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美術に関するレビュー/プレビュー

並河靖之七宝展 明治七宝の誘惑──透明な黒の感性

会期:2017/01/14~2017/04/09

東京都庭園美術館[東京都]

明治の輸出工芸のなかで、七宝はやや特異な位置づけにあるように思う。ひとつには、陶芸や金工の技術が江戸期からの産業に根ざしていたのに対して、明治七宝は日本で用いられていた技術に依らず、舶来の(おそらく中国製の)有線七宝に由来するからだ。もうひとつは技術の担い手だ。近代七宝をはじめた梶常吉(1803-1883)は尾張藩士の子息で、職人の出自ではない。そして本展覧会の主人公、並河靖之(1845-1927)もまた武州川越藩家臣の息子。俸禄が少なく生活に困窮したためにはじめた「士族の商法」が、七宝づくりだった。並河と同じく明治29年に帝室技芸員になった濤川惣助(1847-1910)はもともとは陶磁器を扱っていた商人であり、やはり工芸の出自ではない。明治の七宝は海外への輸出を志向して現われ、一代にして粋を極めた、人も技術も新しい産業であり、そして他の輸出工芸と同様に1900年(明治33年)のパリ万博の頃からはやがて衰退へと向かうのである。
展示は、本館1階が「ハイライト」。明治6年に並河が初めて制作したという《鳳凰文食籠》から始まり、工房を閉鎖する大正期までの代表的な作品が並ぶ。本館2階と新館展示室は、明治七宝の系譜からはじまり、七宝界全般や並河個人の諸事情など織り込みながら作品の変遷をたどる構成だ。本展で特筆すべきは、実作品と併せてデザイン画が出品されている点であろう。七宝作品には署名がなされていないことが多いそうだが、今回の展覧会のための調査を通じて現存するデザイン画から並河作品と同定されたものもあるという。本展を企画した大木香奈・東京都庭園美術館学芸員の5年にわたるという展覧会準備の成果がそこここにあり、膨大な文献目録を含む図録は資料的価値が高い内容だ。
本展においてもうひとつ特筆しておくべきは、図録冒頭に掲げられた樋田豊郎・東京都庭園美術館館長の、明治工芸の評価軸に関する一文であろう。とくに「超絶技巧」の流行に関する功罪の指摘は刺激的だ。「技巧」に対して樋田館長が並河七宝の特徴として指摘するのは「文様」である。京都七宝の飛躍的拡大の理由は「並河七宝に代表される『創造的破壊』の成果」であり、「京都の七宝業者たちは、欧米でジャポニスムが流行していることを、神戸の外人商館あたりから聞き、それならばと七宝の値打ちを、異文化の人たちと頒かち合えるように、七宝の文様から日本人にしか絵解きできない要素を省いた」。 それは「七宝文様のグローバル化戦略だった」とする(本展図録10~15頁)。技巧ではなく表現に着目する動きは昨年の「驚きの明治工藝」展にもあり、むしろ近年の技巧評価への傾倒は村田コレクションのセレクションバイアスゆえではないかと思わなくもない。他方で樋田館長の「七宝文様のグローバル化戦略」説にはさらに検討が必要と思われる。たしかに本展では並河が外国人商人などからの評価を強く意識していたことが指摘されているが、「グローバル化戦略」といえるようなものがあったならば、最初に述べたとおり、七宝がなぜ他の工芸と同様に輸出衰退へと向かったのかを別の方向から説明する必要があろう。むしろ七宝文様において「創造的破壊」があったとすれば、それは伝統工芸に根ざしていなかったがゆえと考えたほうが良いように思われるが、どうだろうか。
本展は、伊丹市立美術館(兵庫県、2017/9/9~10/22)、パラミタミュージアム(三重県、2017/10/28~12/25)に巡回する。なお、出品作品のうちヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵品は東京都庭園美術館のみの展示となるそうだ。[新川徳彦]

★──黒田譲 『名家歴訪録 上編』明治32年(1899年)、48頁。

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2017/02/01(水)(SYNK)

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宮永甲太郎展

会期:2017/01/28~2017/02/05

楽空間祇をん小西[京都府]

玄関を入ると土間があり、3つの和室が続いたあと、坪庭と離れがある典型的な京町家のギャラリー。そこで陶芸家の宮永甲太郎が、あざやかなインスタレーションを見せた。自然光のみの室内は、さながら『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎)の如し。最初の部屋には3点の巨大な甕(かめ)が並んでいる。マグリットの《聴取室》を思わせるデペイズマン的光景だ。そして2室目に入ると、畳を外して水を張った3室目と坪庭越しに離れが見える。離れには十数個の巨大な壺がすし詰めになっており、観客は2室目からその光景を眺めるのだ。まるで池越しに薪能を見ているような情景。空間の特性を見事に生かした作家の手腕に、大いに感心させられた。宮永は2014年の「木津川アート」でも大規模なインスタレーションを行なっている。公園の池に巨大な壺をいくつも配置し、池の水位を下げて壺の上半分が島のように配された情景をつくり出したのだ。いまや宮永の関心は、作陶を超えて巨視的なスケールに至ったのであろうか。いずれにせよ彼が充実期にあるのは間違いない。

2017/01/31(火)(小吹隆文)

呉在雄 / Oh Jaewoong「Bougé: 持続の瞬間」

会期:2017/01/24~2017/02/05

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

呉在雄は1975年、韓国・ソウル生まれ。現在、東京工芸大学大学院芸術研究科メディアアート専攻に在籍しており、今回の個展からTOTEM POLE PHOTO GALLERYのメンバーの一人として活動するようになった。今回展示された「持続の瞬間」は5年前から撮り続けているシリーズで、井の頭公園や小金井公園の樹木に6×6判のカメラを向け、揺れ騒ぐ樹々の枝をフレームにおさめてシャッターを切っている。60分の1秒ほどのシャッタースピードなので、長時間露光というほどではないのだが、風の強い日だと枝は相当に揺れ動いて、ブレが生じてくる。その不定形のフォルムと、枝と枝との間の空白の部分との関係に神経が行き届いていて、じっと見つめていると画面に吸い込まれていくような感覚を味わうことができた。
呉がこのような作品を撮り始めたきっかけは、留学先の日本での生活に疎外感や孤独感を感じることが多く、そんなときに公園に出かけて、樹を眺めていることが多かったからだという。風に揺れる枝に自分の思いを託しつつ、シャッターを切っていたということだろう。韓国の現代写真家たちの作品を見ていると、長時間にわたって風景に対峙し、対話することで、純化された、瞑想的とさえいえそうな境地に達しているものがかなりたくさんあることに気がつく。日本でも何度か展示されたことのある、 炳雨(ベー・ビョンウ)の「松(ソナム)」シリーズなどもその一例である。呉のこのシリーズも、そんな作品に成長していく可能性があるのではないだろうか。

2017/01/31(火)(飯沢耕太郎)

第65回東京藝術大学 卒業・修了作品展

会期:2017/01/26~2017/01/31

東京藝術大学構内[東京都]

芸大に展示されていた先端芸術表現科の修士の作品を見逃していたので再訪する。注目したのはふたり。菅沼朋香は昭和レトロなインスタレーションのなかで、本人がオウムのピーちゃんと腹話術をしている。現代社会に背を向けて趣味の世界に耽溺しつつ、それを作品化して公表してしまう根性が見上げたもんだ。レトロな趣味もここまでやれば先端だ。でも会期中ずっとパフォーマンスしてるんだろうか。濱口京子は黒い絵とモノクロームの壷の絵の写真を数組並べている。これは黒い絵具で壷を描いていき、最後は画面全体を真っ黒に塗り込めてしまうのだが、その過程を1枚の写真に蓄積して壷のイメージを浮かび上がらせるという仕掛け。いささか理屈っぽいが、黒く塗り込める行為とそこに痕跡を見出す行為が共感を呼ぶ。

2017/01/30(月)(村田真)

石田尚志 映像インスタレーション

会期:2017/01/20~2017/01/30

地下鉄千代田線乃木坂駅から国立新美術館への通路[東京都]

先日来たとき見逃したので、あらためて見に行く。地下の通路の壁と天井に映像インスタレーションしているのだが、なぜ石田尚志の作品が選ばれたのか、見てみて納得した。石田は絵を描く過程をコマ撮りしてアニメのように見せる映像で知られるが、エスカレータの天井にこれを映すと、絵を描き進むスピードとエスカレータのスピードが同調し、映像を身体で体感できるのだ。なるほど、よく考えられている。

2017/01/30(月)(村田真)