artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ミュシャ展

会期:2017/03/08~2017/06/05

国立新美術館[東京都]

なんと言っても目玉のスラブ叙事詩全20作の国外初展示が圧巻だった。新国立美術館の天井高をフルに活かし、6m×8mの巨大絵画群が並ぶ。若い頃、アカデミーに入れず、かわいい女性の絵のポスターで人気を博したサブカルチャー的な出自のミュシャが、スラブ民族主義に目覚めた渾身の大作である。そして、彼は国民的な作家となった。

2017/03/15(水)(五十嵐太郎)

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椎原治 展

会期:2017/03/04~2017/03/26

MEM[東京都]

椎原治(1905-1974)の1930~40年代の仕事に、再び注目が集まりつつある。2016年にはモスクワのマルチメディア美術館やパリ・フォトで作品が展示され、ドイツではONLY PHOTOGRAPHYシリーズの一冊として『OSAMU SHIIHARA』が出版された。今回のMEMでの展示は、ずっと兵庫県立近代美術館に寄託されたままになっていた300点余のプリントから、息子のアーティスト、椎原保がセレクトした31点によるものである。
椎原は、大阪の丹平写真倶楽部に入会して写真作品を本格的に制作・発表するようになる前は、画家として活動していた。東京美術学校で藤島武二に師事した(1932年卒業)という経歴はかなり特異なものだ。そのためか、同じ丹平写真倶楽部に属する安井仲治、上田備山、平井輝七、河野徹らのシュルレアリスムの影響を取り入れた「前衛写真」が、どこか付け焼き刃的な印象なのに対し、椎原の作品は絵画と写真の両方の領域を無理なく、自在に行き来しているように見える。彼が得意にしていた、ガラス板に直接油彩絵を描いて、印画紙に焼き付けた「フォト・パンチュール」(写真絵)の手法など、まさに画家としての素養が活かされたものといえる。
それに加えて、今回の展示で特に気になったのは、女性ポートレートやヌードに対する、彼のやや過剰なまでの執着である。残念なことに、1940年代になると戦時体制がより強化され、そのような写真は撮影も発表もむずかしくなってくる。短い期間ではあったが、その濃密で耽美的なエロスの追求は特筆に値するだろう。今回のセレクションには、街のスナップや風景など、これまであまり取り上げられなかったテーマの作品も含まれている。あらためて、椎原治という写真家の全体像を概観できる、より大きな規模の展覧会の開催が必要であると感じた。

2017/03/15(水)(飯沢耕太郎)

奈良原一高「華麗なる闇 漆黒の時間(とき)」

会期:2017/03/10~2017/04/24

キヤノンギャラリーS[東京都]

長期の入院が続く奈良原一高だが、奈良原一高アーカイブズ(代表・奈良原恵子)の手によって、出版や展覧会の企画が相次いでいる。写真と文章の代表作を集成した『太陽の肖像』(白水社、2016)に続いて、東京・品川のキヤノンギャラリーSでは「華麗なる闇 漆黒の時間(とき)」展が開催された。1965年に初めて訪れて以来、その魅力に取り憑かれて80年代まで撮影し続けた「ヴェネツィアの夜」のシリーズと、1960年代初頭のヨーロッパ長期滞在から帰国後に、日本の伝統文化をむしろエキゾチックな視点で捉え直した意欲作「ジャパネスク」(「刀」、「能」、「禅」の3シリーズ)をカップリングした展示である。
長年にわたって奈良原とコンビを組んできたグラフィック・デザイナー、勝井三雄が手掛けた会場構成(作品セレクトも)が素晴らしい。オリジナル・プリントからスキャニングしたというモノクローム印画を、通常よりやや高めに展示することで、シンプルだが力強い視覚的な効果を生み出していた。サン・マルコ広場に面する店の窓の灯りを捉えた連作は、小部屋の仕切りの中に封じ込めるように並べ、アルミフレームの縁の部分は目立たないように黒く塗るなど、展示全体に細やかな配慮がなされている。明確な展示プランによって、もともと奈良原の写真に内在していた「闇」への志向性を引き出した、クオリティの高いインスタレーションとして成立していた。島根県立美術館の「手のなかの空──奈良原一高1954-2004」(2010)に続く、本格的な回顧展も、そろそろ企画されていい時期だろう。それとともに、雑誌掲載の作品などをもう一度洗い直した「全作品集」の刊行も期待したい。

2017/03/15(水)(飯沢耕太郎)

マルセル・ブロイヤーの家具:Improvement for good

会期:2017/03/03~2017/05/07

東京国立近代美術館[東京都]

戦後、パリの《ユネスコ本部》やニューヨークの《旧ホイットニー美術館(現メトロポリタン美術館分館)》を設計したデザイナー、建築家・マルセル・ブロイヤー(1902-1981)の家具デザインを紹介する展覧会。ブロイヤーの家具といえばイメージされるのはスティールパイプを使った《クラブチェアB3》(ワシリーチェア)。1925年、23歳のときに考案したこの椅子をブロイヤーは自転車のハンドルから着想したといわれている。それ以前から鋼管を用いた家具は存在した。ジークフリート・ギーディオンによれば、1830年頃にはベッドに鉄パイプを用いる試みがなされ、1844年には鉄パイプを曲げてつくった椅子が現れている。しかしながらその椅子は木製の椅子を模倣し、パイプは木や象嵌に見えるように塗装され、座面にはクッションがはめ込まれていた(榮久庵祥二訳『機械化の文化史』鹿島出版会、2008、456-457頁)。これに対してブロイヤーの椅子は継ぎ目がないようにみえるパイプで構造をつくり、座面と背もたれはテンションをかけた布あるいは革によって構成され、非常に軽く見える。鋼管パイプを用いたとはいえ、木製のデザインを踏襲した椅子とはまったく異なる思想によるものだ。その思想は、バウハウスのウォルター・グロピウスが1921年頃から取り組んでいたユニット住宅案に呼応している。すなわち、部材の規格化、共通化によるコストダウンである。これらは素材や技術の問題であるが、他方で当時現れてきたモダンな建築にふさわしい新しい家具への需要があった。会場に掲出されているインテリア写真にロココ調猫脚の椅子、ソファがあったらと考えてみれば、その要求が切実なものであったことが理解できよう。建築家たちはしばしば自ら家具をデザインしたが、ブロイヤーの場合は家具からスタートして建築へと向かった。そこにもまたグロピウスの思想が大きく影響している。
本展では、主として時系列順に、ブロイヤーがヴァイマール時代のバウハウスで手がけた木製家具から始まり、デッサウ時代のスティールパイプの椅子やネストテーブル、スイス・イギリス在住時代のアルミニウムの椅子や、同様の構造を持ったプライウッドの椅子、1937年にアメリカに渡り建築へと仕事の比重を移す中で手がけた家具と住宅建築を見せ、最後にブロイヤーと日本──芦原義信──との関わりが紹介されている。見所はスティールパイプ以前の木製の家具と、バージョンが異なる4つの《クラブチェアB3》だろう。特に後者の微妙な差異(たとえば溶接がビス留めに変更されている)からは、量産に向けて行われたデザインの調整と合理性追求のプロセスが垣間見えて興味深い。
さらに本展では展示デザインに力が入っていることを付記しておきたい。モノトーンでシンプルに見える展示台は、よく見ると色や素材感にこだわっていることが分かる。ガラスケースを用いて資料、写真、テキストをレイヤーに重ねた年表のデザインも面白い。会場構成はLandscape Products。サンセリフ書体で統一されたモダンなデザインの図録は、資料集としても充実した内容だ。[新川徳彦]


展示風景


展示風景

2017/03/15(水)(SYNK)

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吉岡徳仁 スペクトル ─ プリズムから放たれる虹の光線

会期:2017/01/13~2017/03/26

資生堂ギャラリー[東京都]

同じ天高ながら大小の部屋が斜めに接続する個性的(?)な空間の特質を活かし、スペクトルの光によるインスタレーションを展開するなど、さすがの演出だった。過去作の映像も、余計な説明なしにヴィジュアルだけでほとんどわかる鮮やかなデザインが続く。ただ、一連の作品のなかで、ガラスの茶室だけはどうしてもキッチュに思え、茶室の本質と違うのではないか。

2017/03/13(月)(五十嵐太郎)

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