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美術に関するレビュー/プレビュー

世界遺産 ポンペイの壁画展

会期:2016/04/29~2016/07/03

森アーツセンターギャラリー[東京都]

そもそも「壁画展」などグラフィティの展覧会と同じで矛盾のかたまりだが、それでも「ポンペイの壁画展」は数年にいちどの頻度で開かれている。ならば「ラスコーの洞窟壁画展」も企画してほしいと思っていたら、今秋科学博物館で開かれるそうだ。といっても原寸大レプリカや3D映像がメインらしいが。話を戻すと、日本に来ているポンペイの壁画もひょっとしたらレプリカだったりして。いや疑ってるのではなく、それほど色がきれいなのだ。昔見たポンペイの壁画はもっとひび割れだらけで、色彩もくすんでいたように感じるのは気のせいか。特に「エジプト青の壁面装飾」と呼ばれるフレスコ画の青(水色)と赤の対比はこの上なく美しいし、また、土色だけで群像を表現した《赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス》の描写力は見事というほかない。でも今回興味深かったのは、かすかに字が読み取れる「グラッフィーティのある壁画」と、描きかけの顔料がそのまま固まってしまった「顔料入りの小皿」。どちらも完成された壁画より現場感が漂っている。

2016/04/28(木)(村田真)

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生誕150年記念 中村不折の魅力

会期:2016/04/30~2016/07/24

中村屋サロン美術館[東京都]

生誕150年というから黒田清輝と同い年。パリに留学し、ラファエル・コランに師事したというのも黒田と同じ。なのに黒田と大きな差がついたのは、不折の留学が黒田より20年近く遅かったこと、もうそのころには帰国した黒田の尽力により曲がりなりにも近代絵画が根づき始めていたこと、新派と呼ばれた黒田に対して不折は旧派の画家に学んだこと、「書は美術ならず」といわれた時代に書も手がけたこと、要するに時代に乗り遅れたってことだ。でもその屈折した心情が絵に奥行きを与える場合もあるからおもしろい。同展は油絵15点ほどに人体デッサン、水彩、水墨画、本の表紙絵、中村屋の看板まで約50点の中規模な展示。

2016/04/28(木)(村田真)

「京都国際写真祭」

会期:2016/04/23~2016/05/22

京都市美術館別館ほか[京都府]

4回目を迎えた「京都国際写真祭」(KYOTOGRAPHIE)。2013年の初回を見た時には、どれだけ続くのかと心もとなかったのだが、質量ともに飛躍的に向上している。今回は「いのちの環」をテーマにしたメインプログラムが13会場で開催されたほか、サテライト展示の「KG+」、関連企画など、50以上の展覧会が開催された。かなり広い地域に散らばっているので、一日ではとても全部回りきれないが、それでも、何日か滞在してじっくり見てみたいと思わせる魅力的な企画が目白押しだった。主催者の仲西祐介とルシール・レイボーズがめざしているのは、「国際的に通用する写真祭にする」ということだが、その志の高さが全体の雰囲気を盛り上げているように感じる。
KYOTOGRAPHIEの特徴のひとつは、美術館やギャラリーだけでなく、京都らしい寺院や町家などの空間を活かした展示が多いことだろう。フィンランド出身の写真家、アルノ・ラファエル・ミンキネンの「YKSI: Mouth of the River, Snake in the Water, Bones of the Earth」(建仁寺内両足院)では、作品が建物の中だけでなく、日本庭園内にも配置されていた。町家の座敷に作品を並べた古賀絵里子の「Tryadhvan(トリャドヴァン)」(長江家住宅)、「マグナム・フォト/EXILE─居場所を失った人々の記憶」(無名舎)、蔵の中に写真と漂流物でつくったランプを展示したクリス・ジョーダン+ヨーガン・レールの「Midway:環境からのメッセージ」(誉田屋源兵衛 黒蔵)も見応えがあった。
インスタレーションやライティングに気を配った「見せ方」にこだわっているのも、KYOTOGRAPHIEの特徴で、昨年逝去した報道写真家、福島菊次郎の「WILL:意志、遺言、そして未来」展(堀川御池ギャラリーほか)では、写真パネルを鉄パイプや鉄の箱を使ったソリッドな装置を組んで展示していた。海洋生物学者のクリスチャン・サルデの写真映像を、高谷史郎が床置きの複数のモニターで上映し、坂本龍一がサウンドをつけた「PLANKTON 漂流する生命の起源」(京都市美術館別館2階)も、高度に練り上げられたインスタレーションを愉しむことができた。
予算的にはかなり厳しいようだが、このクオリティを保ちつつ、「国際写真祭」としてのさらなる広がりを期待したい。将来的には、東川町国際写真フェスティバルのような先行する地域写真イベント、またアジア各地の写真祭などとも相互交流を図ってほしいものだ。

2016/04/27(水)(飯沢耕太郎)

ルノワール展

会期:2016/04/27~2016/08/22

国立新美術館[東京都]

名古屋では「ルノワールの時代」展をやってるが、あちらはボストン美術館所蔵、こちらはオルセー美術館とオランジュリー美術館所蔵だ。どうせなら合体してほしいところだが、そうはいかない大人の事情があるらしい。まあんまり興味ないんでどっちでもいいけど。そうなのだ。ぼくはどうしてもルノワールを好きになれないのだ。ならなんで見に行ったのかというと、なぜぼくはルノワールが好きじゃないかを知りたかったからだ。で、なにがわかったかというと、結局ルノワールは光とか時間といった抽象的な思考より、ただ人を描くことが好きだったんだということだ。ある意味、画家としては珍しく幸せな人生を送ったんじゃないかな。だから見る者としては物足りない。やっぱり他人の苦労や不幸の結晶を見たいわけですよ観客は。展示構成は、目玉の《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》と、《田舎のダンス》《都会のダンス》の連作を向い合わせに配し、その間のスペースを広くとって予想できる混雑にあらかじめ対応しようとしているのがイヤな感じだった。

2016/04/26(火)(村田真)

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「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」

会期:2016/04/05~2016/05/22

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

1970年代以来、「偉大なるアマチュア写真家」ジャック=アンリ・ラルティーグの写真は、展覧会や雑誌の特集などを通じてたびたび紹介されてきた。ベル・エポックの輝きを軽やかに具現化した、彼のスナップショットの魅力を知る人も多くなり、正直、今回の埼玉県立近代美術館のラルティーグ展の企画の話を聞いた時に、同工異曲の展示を見せられるのではないかと思ってしまった。ところが、実際に展示作品(約160点)を見て、われわれがこれまで享受してきたラルティーグの写真の世界は、ほんの一部であることがよくわかった。生涯に130冊以上の写真アルバムと、11万カット以上の写真原板(ネガ)を残したという彼の写真は、想像以上の広がりを備えているのだ。
今回特に興味深かったのはカラー写真である。ラルティーグは1912年から、最初期のカラー写真技法であるオートクロームの製作に取り組み、戦後の1950年代以降はリバーサル・カラーフィルムを使って撮影している。それらは全作品数のうち約3分の1を占めているという。ラルティーグのモノクローム写真は、躍動感あふれる奇抜な演出に特徴があるが、カラー写真は露光時間が長かったこともあって、ややスタティックで絵画的な印象を与える。特筆すべきは、そのみずみずしくヴィヴィッドな色彩感覚で、それは彼が画家としての経験を積んでいたことと無関係ではないはずだ。ラルティーグのカラー写真は、2015年にパリで開催された「ラルティーグ、彩られた人生」(Lartigue, La vie en couleurs)展で初めて本格的に紹介され、大きな反響を呼んだ。本展では後半部分にカラー作品が40点ほど出品されていたが、今後はそちらを中心にした展示も考えられるのではないだろうか。
ほかに、1914年にラルティーグの指揮の下に一家が勢揃いして制作された「盗賊と妖精」と題する映画が上映されるなど、アルバムや日記を含む資料展示も充実している。彼の写真がもたらす幸福感が、会場全体を包み込んでいたように感じる。

2016/04/26(火)(飯沢耕太郎)

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