artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
わだばゴッホになる 世界の棟方志功
会期:2016/11/19~2017/01/15
あべのハルカス美術館[大阪府]
本展は昨年11月から行なわれていたが、記者発表日に別の仕事が入ったため取材が出来ず、そのまま年を越してしまった。本当のところをいうと、新年早々に出かけたのは正月ボケを直すため。つまりウォーミングアップであり、さほど思い入れはなかったのだ。しかし、棟方の作品を見た途端、筆者の心に火がついた。なんだ、この感情は。それは芸術鑑賞というより、祝祭の高揚に近い。理屈ではなく、身体の奥底から熱い塊がこみ上げてくるのだ。過去に何度も棟方の作品を見たことがあるのに、これほど盛り上がったことはなかった。きっと大作や連作が多かったからだろう。特に展覧会中盤の、《大世界の柵》(天地175.4×左右1284cmの2点組)や《鷲栖図》(天地275×左右803cm)などの超大作が並んだあたりは大迫力で、心のなかで何度も雄叫びを上げてしまった。年始から自分の根っこにあるジャパニーズ・ソウルをこれほど意識させられるとは。おかげで新年の良いスタートが切れたと思う。
2017/01/06(金)(小吹隆文)
5Rooms ─ 感覚を開く5つの個展
会期:2016/12/19~2017/01/21
神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]
5人の作家による個展形式で、最初の3名は工芸的、そして後半の2名は写真と巨大なインスタレーションである。シルクスクリーンで100回もインクを擦り重ねた極小のドット・ランドスケープをつくる小野耕石、大空間で闇の中の難破船のような世界を提示した丸山純子が印象に残った。
写真:上から、小野耕石、丸山純子
2017/01/05(木)(五十嵐太郎)
花博公園、台北ビエンナーレ2016ほか
会期:2016/09/10~2017/02/05
花博公園、台北市立美術館[台湾、台北市]
圓山駅から花博公園を歩く。ペットボトルをリサイクルし、夜はLEDで内部から光る壁をもつARTHUR HUANGのエコ・アークなど、2010年の博覧会開催時に訪れたパヴィリオンがいくつか残る。台北市立美術館の南側エントランスに接続された新しいガラスのチューブから入る。台北ビエンナーレ2016はレベルが高く、本格的な内容だった。陳界仁によるハンセン病施設の映像がやはり強烈である。シバウラハウスでのパフォーマンスも紹介され、写真に僕の背中が映っていた。ほかにXavier LE ROYによるコレオグラフィーの実演、建築ではカンボジアのPEN Sereypagnaなど。2階では、フランシス・アリスの小を散りばめる。また、ビエンナーレがスタートして10周年ということもあり、1996年から2014年の歴史を振り返るメタ展示も開催していた。継続によって確かな蓄積になっている。地下では、台北アートアワード2016展を開催し、1980年代生まれのさまざまなタイプの若手作家を紹介していた。3階では、1941年生まれの女性写真家、王信の大規模回顧展が開催されていた。
写真:左=上から、《エコ・アーク》、《台北市立美術館》の南側エントランス、Xavier LE ROY、PEN Sereypagna 右=上から、フランシス・アリス、10周年展示、台北アートアワード2016展、王信回顧展
2016/12/30(金)(五十嵐太郎)
林典子『ヤズディの祈り』
発行:赤々舎
発行日:2016/12/31
ヤズディはイラク北部の山岳地帯に住む少数民族。ゾロアスター教、イスラム教、ミトラ教、キリスト教などを起源とする、孔雀天使を守護神とする独特の信仰を持ち、その伝統的な慣習を守りながら暮らしてきた。ところが、近年のイスラム原理主義の台頭で、迫害を受けて故郷を追われ、難民となる者が増えてきている。林典子は2015年2月から、イラク北部クルド人自治区の難民たちの家、ヤズディの故郷であるシンガル山麓を訪ね、さらにドイツで移民として暮らす人々の丹念な取材を続けてきた。それらをまとめたのが、新作写真集『ヤズディの祈り』である。
林は写真集の後記で「世界にはさまざまな形の暴力があり、中東だけを見てもその被害者はヤズディだけではない」と書いているが、たしかにわれわれは日々流れてくるテロや迫害のニュースに慣れっこになり、不感症に陥りがちだ。だが、林はそんななかで、あえてさまざまな出来事の意味を、写真を通じて問いかけ、伝達しようとするフォト・ジャーナリストとしての初心を貫こうとしている。とはいえ、それらは「一枚ですべてを語ろうとするのではなく、そして歴史に残る出来事の全体像を写そうとしたものではなく、私の視点から見たヤズディの人々の体験の記録」として提示される。
そのために、本書に収録された写真には、その選択と配置に細やかな配慮が見られる。ヤズディの人々のポートレートが中心の構成なのだが、あえて「フレームの外にあったさりげない風景の一部」、彼らの持ち物、かつて住んでいた村で撮影された家族写真などをかなり多く取り込んでいる。また、占領下の村でダーシュ(IS、イスラム国)の戦闘員に性的な暴行を受け、顔を出すことを恐れている女性たちは、白いベール越しに撮影している。特筆すべきは、写真集の後半部の「testimony(証言)」のパートである。写真のモデルとなった人々へのインタビューが、日本語、英語、クルド語、ドイツ語(日本語以外は要約)で、かなりのページを割いておさめられている。このような丁寧な作りを心がけることで、「私の視点から見たヤズディの人々の体験」が、厚みのある記憶の集積として見事に再構成された。松本久木の手触り感にこだわった装丁・デザインも素晴らしい出来映えである。
2016/12/29(木)(飯沢耕太郎)
世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画
会期:2016/11/16~2017/01/09
サントリー美術館[東京都]
日本に初めて西洋画がもたらされたのは16世紀のことだが、江戸時代になると鎖国政策により幕末まで西洋画は途絶えてしまう。そんななかで細々と西洋画に挑んだのが江戸の平賀源内であり、彼に導かれて洋風画を学んだ秋田藩士の小田野直武、および秋田藩主の佐竹曙山らであった。今回はその小田野を中心とする秋田蘭画を紹介するもの。彼らは西洋画を目指したものの、道具も情報もないなかで悪戦苦闘したため、日本の風物を日本の画材で西洋風に描く「洋風画」にとどまった。これがなにやらチグハグな和洋折衷で、そこが最大の魅力だったりする。具体的には遠近法や陰影などを採り入れ、近景の木の幹や枝を大きく配す構図が特徴だが、こうした技法が幕末の高橋由一や五姓田義松らによる油絵に受け継がれ、日本の近代絵画の基礎が固められていったのだ。洋風表現の系譜をたどると、いまの日本人の美意識にもつながっているようでおもしろい。
2016/12/25(日)(村田真)