artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
上映+トーク「土の家ヤオトンを造る」
会期:2017/01/16
ATELIER MUJI[東京都]
無印の窓花展に関連して、エロディー・ブロッソー監督『ヤオトン造りの小さな取り決め』の上映+トーク with 丹羽朋子+下中菜穂。建設の前後に風水師や土地神の儀式があり、新年の窓花装飾と同様、家が暮らし/世界とともにある文化人類学的な視点が興味深い。一方で、この映像は土を掘り込むのではない、石壁タイプのヤオトンを紹介するが、ヴォールト架けの過程が少し欠けていたのは残念で、建築側からすると、とても見たい場面だった。
2017/01/16(月)(五十嵐太郎)
5Rooms─感覚を開く5つの個展
会期:2016/12/19~2017/01/21
神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]
頭で考えるより、いかに「心に響くか」という直感で選ばれた5人のアーティスト。うち3人は未知の作家なので、どんなアンサンブルが聞かれるか楽しみだ。最初の部屋の出和絵理は、和紙のような白い素材で花や花器みたいな幾何学的形態を組み立てているが、じつはこれ、薄く伸ばした磁器だという。次の部屋の染谷聡は、植物素材と漆を組み合わせた彫刻ともオブジェとも現代いけばなとも呼べそうな作品。このふたりの作品は繊細で魅力的だが、それ以上に伝わってくるものがない。ひとことでいえば工芸的。さらに次の部屋の小野耕石は、紙の上にシルクスクリーンの版を100回くらい重ねてインクを盛った作品を、水平に寝かせて見せている。ほかに動物の頭蓋骨や蝉の脱け殻にもインクを盛っている。これも繊細で根気のいる仕事で、ある意味工芸的ともいえるが、いったいなにをやりたいんだか、どこにたどりつくんだか、よくわからない不気味さがある。次に進むと、齋藤陽道によるスライドインスタレーションとプリント写真の展示で、前の3人との共通性が失われてしまい、どういう企画展なのかつかみがたくなる。まあ5人の個展と考えれば共通性は必要ないのだが。さらに勝手に期待したアンサンブルをぶち壊してくれたのが、最後の大きな部屋に展開する丸山純子のインスタレーションだ。暗い空間に長さ10メートル以上はあろうかという廃船をなかば解体し、上から雪かホコリのように石鹸粉をまいている。ほかにも廃油石鹸の巨大な固まりの上から水滴を垂らして浸食させたり、殴り書きしたおびただしい量のボール紙を壁に貼ったり。ここには工芸的な意味での繊細さはなく、むしろ暴力的ともいうべき解放感に満ちている。出品作家5人に共通項はないけれど、見る順序は絶対これじゃないとダメだろうね。
2017/01/16(月)(村田真)
アートや文化の今を聞くTALK かないみき「ベルリン、そしてヨーロッパの現場から─芸術と社会の相関関係」
Galerie ITSUKI[宮城県]
仙台のアートノードの関連トーク、ギャラリーイツキにて、美術ジャーナリストのかないみきが語る。第一部はベルリンの現状のほか、自邸開放、映画館使用、格安アートレンタルなど、商業ギャラリーとは違う、さまざまなオルタナティヴなギャラリーの活動を紹介する。そして、第二部は、昨年チューリッヒで開催したマニフェスタの報告だった。作家が非作家と共同する形式をテーマとし、特に糞尿を固めた巨大彫刻が強烈である。
2017/01/13(金)(五十嵐太郎)
日本におけるキュビスム─ピカソ・インパクト
会期:2016/11/23~2017/01/29
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
昨年末から風邪気味のまま年が明けて、ズルズルと2週間ほどたってしまった。こんなに展覧会を見なかったのは3.11以来だろうか。で、今年初めての展覧会は、少し遠出して、玉近の「日本におけるキュビスム」。これは見たいけど見に行くのが億劫だったが、いまを逃せば高知まで足を延ばさなければいけないので重い腰を上げる。そもそもこの展覧会、鳥取(県立博物館)で立ち上がり、埼玉を巡って高知(県立美術館)に行くという珍しい巡回展。なんで人の少ないところを回るんだろ。関西の人たちはどっちに行けばいいんだ? 悩ましい展覧会だ。どっちにしろもう高知しか選択肢はないけどな。それでも行ってみる価値のある、とてもいい展覧会です。内容はタイトルどおり、日本はいかにキュビスムを受け入れたかを、約170点の作品で探るもの。
まず最初に来るのが萬鉄五郎の《もたれて立つ人》。1917年作というから、ピカソが《アヴィニョンの娘たち》を描いてからすでに10年たってるが、細かい部分はともかく、実際に見てきたわけでもないのにけっこう自分のものにしている(じつはこれ以前からヨロテツはキュビスム風の絵は描いていた)。東郷青児の1915年作《コントラバスを弾く》も早いが、これは未来派やレイヨニスムもごちゃ混ぜになっている。そう、幸か不幸か日本には“現物”や“見本”がほとんどなかったため、画家たちは少ない情報を頼りに想像力で補ったり、日本の状況に合わせて改変したり、ある意味独自の、またはこういってよければ奇形的な作品が生み出されていったのだ。展覧会の前半は戦前の作品で、真ん中あたりにピカソやブラックの“本物”が置かれ(ただし国内にある後期の作品や版画が多い)、後半はキュビスムというよりピカソの影響の色濃い作品を並べている。後半のほうは1937年作の《ゲルニカ》および、敗戦間もない1951年に開かれた「ピカソ展」に感化されたもの。あまりにあからさまな山本敬輔の《ヒロシマ》をはじめ、松本竣介、岡本太郎、難波田龍起、吉原治良、池田龍雄、河原温、それに初期の山田正亮まで入ってる! ほとんど全員じゃないか、と思えるほど。驚くのは、高山辰雄をはじめとする日本画家、彫刻家、工芸家にまで影響を及ぼしていることだ。これほど広範囲に及んでいるとは思わなかった。これはもう単なる流行現象ではなく、通過儀礼ですね。
2017/01/13(金)(村田真)
後藤靖香個展「必死のパッチ」
会期:2016/12/16~2017/01/21
京都精華大学ギャラリーフロール[京都府]
後藤靖香は、祖父や大叔父など親族の戦争体験をもとに、戦争の時代を生き抜いた人々や、さほど知られていないエピソードを描く若手作家だ。作品の特徴は、丹念な取材を行なうこと、画風が漫画調なこと、極端な構図を用いる場合があること、巨大な作品が多いこと、である。筆者は後藤の作品に対し、魅力と疑問の両方を感じてきた。魅力は、先に述べた作品の特徴による。疑問は、戦争を知らない世代が戦争を描くことである。戦争を否定するのであれ賛美するのであれ、未体験者が戦争を扱うのはいかがなものかと。しかも彼女は1982年(昭和57)生まれ。義務教育中に東西冷戦もバブル景気も終わっていた世代なのだ。しかし最近、考えが変わった。戦後世代が戦争をテーマにした例などいくらでもあるし、むしろ若い世代のほうがイデオロギーの呪縛が希薄なので、ニュートラルかもしれない。しかも後藤はきちんと取材を行なっているし、描く内容も一個人に密着している。いわばオーラルヒストリーとしての絵画であり、イデオロギーが前面化した人たちとは一線を画した、新しい戦争画なのである。
2017/01/13(金)(小吹隆文)