artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
会期:2016/08/11~2016/10/23
名古屋東急ホテル[愛知県]
前回は愛知芸文センターの吹抜けをオープニングに使ったが、今回は近隣のホテルの宴会場でも入りきらないほどの大勢の参加者だった。その後、関係者の懇談会では、建畠晢さん、港千尋さんと並び、歴代芸術監督の記念撮影を行なう。初回の祝祭性を継承しながら、テーマ性や場所性を打ち出した前回の2013に対し、あいちトリエンナーレ2016はカラフルな横断的リサーチプロジェクトへの旅を感じる。
2016/08/10(水)(五十嵐太郎)
あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
会期:2016/08/11~2016/10/23
愛知芸術文化センター[愛知県]
メイン会場の愛知芸術文化センターでは、小ホールでダニ・リマの日用品と戯れるにぎやかなパフォーマンス(最後のモノによる芝居が笑えた)を鑑賞してから、展示フロアに向かう。今回は巨大な倉庫である納屋橋の会場が消えたが、ここで大巻伸嗣、リウ・ウェイ、味岡伸太郎、森北伸らの大型インスタレーションが楽しめる。前回呼びたかったマーク・マンダースも、不気味な作品で興味深い。ほかにグレッツィンガーの巨大な想像地図やニダル・シャメックのドローイングが印象に残る。建築系では、assistantの松原慈による盲学生の小さな陶磁器作品を置く台座群がカッコいい。また衣服を交換する西尾美也のプロジェクト展示のために、403 architecture[dajiba]が空間デザインを担当する。
写真:左=上から、森北伸、大巻伸嗣、マーク・マンダース 右=上から、グレッツィンガーの巨大な想像地図、assistant、西尾美也
2016/08/10(水)(五十嵐太郎)
あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
会期:2016/08/11~2016/10/23
長者町会場[愛知県]
続いて、長者町エリアへ。打開連合設計事務所による伏見駅ブループリントやリゴ23の壁画など、前回の作品が残っている。このエリアは、さらにおしゃれなカフェが増え、その分、アートを展示できる会場数は少し減ったようだ。逆に学校やレクチャーなどのプログラムベースの作品も目立つ。白川昌生はまちの歴史を取材しつつ、世界史とつなぐ物語と作品をつむぐ。
写真:左=上から、喫茶クラウン、大木裕之 右=上から、ベロタクシー、白川昌生
2016/08/10(水)(五十嵐太郎)
あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
会期:2016/08/11~2016/10/23
名古屋市美術館[愛知県]
あいちトリエンナーレ2016の内覧会へ。前回は芸術監督を務めたために企画側だったが、今回は純粋に鑑賞者のサイドである。複数の都市とジャンルにまたがり、また規模が大きいために、どこで何を、またいつどこでイベントがあるか、確かに初見だと相当に複雑かもしれない。名古屋市美術館は、1、2階ともに開放的に空間を活用する。正面のネットを屋外ではりめぐらせる作品は、岡崎、豊橋でも展開していた。
写真:左=《名古屋市美術館》 右=上から、ジョアン・モデ、ライ・ヅーシャン
2016/08/10(水)(五十嵐太郎)
須田一政『SUDDENLY』
発行所:Place M
発行日:2016年5月16日
須田一政は2015年に敗血症を患っていた。化膿連鎖球菌に侵され、炎症の程度を示すCRP値は最高40に達した(基準値は0.3以下)という。その「いつ心臓が停止しても不思議ではない状態」から帰還したあとに、体調回復のために入院していた病院の病室で、繰り返し写真を見直し、「選び抜いた」近作を集成したのが本書である。
まさに「生死の境」に去来し、うごめきつつ姿を変えていくようなイメージ群が、写真集のページから溢れ出すように並んでいる。このところの須田の仕事ぶりには鬼気迫るものがあるが、この写真集でもそのただならぬ凄みに、絶句してしまうような写真が目白押しだった。特に目につくのは、液晶テレビの画面を写している写真である。須田は洋画が好きなようで、それらの一場面が断片的な映像として写しとられている。ほかにも、看板やポスターの一部を切り取った写真も多い。須田は写真集のあとがきで、スタンリー・キューブリックの「妄想や実現しなかった夢を現実と同じくらい重要なものとして扱おうとした」という言葉を引用している。このような、映像(まさに「妄想や実現しなかった夢」)を現実と等価のものとして扱う姿勢は、初期の頃からあったのだが、それがより研ぎ澄まされ、融通無碍なものになりつつある。
同年齢の(76歳)の荒木経惟もそうなのだが、須田の近作を見ていると、老いをネガティブにとらえるのではなく、むしろ何かを呼び覚ましていく契機としてとらえ直していこうとしているように見える。幽冥の世界を自由に行き来する表現が、輪郭をとりつつある。
2016/08/10(飯沢耕太郎)