artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
そがひろし「気遣ひ」
会期:2017/02/14~2017/02/23
LADS GALLERY[大阪府]
この作家のことはいままで知らなかったが、作品が発する異様なパワーに圧倒された。作品の支持体は紐による不規則なグリッドで区切られ、そこに和柄の布地、ペイント、文字が配されている。文字は古事記や足尾銅山鉱毒事件を明治天皇に直訴した事で知られる政治家・田中正造の一文など歴史的な素材から採られているようだ。また、支持体に仏壇を流用したものもあり、飾り金具を作品の一部として活用したケースもあった。一目見て思ったのは、呪術的、情念的だということ。作家がどのような意図で本作をつくったのか不明だが、これらの作品を見たものは一様にまがまがしさを感じるであろう。作家は1958年生まれで岐阜県郡上八幡市在住。具体美術協会の作家・嶋本昭三との出会いから美術活動を始めた。展覧会は主に東京で行ない、名古屋でも数回個展を行なっている。関西での個展は今回が初めてのようだ。こんなにユニークな作家がいるとは知らなかった。今後も関西で個展を行なってほしいものだ。
2017/02/17(金)(小吹隆文)
白図 山下裕美子展
会期:2017/02/09~2017/02/26
ぷらすいちアート[大阪府]
山下裕美子の作品を初めて見た人は、それらが紙でできていると思うだろう。まさか陶芸だとは思わないはずだ。彼女の作品はそれほどに薄く、軽く、儚い雰囲気を漂わせている。作品は、和紙や布を貼り重ねて造形し、泥状の土を塗った後、焼成している。焼成段階で紙や布は燃えてしまい、陶土のみが残るのである。展示はライトボックスの上に置かれることが多い。透過光が繊細さを一層強調するのだ。しかし本展では、いくつかの作品を金属板や板の上に設置し、作品の新たな魅力を引き出そうとしていた。また、ひしゃげた箱や何かを包んだ紙など、これまでとは異なるモチーフを採用しているのも大きな特徴だった。作風自体は正常進化だが、いくつかの点で新たなチャレンジがうかがえ、今後の変化に含みを持たせた。本展を位置づけるとこんな感じだろうか。
2017/02/17(金)(小吹隆文)
大西康明「空間の縁」
会期:2017/01/14~2017/02/28
ARTCOURT Gallery[大阪府]
天井から垂れた黒い接着剤の無数の糸に支えられ、薄く半透明のポリエチレンシートが、山の稜線のような起伏を帯びて宙に浮かんでいる。「山」の体積が反転してぽっかりと空白になった空間を、観客は内側と裏側から体験する。大西康明はこれまで、ポリエチレンシートと垂れた接着剤の糸という軽やかで繊細な素材を用いて、近代彫刻が硬い外皮とボリュームの内部に隠蔽してきた「充満した空虚」を可視化し、重力や粘性といった物理法則に従うマテリアルの可塑性によってそのマッチョさの脱臼をはかってきた。
本展で発表された《空間の縁》は、柱状のバルーンに少しずつ空気が送り込まれて膨らみ、体積を獲得したのち、再び空気を抜かれてしぼんでいく作品。膨張と収縮を繰り返す、薄い被膜でできた存在は、ゆっくりと呼吸する生き物のようだ。また、《体積の内側》は、アクリルボックスの天辺から、接着剤を垂らした糸でできた鍾乳洞か氷柱のような形状がいくつも垂れ下がる作品。ボックスの中をのぞき込むと、底は鏡面になっており、虚像の世界の「山脈」がこちらへ向かって突き出してくるような錯覚を味わう。内部ががらんどうの空虚が虚像の世界に映り込むとき、虚×虚が実在感へと転じる。その鮮やかな反転が今後の新たな展開を感じさせた。
2017/02/15(水)(高嶋慈)
伊藤義彦「箱のなか」
会期:2017/01/13~2017/03/04
PGI[東京都]
伊藤義彦は1980年代から、あらかじめ図柄を決めてフィルム一本分を撮影し、そのコンタクトプリント(密着焼き)を作品として提示するシリーズを発表してきた。その後、2000年代になると、画像をプリントした印画紙を引きちぎり、その繋ぎ目を斜めに削ぎ落として横長に貼り付けていく「写真絵巻(psychography)」のシリーズを制作するようになる。今回PGIで展示された「箱のなか」もその延長上にある作品で、《雨垂れ》(2007)、《亀と蛙》(2009)、《人形》(2009)など19点が並んでいた。
伊藤の仕事は、一貫して写真というメディアを通じて現実世界をどのように把握し、定着するかを問い直すコンセプチュアルな営みである。だが、方法論のみが先行する堅苦しさはまったく感じられない。むしろ、彼の柔らかな感受性や好奇心がいきいきと発揮されていて、見ていると気持ちがほぐれていく。近作では、それにやや奇妙なユーモアも加わってきた。残念なことに、「写真絵巻」の制作に必要な薄手の印画紙が手に入らなくなったために、違う手法を模索しなければならなくなったという。それでも、彼のことだから、新たなテクニックを編み出して、さらなる視覚世界の探求を続けていくのではないだろうか。
ところで、会場には、伊藤と彼の仲間たちが、1979~81年にかけて南青山で運営していた写真ギャラリーOWLのリーフレットも置いてあった。OWLでは、伊藤だけでなく、田口芳正、矢野彰人、島尾伸三、長船恒利らが、クオリティの高い作品を発表していた。本レビューでも何度か書いているが、この時期の日本の「コンセプチュアル・フォト」について、そろそろ本格的な調査・研究を進めていくべきだと思う。
2017/02/15(水)(飯沢耕太郎)
写真分離派「写真の非論理──距離と視覚」
会期:2017/02/09~2017/03/26
NADiff Gallery[東京都]
1963年生まれの3人の写真家(鷹野隆大、松江泰治、鈴木理策)と2人の批評家(清水穣、倉石信乃)によって2010年に結成されたのが「写真分離派」。その後も、デジタル写真vs. 銀塩写真といった不毛な議論を超えて、写真の表現可能性を本質的に見つめ直す活動を続けてきた。NADiff Galleryでは2回目となる今回の展示には、鷹野隆大と松江泰治が写真作品を、倉石信乃が映像作品(須山悠里との共作)を発表し、清水穣がコメントを寄せていた。鈴木理策が不参加(脱退ではないようだ)なのが気になるが、メンバー個々の現時点での問題意識がしっかりと表明された、充実した展示だった。
鷹野の「ピントが合う少し前の風景」(2010~13)は、いわゆるシャッターチャンスの前後の、ややブレた画像によるヌード/ポートレートのシリーズである。そこでは「距離を測り、視角を決める」という、写真撮影における選択のあり方が問い直されている。松江はツァイト・フォト・サロンでのデビュー個展(1985)で展示された「TRANSIT」シリーズと、未発表の《Hashima》(1983)を合体させてモニターで上映した。過去の作品への自註/再構築という趣がある。倉石の「写真の位置、メモ」は、1923年の関東大震災直後の東京を撮影した水彩画家、三宅克己の写真の複写にコメントを加えて、東日本大震災と写真との関係を考察しようとしている。それぞれ方向性はバラバラだが、「距離と視覚」という問題意識が、緊張感のある取り組みの姿勢で共有されていた。
なお展覧会にあわせて、2010年以来の活動のレポートが同名の書籍にまとめられた(発行=エディション・ノルト)。メンバーによる対談、座談会の記録のほか、須田一政、杉本博司、荒木経惟へのインタビューも含んでおり、読み応えのある内容である。
2017/02/15(水)(飯沢耕太郎)