artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

MOTサテライト 2017春 往来往来

会期:2017/02/11~2017/03/20

清澄白河エリア各所(MOTスペース、MOTスポットほか)[東京都]

清澄白河のMOTサテライト「往来往来」のおかげで、このエリアをゆっくり歩きまわったが、基本的に寺と墓が多いのだけど、いつの間にかおしゃれなお店がだいぶ増えている。mi-ri meterは、その現在を観察し、さまざまな住民のインタビュー映像を見せる。ほかに毛利悠子の見えない力を可視化する作品群、松江泰治によるマンションや木場などの周辺風景を撮影したウルトラ・フラットな写真と映像、ひがしちかのかわいい傘屋、飯山由貴+remoによる土地の記憶/記録のメディア化などが印象に残る。

写真:左上=mi-ri meter 右上=毛利悠子 左中=松江泰治 右中=ひがしちか 左下=飯山由貴+remo

2017/03/12(日)(五十嵐太郎)

Chim↑Pom展「The other side」

会期:2017/02/18~2017/04/09

無人島プロダクション[東京都]

清澄白河で強烈だったのは、Chim↑Pom「The other side」展@無人島プロダクションである。2014年に開始したアメリカとメキシコの国境沿いのプロジェクトだが、いまのトランプ政権の振る舞いをあらかじめ批判するような作品だ。ヨーゼフ・ボイスを下敷きとしたコヨーテ、穴、ツリーハウス、自由の墓などを紹介していたが、いまや政治主導で増加するアール・ブリュットからは絶対に生まれない批評的な表現である。

2017/03/12(日)(五十嵐太郎)

柳瀬安里 個展「光のない。」

会期:2017/03/07~2017/03/12

KUNST ARZT[京都府]

同ギャラリーで昨年12月に開催された「フクシマ美術」展で見て非常に気になっていた作家、柳瀬安里の初個展。「フクシマ美術」出品作の《線を引く(複雑かつ曖昧な世界と出会うための実践)》は、2015年夏、国会議事堂周辺の安保反対デモに集った群衆の中を歩きながら、道路に「白線を引いていく」パフォーマンスの記録映像である。「線を引く」シンプルな行為が、集団を撹拌し、人々の身体的な反応を引き起こし、擬似的な共同体の中に潜在するさまざまな境界線や差異を表出させてしまう。地震による亀裂という物理的な線、「原発20km圏内」や警察の規制線といった人工的な境界の恣意性、さらに当事者/非当事者の線引き、分断や排除の構造の可視化など、「線(境界線)」が孕む意味の多重性を提示する秀逸な作品だった。
今回の個展で発表された《光のない。》は、その発展形と言える作品。沖縄高江のヘリパッド建設工事のゲート前を、エルフリーデ・イェリネクの戯曲『光のない。』を暗唱しながら歩くパフォーマンスの記録映像である。イェリネクの戯曲は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故をきっかけに書かれたものだが、「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」による抽象的なモノローグという形式を採り、具体的な事故の描写はないものの、言葉遊びやメタファーが散りばめられている。また、「わたし/あなた」「わたし/わたしたち」という人称代名詞の多用も特徴だ。このテクストが、沖縄の高江でどのように響くのか。
柳瀬の作品《光のない。》では、現実から安全に切り離された劇場ではなく、現実の出来事が起きている路上で発話することで、抽象的で難解な印象のテクストが極めて生々しい意味を帯びて鮮やかに立ち現れてくる。「戯曲である」、つまり黙読ではなく、生身の身体によって「声」として発話されることで戯曲の言葉は受肉化され、初めて力を持つことが、十二分に示されていた。そこでは「白線」の代わりに、「わたし/あなた/わたしたち」という発話行為が、一人称/二人称、単数/複数の相違によって、風景の中に境界線を次々と浮かび上がらせる。「わたし」「あなた」「わたしたち」とは誰なのか? 指示内容の充填を待つ空白が、「歩行しながら暗唱する」柳瀬の身体的行為によって、さまざまな意味/主体が書き込まれては次の場面で更新され、絶えざる書き替えに晒されていく。
例えば、「わたしにはあなたの声がほとんど聞こえない」という台詞。「わたし(日本)にはあなた(沖縄)の声が聞こえない」と解釈可能だ。あるいは、柳瀬を無視し、無言で人間の壁をつくる機動隊員の姿が画面に映るとき、「わたし(機動隊員)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という二重性を帯びた発話となる。さらに、柳瀬の震える生身の声が、拡声器ごしのデモの演説や怒号、行き交う車両の騒音にかき消されるとき、「わたし(鑑賞者)にはあなた(柳瀬)の声が聞こえない」という三重の意味を帯びてそれは聴取されるだろう。また、伴奏をつとめる「第二ヴァイオリン」が「わたしはあなたに寄り添う」と告げるとき、「わたし(沖縄)はあなた(日本)に寄り添う」のか? 「わたし(日本)はあなた(米国)に寄り添う」のか? あるいは、柳瀬の後を無言で付き添う「わたし(機動隊員)はあなた(柳瀬)に寄り添う」のか? また、「異物はいつもわたしたちのなかにあった」という別の台詞がある。「わたしたち(日本)の中の異物(沖縄)」なのか、「わたしたち(沖縄)の中の異物(基地)」なのか?
ここでは、「暗唱しながら路上を歩く」柳瀬の身体的行為によって、戯曲の言葉と現実の風景が複数の層でリンクし、相互浸透し合うことで、解釈は常に多重的に揺れ動き、ひとつの位置に定位できない。さまよい歩く柳瀬の声は、イェリネクのテクストの多義性の発露を引き受けながら、いくつもの主体の間を憑依し続けるのであり、そこで露わになるのは、「わたし」という主体の固定の不可能性、「日本」という主体の曖昧さや不安定さである。そして「わたし/あなた」の決定不可能性は、分断と排除の論理が支配するあらゆる周縁化された場所/主体をめぐる名前と交換可能である。
このように本作は、書かれた戯曲のテクストが「声」によって受肉化され、現実の音や風景と物理的に「接触」することで、テクストに胚胎する意味をクリアに浮上/拡張させるとともに、現実の様々なレイヤーが複雑に揺れ動く界面を鋭く照射する。しかし一方で、受肉化された「声」は、現実(が立てる音)からの干渉を受けることで、ひとつの支配的な完全な声としては響かない。であるならば、対峙し耳をそばだてる者には、より慎重で繊細な聴取の態度が要請されている。



柳瀬安里《光のない。》2016-17 映像

2017/03/12(日)(高嶋慈)

小田原のどか個展「STATUMANIA 彫像建立癖」

会期:2017/03/04~2017/03/19

ARTZONE[京都府]

「彫刻」と「台座」、「モニュメント」と具体的な場所との紐帯/切断といった問題を通じて、彫刻史や美学的な制度論への言及にとどまらず、戦後日本の潜在的な構造を批評的にあぶり出す、意欲的で秀逸な個展。小田原が近年、精力的に取り組んできた《↓》と、新作《空の台座》の2作品とともに、それぞれの作品制作にあたって文献資料のリサーチをまとめた論文2本も展示された。
展示会場に入ると、赤く光るネオン管でつくられた巨大な矢羽根がそそり立っている。壁面には、古い新聞写真や英字新聞を複写した写真が並べられ、そこに写った作品と同形の矢羽根には、「原子爆弾中心地」と書かれている。つまりこの矢羽根は、爆心地を「ここ」と即物的に指し示す記念標柱なのだ。小田原の作品《↓》は、長崎市松山町に1946年に建立され、48年に撤去された「矢羽根型記念標柱」を、原寸サイズで「再現」したものである。


左:小田原のどか《↓》2011-16 ネオン管
撮影:呉屋直
右:長崎民友新聞 昭和22年8月9日付より


モニュメントや建築の一部としてつくられた彫像が、台座すなわち特定の場所との紐帯を失ってノマド化し、ホワイトキューブ内に移行することで、「彫刻」としての自律性を保証されること。小田原の《↓》はひとまず、こうした近代彫刻史を批評的にトレースするものと見なすことができる。歴史的出来事の記念や人物の偉業を讃え、権威を可視化する装置としてのモニュメントは、事績と強く結びついた場所の固有性と切り離せないものであった。国家意識の醸成、帝国主義、啓蒙化が強まるなか、18世紀フランスの都市におけるモニュメントの氾濫状況に対して、近代史家のモーリス・アギュロンは「statue(彫像)」と「mania(熱狂、癖)」を組み合わせ、「statumania(彫像建立癖)」と名付けた(本個展のタイトルはこれに由来する)。ロザリンド・クラウスの「拡張された場における彫刻」によれば、こうしたモニュメントの論理は「共通の記憶の再現=表象(commemorative representation)」であり、台座は「現実の場所と再現=表象的な記号を媒介する」装置である。一方、ロダンの《地獄の門》と《バルザック像》のモニュメントとしての「失敗」──本来の場所に置かれず、各地の美術館に複製が収蔵されていること、ロダンの主観性の強い反映──が意味するのは、モニュメントの論理と台座の消失であり、場所との切断によってノマド化した彫刻の自律性を保証するのがホワイトキューブという制度的空間である。小田原の《↓》は、「ここ」を指し示す「矢羽根型記念標柱」を場所の固有性から切り離し、ネオン管の使用すなわち「ライト・アート」への美術史的接続も加味することで、これまで「彫刻」と見なされてこなかったものが「彫刻」へと転位する事態そのものを、パフォーマティブに自ら指し示す。
だが、本作について論じるべき点は、そうした彫刻史や制度への自己言及性だけだろうか。先ほど筆者は《↓》について、「矢羽根型記念標柱」の原寸サイズの「再現」と書いたが、「再現」という言い方には保留が必要だ。小田原は作品化にあたって2点の改変を加えており、この改変の操作こそが、戦後日本社会に対する批評性の射程の要となる。ネオン管の使用、そして「原子爆弾中心地」という文言の消去・空白化は、何を意味するのか。
「ネオン管」は、ホワイトキューブに持ち込まれればライト・アートへの美術史的参照に一役買うが、制度の外に出れば、繁華街を彩るネオンサインとしてありふれた存在だ。それは都市の繁栄と消費の象徴であり、それらは電力の安定した供給を前提に支えられている。つまり《↓》が体現するのは、消費社会の繁栄の中で原爆の記憶を忘却する戦後日本の姿であり、そこでは「原子爆弾中心地」という言葉は(何者かによって)いったん消去されつつも、まさにその消去と忘却によって、原爆(原子力)の炸裂が他の場所でも起こりうることを黙示録的に指し示しているのである。文言の消去と設置場所の代替可能性は、記憶の忘却であるとともに、「爆心地」の潜在的な遍在性をも指す。過去の忘却と、将来的な書き込みを待ち受ける空白とを同時に含み持つことが、本作の真に戦慄的な事態である。

一方、もうひとつの作品《空の台座》の展示空間も、ガラス管による「原寸サイズの再現」と、印刷物に掲載された古い写真の複写の併置という同様の構造を持つ。展示室中央にあるのは、赤い光で自らの存在を誇示する矢羽根とは対照的に、空間に溶け込むかのように、物質性の希薄なガラス管でつくられたフレーム状の構造体である。壁面には、北村西望《寺内元帥騎馬像》(1923)と菊池一雄《平和の群像》(1951)のモノクロ写真が掲示されている。東京の三宅坂に現在ある《平和の群像》は、三美神を意識した3人の女性の裸像だが、戦前は同じ台座の上に、軍人の騎馬像が建っていた(三宅坂一帯は帝国陸軍の拠点だった)。《寺内元帥騎馬像》は戦時中の金属回収によって撤去されたが、戦後、残された台座を再利用して設置されたのが《平和の群像》である。戦中/戦後のイデオロギー転換をまさに「彫像建立癖」によって体現する出来事であり、《平和の群像》は日本の公共空間における女性ヌード像の第一号であるという。


小田原のどか《空の台座》2017 ガラス
撮影:呉屋直

ここで興味深いのは、小田原が注目するのが、イデオロギー転換をめぐる像の交代劇ではなく、像=イデオロギーの交換を基底で支える「器」としての台座である点だ。私たちは、イデオロギーを可視化する装置としての彫像の交代劇には目を向けても、台座そのものは不可視になっていたのではないか。小田原の試みは、いかなる変更も受け入れる不変の器としての「台座」を前景化させる。それは物理的な彫像を支えるだけでなく、(戦意高揚であれ平和の称揚であれ)イデオロギーを柔軟に受け止める器であり、より象徴的なレベルでは日本社会の基底である。透明なガラス管でできたその「見えにくさ」は、意識から排除され、「空気」のように希薄化した常態をも指し示す。さらに、台座が「空(から)」であることは、《平和の群像》が下ろされ、別の彫像の設置を待ち受ける不穏な空白期間の可能性をも暗示する。もし、三度目の彫像交代劇が行なわれるとしたら、そこに鎮座するのは、いったいどのような「彫像」なのだろうか。
《空の台座》が提示するのは、台座(パレルゴン)を作品(エルゴン)化させる反転の身振りによって彫刻史や制度論への批評的接続に加えて、空白が暗示する予見的な未来の不穏さである。このように本個展は、「彫刻(史)」と接続しつつ、「戦後日本社会」の不気味さ(現在における忘却と潜在的な可能性)をあぶり出す点で、深い批評性の射程を持つ優れた内容だった。

2017/03/10(金)(高嶋慈)

美しければ美しいほど The more beautiful it becomes

会期:2017/02/07~2017/04/09

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

新進気鋭のインディペンデント・キュレーター、居原田遙による沖縄の「声」をテーマとした企画展。展示の中心は居原田と同じく沖縄県出身の嘉手苅志朗と埼玉県出身の川田淳の映像作品で、あわせて丸木位里・俊による《沖縄戦の図》を所蔵する佐喜眞美術館の館長、佐喜眞道夫が同作について解説した音声と、居原田と協力者の木村奈緒が沖縄の基地問題をめぐるさまざまな報道を検証したパネルも展示された。
会場には、じつにさまざまな「声」が反響していた。佐喜眞館長による語りは、とりわけ沖縄戦の実態を知らない若い世代や本土の人間の耳を傾けさせるには十分な迫力を伴っており、各種の報道を検証したパネルにしても、大手のマスメディアが伝えていない、しかしネット上には確かに残されている現場の生々しい状況が克明に浮き彫りになっている。そのなかには知っていると思っていたが、知らなかった情報も少なくない。音であれ文字であれ、沖縄からの、あるいは沖縄についての「声」を真摯に聴くことが求められているのである。
とはいえ、この企画展の骨子は沖縄と本土の非対称的な関係性を告発することにあるわけではない。本土の人間が沖縄の問題から目を背けていることは否定できない事実だとしても、その不誠実極まりない鈍感さを弾劾する沖縄本質主義と本展は一定の距離を保っている。なぜなら、本展における「声」とは、沖縄から本土に向けられた声というより、むしろ沖縄と本土の双方に通底しているはずの人間の想像力に強く訴えかける「声」だからだ。佐喜眞館長による語りを耳にしながらも、私たちはここで《沖縄戦の図》を目にすることはない。それゆえ不在の絵画に思いを馳せることを余儀なくされるのである。
嘉手苅の作品《interlude》は、沖縄在住のジャズシンガー、与世山澄子の顔だけをクローズアップで映したもの。自衛隊の基地の周囲を走行する車の中で、ジューン・クリスティによる同名曲を口ずさんでいるが、口元はフレームから外されているので、私たちの視線は彼女の鋭い眼光に注がれることになる。その顔を時折染めるオレンジ色は、基地に設置された外灯だろう。そこはかつて米軍基地だったというから、もしかしたら彼女が脳裏に浮かべているのは、戦後はアメリカに占領され、返還後は本土に支配されている沖縄の二重苦の歴史なのかもしれない。
嘉手苅の《interlude》が私たちの想像力を過去の歴史に誘っているとすれば、川田の新作《生き残る》は、より直接的に、私たちをそれに対峙させている。あわせて上映された川田の前作《終わらない過去》と同じく、《生き残る》もまた、ある種の語りを聴かせる映像だ。話しているのは、あの戦争で中国大陸に従軍し、後に沖縄でアメリカ兵と闘った元日本軍の兵士。絞り出すような声で語られる虐殺の経験や集団レイプの目撃談、同じ日本軍への呪詛などが、私たちの耳を切り裂きながら心底に暗い影を落とす。
だが、ここで私たちが覚える恐怖は、決して彼の証言の内容だけに由来しているだけではない。隣室に展示されている丸木夫妻の《南京虐殺の図》をおのずと連想してしまうことも小さくないだろう。けれども、それ以上に大きな要因は、《生き残る》が《終わらない過去》と同様に音声と映像を基本的には照応させていない点にある。《生き残る》が映し出しているのは、ほとんどが赤ん坊。寝返りを打ったり泣きわめいたり、赤ん坊の無邪気な身ぶりは、恐るべき戦争の記憶を物語る語り口と著しく対照的である。だが、赤ん坊であれ戦争の証言であれ、映像と音声が完全に照応していたら、私たちの想像力はそれほど刺激されることはなかったにちがいない。むしろ双方に大きな乖離があるからこそ、私たちの想像力はその間隙を縫うように躍動しながら映像と言葉の彼岸に向かうのである。
感覚の分断と再構成。あるいは視覚と聴覚の切断と想像力による再統合。嘉手苅と川田に共通する手法があるとすれば、それはおそらくこのように要約することができる。だが、それはアーティストの個人的で内在的な方法論というより、むしろ沖縄と本土の非対称性という外在的な条件から必然的に導き出された技術知ではなかったか。というのも、統合された感覚を自明視する思考のありようこそ、沖縄と本土の非対称的な関係性を疑うことなく再生産する身ぶりと通底しているように考えられるからだ。
通常、私たちが美術や映像を鑑賞するとき、視覚的な情報と聴覚的な情報を分解しながら受容することはほとんどない。例えばキュビスムにしても、どちらかと言えば分解というより再構成のほうに力点が置かれていたし、日本におけるキュビスムは、先ごろ埼玉県立近代美術館で催された同名の企画展が明示していたように、おおむね「様式」として消費することに終始したと言ってよい。
だが嘉手苅と川田は、その切断をおそらくは戦略的に試みることによって、私たちの感覚や認識に大きな裂け目を切り開くことをねらっている。いや、より直截に言い換えるならば、私たちの認識の前提や存在の条件をあえて攪乱することで、私たちの想像力を強引に起動させようとしているのではなかったか。なぜなら沖縄と本土の非対称的な関係性に想像力を誘導するには、そのようなある種の暴力性が必要不可欠であることを彼らは熟知しているからである。世界に解き放たれた想像力は、新たな統合を求めてさまよい続け、何かしらの結節点に意味を見出そうと、もがくほかない。
そのことをもっとも端的に示しているのが、《生き残る》のラストシーンである。沖縄で無残に犬死にしていった仲間たちを悔恨の涙とともに振り返る痛切な「声」は、私たちの耳では受け止めることができないほど、重い。だが、そのとき画面に映し出されているのは、床に転がった赤ん坊の顔。透明度の高い黒い眼球でこちらを見つめている。それが私たちの視線と交わったとき、その悲痛な「声」は、まるで受肉したかのような生々しさを伴って、私たちの心の底を勢いよく突き抜けていくのだ。それは過去と未来が同時に顕現した奇跡的な一瞬である。

2017/03/10(金)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00038303.json s 10133863