artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

新世代への視点2016 水戸部七絵

会期:2016/07/26~2016/08/06

gallery21yo-j[東京都]

東横線沿線ギャラリーの3連発、最後は自由が丘から徒歩15分、坂を上った住宅街にあるギャラリー21yo-j。「新世代への視点」は銀座・京橋の画廊が毎年夏に開いてる企画展シリーズだが、ここは銀座から移転後も参加している。水戸部七絵は絵具をテンコ盛りにした作品で知られるが、今回も鉄製パネルに油絵具を山のように盛り上げた「絵」を出品。近ごろ絵具を色の道具としてではなく量塊として扱うアーティストが何人かいるが、ここまで盛り上げた作品は見たことがない。なにしろ小さめのもので厚さ10センチほど、大作では厚さというより高さ60センチくらいあるのだから。そのまま壁に垂直に掛けたら絵具がずり落ちてしまうので、斜めに掛けている。そのためかろうじて絵具が斜面に踏みとどまっている。と同時に、かろうじて彫刻ではなく「絵」であることに踏みとどまっている。ちなみに大作はグリーン系の絵具がこんもり盛り上がってるので山かと思ったら、人の顔だそうだ。なるほど横から見れば顔に見えないことはないし、もし山だったら真上から見た絵ということになってしまう。ほかの作品も人体や人の顔で、モチーフは一貫しているようだ。

2016/08/03(水)(村田真)

椋本真理子 個展「リゾート」

会期:2016/07/30~2016/08/14

RISE GALLERY[東京都]

次、学芸大学から徒歩10分、ライズギャラリーへ。会場にはポップな色調に彩られた抽象的な彫刻やレリーフが並んでいる。これらはダムやリゾート地の一部をえぐりとり、なかば抽象化してFRPなどで立体化したもの。例えば凹凸面に緑、水平面に水色を塗った立体はダムの一部だとわかる。が、リゾートのほうは緑、赤、ピンクが混在するより抽象的な形態になっているので、一見わかりにくい。そもそもなぜダムとリゾートなのかといえば、どちらも自然環境を変えてしまう巨大な人工物だから。特にリゾート施設はダムみたいにあからさまに暴力的ではなく、自然に溶け込もうとしている点でいっそう悪質だと作者はいう。なるほど、だからわかりにくいのか。それだけ表現力が試されることになる。

2016/08/03(水)(村田真)

Mitsutoshi Hanaga Archives Project:羽永光利アーカイブ展

会期:2016/07/23~2016/08/20

AOYAMA|MEGURO[東京都]

今日は東横線沿線のギャラリー3連発。どこも駅から歩いて10~15分ほどかかるので、真夏は決死の覚悟でのぞみたい。最初は中目黒から駒沢通りを10分ほど歩いた「青山|目黒」。途中ゆるい上り坂になってるが、右手の村野藤吾設計の瀟洒なビル(現在は目黒区役所として使われている)が目の保養になる。ギャラリーでは羽永光利の写真展を開催中。羽永さんは60年代の前衛芸術の現場に密着していた写真家で、ぼくも80年代前半にしばしばお会いしたが、ずんぐりむっくりの体型で脚を引きずりながらカメラを抱えて歩く姿には畏敬の念を覚えたものだ。1933年生まれというから、ネオダダの連中とほぼ同世代。その後お会いすることもなくなったが、99年に亡くなられたという。写真は60~80年代の200点を超すモノクロ(一部カラー)を、「前衛芸術」「演劇」「舞踏」「世相」に分けて展示。瀧口修造、西脇順三郎、志水楠男、針生一郎、東野芳明、中原佑介、ジャスパー・ジョーンズ、吉村益信、篠原有司男、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之、工藤哲巳、磯崎新、蜷川幸雄、唐十郎、土方巽、麿赤児など、前衛の季節を生きた芸術家たちが活写されている。女性がきわめて少ないのは羽永さんの恥じらいゆえか。

2016/08/03(水)(村田真)

三田村陽「hiroshima element」

会期:2016/07/29~2016/08/11

photographers' gallery[東京都]

三田村陽は1973年、京都生まれ。1997年に大阪芸術大学写真学科を卒業後、京都造形芸術大学大学院メディアアート専攻に進み、1999年に同大学院を修了した。ここ10年余り、広島に月1度ほどのペースで通い続け、撮りためた写真を2015年12月に写真集『hiroshima element』(ブレーンセンター)にまとめた。今回のphotographers' galleryでの展示は、そのシリーズの東京でのお披露目展ということになる。
6×7判のカラーで撮影・プリントされた写真は、のびやかで屈託のないスナップショットである。三田村本人は「広島で写真のよろこびを表明する」ことに、ある種のうしろめたさを感じているようだが、実際に展示されている写真には、そのような翳りはまったく感じられない。むろん、原爆ドームや慰霊碑などは画面に映り込んでいるし、デモ隊や右翼の姿も見える。だが広島を取り巻く政治的な状況については、ことさらに言及することなく、むしろさまざまな都市的な要素に、目立たないように埋め込んでいくことがもくろまれている。その狙いはかなり成功しているのではないだろうか。
とはいえ、広島はやはり特別な都市であり、三田村の写真を見る者は否応なしに「見える街と見えない街」の二重性を意識せざるをえなくなる。そこから、どのようにして広島に特有の社会・文化の構造をあぶり出していくかが大きな課題なのだが、それはまだ緒に就いたばかりのようだ。この中間報告を踏まえて、さらなる「hiroshima element」の抽出が必要になってくるだろう。それがうまくいくかどうかは、次の発表ではっきりと見えてくるはずだ。

2016/08/03(飯沢耕太郎)

コウノジュンイチ写真展 「境界」

会期:2016/08/01~2016/08/14

ギャラリー蒼穹舎[東京都]

コウノジュンイチの写真との付き合いは長い。10年以上前に、ワークショップで彼の作品を講評・展示したことがあるし、2009年からは東京・新宿のギャラリー蒼穹舎でコンスタントに作品を発表するようになり、それらもほとんど見ている。その数もすでに10回ほどになっているという。だが、彼の写真について書こうとすると、どうもうまく言葉が紡げないように感じていた。ほとんどが旅の途上で撮影されたスナップ写真なのだが、これといった特徴をなかなか見出しにくかったからだ。だが、昨年日本国内で2004~2011年に撮影した写真をまとめて、写真集『ある日』(蒼穹舎、2015)を刊行したこともあり、少しずつスタイルが固まってきたようだ。
今回の展示作品(四切カラー、38点)は香港、マカオ、台湾、中国などで2011~12年に撮影されたもので、例によって都市の路地から路地へと彷徨いながらシャッターを切っている。旅の非日常性をなるべく出さないように配慮しているようで、逆にその「メリハリのなさ」がコウノの旅写真の特徴といえる。カメラに視線を向けている人物が1人もいないのも、かなり意識的な操作だ。つまり、なるべく自分の気配を消すように撮影しているので、写真を見るわれわれは、コウノの視線と同化してその場面にすっと入り込むことができる。さりげないようで、高度に吟味されたシークエンスの連なりといえるだろう。もうひとつ特徴的なのは、画面の暗部(影、陰)の処理の仕方で、被写体のディテールを潰すか出すかのギリギリの選択がなされている。コウノはカラープリントの自家処理にこだわり続けているが、色味の調整や明暗表現に繊細な神経を働かせているのが伝わってくる。
コウノのどちらかといえば地味な写真群は、華やかなスポットライトを浴びることはないかもしれないが、いぶし銀の輝きを放ちはじめている。日本国内の写真と海外の写真は、いまのところ別々の枠組みで発表されているが、それらがいつか融合してくることもありそうだ。

2016/08/03(飯沢耕太郎)