artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ギメ・ルーム開設記念展「驚異の小部屋」ほか
会期:2015/10/02
インターメディアテク[東京都]
久しぶりにインターメディアテクに立ち寄る。「雲の伯爵」や「帝大造船学」の展示、ギメ・ルーム開設記念展「驚異の小部屋」などを開催中だが、通常の真面目でお堅い博物館的な見せ方を変え、卓抜したセンスによって、アートやデザインを組み込む。細かく見ていくと、フェイクの古びたキャプション、背後のパネルとズレたフレーム、ランダム風の配置、高所の図面などの工夫に、ニヤリとさせられる。
2016/08/05(金)(五十嵐太郎)
ヨコオ・マニアリスム vol.1
会期:2016/08/06~2016/11/27
横尾忠則現代美術館[兵庫県]
横尾忠則の作品のみならず、本人が創作と記録のために保管してきた膨大な資料を預かり、調査を進めている横尾忠則現代美術館。その成果はこれまでの企画展にも反映されてきたが、より直接的にアーカイブ資料と作品の関係に踏み込んだのが本展である。キーとなるのは横尾が1960年代から書き続けてきた日記で、作品との関連がうかがえるスケッチや写真のある見開きをコピーして、作品とともに展示している。もちろん実物の日記を並べたコーナーもある。また、展示室の中にアーカイブ資料の調査現場を移設して、美術館業務の一端を公開する斬新なアイデアも。ほかには、制作の副産物として生じた抽象画のようなパレット、郵便にまつわる作品、猫とモーツァルトと涅槃像をテーマにした作品、ビートルズにまつわる作品と資料も展示された。全体を通して、横尾が作品を生み出す過程や、発想の源が生々しく伝わってくるのが面白い。横尾自身も「発見の多い展覧会」と述べたほどだ。本展は末尾に「vol.1」とあるように、調査の進展に応じて今後も継続される予定。今まで本人ですら気付かなかった横尾忠則像を提示してくれる可能性があり、今後の展開が楽しみだ。
2016/08/05(金)(小吹隆文)
ナムジュン・パイク没後10年 2020年笑っているのは誰?+?=??(前半)
会期:2016/07/17~2016/10/10
ワタリウム美術館[東京都]
ナムジュン・パイク(1932~2006)の仕事は相当に面白い。ビデオアートの創始者という肩書きでのみ語られることの多い彼だが、今回ワタリウム美術館で開催された「没後10年」の展示を見て、あらためてあらゆるヒト、モノ、コトを結びつけては変質させる、その強力な「触媒」としての可能性に着目した。
会期の前半は、現代音楽からスタートして、前衛美術作家としての志向を強めていく1950~80年代の作品を中心に展示している。この時期、パイクはジョン・ケージ、ジョージ・マチューナス、マース・カニンガム、ヨーゼフ・ボイスらとの出会いを軸に「ブラウン管がキャンバスにとってかわる」時代の新たな表現様式を模索していた。《ジョン・ケージに捧ぐ》(1973)、《ガダルカナル鎮魂歌》(1976)、《TVフィッシュ》(1975)といったビデオアート作品は、今見ても充分に刺激的、挑発的だし、「来るべき21世紀を見据えて、新たな形の分配について考えていく」というクリアーな思考が貫かれている。
映像メディアを通じて、出会いをグローバルに拡張していこうという彼の志向が頂点に達するのが、「サテライト・アート」として制作された《グッド・モーニング、ミスター・オーウェル》(1984)である。ニューヨークのテレビスタジオとパリのポンピドゥセンターで収録した番組を、放送衛星を使って同時中継するという試みが、視覚的、聴覚的なエンターテインメントとしても高度な段階に達していたことを、今回はじめて確認することができた。むろん、インターネットを使えば、いまは同じアイディアをもっと簡単に実現できるわけだが、問題はパイクほどのスケールの大きな構想力を備えたプロデューサーがいるかどうかだろう。そう考えると、やや悲観的にならざるを得ない。
世界各地で大プロジェクトを実現するとともに、ワタリウム美術館とのつながりも深まってくる1990年代以降の作品をフィーチャーした、会期後半(2016年10月15日~2017年1月29日)の展示も楽しみだ。
2016/08/05(飯沢耕太郎)
The NINJA ─忍者ってナンジャ!?─
会期:2016/07/02~2016/10/10
日本科学未来館[東京都]
春の「ゲーム」展に続いて、中1の息子と「忍者」展を見に行く。息子はゲームも好きだが、なぜか忍者とかマジックとか大道芸も好きだ。まあだいたいこの年代の男子はチョロいからトリッキーなものに飛びつくもんだ。まず忍者関連のマンガや小説が並ぶ「忍者研究室」を抜けると、メイン会場は「体をきたえよ」「技をきわめよ」「心をみがけ」の3つのステージに分かれている。「体」では、植物の成長にしたがってより高く跳べるようになる「ヒマワリ跳び越え」をはじめ、手裏剣打ちや忍び足を体験。「技」ではさまざまな忍者道具や武器、食料、薬などを紹介。「心」では巨大スクリーンのナンジャ大滝の前で修業するとなにかが起きる、という趣向。かなりゆるいが、いちおう「科学」と名のつく施設なのでいいかげんなことはしていない。最後は忍者認定証をもらって、ショップでレトルトの「忍者カレー」を買って帰った。
2016/08/04(木)(村田真)
羽永光利アーカイブ展
会期:2016/07/23~2016/08/20
AOYAMA|MEGURO[東京都]
羽永光利(1933~1999)は東京・大塚生まれ。文化学院美術科卒業後、フォトグラムやデカルコマニー作品を発表していたが、1962年からフリーランスの写真家として活動し始めた。以後、雑誌等で仕事をしながら、現代美術、舞踏、演劇などの現場に密着して取材・撮影を続けた。1981~83年には、創刊されたばかりの「フォーカス」(新潮社)の企画・取材にかかわったこともあった。
アーティストたちのエネルギーが交錯しつつ、高揚していく時代の貴重な記録として、このところ、羽永の写真は国内外で大きな注目を集めつつある。昨年の「羽永光利による前衛芸術の"現場" 1964-1973」展に続いて東京・上目黒のAOYAMA|MEGUROで開催された今回の個展では、10万カットに及ぶという遺作から約450点が展示されていた。会場は「演劇」、「舞踏」、「世相」、「前衛芸術」の4部構成で、それぞれ1960~80年代撮影の写真がアトランダムに並んでいる。ハイレッドセンターやゼロ次元のパフォーマンスのドキュメントを含む「前衛美術」のパートや、土方巽、寺山修司、唐十郎などのビッグネームの姿が見える「演劇」、「舞踏」のパートもむろん面白いのだが、むしろこれまであまり発表されたことのないという「世相」のパートに注目した。「前衛芸術」の担い手たちの活動は、突然変異的に出現してきたわけではなく、それぞれの時代状況をベースにしてかたちを取ってきたことがよくわかるからだ。逆に1960~80年代の大衆社会の成立がもたらした解放感、エネルギーの噴出こそが、「前衛芸術」の活況を支えていたともいえるだろう。写真に引きつけていえば、中平卓馬、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久らの「ラディカル」な表現のあり方は、羽永の写真に見事に写り込んでいる「世相」のエスカレートぶりと響きあっているようにも思えるのだ。
なお、羽永のアーカイブが所蔵する写真1000枚を収録した文庫版写真集『羽永光利 一○〇〇』(編集・構成、松本弦人)の刊行が決定したという。内容と装丁とがぴったり合っているので、出来映えが楽しみだ。
2016/08/04(飯沢耕太郎)