品を、「Mother’s」と同様に自然光で、その色味やテクスチャーに気を配って撮影している。その作業を通して、まったく違った生涯を送った二人の女性の姿が重なり合うように見えてくる。藤倉都は18歳で大型2種の自動車免許を取得し、タクシー、トラック、ジープなどの運転手として働いていた。いわさきちひろは東京府立第六高等女学校卒業後、結婚を経て画家として自立することを目指し、絵本を中心に活動しながら独自の作品世界を切り拓いていった。遺品となった衣装の写真を媒介として、まだ女性の社会的な地位が低かった時代を精いっぱいに生き抜いた二人を結びつけようとする試みはとてもうまくいっていた。
少し気になるのは、「Mother’s」で確立された撮影のスタイルが、その後の作品でもほぼそのまま踏襲され続けていることである。衣装の持ち主である女性たちの固有性が、そのことでやや希薄になっているのではないかという気もしないではない。だが、逆に同じ撮り方にこだわることで、世代、国籍、社会的なバックグラウンドなどを超えた、女性性の表現のあり方が見えてくるのではないかとも思う。
2019/12/03(火)(飯沢耕太郎)
増山士郎展覧会「毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍を作る」
会期:2019/11/02~2019/12/01
Bギャラリー[東京都]
増山は10年ほど前から北アイルランドを拠点に活動するアーティスト。アイルランドには羊が多いが、かつては羊毛を採るために飼われていた羊も、現在では需要が減って食肉用になっているという。そこで増山は、捨てられてしまう羊毛を刈って昔ながらの技法でセーターを編み、それを裸の羊に着せるというプロジェクトを行なった。刈り取られた毛で編んだセーターを着せられて、羊は喜んだだろうか(たぶん迷惑だったに違いない)。展覧会には刈られる前、刈られた後、そしてセーターを着せられた羊の3点の写真が並んでいる。
次に増山は、羊に似たアルパカのいる南米ペルーに飛ぶ。アルパカが羊と違うのは首が長いこと。そこで増山はアルパカの首周りの毛を刈り、マフラーを編んで首に巻きつけた。これも3点セットの写真で見られる。最後に白羽の矢を立てたのが、タイトルにあるラクダ。ラクダといえば中東のヒトコブラクダが有名だが、ヒトコブは毛が短いので、ロン毛のフタコブを求めてモンゴルへ。ラクダは羊やアルパカとは違って乗り物として機能するので、刈った毛で鞍を制作。増山は実際にその鞍に乗って旅をした。写真の3点セットに加え、旅する映像、実物の鞍も出品し、これが展示のメインとなる。
アイルランドでは廃れてしまった毛織りの技法を復活させ、ペルーでは文明社会から切り離された高地で住人の協力をあおぎ、モンゴルでは遊牧生活をともにしながら自然と一体化できたという。未知の社会に入り込んで住人と協働するアート・プロジェクトでもあるが、やってることは自給自足というか、地産地消というか、一期一会というか、笑止千万というか……。意味を見出そうと思えばいくらでも見出せるが、ここはやはり笑い飛ばすのが礼儀かと。
2019/12/01(日)(村田真)