artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

画と機 山本耀司・朝倉優佳/project N 66 村上早

会期:2016/12/10~2017/03/12

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

デザイナーと画家のコラボレーションで、2人の作品を混ぜながら展示する手法は面白い。が、内容の複雑さが増す分、もう少し解題が欲しかった。一方、上階の村上早の小展示は、完全に個人の世界で、説明なしでも、向こうから刺さってくる銅版画群だった。

2017/01/18(水)(五十嵐太郎)

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美しい偶然と意図

会期:2017/01/18~2017/01/30

国立新美術館[東京都]

タイトルを聞いてなんの展覧会かと思ったが、サブタイトルは「地域で共に生きる障害児 障害者アート展」。港区内の障害者施設でつくられた絵や工作を公開し、障害者への理解を図ろうということだ。ある壁には港区内の小中学校の生徒たちと、施設や作業所に通う障害者の作品を混ぜて展示しているが、ひと目見て障害者の作品は区別がつく。それだけユニークだからだ。逆にいうと、小中学生の描く絵はみんな似たり寄ったりで哀れなくらい。展示室の奥には代表的な「アール・ブリュット」の作品も展示されていて、こちらのインパクトはメガトン級だ。例えば斎藤勝利は、スケッチブックの見開きいっぱいに鉄橋やトンネルなどの風景画を描いている。車や電車から見た風景だろうか、どれもパースが利いているし、建造物の構造もしっかり捉えている。聾学校出身の彼は耳が聞こえない分、見える世界を手でつかむように触覚的に把握しようとしているのかもしれない。だが、いまは目も見えなくなったそうだ。辻勇二は高い場所からながめた街景を記憶に留め、家に帰ってからペンで克明に描いていく。風景でも本でも音でもいちど目(耳)にしたものはすべて暗記し、再現できてしまうという、いわゆるサヴァン症候群だ。彼の場合、必ずしも正確な再現ではないが、屋根の瓦1枚1枚、線路の枕木1本1本まで描き倒し、画面を埋め尽くそうとする執念みたいなものに圧倒される。彼らの作品は「理解」するべきものではない。われわれ凡人の理解を超えたところにあり、「畏敬」すべきものである。

2017/01/18(水)(村田真)

石川直樹「この星の光の地図を写す」

会期:2016/12/17~2017/02/26

水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]

石川直樹の写真について、大きな誤解をしていたことに気づいた。かつて五大陸最高峰登頂の最年少記録を持っていたという“冒険家”としての経歴、人類学的なフィールドワークを基点として「この星の光の地図」を描き出していくという壮大な意図に裏づけられた彼の写真は、精密な描写と被写体への客観的な距離を前提とした「男性原理」的な写真であるべきだという思い込みが僕にはあった。だが、そうではなく、彼の写真家としてのあり方は「女性原理」に基づくものだったのだ。
「女性原理」的な世界へのアプローチは、「異化、分類」ではなく「同化、受容」を基本とする。被写体との感情的な共振を大事にし、視覚的というより身体的、触覚的だ。だから、画面がブレようが、傾こうが、被写体がフレームからはみ出そうが意に介さない。シャープなピント、緻密な画面構成をめざす「男性原理」的な写真とは対照的なアプローチといえる。これまで、石川の作品のクオリティの低さについて、いつも不満と苛立ちを覚えていたのだが、彼が「女性原理」的な写真家であるとすれば辻褄が合う。
とはいえ、今回、水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された、初期から近作まで450点あまりの作品が並ぶ「初の大規模展」を見て感じたのは、やはり物足りなさだった。もしも「女性原理」的な写真にこだわるのなら、なぜ身体化しやすい小型カメラではなく、扱いにくい6×7判のアナログ・カラーフィルムのカメラをわざわざ使うのだろうか。さらに展示を見ると、「女性原理」的な写真だけでなく、「男性原理」的なアプローチの写真もまた不用意に混じりあっている。複数の写真が壁面に並ぶ時に、展示が「とっちらかって」見えるのはそのためだろう。そもそも「この星の光の地図」を描き出すという、厳密さを要求される作業が、感情的、感覚的なスナップショットだけで成り立つとはとても思えない。
ということは、石川に必要なのは「女性原理」と「男性原理」を融合・統合した、いわば両性具有的な写真のあり方をめざすことではないだろうか。その意味では、会場の最後のパートに置かれた「TIMELINE」(2016)の写真群が、もっとも彼らしい仕事であるともいえる。「福島の中高生とともにミュージカルをつくっていく」というイベントの記録なのだが、その内容と、石川の衒いのない撮影ぶりがしっくりと融けあって、いい雰囲気を醸し出していた。この作品は、写真家・石川直樹のひとつの方向性を示すものだと思う。
ただ、このような被写体との親密な触れ合いを基調とする写真撮影が、いつでも可能であるとは思えない。冷静でロジカルな判断力が必要とされる「男性原理」的な写真が求められる場面も多々あるはずだ。展示を見て、そのあたりに折り合いを付けつつ、新たな写真家像をどのように打ち立てていくのかを、きちんと問い直すべき時期に来ているのではないかと思った。

(2017年2月21日修正)
(2017年2月28日修正)

2017/01/17(火)(飯沢耕太郎)

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大和美緒個展「VIVID-STILL 静か。鮮烈で_」

[京都府]

会期:2017/01/06〜2017/01/22 Gallery PARC

会期:2017/01/14〜2017/02/04 COHJU contemporary art

大和美緒は、シンプルな行為を反復することで豊かな世界をつくり出す新進画家だ。例えば、無数の赤い点から成る作品では、最初に打った点の隣に次の点を打ち、その次は下に点を打つという作業を延々と繰り返す。すると画面には布地のドレープ(ひだ)を思わせる有機的な波模様が現われるのだ。また、黒い線による作品では、最初に引いた線のすぐ隣に次の線を引く作業を繰り返す。すると線は徐々に曲線を帯びはじめ、最終的には山地の地図のような画面ができあがる。ほかには板ガラスにインクを垂らしたカラフルな作品もあった。彼女は制作中に画面全体を見ないように心がけている。つまり人為を封じた絵画ということだ。だとすれば作品に現われる模様は、フラクタルや1/fゆらぎのように自然界の法則を体現したものと言えるだろう。一方、いくら人為を封じると言っても、人間には欲望があるし、制作時間が長引けば疲労も蓄積する。作品にはそうした心身の軌跡も刻まれており、複数の揺らぎが同一画面上で響き合う点に、作品の面白さが凝縮されている。

2017/01/17(火)(小吹隆文)

南繁樹・大石早矢香展

会期:2017/01/14~2017/01/22

祇をん小西[京都府]

ともに30代の若手陶芸家夫婦が2人展を開催。キーワードは「装飾」だ。南の作品は白磁で、表面を覆う幾何学的な凹凸模様が大きな特徴。きわめて精緻な仕事であり、磁器特有のクールな性質との相性もきわめて良い。一方、大石の作品は陶芸で、花、植物、生き物などの有機的なモチーフが過剰なまでに装飾されている。初めて作品を見たときはマイセン人形のような可愛らしいものかと思ったが、実際はアニミズム的というか、有機性で艶めかしいものだ。特に女性の素足をモチーフにした作品は、かかと部分がハイヒール状にびっしりと装飾で埋められており、背徳的なエロティシズムを感じた。また、トロフィーのような大作も、女性のボディや手足と装飾が複雑に絡み合っており、非常に見応えがあった。という訳で、やや大石の説明に偏ってしまったが、2人の作家がそれぞれの個性を出し切った気持ちのよい展覧会だった。それにしても2人が夫婦だったとは。画廊で大石から教えてもらい、本当に驚いた。

2017/01/17(火)(小吹隆文)