artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
杉本博司 ロスト・ヒューマン
会期:2016/09/03~2016/11/13
東京都写真美術館 2・3F[東京都]
リニューアルした東京都写真美術館杉本博司「ロスト・ヒューマン」展へ。もともとポスト・ヒストリー的感性をもつアーティストだが、今回はベタに世界が終焉する物語を複数書いて、それぞれの作品に寄せている。そのため、やや自虐的パロディ・キッチュSFな雰囲気が、上階の展示に生まれていた。一方、下階は斜めに割って、旧作の写真によるカッコイイ系インスタレーションである。
2016/09/29(木)(五十嵐太郎)
BODY/PLAY/POLITICS
会期:2016/10/01~2016/12/14
横浜美術館[神奈川県]
まず、日本人が企画し、日本でやる展覧会なのに、なぜタイトルをアルファベット表記にするのか理解できない。これだけで来館者は減ると思う。でも「ボディ/プレイ/ポリティクス」というカタカナ表記もなんだか間が抜けてるし。結局タイトルがよくないって話だ。展示はひとりほぼ1室を使い、余裕たっぷりに見られてよかった。ただし中身がよくない。インカ・ショニバレは美しい立体と映像を出しているが、解説がなければ理解できないし、理解したところで遠すぎて響いてこない。アピチャッポン・ウィーラセタクンはさすがに美しい映像を見せているが、解説を読むと語るに落ちる。最後のふたりは日本人で、特に石川竜一がおもしろかった。石川は名前は聞いたことがあるくらいで、ちゃんと作品を見るのは初めて。特に感動したのは《小さいおじさん》と《グッピー》で、文字どおり背の小さなおじ(い)さんとハデな化粧のおば(あ)さんとつきあい、彼らの生活に分け入って撮影したシリーズだ。ふたりとも世間的にいえばちょっと外れた異形の人、いわばアウトサイダー。展示も内容に沿っていて、壁をそれぞれ緑と赤に塗りつぶして写真を並べ、余白に石川の直筆でふたりのエピソードを書いている。このコーナー全体がアウトサイダーアートになっているのだ。いやーこれだけで満足した。
2016/09/27(金)(村田真)
紫、絵画。渡邉野子
会期:2016/09/24~2016/10/22
Gallery G-77[京都府]
紫を基調とした色彩と激しい筆致の抽象画で知られる渡邉野子。「対比における共存」をテーマとする彼女にとって、赤と青が混ざった紫はテーマを体現する色である。また新作では金と銀を新色として使用しており、画面の質感が以前の作品とは少し違って見えた。抽象画というジャンルは、現在の絵画シーンのなかで沈滞気味と言える。その原因は、表現方法が出尽くしたこともあるだろうが、それ以上に現実社会との接点を疎かにしていたからではないか。本展のチラシに記された文面を見てそう感じた。その文面とは、「東洋と西洋のはざまにあり、不安定にそして肯定的にたたずむ渡邉の線は、世界において異質なものや多様な理念が混在し衝突する社会に育ち、混沌とした今と将来に生きる世代の作家としての存在理由を象徴しています」。まるで現在の国際情勢を語っているかのようだ。そして、こうした社会のなかで抽象画を描く理由を端的に示したとも言える。もちろん、現実の諸問題とコミットするしないは個々の自由である。筆者が言いたいのは、パターン化した思考から抜け出し、新たな視点を得ることで、抽象画に新たな存在意義を与えられるのではないかということだ。時代が再び抽象画を要請するかもしれない。このテキストを読んで大いに勇気づけられた。
2016/09/27(火)(小吹隆文)
原游「山水 SAN-SUI」
会期:2016/09/16~2016/09/28
市原湖畔美術館[千葉県]
美術館の展示室ではなく、多目的ホールと情報ラウンジを使った個展。壁の仕様も広さも展示室にはかなわないが、空きスペースを若手作家の発表の場に提供する試みは評価したい。ただし見に行くのが大変だけどね。原は新作を中心に30点以上出している。いくつかに分類すると、まず、チラシやネットなどから拾い集めた図像をキャンバス上に再構成し、油彩で描いたシリーズ。このとき再構成したものがひとつの人物像に見えるなど、部分の集合が別の全体像を生み出している。《Rolling Moon》や《SAN-SUI》などだ。次に、紙の表裏に別の絵を描いてあれこれ折り曲げ、表裏の画像を同時に見せる「谷折ドローイング」シリーズ。これはトポロジカルな発想で、ある種のワープ感や予期せぬ偶然の出会いを感じることができる。もうひとつ、キャンバスの一辺だけ布を長くしてうしろに折り曲げ、犬の耳のように垂らしたり、布をほどいて髪の毛状にしたりするシリーズ。《泉(ネコ)》と《泉(女の子)》、一連の《にこにこ飛行》などがそれだ。これは彼女が絵画というものを単なる平面としてではなく、ひとつの物体として捉えている証だろう。部分と全体、裏と表、平面と物体──いずれも絵画の根本原理を問い直す作業といえる。もっと重要なことは、それを眉間にシワを寄せてシリアスに取り組むのではなく、ポップに楽しくやってることだ。なぜそれが重要かといえば、そのほうが見ていて楽しいからに決まっている。
2016/09/27(火)(村田真)
秦雅則『鏡と心中』
発行所:一ツ目
発行日:2016/08/09
2008年にキヤノン写真新世紀でグランプリを受賞し、2009~11年に東京・四谷で「企画ギャラリー・明るい部屋」を運営していた頃の秦雅則は、次々に溢れ出していく構想を形にしていく、すこぶる生産的な活動を展開していた。このところ、やや動きが鈍っているのではないかと思っていたら、いきなりハードカバーの写真集が刊行された。これまで、ZINEに類する小冊子はつくっていたが、本格的な写真集としては本書が最初のものになる。
ただ、『鏡と心中』というタイトルの本は、すでに2012年のartdishでの個展「人間にはつかえない言葉」に際して刊行されている。そのときには、写真は口絵ページに12枚ほどおさめられていただけで、「夢日記」のような体裁の文章ページが大部分だった。今回は、いわば写真集判の『鏡と心中』であり、写真図版は72枚という大冊に仕上がっていた。
写っているのは身近な片隅の風景であり、花や植物、小動物、杭や土管などを、しっかりと凝視して、スクエアの画面におさめている。かつての性的なイメージを再構築した破天荒なコラージュ作品とはかなり趣が違う。むしろ静まりかえったスタティックな印象を与える写真群だが、画像の一部に黒々と腐食したような空白が顔を覗かせている写真が目につく。おそらく、フィルムを放置することで生じた傷や染みだろう。それらが現実の風景を、風化していく記憶や、忘れかけた夢に似た感触に変質させている。丁寧につくられたいい写真集だが、秦にはもっと「暴れて」ほしいという気持ちも抑えきれない。次作は真逆の、ノイズや企みが満載の写真集を出してほしいものだ。
2016/09/27(火)(飯沢耕太郎)