artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
黒瀬剋展
会期:2017/06/06~2017/06/17
galerie 16[京都府]
絵画作品が出来上がるまでには紆余曲折があるが、われわれが見られるのは完成した画面のみで、途中経過は分からない。しかし黒瀬剋は、作品が変化していく過程にも完成作と等価な魅力があると考え、それを可視化することを思い立った。その結果生まれたのが、《メタモルフィック・ペインティング》と《コンティニュアス・ペインティング》という2つのシリーズだ。前者は1枚の絵を分解してパズルピースにしたもので、画面の配列が変更可能となり、そこに上描きすれば新たなイメージが発生する。後者は、作品を写真撮影してプリントの上から描き足す作業を繰り返すことで、イメージの変遷を可視化するものだ。前者はパズルを組み換えればまた新たなイメージを創造でき、後者はプリントを複数用意すればひとつのイメージから複数の方向に分岐ができる。つまり黒瀬の作品は、制作過程を可視化することと、完成作は無数の可能性のひとつにすぎないことを示すのがテーマなのだ。筆者は黒瀬以外の画家からも、過去に何度か同様の悩みを聞いたことがある。この問題は画家にとって普遍的なのだなと、改めて実感した。
2017/06/06(火)(小吹隆文)
第11回 shiseido art egg:吉田志穂展〈写真〉
会期:2017/06/02~2017/06/25
資生堂ギャラリー[東京都]
新進アーティストに展示の機会を与える「シセイドウアートエッグ」の企画では、ほぼ毎回、写真を使う作家が選出されている。今回は2014年の第11回1_WALL展でグランプリを受賞した吉田志穂が、新作を含む作品を発表した(審査員は岩渕貞哉、中村竜治、宮永愛子)。
吉田は撮影場所をあらかじめ画像検索し、地図や航空写真などで確認したうえで決定する。実際にその場所で撮影された写真をプリントに焼き付け、すでに持っていた視覚情報や実際に見た風景と比較しながら、「理想的なイメージと目の前の風景を組み合わせる」ことを目指していく。実際には、引伸ばし機の投影像の複写、画像を取り込んだパソコンのモニターの複写などを繰り返し行なうことで、現実とも非現実とも見分けがつきがたい、曖昧だが奇妙にリアルなイメージが生み出されてくる。「測量|山」のシリーズでは、それらを大小のプリントに焼き付けて壁面、床などに展示したり、スライド映写機で投影したりして、会場を構成していた。
このようなデジタル画像とアナログ画像の変換・操作を積み重ねることで「新しい風景」を創出していくような志向性は、もはやありがちなものになってきている。吉田の場合も、それほど新鮮な印象は与えられなかった。だが、新作の《砂の下の鯨》には、違った方向へと出ていこうという意欲を感じた。こちらは「鯨が座礁し、それを骨格標本にするために一時的にその囲いの中に埋められている」という場所を撮影した写真を下敷きにして、インスタレーションを試みている。手法的には前作と同じなのだが、「鯨の腹部の模様」を思わせる砂紋を強調することで、観客のイマジネーションをより強く喚起する物語性が組み込まれた。この方向性をさらに進めていくことで、独自の「語り口」を見出していくことができるのではないだろうか。
2017/06/05(月)(飯沢耕太郎)
「岡﨑乾二郎の認識─抽象の力─現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」「追悼 小嶋悠司」展
会期:2017/04/22~2017/06/11
豊田市美術館[愛知県]
昨年、ここで開催されたジブリ展をほうふつさせるような「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」のとんでもなく長い行列を横目に、常設特別展「岡﨑乾二郎の認識─抽象の力─現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」と重厚な内容の「追悼 小嶋悠司」展を見る。彼のテキストが掲載された「抽象の力」のカタログは、やはり売り切れだったが、ウェブサイトでも公開されており、ありがたい。フレーベルの幼稚園、近代の造形教育から始まる「抽象の力」展は、主に豊田市美術館のコレクションを活用しつつ、戦後の日本で抽象芸術の核心がずらされたことを批判し、戦前に日本の抽象が到達していた認識の再評価を試みる。大胆で創造的・発見的、面白い企画だ(本当なのか? というツッコミをあちこちで入れたくなるが)。建築の立場からは、村山知義《コンストルクチオン》と石本喜久治の朝日新聞社の比較も興味深い。
2017/06/04(日)(五十嵐太郎)
岡本太郎×建築展 ─衝突と協同のダイナミズム─
会期:2017/04/22~2017/07/02
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
岡本太郎と建築の接点は意外に多い。例えば坂倉準三とは、戦前パリで彼がル・コルビュジエに師事していたころから親交があり、戦後は青山の岡本邸を設計してもらっている。アントニン・レーモンドや磯崎新とも一緒に仕事をしたことがある。だが、太郎が火花の散るような関係を切り結んだ建築家といえば、丹下健三をおいてほかにいない。丹下とは旧東京都庁舎、東京オリンピックの国立代々木競技場、大阪万博のお祭り広場と、大きなプロジェクトだけでも3回コラボレーションしたが、いずれも丹下が設計し、太郎がアートを手がけた。
だいたい建築家とアーティストがコラボする場合、まず建物が先でそこにアートを入れ込むことが多いので、アーティストのほうが立場的に弱い。それに、アートを取り除いても建物は残るが、建物を取り壊したらアートも消えてしまう。建築>アートなのだ。そのことに太郎が自覚的だったかどうかは知らないが、最後の万博のときに立場を逆転させてしまう。先に丹下が設計した大屋根をぶち抜くかたちで太陽の塔をおっ立てたからだ。このことは太郎のリベンジ(それは建築に対するアートのリベンジともいえる)として、しばしばおもしろおかしく語られてきた。後日談として、約20年後に丹下が新宿の新都庁舎を設計したとき、太郎が呼ばれなかったのは丹下の再リベンジだという見方もある。まあそれはないだろうけど、同展は「衝突と協同のダイナミズム」と謳いながら、どうもそのへんがよくわからない。
2017/06/04(日)(村田真)
萩原朔美の仕事展
会期:2017/04/15~2017/07/02
昨年、萩原朔美が「萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち 前橋文学館」の館長に就任した。萩原朔太郎の孫というこれ以上ない出自に加えて、演出、編集、エッセイスト、映像・造形作家としての多面的な活動を展開している彼は、まさに同館の館長に適任といえるだろう。その萩原の「就任1周年」を記念して企画・開催されたのが本展である。「映像」、「アートブック」、「写真」、「編集」の各パートに、目眩くように多彩な作品が展示されていた。
ここでは、写真のパートを中心に見てみよう。萩原の写真の基本的な手法は「定点観測写真」である。同じポーズをとる「20代」と「60代」のポートレート。2、3歳の頃に撮影された小田急線の電車に万歳している彼の写真を、20代、30代、60代で再現した写真シリーズなどを見ていると、時の経過とともに、否応なしに死─滅びへと向かっていく人間の運命を感じてしまう。これらの「定点観測写真」もそうなのだが、萩原の写真作品にはつねに「差異と反復」に対するオブセッションがあらわれてくる。「変容を観察し変容の度合いを測ることに面白さを見出す」という彼の志向は、カメラ機能付きの携帯電話の登場でより加速してきているようだ。道路上の「丸いもの」を撮影した《circle》、鏡に自分を映して撮影した《selfy》、路上の「止まれ」の表示を、文字通り立ち止まって撮影した《とまれ》など、携帯電話で撮影した写真群は、驚くべき数に達している。物事の微妙な「差異」に徹底してこだわり、「反復」を積み重ねて視覚化していく試みは、彼自身の生と分かち難く密着することで、これまで以上に広がりを持ち始めているのではないだろうか。
萩原は、先頃東京都写真美術館で個展を開催し、6月5日に亡くなった山崎博と日本大学櫻丘高校の同級生だった。17歳の頃「写真家になる」と宣言した山崎に刺激されて、彼自身も写真家になりたいと思った時期があったという。その望みは、果たされなかったわけだが、山崎と共通する、写真というメディアの可能性を、あくまでもコンセプチュアルに問い続けていく志向は、いまなお彼のなかに脈打っている。「写真家・萩原朔美」の仕事をもっと見てみたい。
2017/06/03(土)(飯沢耕太郎)